IE4.0の「リソースのプロパティ」にある「HTML文書の分析」だが、わざと不正なHTML文書をチェックさせてもエラーを検出しないので「何もしていないのか? 」と思ったら、ついにエラーを検出した。対象は、CSS2仕様書。エラーメッセージは次のとおり。
「次のスタイルシートはインストールされていないため、このドキュメントは正常に表示されない可能性があります。indexlist.html」うんぬんかんぬん
なんだこりゃ、と思ってソースを見ると、それらはLINK要素で指定した「次のページ(REL=NEXT)」などであった。REL属性(relation)で明示しているとおり、これらはスタイルシートではない。WWW-UAは、気を利かせてこの「次のページ」などをナイショで先読みして、読者のアクションに備えることが可能である。そして、IE4.0というUAのとった行動は、「このスタイルシートはインストールされていないため…」
GIFなどのopenの関連付けをlview2.0にしたら、IE4.01はローカルの画像を表示できなくなった。HTML文書中のIMG埋め込みを評価しなくなったのである。驚いた。それまでlview1.0に関連付けていて平気だったのに。謎だ。
(4月頃fj(具体的な記事名などは失念)を読んいて、初めて気づいたこと。)
「TVで生々しい死体が出てくるシーンがあって、むかついた。」
この「むかついた」は、いわいる小中高生の「ムカツク」ではありません。胸がむかつく、吐き気がする、という意味です。実際に国語辞典(旺文社、昭和46年…おいおい、生まれる前だよ)をひいてみると、こんな順序で意味が載っています。
- 胸がむかむかする。吐き気がする。
- しゃくにさわる。腹が立つ。
本来、「吐き気がする」という言葉には、苛立ちのニュアンスは存在しない。事実、「死体を見て、吐き気を覚えた」と書けば、「ああ、見慣れないものを見て調子が悪くなったんだな」と解釈できる。でも、いま現在の「むかつく」には、「腹が立つ」のニュアンスがプンプンしている。「死体を見て、むかついた」では「死体を見て、腹が立った」と受け取ってしまう。
さて、このニュアンスはもとから存在するものなのか、それとも小中高生の「むかつく」が生み出したものなのか?
(何で覚えたのかは不明。)
「その件についてはありがとうございました」という日本語は、「ありがとう」の正しい用法ではない。過去の用件についての感謝も、いま感謝しているなら現在形で「ありがとうございます」と言わなければならない。いま感謝していないことを皮肉に伝えるならば、「ありがとうございました」なんだそうな。
口語ではここまで気にしなくてよいだろう。でも、文章(特に手紙)では気を付けたいものだ。
ずいぶん昔、NHK大河ドラマ「秀吉」で、秀吉のセリフにこういうのがあった。織田信長からの秀吉への伝言を伝える使者に向かって、である。
「で、殿(織田信長)はなんと申したのだ」
「申す」は「いう」の謙譲語、へりくだった言い方。「私から申し上げます」であって、「貴方が申してください」はだめ。「いう」の尊敬語は「おっしゃる」(仰せになる)。
というわけで、NHK、敬語間違ってるぜ−−と思ったら、これは「サムライ語」という当時の流行り言葉であるらしい。「申される」という敬語が存在したそうな。でも、本当か?
(なお、織田信長が天皇に向かって奏上した言葉を他人から伝言される場合、秀吉は「殿は何と申されておるのだ(申し上げておられるのだ)」という敬語表現をする(ちょっとアヤシイが)。「申す」は天皇への配慮、「おられる」が信長への配慮。二重敬語とかいうシロモノのはずだ。中学校か小学校の国語の教科書に載っているはずだ。)
(そういえば、神の身であられたころの天皇は、常に尊敬語の対象であった。自分でも自分に尊敬語を使っていた。はずだ。忘れた。)
それはサテオキ、仰々しい言葉づかいと正しい敬語は別物である。気を付けよう。 >自分。電話応答へたくそだぞ。
5月20日、今日は朝からどうもおかしい。仕事中にたくさんのヘマをした。なかでも、マズイのは電話で問い合わせをしてきたお客様に嘘をついてしまったことだ。嘘というか、勘違いによる出鱈目な回答。でも、間違いは嘘と同じだ。
何を聞かれたか。弊社出版の「怪物図鑑2001」の内容をきかれたのだ。お母さんが、子供にプレゼントを考えているような感じだった。僕は頭の中でこう考えた。
「ああ、あのブースカとかが載ってるやつだな…」
というわけでそう答えたのだが、その後「出版日は(今年の本か)」と聞かれ、本を探して中を見ると…おいおいおいおい、内容ぜんぜん違うよ。これ、マニアック商品大図鑑じゃん。エログロからナンセンスまで、エヴァンゲリオンのコスプレコスチュームからミリタリーまで、そういうモノの「極まってしまった人・モノ=怪物」の図鑑やんけ。まずいそ、こんなもの子供にプレゼントされてはかなわん。あわてて平謝りに訂正した。(注:ブースカがイメージに浮かんだ理由は、向かいの席のgm3のマシンの上にブースカ人形が置いてあるからだ。)
この電話の会話、たぶん編集局長に聞こえてるんだよなあ(席が近いので)。局長は何も言わなかったけど、心の中じゃこんな風に思っているかも。
「おいおい、むちゃくちゃいうのも大概にしてくれないと困るよ。君はお客様に嘘を教えて平気なのかね。編集者だからお客様への返答はメインの仕事じゃないとはいえ、いまこういう対応をするようでは、君は筆者やイラストさんに対して嘘をつきかねないし、または上司への進捗報告で嘘をつくかもしれない。すみ君、覚えておくよ。」
うわあ、被害妄想まで現れた。疲れているのかな?
