【自己顕示録】


2001年7月〜6月後半


07/29

たまには思い出話でも。

/ピカソ/

[ピカソ 子供の世界]のビラ 机を整理していたら、去年の[ピカソ 子供の世界]のビラが出てきた。ビラの子供ピエロが非常に可愛くて、ピカソへの認識を新たにしたのを覚えている。もっとも、裏の絵を見ると「いかにもピカソ」で、結局興味を失ってしまって、結局展覧会には行かなかった。

私はピカソはあまり好きじゃない。立体を平面に写し取ることの新境地と言われても、私には難しすぎる。

ゲルニカ 唯一好きなのは、ゲルニカ。巨大な壁に描かれたモノクロの絵画。本来は無題で、地名ゲルニカが作品名として代用されている。−−この作品は通常は反戦絵画として紹介されるのだが、私はそれとは無関係に、溢れ出るエネルギーと破壊感を好きだ。できれば余分なイデオロギーは持ち込みたくない。


(余談)

美術部の友人が教えてくれたのだが、ゲルニカは、遠近法理論を逆手に取った表現になっているそうな。−−各オブジェクトの焼失点を図っていくと、それぞれが微妙に違う点に消えてゆく。すなわち、微妙に違う世界から眺めたものを、複合的に1つの平面に投影している。結果として、あの躍動感と破壊感が生まれるのだそうな。

こうしてみると、やはり作るほうの知識があるほうが鑑賞も楽しめるな。自分の音楽鑑賞を考えてみれば自明か。


/ミロ/

ピカソは苦手なのだが、ジョアン=ミロは好きだ。

大学生のときに名古屋の松坂屋美術館にて[ジョアン・ミロ舞台美術の世界展]を見た。平面の抽象画だけ見ていればピカソと類似の世界なのだが、その展覧会ではなんと立体造形が展示されていた。ミロが劇のために作成した衣装やオブジェ。あの平面の世界が、なぜかそのまま立体として抜け出ている。−−当時のメールを引用する。

エチュード(習作)が多く密度が低い感じですが、 そのなかの【メテロの死】(人名に自信なし)というバレエの舞台は、 掛け値なしにすごかった。「百鬼夜行とはこの事か」」と思わせる何かがありました。

登場人物は、8割が奇妙奇天烈な着ぐるみ。 仮面、全身、足だけ、その他色々ですが、 人間をモチーフにした、想像を絶するかたち達が並べられています。 恐かった。

彼のデザイン自体は、けっして恐怖を誘うものではありません。 どちらかというとユーモラス。

こんな感じの《かたち》達が、なんと舞台で動き回ります。 飛び回ります。梯子をよじ登ります。旗を振ります。 言葉(セリフ)はありません。叫び声とうめき声だけがあります。

ストーリーは、大体こんなかんじ。

王子メテロが戴冠式を迎える。 町中が興奮しきっている。 しかし、メテロは戴冠式のスピーチの最中に、 興奮極まったのか、事切れてしまう。 そして、町中が混乱する。 だれも事態を収めることができない。

…実際、舞台はまさに「この世の終わり」を閉じ込めたかのような逸品。 いままで、ここまで「こわれてしまっている世界」を表現した舞台が 存在したとは、迂闊にも想像すらできなかった。

その絵画は見たことがあった。彼の絵自体は有名だ。 でも、それが登場人物になって、しかも軽やかに動き回るなんて 普通は考えられない。

でも、それは実際にあったことなのだ。見たい。今度はビデオを探しにうろついてみます。

/シャガール/

シャガール[エッフェル塔の花嫁、花婿] いっしょにシャガールのクリアファイル[エッフェル塔の花嫁、花婿]が出てきた。

シャガールを見たのは、高校1年のとき@愛知県立美術館(立て直す前ギリギリだった)。一般受けするポップなシュール画を描くひとだとばかり思っていたので、内面性の深さに驚嘆した。

一番鮮烈だったのが、結婚シリーズだ。恋愛時、結婚、新婚、出産、そして死を、同じモチーフ(2人+動物+浮揚)で描ききっていた。最後の[死]では、妻がウシ(死のモチーフ)とともに天高く飛んでいくのを、夫はベッドから眺めていた。色はなぜか緑一色。

−−シャガールの浮揚は、一般には幸福感の象徴として知られていると思う。ところが、実際には実にさまざまな用途に使われている。


07/28

/神林長平[敵は海賊A級の敵]/

シリーズ6冊目。カバーが天野じゃないどころか、書かれている猫が白いんだが…

太陽圏の辺境で、1台の船があわや難破しかけた。調査した海図担当班は、そこに大破した宇宙キャラバンがあったことを知る。その件の調査を担当した海賊課刑事セレスタンは、ふとしたことでヨウメイと出会い、事件は思わぬスケールに発展する。

