【自己顕示録】


2002年10月 別添


10/14

/神林長平[プリズム]/

*全体感想および神林論*

神林を読みなれるとすぐに分かることだが、彼の作品のテーマの大枠はいつも同じで、「認識とはなにか、存在とは、自己とは」だ。本作品では、《他己から認知されない》存在を重ねることで、最後に知己を得る仕掛けになっている。

関連短編集の形をとっているが、その関連のために用意されたギミック(《界》の3層構造、《色の神》など)は、実際にはただの味付けに過ぎない。物語を1作に体系だてているのは、この味付けのほうではなくて、あくまでも《他己から認知されない》軸のほうだ。だからこそ、最終話の結論部分には、このギミックは裏方としてしか登場しないうえに、ギミックのほうの物語は解決しない。神林を読みなれていないと、最終結末で違和感を感じるかもしれない。

−−とはいえ、この味付けが無性に心地よいのだ。そのことは個々に触れたい。

本作品の結論は、最後に主人公が気づいたり勝ち取ったりして自己を得るのではない。(ここが本作品を他の神林作品よりもロマンチックにしているポイントだと思うが…)本作品では、他己に認められることで自己を得ている。出発点である《他己から認知されない》存在から考えれば ずいぶん都合のよい状態だとは思うが、実はこれの解法も第1篇から一貫して主張されてきていた。「心して想え、されば通じる」と。大事なのは、結論を得るまでの積み重ねなのだ。

本作品は、SF的な描画や論理展開は押さえ気味とし、現実・非現実の錯綜感をファンタシー面を取り入れて描いている。してみると、この微妙に楽天主義な結幕も受け入れられる。−−この作品は、神林が綴った希望の物語に違いない。

私は、その希望、信じること、託すことの快楽を、この物語から得た。

*個別感想*

以下は、読み進めながら書いた感想に、現時点での分析などを加えたものである。

「分析」として客観的なそぶりでなにがしらを語るが、これは作品の解説ではなく、《角は、本作品をこういうふうに読んだ》という主張にすぎない。誤解を与えるような表現で申し訳ない。

●ペンタグラム
*intro*

最初の1行1だけ購入日に読んだ。かなり心を掴まれた。

「堕天使に出会ったことはだれにも言うまいと少年は思った。」

ページをめくり数行読んだ時点で、いままでの神林での最高の悦楽に出会った。 少年は、異常な事態に遭遇したことを認知し、 それが「自分が正常になった証拠ではないか」と期待し、 突然空に祈る。

その心理展開だけでもショッキングなのに、 さらに祈る相手は神ではないのだ。 −−都市を監視する浮遊制御体。それにコントロールされる都市。 その制御体に対して被感知能力を持たない少年。 存在を認めてもらえない存在。 完全なコミュニケーション不能−−死。

物語は、普通の町の普通の少年が異常な情景に出会うシーンで始まる。 読者は、その町での体験を、まずは自分の想像する世界と同じとして読むだろう。 だが、たった2ページ目ですでに予想は裏切られ、 物語はあまりにも甘美な世界を提示する。 この2ページの展開に出会えただけで、買った価値はあると思った。

*impression*

そこから先の物語は、私には悲しすぎる。 不能の子を持つ家族の苦悩。 とくに、兄がアイスクリームを買ってやることで制御体に反抗する描画は泣ける。 −−私は家族ネタに弱い。自分が弟に優しくできなかったことを悔やむ。

モノとしては、かなりファンタジーだ。暗いファンタジー。 −−少なくともこの第1篇には科学理論がない。 それが作品の質を落とすわけではないが、 どうも神林には機械の思考を求めてしまう。

でも、物語は好きだ。少年の最後のセリフは非常にかっこいい。 大原まり子[戦争を演じた神々たち]で例外的に突出して気に入ったセリフ「私は行為に対する反作用なのだよ」に匹敵する。好みだ。

*自己分析*

冒頭から、基本軸である《他己から認知されない》存在が強烈に明示される。彼およびその家族が、彼を世界に認知させるために苦労する。希望はたった1つ、ごく単純、「僕がここにいると認めて欲しい」。なのにそれも叶わない。−−読み手にまで苦悩が乗り移る。見事な悲しみだ。と思う。

この篇のみ読んだ時点では結末を理解できないが、ふりかえって見ればラストのセリフ「僕は君に望まれたものだ」は、最終エンディングの完全なる説明になっている。

●TR4989DA
*impression*

思考するマザーコンピュータと端末のやり取りが描かれる。 電流ノイズやら自己保全機能やらで機械生命を書きながら、 人間知性工程を神林らしく機械トレースするわけだが、 いつもと違ってしっくりこない。 −−わざわざカッコ書きで「彼はあせりを感じた」などと付け加えてくれるのが 読み手としてまどろっこしい。 最初の1つ2つはいいが、すべてにあるのはくどかった。

