【自己顕示録】


2002年9月22日〜23日 実家


飛騨高山旅行に続いて。実際には22日の地元お祭りに合わせて高山旅行を計画した。

/午前:諏訪神社/

*10:00 母の料理@自宅*

ハヤシライス

実際には手料理じゃなくて、母が勤めているケータリング食堂の昨日の残り物。はっきりいって薄い。味が無い。ソースを掛けて食べる。−−これもまた懐かしい近所の食堂の雰囲気ではある。

*10:30 諏訪神社*

私の氏神さん。小学校のすぐ脇にあり、幼少より馴染み。敷設公園のジャングルジムやシーソーで遊び、裏の茂みでかくれんぼし…変哲のない神社だが、当然いちばん思い出深い。

余談:いちおう、愛知最古だか日本最古だかの万葉集石碑があるのが歴史的に意味があるのかな。愛知県の名称由来の1つである「あゆち潟」の句。だが、この句自体愛知県民以外には有名ではないだろう。)

私の実家も諏訪神社も、正確には高横須賀町。お祭りは横須賀町のもので別なのだが、日取りを合わせて諏訪神社でもイベントを行う。(1)振る舞い餅 (2)生バンドカラオケ大会 (3)餅投げ。カラオケは1992年くらいからだと思う。

《餅投げ》は愛知県民以外は知らないかもしれない。厄払いの行事の1つ。4mくらいの矢倉を組み、上から厄年の男集が、紅白の御餅を投げる。その御餅に少しずつ役が入り込んで、拾ったヒトに移る。その結果、厄年男の中から役が減る。危険分散。−−だから厳密にはありがたくない御餅のはずだが、縁起物ということで競って拾い遭う。

思い出:わたしは小学生低学年のとき、この餅投げの餅が顔面に直撃したことがある。泣いた。青あざできた。痛かった。)

今日は御餅を受け取っておしまい。20歳超えてからは、毎年こんなもん。

ついでで写真撮影。狛犬とお馬様。

狛犬はひょうきんな顔。小ぶり。お馬様は青銅で綺麗。小学校低学年時の写生大会のとき、ずっとこのお馬様を書いた。昭和天皇のご生誕だか即位だかの記念の隆造のはず。

余談:本神社には3つの小副殿があり、そのうち1つは昭和天皇の絵図と神鏡がご神体になっている。私がそれを知ったのは昭和50年ごろ。ご存命の段階でも神仏になるものなのだな。)

−−知っているヒトは多いと思うが、わたしは寺社仏閣を好きで、日本古来行事を好きで、昭和天皇を好きだ。そういう嗜好が形成されたのは、この諏訪神社と横須賀まつりがあったからだと思う。

閑話休題:

参拝殿にはとくに飾りなし。愛知の神社はだいぶんがそういう様式。半数以上がお稲荷さんを併設している。ついでにいうと、愛知にお寺は少なく、小神社は無数にある。みな氏神に属する。当然だが、それをとくに宗教だと意識したことはない。−−元同僚のkrbjr氏が宗教学科出身で教えてくれたのだが、愛知(尾張)は神道と稲荷信仰がかなり根深いそうな。

*11:00 ネコ行脚*

別記。

*12:30 nascondiglio@大府インター*

ミニパン(ヨモギ、イカスミ)
ペペロンチーニ スープ/海鮮ピザ
紅茶

母の希望で、父と3人でスパゲティ屋。大府インターの周りなど昔は空き地と畑しかなかったのだが、いまは街道沿いにポツポツと店がある。ここなど、綺麗なレンガと石積みの立派な構え。だが裏手には畑。変なルックス。

ランチは、パンと1品とお茶で900円とお得。父の希望で、一品ピザを足して分けて食べる。味は、気取った上品イタリアンでもなく、ファミレスでもなく。ほどほど。

/午後:横須賀まつり/

昼飯から戻ると、駐車場ですでに太鼓の音が聞える。中央の通りで山車の練り歩きとドンテンが始まった模様。父母は即座に見に行く(たぶん、少し見てパチンコへ移動だ)。私は、ネコ撮影に回ってからお祭りへ。

*概要説明*

愛知県東海市のお祭りは、多くのところで山車が出る。お神輿でも獅子でもない。わが横須賀町の山車は5台。どれも6m級の大物であり、美麗な装飾とからくり人形が乗っているのが自慢。−−説明はココが詳しい。個人サイトだが、知識も写真も豊富。 