今回の主眼は、存在論。特に“情報の”存在論と付けてもいいかもしれない。p195あたりのΩドライブにおける存在確率操作に始まり、ホルスシステムの理論、野生のA級知性体の意識など。また、海賊論についても、海賊課のそれ、マーゴ=ジュディのそれ、ラクシェのそれ、ジュビリーのそれで、それぞれ違いがはっきりしているのが面白い。

物語は、キャラの個性がしっかり立っており、その絡み合いで自然に話が進んだ。章がそれぞれ登場人物(など)の名称になっていて、その人物中心で流れるのが効果的だったのだろう。−−サブキャラとしては、ダコタ船のゴーパルが面白い。飼い猫ラーギニへの愛と、船への愛。この2つが異様に強い。Ωドライブを半手動で起動してゆくさまは、読んでいて感心した。

一点残念なところがあるとすれば、Ω空間でのラストの対決部分だろう。「ドゥルーガーが実はメルチド=ザウラクの意識だった」というのは許すとして、けっきょくどうやってクルトンVをやっつけた(説得した・消滅させた・取り込んだ)のか分からない。また、どうやってホルスを除去したのかも分からない。−−クラーラが噛み付くシーンは好きなんだけど。

その点はおいておいても、全体として非常に楽しめる。いまのところbestは[海賊課の一日]だが、その次は本巻を好きだ。


07/27

/CLAMP[ちょびっツ]/

*筋*

アフタヌーン連載(かな?)。現在2巻まで。微妙にSFで、微妙に人工生命論で、なんとなく面白かった。−−全体としては、オタ趣味な恋愛マンガだし、オタ萌えな少女ロボのエッチ感あふれるサービス描写みたいなものが多い。それは大変気に入らない。

この世界では、パソコンが「人間型(なぜか少女ばかり)」として描かれる。時空的には、インターネットが浸透しかけていて、OSも機能が良くなって、自作パソコンが定着して…と、まあ現在をベースにしている。

主人公 秀樹(だったかな?)が、貧乏な予備校生。パソコン欲しいなーと思ってバイトから帰る途中で、ゴミ捨て場で少女型のパソコンを拾う。パソコンをまったく知らなかったので苦労しながらいじってみたが、どうもOSもなにも入っていないらしい。−−でも、この少女は「ちぃ」とだけ話せる。

友人を介して、PCに詳しい少年(逢ってみたら中学生だった)に調べてもらう。どうやら《ちぃ》は、既存のメーカー品でもなければ、存在しうる自作でもない。OSすら入ってないはずだが、なぜか自己学習能力だけは機能している。

秀樹は《ちぃ》にモノを教えるのが楽しくなる。《ちぃ》はTVの天気予報を見て「寒くなるらしいから、ジャンバーを着ていくとよいよ」とまで判断できるようになるまで成長する。

秀樹が《ちぃ》といっしょに本屋に行ったとき、《ちぃ》は1つの絵本に惹かれる。存在や愛について哲学的に語った内容に見える。これを読んだあと、《ちぃ》は意識の中でもう1人の自分と出会う。

*キャラ*

中学生君は、微妙にロック(手塚キャラ)に似ている気がする。すごく冷淡な美少年で、知性がありすぎて年上を年上として扱わない。それが魅力。−−2巻では、死んだ姉を再現するために、パソコンに姉の人格データを詳細に入れた経験があると判明。「それによって2重に自分を傷つけた」というトラウマ告白は、非常に私のツボにはまる。

(その《姉再生》は天馬博士(アトム)か? そういえば、秀樹君の「考えごとの最中に、内容を声に出して言ってしまう」五代君(めぞん一刻)だし。《ちぃ》の読む絵本の雰囲気は「名前のない怪物」(MONSTAR)っぽいし。このマンガはオマージュ大会か?)

キャラのツボでいえば、秀樹のバイト先の後輩の少女もよい。パソコンに対する異常な劣等感。ネタとしては「彼氏がパソコンに夢中になってしまい、傷ついた」程度の小さなところに落ち着くとは思うが、ひょっとしたら私の思いもつかない料理方法で提示してくれるかもしれない。楽しみだ。

ストーリー上あまりにも合点がいかないのは、管理人のお姉さんの件だ。どうしてこんなに近くに《前の持ち主》の関係者がいるのだろう。理由があって(隠すために)破棄したならば、秀樹が持ち帰れる範囲は近すぎるのではないか?