そういう記述テクとしては感じ入らないが、 刑事とTR4989DAとのやり取りシーンは好きだし、 記憶体流転による転生は魅惑的だと思う。ファンタジーとして。

TR4989DAが1篇での堕天使か少年かどちらかだろうと推測しながら読んでいたが、 まさか結末で(少女から生まれ直して)天使になるとは思わなかった。 こういうところも、微妙に大原まり子っぽく感じる。 (といっても、大原はアレ1冊しか読んでいないのだが。)

#四苦八苦だっちゅーのは読んでて気が付いたが、それは神林としてはギャグなんだろうか。

*自己分析*

ここでも、機械体の母体から切り離された端末が《他己から認知されない》存在となって苦悩する。最初はコミュニケーション論なのかと思ったが、振り返ればこれもやはり「僕がいるって認めて欲しい」という苦悩そのものだ。と思う。

●ブラック・ウィドゥ(前半)
*impression*

冒頭、完全ファンタジーとして《天上》(第1篇で示唆されたもの)が書かれる。色をつかさどる神々。これら神が(いや、神じゃないと堕天使が言っていたっけ) 人間界リンボウに降りて干渉する。 規律ある世界に異常が紛れ込む。

しかし、異常でも規律は規律として存在する。では、あくまでも規律が支配する世界において、正常なのは《かつての規律》だろうか、《いまの規律》だろうか? −−この常識錯綜感覚をして神林の醍醐味だと私は思う。

ヴォズリーフ(青の神)がドレス(dressing)を《変身能力》といい、 ヒトはそれを衣服として行う。 このあたりの言葉の使いかたが楽しいなと思っていると、 エスクリトール(緑の神:1篇の堕天使)の創言能力について言及される。 テーマ《言葉使い》が出てくると、個人的にとても嬉しい。

*自己分析*

規律の《変化》が本節のテーマだと思うが、書籍としての連続軸では、《コミュニケート軸は1つではない》というテーゼの提出が重要だ。と思う。

●ブラック・ウィドゥ(後半)
*impression*

ヴォズリーフが、死んだ刑事を蘇らせて、森として再生する。制御体の反抗による《時繰り》創言力よりも、その森=刑事にひとこと「殺してやる」による衝動に、ヴォズリーフは戦慄する。

彼の力は、ヴォズリーフ(神体)には感知できない。神はその力を持たない。神が生ませたものである制御体も持たない。ノイズである人間だけが持つもの。“情念”

−−いいですな。ゾクゾクしますな。

●ルービィ
*intro*

やられた…

冒頭の詩がイカす。いままで与えられた情報は次の2点だったのだが、それがこう結実するとは思わなかった。

朝になると色が降りてくる。−−なんと美しい言葉だろう。

*impression*

色撫草の憧憬の美しさに感服。【言壺栽培文(言葉の樵)以来の感情だ。

第1篇での少年と堕天使について、正式に正体(設定)が明かされる。 1つわからなくて知りたいのだが、 賽還(かの少年)は瞳がペンタグラムだけど、 この《下》のほかの人間の瞳はどうなっているのだろう。−−最後まで、とくに言及されなかった。残念。

それにしても。生まれ変わったTR4989DAのかわいいこと。

言葉そのものは記号だが、そこには込められた想いがある。想いが言葉を綴るが、想いは言葉を曲げることはできない。それどころか、言葉は想いに反抗することもある。

−−短い話だが、いかにも神林っぽいお話だ。

ラストで賽還と朱夏が色撫草で色を交換しあう憧憬が素敵だ。言葉が無くても想いは伝わるのだな。

*自己分析*

本篇のみ、アンチコミュニケート存在が登場しない。あえていうならば、朱夏に横恋慕するTR4989DAだろうか。

それを包括するかたちで、本書中での本篇の意味を考えると、先ほどの言葉論に加えて「想えば現実となる」「想うのは君1人じゃないから、現実は君の思いどおりにはならない」を抽出するべきだろう。と想う。

●ヴァーミリオン
*intro*

ヴァーミリオンが何色なのか分からずに、かなり苦悩した。

*impression*

色操師。語り口調の軽妙な感じが、これまた[言壺]を思い出させる。オバチャン(依頼主)のめちゃくちゃな配色をがえんじえぬあたり、職業でありながら美術家であるものの苦悩が綺麗に掛けている−−とぼんやり読んでいたら、屑色事故〜刑事逮捕〜背景説明の畳み掛ける流れに驚いた。これは[言葉使い師]をより洗練させたインパクトだな。