余談:東海市あたりは尾張徳川家の保養地であり、漁場でもあった。この山車まつりも徳川家に見せるために発達したらしい。)

この山車を、選任された男衆が押して町を練り歩く。中には楽師と人形師が乗り込み、移動中に生で神楽が演奏され、人形が踊る。−−姿は藍染の肌着にハッピ、草鞋にハチマキ。先輩であるご意見衆は白装束に紺の紋付袴。古来そのまま。

惰性でお祭りをするのではない。今でも完全に熱気が残っている。男衆に選ばれるのは人生の誇りであり、みなが晴れがましい顔で本番に臨む。親や恋人は、それを誇りに思って声援を送る。子供たちも憧れて、山車に付いて練り歩く。道行くヒトから声が飛ぶ。

彼らは決死の覚悟で大声を出して山車を動かす。山車だけで重量5トン、さらにヒトが8人ほど乗っている。ただ押すだけならまだしも、お祭りだからそれでは許されない。ゆく先々で、《ドンテン》を披露しなければいけない。

《ドンテン》では、この大きな山車の前輪を持ち上げ、斜めにし、その場でグルグルと旋回させる。もちろん、山車をぶつけて壊してはいけないし、家を壊しても行けない。重たい山車をコントロールしなければいけない。しかも、「先ゆくあの組が2回転したなら、ウチは3回転する!」といった張り合いが始まる。底力を出すために、男衆は腹の底から掛け声を出す。ご意見衆はセンスで山車やヒトを叩いて叱り付ける。(これはイジメではなく、力を入れる方向を伝達する役目を担っている。男衆はほとんど目を閉じて渾身の力を込めなければいけなくなっているためだ。)

大きな山車が回転する。みなが力をあわせる。客も声を合わせる。1回転ごとに息を呑み、正面に戻ってもまだ回転が続くと知ると大歓声が起こる。充実感、一体感。−−現在でもここまでの姿を保っているのはウチと半田町くらいなもの(のはず)。

トンデンの最中には、神楽が熱く狂乱するとともに、上部から紙ふぶきが撒かれる。(山車によっては、前触れ人形が暴れ踊る。)熱狂の中で見るコレは、心の底から綺麗だ。山車が通り過ぎたあとは、子供たちがこぞって紙切れを集める。

私はこのお祭り全体を強く誇りに思う。

*山車の飾り*

山車には、竜や朱雀や狛犬や獅子が肉感的に記されている。山水画を模したものもある。−−さきほどのページは当まつりにも詳しく、写真も豊富。私の写真は割愛目に掲載。

なかでも、この竜(本町組)は特に力強い彫りだ。日光東照宮に置いても恥ずかしくないと私は思う。

山車の側面を飾る垂れ幕も、それぞれの組が特徴を持った縫い物を施している。かのページで見て欲しい。個人的には圓通組のがポップで好き。

*からくり人形の演技*

基本的には、1つの山車に2タイプの人形が乗っている。(1)先導人形 (2)見世物からくり。先導は、山車の前面に配置され、ごく単純な動きしかしない。それに対し、見世物は複雑な演技をする。5台の山車それぞれに違うタイプの見世物が用意されている。−−これも詳細は上記ページで確認されたし。

見世物人形は、跳び、舞い、弓を射、はては逆立ちまでしてみせる。あらためて注視し、その技巧の高さに驚いた。−−おらが町の祭りはスゴイだよ!

本町

ステージに、わらべ2人と釜が1つ。はじめは2人が舞を踊っているが、あるとき小さいほうが釜の上に登り、見るうちに釜の中に入ってしまう。残されたほうは、キョロキョロと探すが、見つからない。

あるとき思い立ち、イキオイをつけて釜を蹴り上げる。釜がパカっと割れ、隠れていた子供が出てくる。再度2人で舞。

−−知らなかったが、司馬温光の故事にちなむそうな。

北山

通称もみじ。

ステージ中央には、金塗りの綺麗な台座が。そのうえに小人形。下に中人形。端に太鼓ともみじ。

この舞台では、中人形は人間であり、小人形はからくり人形だ。まず、人間である中人形が、小人形のネジを巻く。人形を台座にセットし、台座添え付けの回しをグルグルする。小気味よくキュッポン!キュッポン!と音を立てながら、幾度となくグルグル回る。小人形も、少しずつ動けるようになる。