(あ、管理人さんってのも[めぞん]か…)。


余談

私は、いわいる美少女アニメ絵を非常に嫌いで、アニメ声も寒気がするほど苦手で、ついでにいえば3D-CG美少女を見るとヘドが出る。ついでにいえば[同人]もダメだ。生理的に相容れない。

CLAMPは、少女マンガ中心であるにもかかわらず、なぜか私はアニメの香りを感じてしまい、いままで避けてきた。絵自体が苦手だ。だから、今回のコレの感想録は、ある意味 異教徒信仰告白でもある。−−もっとも、青年向けマンガということで、ふだんのCLAMPとは絵柄がずいぶん違う。



07/22

/雑記:透明スマートメディア、刺しゅうPRO/

*PC見物*

シャープのsheet mobile PC“muramasa”を見た。たしかに薄い! でもデカイ。A4とB5の間くらい。これでは持ち運べないと思う。B5以内でやったら偉いのに。

ミラージュブラックThinkPad s30も見た。ThinkPad初の艶ありブラック。ピアノなどで使われる加工。顔が映る。これは綺麗。欲しくなる。−−中身はIBMらしく無難というか信頼と安心のスペック。いまはハイスペックよりもブランドと「欲しくなる筐体」の時代だと再確認。

余談:impress watchかascii24の記事で読んだのだが、この艶を定着させるためには、工場で24時間寝かさなければいけないらしい。また、s30の箱には《磨くための布》が同封されているそうだ。すばらしき こだわり。IBMにも、コンシューマーに訴える能力がここまであったのか。)

HandEra330も見た。やはり、240*320の液晶に感動。筐体の大きさも、あの軽さなら気にならない。−−POBoxが動かないので買わないが、もし動くならメインマシンにしてもいい。

(一方、m505/WorkPad c505は、やはり気に入らない。動作速度速いし液晶綺麗だけど、俺は惹かれない。これならc3のままでいい。)

ハギワラ=シスコム製のスマートメディアで、透明仕様(スケルトン)のものがあった。ふだん端子部分だと思っていた金属部分を除いて、全部透明。…ということは、スマートメディアってあの部分だけが本体だったんだ。なんかショック大きい。

*刺しゅうPRO*

刺しゅうPRO Ver4.0/ULT21(Ascii24)

日経ソフトウェアを読んでいたら、記事が載っていた。自動刺繍ミシン。なんと、デジカメ写真から刺繍を起こしてくれる。すげぇ。

ソフトとハードで41万。高いけど、もともと家庭用じゃないんだろうなあ。


07/21

/安田侃[野外彫刻展]@庭園美術館/

*本編*

庭園美術館の空間を生かした、立体造形展示。6作ほどあったが、気に入ったのは入り口近くの2点のみ。他のも悪くはないんだが、この2点が一番パワーあったと思う。

ビラより:中空に浮く白い玉 (1)中空に浮く白い玉

球はそれだけで美になれる。

白のコンクリで、表面加工が非常に荒々しい。野ざらしで汚くなっている感じがいい。

発芽しそうな黒い楕円 (2)発芽しそうな黒い楕円

黒鉄の楕円が割れ、なかから黄色の面が覗いている。−−モヤシに見える。譲らない、これはモヤシだ。

残念ながら芽は無い。

*ジノリ*

同時にジノリ展をやっていた。西洋の陶器メーカー。お皿と花瓶。濃紺が特徴。

ビラの段階で趣味じゃないとは思っていたが、あんのじょうまったく楽しめなかった。皿の形状はどれも似たようなものに感じてしまう。−−本当は違うんだろうが、私の趣味の範囲じゃない。残念。

だが、あいかわらず建物自体が美しい。1Fから2Fにあがる階段の手すりの加工と、1Fの第1展示室の金扉の円形模様、第2展示室(旧食堂)の銅叩きだしの魚、および各室のシャンデリアは常に素晴らしい。

*ネコ*

別記


07/20

/アール=デコ展@伊勢丹美術館/

チラシ アール=デコ期の工芸展。ガラスや陶器による花瓶が一番多いが、アクセサリーも多数、また家具(机、椅子、ベッド)も少数あった。

非常に面白かったが、立体を文字で説明するのは難しい。みやげ物の写真も、魅力の1/10も伝えていない。くやしい。

*ガラス*

ヌーヴォー系でも活躍する作家が多い。

チラシでデカデカとクローズアップされているのは、ラリックの花瓶。シダ系の植物の葉がモチーフ。もしヌーヴォーな依頼ならば葉の形状をもっと豊かにして丸みを出していたのだろうが、デコ期ならばこのように細身直立の繰り返し紋様になる。−−でも、全体にラリックはやはりヌーヴォー風だと思う。