あまり別作品と比べすぎるのもなんかもしれないが、どうも神林はそういうこと(個人内比較)をしたくなる作家なような気がする。

*自己分析*

ここでのアンコミュニケートは、not「色操師は都市制御体から無視された存在である」、but「依頼主のオバチャンと話がどうしても通じない」だ。と思う。

いくら言葉が通じようとも、社会的に認知された職業でも、ただの個人同士でも。敬意がなければ何も通じない。

●パズラー
*intro*

いままで、《不感応者》を追う立場として、多くの物語で脇役として出てきた刑事が、本篇の主人公となる。ここでは立場が逆転する。多くの人にとっては《不感応者》など存在せず、実際それは公表されていない。したがって、そんなものを追いかけている刑事自体が、他人からみたら狂人なのだ。刑事は悩む。

「あなたが幽霊がいるというのなら、いるんだわ」

この妻の言葉を“自分も”欲しいと思うヒトは多いだろう。 この前段のシチュエーションと、直後の刑事の笑顔。 その笑顔を引き起こしたこの言葉に、感動を禁じえない。

*おまけ*

SOWランドを何の略かと思ったが、sense of wonderだな。 それ以上の意味はないだろう。

本書、話が進むに連れて制御体不感応者が増大している(含む“幽霊”)。 アンチ団体ってのは、どの世の中にもいるものだとは思うが。

*impression to #3*

コレは怖い。 前前から私の論なのだが。 本当に矛盾のない、すなわち完全な規則を持った《虚構》は、 それは《現実》と区別のつけようが無い。《現実》そのものといってもいい。

余談:1995年当時のバーチャルリアリティー装置であってすら、 (絵が貧弱でも動きの立体変化が理屈として正しければ) 脳には立体と見える。 その理屈・法則が現実(本当の自然)と違うものであっても、 《違う自然》として脳は解釈するようになっている。 そうじゃないとデータ欠損に対応できないからか?)

この項で、主人公(刑事)はイベントモールに入る。 その中は、完全な別世界(1990年くらいの東京)を模している。 刑事はイベントモールに入ったと思い込んで行動しているが、 読み手はそうは思えない。 はたして、モール入ったと思い込んだだけで、ただたんに現実の世界にいるのだろうか。 それとも、別の現実に来たのだろうか。 それとも、やはりここは精巧な虚構なのだろうか。

刑事は(イベントだという認識のもとで)刑事権限で銀行員を脅す。 銀行荒らしとして追われる。刑事はそれをもイベントだと認識している。 しかし、ただたんに現実に銀行を荒らしたのではないだろうか。

すると、ダレが正常でダレが異常なのか分からなくなる。 真の精神病患者はけしてピンクの象など見ないらしいが、 その病人の持つ現実とはコウイウモノではなかろうか。

短いながら、これはとても怖いトピックだった。

*impression to #4〜6*

#3で「怖い」と書いたが、#4でもっと深まる。#4はパズラーDサイドの物語で、この側からSOWワールドの入り口が模型部屋からだと明かされる。しかし、SOWランド全体については言及されないまま。Dが刑事を発見したのは模型部屋だが、では先ほどの銀行でのやりとりは なんだったのか。明かされないまま物語が進む。

Dと刑事の攻防は、実際には追跡なのに、心理戦のように描かれる。これもまた心地よし。Dが《銀の木》と化したあとに刑事がソレを撃つのだが、ここでの「この赤のほうがもっと綺麗だ」に込められた万感に、心底の恐怖を覚える。

ここで物語が閉じていくかと思いきや、意外にも急展開する。《赤の兄弟》、そして世界の分離。ラストで刑事は、自らが幽霊となる世界に行ってしまう。それは新しいものではなく、すでに#3で体現したものだ。この構造世界こそ、ある意味神林の醍醐味だと思う。

*自己分析*

《現実存在とはなにか》を強く意識した篇。軸が交差し、入れ違ってしまうことで、刑事がアンコミュニケート存在になってしまう。

これは別に小説世界だけのことではない。日本人がアメリカに旅行するだけでも、十分にアンコミュニケートになりうるのだから。問題は、差異があると心構えしない状態で、突如にアンコミュニケートに陥るところなのだろう。

本篇では、総体化ギミックとしての《赤の兄弟》は、蛇足だったかもしれない。そういう神的存在なしで、ただたんに現実がシフトするだけでよかったのではないかな。

●ヘクサグラム
*impression+自己分析*
「死とはコミュニケーションの完全なる断絶を指す。」

これは[死して咲く花、実のなる夢]での神林の言葉だ。 本作では、1篇での少年はまさにこの死に置かれ、家族とともに苦しんだ。 以降の物語でも、同様の死に苦しむものが登場する。