余談:デジカメ撮影のムービーあり。短いわりに684kb。希望者にはメールでお送りいたします。)

あるところで、からくりネジが十分まきあげられ、小人形は動き出す。台座から降り、もみじの木の切り株へ。ここに手を掛けると、彼は片手で倒立する。幾度かイキオイをつけ、ついに倒立成功。

その不安定なポーズのまま、開いた片手でバチを持ち、太鼓をトントンと鳴らす。−−これがクライマックス。

圓通

ステージ上に2人。弓手と小姓。いくばくかの舞の後、小姓は矢を持って控える。弓手は、その矢を手ずから受け取る

弓手は狙いをつけ、弓を大きく引く。十分ためた後、放つ

矢は、端にある的に見事に当たる。すると、的が割れ、なかから小さい祝福人形が。手にチャイナシンバルを持っており、左右に舞いながら祝福の鈴を打ち鳴らす−−実際に音が聞える。

余談:H12年修復のため、初めて見た。あまりの離れ技の多さに、正直肝を抜かれた。)

大門

ここだけ人形が1体しかない。衣装など立派だが、動作は先触れ人形と大差ない。それが中央に乗せされている。

肝は《変身》だ。そのギミックは立派だと思うが、一瞬芸なので、観客である私はちと不満足。

*ドンテンのシークエンス*

山車の練り歩きは、常にダイナミックなわけではない。交差点から交差点までをそこそこの速度で練り歩き、あとは交差点で10分くらい止まる。この間に男衆は疲れを取り、知人に挨拶をしたり水分補給したりする。

余談:町は昔と変わったけれど、山車は昔のまま。昭和の新しいイベントとして、「いかに電線を避けて通るか」というものも追加されている。根拠はないが、平成の今のほうが電線も多く、かつ近隣の家屋の突き出しも多い気が。)

−−この間も神楽は途切れず演奏されている。このお祭りの神楽は単純なものでなく、そこそこ複雑な数曲をシーンごとに使う

休憩が進んだあるとき、唐突に神楽の鼓舞が止み、笛だけが高い音を長時間響かせる。これがドンテンの合図だ。ご意見衆が叫び始め、男衆は気合を入れなおす。ここから神楽は準備曲を始める。その間に先導綱を山車に撒きつけ、周辺の客を撤退させ、配置が万全かどうかを再度確認する。

再度神楽が止み、笛の高音が響き渡ると、ドンテン本番だ。続いて低いタイコが2度、ドンドンと鳴る。それに合わせて男衆は《持ち手の木》を叩き、揃って手を天に突き上げて気合を入れる。

「ソイヤーっ!」なる勇壮な掛け声とともに、後輪側は《持ち手の木》の下に回りこみ、体重を掛けて山車を下に押す。同時に前輪側は《持ち手の木》を押し上げる。これによって山車が前傾姿勢になる。

余談:デジカメ撮影のムービーあり。短いわりに1Mb。希望者にはメールでお送りいたします。)

この緊張状態をキープしたまま、右回りに旋回させる。幾度と無く。体力のある限り。

余談:経路は、愛宕神社を出発して、ぐるりと大きく回って戻ってくる。つごうドンテン6度ほど。1周で3時間かな?)

*愛宕神社と露店*

あたごさん。お祭りの主。とくにコレといったものはない神社だが、境内には枝振りの立派な松があり、お気に入り。また、豊穣祈願の牛は恰幅よし。

お祭りの間は、この神社の中と参道全体が露店でひしめき合う。昔は境内の一面を確保してスマートボールがあったのだが、さすがに今は消滅していた。

私は高校生のころから、お祭りのたびに1つガラス細工を買っている。今年は目つきの可愛いコレにした。

とりたてて珍しい露店はないのだが。風船屋の店番を犬がやっていたので写真1枚。撮影途中、テキ屋のおばあちゃんが笑う。

「こいつ(犬)、カメラだからって澄ましてるね」
「おすまししても、お嫁さんは来ないYO!」

坂角総本舗本店では《実演!:ゆかりピザを作ろう!》というイベントがあった。もっとも、チーズなど具を乗せて、オーブンレンジで焼くだけ。美味いのかね? −−ここではウーロン茶とクズゆかりが無料サービスであった。多謝。