ドーム兄弟の作品は、見事にデコしていた。直立な円筒を生かした花瓶が複数。ヌーヴォー期は不透明ガラスによるランプが見事だったが、今回は透明半透明ガラスへの掘り込みによる紋様の対比が素敵だ。


(余談)

ガラスの透明・不透明に関しては、たぶん技術の進歩に違いがあったんだと思う。綺麗に透明結晶を作るには高温保持技術が必要だから、相対的に後期であるデコ期のほうが透明が多いのだろう。

裏付けようと展示品の年号を見た。たしかに透明は1920年以降が多いが、でも大作透明作品は1912年だった。関係ないのかなあ。ただの流行?


*家具*

実用と簡素を重んじるデコ期だけあって、遊びと機能性が両立していて面白かった。たとえば。

菱形*3=六方形

小物の収納用の横机。菱形が3つで、その頂点だけが相互に結合されている。

配置は自由に変えられる。そのまま置けば、直線に菱形が並ぶだけだが、回してくっつくようにすれば、全体として六方形になる。

(三菱のマークの結合方法を変えたもの−−なんて書けばいいんだろうなあ)

終わったら畳めるチェス盤

細長い横椅子。だが、細長い付属足の向きを変え、下部にあるアタッチメントを3段階に開くと、そこにチェス盤が現れる。

素材はヤシだった。ニスの関係なのか、真っ黒の部分とこげ茶の部分が木目に沿って不規則に並んでいる。この荒々しさが見目に面白いた(もちろん表面仕上げは綺麗な平面だ)。

椅子素材は、ユリノキをベースにしたものが多い。このユリノキってのは知らない木材だ。木目も年輪もまったく見あたらないので、熱帯の木なのかな。

書斎机には、木(マカボニー)でベースを作って、表面に革を張ったものがいくつかあった。鮫皮革のものがあって、ツブツブは非常に激しい。まったく滑らないだろうからたくさん書類をめくるのにいいのかなあ????? あと、動物名を忘れたが、まるで大理石かのように見せる革もあった。


07/15

/別役実[もののけづくし]/

劇作家 別役(べつやく)実の書いた擬似論文。[もののけ]に関する研究レポートになっている。

ところが、紹介される題目は、一般に知られる妖怪ではない。日常よく知るものごとが妖怪として、しかもご存知のとおりこれは有名な妖怪だが」というようなテンポで語られる。現実との乖離具合が楽しい。また、人間の観察眼もすばらしい。

(文庫版のカバーイラストが河鍋暁斎の[百鬼画談]だ。)

以下、完全ネタバレです。

つめかみは

この論文で素晴らしいのは、次の注だ。本文(p29)で「感受性の高いひとは、ひとをみて“おや、カツラかな”と思い確認してみて、だが地毛だと知り“おかしいな”となることが多いが、実はそれは髪が妖怪であることを見抜いているのだ。」(大意)という記述に対して、次の注がついている。

(髪を)「引っぱる」というのは、最も野蛮な方法である。ベテランはチラと見て、相手の表情の変化でそれと知る。
かげろう

かげろう日記の作者を妖怪として紹介する。夫への恨みによって妖怪と昇華した妻。「あなたも妖怪になれる」という実例として研究論文が絶えないそうなのだが、別役はそれに疑問を投げかける。最後の(p54)述懐が素晴らしい。

この日記の作者に、これほど強く、一途に、しかも長期間にわたって「思い」をこめさせたからには、よほどの男だったに違いない。そうなのだ。かげろうになる資質や才能のある女性は多くいる。しかし、彼女たちをそのように仕向ける男は、めったにいないのである。
のっぺらぼう

「のっぺらぼうは2度現れるから怖い」という事実に関する生態観察全体が面白い。これを応用したのがボクサーだという記述は脱帽に値する。p61では、野茂にまで触れる。

かつて日本のプロ野球の奪三振王であり、現在メジャーリーグで活躍中の野茂投手が、投げる直前になってひょいとむこうを向くのも、こうしたのっぺらぼうの戦術に学んだものにほかならない。
一つ目小僧

一つ目小僧の怖さを、「彼らは目が1つなのが当然だと思っており、彼らはわれわれを見ると、眼が二つなので驚く。その、驚かれるという事実が、われわれには怖い。」(大意)と定義する。コレ自体見事な観察眼なのだが…さらに注が(p68)。