その《死者・亡霊》と対峙する役として、刑事が数度登場する。 すべてが同じ1固体の刑事であるとは明示されないが、 そこはあえて推測に任すのが華だろう。

その刑事が、ここでコミュニケーションの断絶に落とし込まれる。 唯一の今の現実との接点である“犯罪を犯して捕まった”自分すら、 その捕まえた刑事によって否定されてしまう。 この主人公たる刑事は、 いままで自分が対峙していた《死者》そのものになってしまう。

それだけでも魅力的な構造なのに、本作ではさらに1つ軸が提示されている。 ルービィの言葉。

「それはお前の望む結果なのだ。子らよ、心して想え。」

想えば現実になる。しかし現実は自由ではない。 なぜなら、想うものは“わたし”1人ではないからだ。

本編に登場するカラスは、刑事に2つの三角形を与える。 その三角形が同じ方向で揃えば意味がないという。 考えてみると、刑事が死を予見し、妻もそれを否定しなかったがために、 刑事は《死》んだのだろう。

幸いなことに、《想いの三角形》の1つを妻に預けることで、 刑事はヘクサグラムを完成させる。

「あなたに想われて、わたしがいる。」

コミュニケーションにおいて、これほど強い言葉はそうはないだろう。 (存在証明と言ってもよい。) だから、あなたのいる世界に戻る。

1篇のラストにおける、かの少年の言葉を繰り返したい。

「(私は)おまえに望まれた者さ。」

想われる“あなた”は幸福だ。

*詩*

想われる“あなた”は幸福だ。 “わたし”も想われたい。 だから“わたし”も想う。 想いに対価を求めることもある。 求めてはいけないと思うこともある。 それもまた、みな想いだ。

想いの先を幾重にも考えたさい、 その先の中心が自分になってしったとしても。 それを恥じる必要はない。 “想われる”あなたは、想う“わたし”にとってまさに中心なのだから。 “あなた”が“わたし”であって、どうして不思議だろうか。

だが、それを透かして、“あなた”が“わたし”になってしまえば、 (神林いわく)三角形は《1つ》に重なってしまう。 それでは、どうしようもなく死に向かうだろう。

“わたし”には“あなた”が必要だ。 “あなた”に“わたし”を想って欲しい。 あなたが笑顔でいられる世界を望む。 そこでならば、私も笑顔でいよう。 そのために、私も笑顔でいよう。

私には小さな力しかない気がするけれど。 それでも想えば届くのだから。

*おまけ*

それはそれとして。これを言ってしまうと台無しなのだが。

[パズラー]の後半の模様を読む限り、 妻にかけた想いが綺麗に還ってくるとは思えんのだな。

それでもあなたはわたしを想ってくれるだろうか。

*原本フィルム管理に伴う余談*

本作品は、ずいぶん長い間増刷もなく放置されていた。2002年に雪風がアニメOAV化され、その流れてハヤカワが神林フェアを張り、奇跡的に増刷された。

そのためか、印刷版面の痛みが激しい。文字のカスレはともかくとして(それが嫌だと小説の大半は読めない)、下半分カケはマズいだろう。

読み始めから気づいていたが、 冒頭言「あなたがいて わたしがいる」 の裏のページにはヘクサグラムが描かれている。 本来の意図では、透かしてみたときに、 冒頭言の中心にヘクサグラムが浮かぶのだろう。−−(読後に読み解いてみるならば):もともとは個別の存在である“あなた”と“わたし”だが、場合によっては互いに想い合い、つながることもあるのだよ。

ところが、この増刷版では、かなりズレてしまっている。もったいない。

*読み終えた翌日朝の悪夢の一部*

10月2日

わたしは実家にいる。玄関の土間。コンクリ打ちっぱなし。広い。壁がタール塗りの黒い板。−−幼少のころの記憶か?

わたしは郵便を受け取る。縦書きの文章で、左ページにはフロッピーディスクが埋め込まれている。差出人はtoy1氏。

「すみさん、あなたはプリズムを読んだようだが、その理解は表面の字面のものに過ぎない。各作品にタイトルに込められた真の意味は、当時としては常識だった数々のものを知らなければ読み取れない。それを再現するために、これを差し上げよう。信頼できる筋から手に入れた、確かなメディアを用い、確かな手段でお渡しする。」

黒いフロッピーにはIBMのラベル。ソフト名が印刷されている。これを試せというのか?

そのほかいろいろ見たのだが、覚えているのはここだけだ。いつもどおり、色あり音なし。

*神林フェアへ提言*
雪風に合わせて、増刷したり、他社の絶版本の版権買い取って出版したり。 ほんとうに神林で商売するつもりなんだな>ハヤカワ。それは非常に嬉しいのだが…でも、現在の標準フォーマットの文字のデカさには辟易なのだが…

それはそれとして。もしハヤカワが商売するつもりであれば、いま表に押すべきなのか[敵は海賊]ではないか? 雪風が一般ウケを狙える本だとは思えぬぞ。






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