余談:本当に本店だが、小さいのでそうは思えない。)

*16:30 ネコ行脚*

ムービー含め撮影していたら、デジカメの電池が切れた。いったん撤退。電池を入れ替え、いったんネコ撮影に回る。

*17:00 買い食い*

醤油のたこ焼き

店のオバチャンの誘い文句と、醤油のこげる香りに抵抗できなかった。

「うちは刺身のタコを使ってるよ、冷凍じゃないよ。世界で一番うまいよ。不味かったらお金返すよ!」

実際かなり美味い。表面カリっとし、中はトロっと。醤油の香りよし。

醤油のたこ焼きは、ひょっとすると愛知中心の食べ物かもしれない。たこ焼きの内部に出汁まじりの醤油を閉じ込めて焼く。お店によっては焼いた後に表面にも塗る。それだけのシンプルなもの。鰹節もなし、青ノリも泥ソースもなし。これが美味い。

*18:00 夕景*

ひととおり、4台すべてのからくり実演を見る。30分間隔なので、都合2時間。その前のドンテン見物も含めると4時間。一度ネコ撮影に抜けたとはいえ、こんなに集中してみたのは、さすがに生まれて初めて。

撮影中にちょうど日が暮れてくる。夕焼けが綺麗。ちょうど高山への往路に「最近夕焼けを見ないな」と思っていたところなので、喜んで撮影。線路高架近くの公園へ移動。

(1)街灯:
直線と正曲線を生かした、アールデコ風の質素なランプ。
(2)噴水:
手前に小ライトを入れて撮影したら、遠近感が分からなくなった。失敗。

/夜のお祭り/

*18:30 母の料理@自宅*

マグロのやまかけ
いなり寿司*5 茶碗蒸し 吸い物
地豆の塩茹で

完全にお祭りご飯。あとブリの甘露煮があればパーフェクトだな。

稲荷用の揚げは、先週に祖母からたっぷり貰ったそうな。全部で50個くらい。だが、小さなものなので1人5つは食べられる。残りはまた明日。

*20:00 夜のお祭り*

夜はチョウチンがついて、また違う美しさ。さすがに人形はナシになる。この状態でもドンテンするのだが、中はいまでもロウソクなんだろうか?

今年は、母を連れて見物へ。一番手の組が、(昼で疲れきったのか)ろくすっぽドンテンできず、観客からブーイングあり。それをのんびり眺めつつ、1時間ほどで帰宅。

一般論:愛宕から出発するが、経路は昼とは違うかも。20:00スタート、23時ごろ蔵前に鎮座、山車上からお菓子を投げて振舞う。山車を蔵に収めて、三三七拍子でお仕舞い。−−もっとも、飲み会は続く。)

/雑感想/

*古い話*

実は、就職して東京に来てこのかた、お祭りを見ていなかった。5年ぶりにとなる。

山車の正面をみて違和感を感じたのだが、現場では原因が分からなかった。かのページの考察部を読んで、ようやく判明。山車の化粧回しが変更されていたのだ。−−古いほうの写真に、どうしようもなく愛着を感じる。幼少の思い出だからなぁ。

八公の官員さんも覚えている。というか、信長さんには愛着がない。

もっとも、変化するのは活きている証拠。拒否はしない。下手くそな保護よりも、積極的な保護としての変化なら大歓迎だ。−−たとえば、圓通のからくり人形が修復されたのは平成12年。誰も本来の姿を知らないので、なかば創作だという。

*高横須賀と横須賀*

私は厳密には高横須賀町民。おとなりだ。高横須賀には山車はない。昔はあったのだが、戦後間もないころに売却してしまった。だから私は山車を引いたことがない。

これまたかのページだが、その売却先での写真が掲載されている。人形はないみたいだが、天守部分の立派なこと! これが残っていたら…と1人胸を熱くした。

実際には。軟弱で逃げ出し坊主だった私には、お祭りの厳しい訓練は耐えられないだろう。これは分かっている。

*アナウンサー…*

平成8年ごろだろうか。アナウンサーが常駐して、「いまXX組の山車がドンテンいたします」などと実況中継するようになった。TVクルーもいる。ケーブルテレビかな?

無粋だ。ジャマだ。消えて欲しい。





ご意見ご要望及び苦情はE-MAILにて

e-mail to : jy3k-sm#!#!asahi-net.or.jp

inserted by FC2 system