夜道で見知らぬ同士が出会った場合、最初に「ギョッ」っとする者は、単に「ギョッ」とするだけだが、それを受けて「ギョッ」とする者は、「ギョギョッ」とする。相手の「ギョッ」も、反復して引き受けるからである。

こういうモノゴトをマジメに書けるセンスは、すごい。もちろん、マジメだからこそ読み手は笑うのだ。

人間観察としては、p66の記述が面白い。人間は、ねっころがったままでもTVやラジオや人の話を聞けるが、「マジメにしっかり受け止めなければ」と思ったとたん、2つの目を横に、頭を縦になるように、身を起こすというのだ。−−たしかに。

ふんべつ

いきなり「ふんべつとは付喪神の一種である」と断言する(p77)。言われてみれば、まさに分別は《人間に取り付く妖怪》だ。−−こういうことに気が付ける感性はすごい。

オチもすばらしい(p81)。どんなときに自分が憑依されているか気づくかといえば…

世をはかなんで自殺しようと考え、死地を探し歩きながら空腹を覚え、もよりのうなぎ屋に入って「うな丼」を注文し、「上にしますか、並にしますか」と聞かれて、思わず「並でいいよ」と答えてしまった時なのである。
かいせん

主題はおいておいて、人間観察眼に感心する(p92)。

じっとしている奴に、「もっとじっとしていろ」と言うと、いきなり息を詰めてしまったりする。そしてこれは、「もっとじっとしている」ことにならないばかりか、「じっとしている」ことにすらならないのである。
てもちぶさた

そうか! なるほど、これも妖怪だったのか。言われて納得。

直立歩行によって《体を支える》という仕事から解放された前肢は、急に暇になってしまった。それをついて、妖怪てもちぶさたは人間を不安にさせる。対抗手段として、人間は喫煙やレース編みといったモノゴトを発明してきた(p132)。

言うまでもなく、喫煙しない男もいるし、レース編みをしない女もいるが、それは恐らく、てもちぶさたの視線に対する感受性が、いちじるしく鈍磨しているせいであろう。
どうも

「どうも、どうも」という表現に関する注(p154)。

これに対する正しい返事は、「いやいや」である。「どうも、どうも」「いやいや」で、何がどうなったのかはわからないまでも、辻褄は合うのだ。日本語の会話は、辻褄合わせである。
ありじごく

ウスバカゲロウという生物名が与えられているが、それは生物学者のミスである(p175)。

学名ですら「薄馬鹿下郎」というのであるから、およそアカデミックなニュアンスが感じられない。
もったい

そうなんですよ、「もったい」も妖怪なんですよ。だから専門家が「もったいをつけ」たりするのですよ。

勿体が付いていると、人間はモノを捨てたくなる。逆に、もったいがないと「もったいない」ので拾いたくなる。

産業革命時代のわれわれは、「使うよりも早く生産される」ものに対応するために、もったいを利用し、「捨てる」技術を身に付けた。−−これが、世に前例を見ない大量消費時代の正体だというのだ。

p187によると…

実は、ロシアにはもったいはいない。(略)「これでは、市場経済は育たない」と言って、その流通経済の専門家は嘆いたそうである
りしょく

アイディア脱帽! 《吝嗇(りんしょく)》は妖怪であり、これが人間に取り付いて第2形態になると《利殖》になる。いったん第2形態になると、サナギが蝶になるように、利殖は《破産》になる(p189)。


07/08

/hipgnosis(ヒプノシス)/

6月23日、渋谷parcoギャラリーにてhipgnosis展を見た。原画だけじゃなくてLPジャケットそのものや拡大印刷も混ざっていたが、知らないものもいくつかあって気持ちよかった。

hipgnosisは、デザイナー2人のユニット(といっても別々に作っているそうだが)。ピンク=フロイドなどの70年代ロックのジャケット=アートで有名。暗い色合いの、微妙に狂った不条理系の画像が多い。まさに《プログレのイメージ》にぴったり適合する。

細かいことをいうよりも、作品を見てもらったほうがよいだろう。…と探したんだが、公式Webが見つからない。しょうがないので、各音楽アーティストのWebにリンクを張る。画像は非常に小さいので、CD屋店頭で確認されたし。

*フロイド関係*

(フロイド公式ファンクラブにリンク)

Atom Heart Mother

ウシがドテーンと。後ろから写真をとっているが、ウシはこちらを向いている。インパクトだ。粒子が粗いのが逆に効果になっている。

邦題が[原子心母]なのも萌える。

−−音楽としては、別に好きでもなんでもない。表題曲はA面全部使った20分くらいの大曲で、ケチャ音やバイク音が挟み込まれていたりして実験的なんだけど、私には眠い(涙)。

Wish You Were Here

このジャケット最高!

海辺の倉庫みたいなところで、商社マンらしき2人がスーツで握手している。しかし、一方は背中から火を出している。

なぜ火がついているのかはぜんぜん分からないが、それは問題にならない。私の中では、タイトルが[あなたがここにいて欲しい]であるため、その独占欲表現の革命的な手法だと思っている。

−−曲は、なんかふつーのアメリカン=ロック=バラードなんだけどねえ(涙)。

A Momentary Lapse of Reason

砂丘に並べられた無数の鉄パイプベッドの上で、1人の男が座って悩んでいる。奥には1人の看護婦がシーツを取り替えている。

−−この意味の無い空間のテンションが大好きだ。邦題[鬱]ってのも、イメージにあっててステキよ。

A Collection of Great Dance Songs

草原の小屋の前で、男女がダンスのポーズを決めて止まっている。この2人の体に無数のロープがまわされており、杭で地面に固定されている。一見束縛されているが、方向を考えると、2人は自由に動ける。でも、2人とも、そのポーズのままで動かない

全体の暗さと、差し込む光の綺麗さがステキ。

−−でも、フロイドでダンスってなによ? 1曲目が[吹けよ風、呼べよ嵐](アブドラ=ザ=ブッチャーのテーマ)だった。

*Zep*

(ZEPオフィシャルにリンク)

Houses of the Holy

岩山の肌の前で、無数の少女が裸で寝転がって奥を見ている。綺麗だったはずの画面が、加工による不自然な色合いで不気味なアングラ空気に変身している。まるで、少女が芋虫にでもなったかのよう。グロい。

音楽としても、[聖なる館]は大好き。タイトル曲の長いイントロのロック感と、[rain song]のアコギの空気感が、不思議。なぜまB面には[d'yer m'yker](you don't have to go.)という絶妙レゲエロックが入っている。この曲でのギターリフやドラムのフィルは最高っす。

Presence

紳士な家族4人が白い食卓に座る。が、その真ん中には、小さなモノリス形状のモノが。なぜか窓の外にはヨットが。−−いったいここはどこ?

内部写真には、他にもいくつかのシチュエーション写真にモノリスが組み込まれている。産後すぐの母に子供を見せる産婆、その足元にはモノリス。教室で生徒に教える先生、その手元にはモノリス。などなど。

とにかく怖い。

−−音楽は、それほど怖くなく、けっこう順当なロックだ。ハード系からポップまで、バランスよい1枚。

*他にも*

他にもいろいろ面白かった。アルバム名や細かいアーティスト名は忘れたが…

アラン=パーソンズ=プロジェクト

砂丘で5人くらいの男が整然とまっすぐ並んでいる。みな黒いタキシードと白いシャツで、胸元に赤い球を持っている。ジャケット裏では、砂丘に突き刺さった杭に、1人の男がぶら下げられている。

Nice(ELPのキース=エマーソンの前身バンド)

荒い岩肌の上に、真っ赤な球が無数にまっすぐに並べられている。−−上記のアラン=パーソンズのアルバムと同じコンセプトだが、まったく違う作品に見えるのが不思議だ。


07/07

/妙法寺/

方南町から環七を北へ、高円寺のほうへ歩いて10分程度。日蓮系。ごく普通の下町路地の中にある。目の前がサミット=スーパーだった。

獅子と獏 まずは立派めな門(山門)がお出迎え。朱塗りの柱の脇には、仁王が2対ふつうに並んでいる。屋根の守護は、正面側が獅子、横が獏(かな?)。裏側も同じ構成だった。

境内には、手洗いの竜吐水と鐘と線香場。くろがねの竜がけっこうりりしい。灯篭の装飾も綺麗で、牙の大きな竜があしらってある。下部には餓鬼らしきものもいた。
竜吐水 竜吐水の桟にいた彫り物 灯篭

中央に、メインの参詣堂である祖師堂が。立派な構えの門には複数の木彫り細工がある(竜が数体、角の映えた馬、竜馬、獅子、鳥、蓮など)。着色はほとんどなかったが、剥げたのかな。−−賽銭入れの前に大きなドラがあり、子供がオオハシャギで鳴らしていた。
正面上部 角馬? 竜馬なんだけど…あまり写ってない

賽銭の段まで上がると、「ご自由にお入りください」との張り紙が。堂の中に入れるらしい。中は金ぴかの天井飾りとともに、朱塗りのイス、火炎太鼓、緑ベースの天女の彫り物が見える。監視の坊さんが2人と、読経奉納が2人。−−確認したが、写真撮影はダメだけども、信者以外でも入ってよいそうな。
パンフより:中央の鳥の立体絵画。迦陵頻伽かりょうびんが)という霊長だそうな。

お経は、木魚による複合リズムをベースにした一定テンポ呪文唱え式(フレーズなし)。ハイテンポの低音ラップが脳裏に突き刺さる。2人でハモったりソロになったりしながら進む。合いの手がたまに鳴らすドラと、参詣客が鳴らすドラがあいまって、複合リズムがさらに複雑に。−−トリップ感あふれる読経。10分くらいボーっと聞き入った。

廣目天:パンフより 増長天:パンフより ふと奥と見ると、廣目天が立っている。緑の塗りと朱色が綺麗だ。脇のお坊さんに確認すると、寄って見て構わないとのこと。−−話し掛けたら、象の前の電気をつけてくれて、さらに由来まで教えてくれた。ありがたいことだ。−−反対側には増長天が。どちらも力強くてよい感じ。木造ではないのかな? 塗りが綺麗過ぎて、素材が分からなかった。


(余談)

祖師堂以外にも、本道・日朝堂・二十三夜堂・母観音など、いくつか見るところがある。裏は墓になっている。表にも鉄門(ニコライ堂と同じ人のデザイン)っつー見ものがある。けど、一番面白いのは祖師堂だろうなあ。



06/26

/マルクス主義/

「俺を審査してOKを出すようなカード会社は、俺は信頼できないね。」

こんなようなセリフを、昔ケラが紹介していた。元ネタは、モンティ=パイソンかマルクス兄弟だと思う。オリジナルを知りたかったが、さすがに情報が足りなくて調べきれない。

そこで人を頼ってみたら、綺麗に解決した。同僚S10氏が、「クラブのくだりだったら、グローチョ(グラウチョ)だ」だと指摘してくださったのだ。ありがとうございます。

それを元に検索したら、意外なものが出てきました。 健康 第10回公演「ボーイフレンド」チラシ。

「私を会員にするようなクラブには入りたくない」とは、我が敬愛するグラウチョ・マルクスの言葉であり、このジョークを指して「自分の女性観そのもの」と語るウディ・アレンにはまったく同感なのだった。

ケラの書いた文面をデータにしてくださっていた たつろー様、まことにありがとうございます!

(上記は無断リンクです! すいません>たつろー様)


06/22

/神林長平[七胴落とし]/

*主観的凝縮*

言葉を刃にしてヒトを殺せるなら、刃を言葉にしてあなたを斬りつけたい。

*物語背景*

このお話では、少年は《感応力》を持っており、意思を直結したり、相手を操ったり、はては形のある幻像を生み出すこともできる。

しかし、《感応力》はやがて消える。20歳を超えて《感応力》を持つ人間はいない。大人は感応で意思を疎通できなくなったため、言葉に頼って生きる。

子供と大人は異なる現実を見ている。大人は《感応力》のある世界を認めない。子供は《感応力》のない世界を認めない。言葉は真実など伝えられない。

主人公である少年[三日月]は、《感応力》がなくなるのを極端に恐れている。19歳の誕生日がくるのを恐れている。いままであまりヒトと交わらず、極端にヒトを見下して生きていた。《感応力》で自分の世界を支配してきた。

19歳の誕生日まで1ヶ月ちょっというところで、麻美という少女を知る。彼女は(三日月に言わせれば)不良で、それまで三日月が知らない世界を教え込む。《感応力》を使った交信ゲームや性、そして破壊。殺人。

自分の意図せぬ形で、三日月は人をあやめてしまう。警察の手を恐れ、麻美の更なる誘惑を恐れ、そして誕生日を恐れる。

(しかし、いつまでも逃げてはいられないし、また甘えてもいられない。)

*分析的感想*

本書は、主人公の感じたものごとを、1人称を通じて描かれる。客観的な情景描画すらなく、すべてが「感じたものごと」と記される。幾度も、感情や幻像の前に、現実が溶け込んで姿を変容させる。そのため、読者には現実と幻想を区別する方法がない

物語の中で、中村は言う。彼は一足先に《感応力》を失い、その立場から言う。

「つまり、お互いに伝心したつもりだったんだけど、実は伝心していたのはおまえとおれではなく、それぞれ自分自身と話し合っていたんだ。」

この中村に対し、三日月は近くにいた少女と会話する。

三日月「聞こえたか?」

少女「ほっときなさいよ」

だが、この「ほっときなさいよ」が、実際にそこにいた少女が伝心したものかどうかは、読者には分からない。極端な話、そこに少女がいたのかどうかすら分からない。

状況が少年同士の場合と大人が絡む場合でも、事実記述が食い違うようになっている。たとえば、三日月は刀を持って家を飛び出し中村に渡すが、留置場に差し入れに来た佳子(家のお手伝いさん)は「刀はずっと家にしまわれている」という。留置場の中では麻美が三日月を貶めるべく垂れ込んだと供述されているが、外に出ると麻美は三日月を心配して疲労困憊している。−−物語のテーゼの1つは、「主観記述では客観事実を書けない」なのだろう。

この物語で描かれているのは、《不安と不信》だ。大人は子供を、子供は大人を不信する。それを通じ、読者も記述を信じられなくなる。−−悪趣味で気持ち悪いトリップ感。そのめまいが面白い。

ただし、それほど皆に薦めたくなる作品ではない。−−あまりに後ろ向き過ぎる。主人公の発想も短絡だ。その狭視野の短絡さを楽しめないなら、話も楽しめない。

*スポット*

p152で、はじめてタイトルが本文に現れる。これだけのページでストーリーを重ねたあとに、そのタイトルの意味を知り、戦慄を覚えた。よいカラクリだ。

物語を読み終えたあと、前書き相当の献辞を見ると。

誕生日おめでとう

なんと悪意のあるカラクリだ!


06/13

/olympus CAMEDIA D-460 ZOOMを購入/

olympus CAMEDIA D-460 ZOOMを購入。中身的には6月23日発売のC-1 Zoomとほぼ同等だが、厚みが15mmくらい多い。1/2.7inchのCCDにて130万画素。光学3倍デジタル2倍のズームつき。これで29800円は安い。

とりあえず、正月に買った端切れを撮った。来週からはしばらく写真とりまくりかもしれない。

*なれそめ*

会社のデジカメは、CAMEDIAのちょっといいやつ。レンズがしっかりしているので物品を綺麗にとれるのだが、デカイので、発表会の模様をメモのために撮影するにはtoo highなシロモノ。これの変わりに手軽なデジカメが欲しかった。

片落ちのIXYを買おうと思って店頭に行ったのだが、触った結果、グリップが悪いので断念。だって、ただの四角だもの。

−−CAMEDIAは、基本的に全機種ともに右端をグリップしやすいシェイプにしているので、私は気に入っている。仕事でお話したプロのカメラマンも、「安いデジカメのなかではCAMEDIAシリーズが一番しっかりしている」と評していた。信頼度高し。

だけども、店頭でいろいろ触った結果+コストパフォーマンスを考えたら、このCAMEDIA D-460 Zoomが一番よかった。29800円でズームがあるのはコレだけだと思う。なんせ、CAMEDIA C-1(薄い機種、ズーム無し)ですら29800円なのだから。

買ったのは、新宿のさくらや。どの店舗にも在庫はあるみたい。でも、ヨドバシにもビックにもなかった。そちらの店員によると、「すでに生産中止、在庫無し」とのこと。−−さくらや によると、「海外ロットの逆輸入版」だそうな。

C-1 Zoomでもいいんだけど、そうすると1万円高くなる。−−こういうケチい判断で、購買決定。わーい。

−−難点は(買う前から知っていたが)、採用ストレージがスマートメディアという点だ。小さくてやわいので、好きじゃない。だが、32MBを1枚買えば、たぶん一生挿しっぱなしだから…

*余談*

PC接続キットがall in oneで付いてくる。が、シリアルケーブル(COMポート)。転送速度遅い! 4MB分の転送で、コーヒー1杯飲めるほど時間がかかった。会社に行けばUSB版のメディアリーダーがあるから、しばらくはそれを貸してもらおう…(って、公私混同やんけ)

ついてくるソフトで、自動補正・手動補正が可能。自動補正のクセは、Photoshop LEとはけっこう違う。しばらく試してみなければ。


06/13

/はじめての100万円/

はじめて現金で100万円持った。

なんてことない金額だと思うようにして、ATMにおろしに行った。でも、実物を見たら、かなりビビった。 現金取出し口いっぱいに広がる現金札束。 手にとって押さえると1cm程度の厚みだが、 だけど1cmの札など、いままで触ったことが無い。 最初はATM脇で枚数を数えていたが、他のヒトが入ってきちゃったうえに、数えなれないため、50枚数えて諦めた。

そのまま隣の銀行に行き、振込みto日本育英会。残っていた借金を一括返済。そうすると、1割バックされる。

銀行窓口のヒトは軽く「100万ですね」という。極力平静を装い、「お願いします」といって帰ってきた。

ビビってのどが渇いたので、dakaraを購入。






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