それはともかく、反省してます。お客様、ごめんなさい。
あ、もうひとつあった。電話で発刊予定の本の発売日を聞かれて、社内WWWでチェックしたら4月末見本だったので「5月上旬予定」とこたえた。でも、そういえば先日の編集会議で「この本は遅れている」という報告があったのだった。思い出したのは電話を切った後。ああ、自己嫌悪。
http://www.zdnet.co.jp/macweek/9805/12/n_keynote2.htmlやAPPLEのDevelopers WWWで確認できるのだが、APPLEはMacOS X(Ten)という計画を発表した。
名称こそMacOSだが、実はRhapsodyである。Rhapsodyに旧MacOSコア互換APIをかぶせたものを、MacOS X(Ten)と呼んでリリースし、これ以降MacOSとRhapsodyは一本化されるんだそうな。
このAPI整備によって、ソースをちょっと書き換えるだけで、MacOSアプリをRhapsodyネイティブのアプリに変身させられるらしい。BlueBoxと異なり、ネイティブってとこが味噌だ。
問題確認。
つまり、Rhapsodyはリリース前から消える運命なの?
NTと95みたいに、サーバ向けがRhapsodyで一般向けがMacOSっていう計画は無くなったの?
Intelなどのほかのアーキテクチャ向けRhapsodyはどうなるの?
5月12日、日経新聞WWWの「特集」の中に「JAVAは何を成し得たか(成し得るのか? )」という記事を見つけた。内容は読者投稿だったのだが、その一番目の記事に驚いた。
「もともとUNIX系のシステム記述言語として生まれたJAVAだが…」
ち、違うよ! OAKっていう家電組み込みシステム用制御体系がポシャって、普通のコンピュータ用に作り直したのがJAVAだぜ。
「システムの違いを越えて稼動するという言語の性質には魅力を感じるが…」
ち、ちがうんだよ。システムはJAVA仮想マシンじゃなきゃだめだよ。ただ、いろんなOS用のJAVA仮想マシンがあるだけじゃないかいな。もともと、言語はシステムとは無関係だし。C言語でUNIXシステムも書ければ、MS-DOS用プログラムだって書けるじゃない。その、JAVAの中の「JAVA思想」「JAVA言語」「JAVA仮想マシン」は分けて考えてくれないと…
(注:元ネタは、本のタイトルがしっかり思い出せないのですが、カッパサイエンス、人類文化大学講義集4の上の第1講義にて学んだこと。−−なお、講義者は別の人だけど、本の名義は(この大学の学長である)栗本慎一郎だと思う。政治家になる前の栗本は、それなりに良かったんだよ。)
仏教は、輪廻転生を信じるため、死体から魂は抜けると考えます。したがって、死体(魄)には価値を感じず、お墓は作りません。一方、儒教は魂は不滅で、子孫を見守る霊になると考えます。いつまでも魂は魄に宿ると考えるため、お墓に死体を大事にしまいます。
日本人は、基本的には仏教徒であるくせに、お墓を作ります。思想の矛盾です。仏教と儒教が伝来した時に、混じったんだそうです。きちんといえば、儒教は生活信条として入り込み、仏教は政策として入り込みました。このへんの「何でも取り入れちゃえ」的なremix文化が、日本の特徴なんだな^^;
車やコンピュータ生産技術をさして、「日本人はオリジナリティは少ないが、物事を発展させる能力はある」とよく言われます。これも、remix文化ですね(ちと違うかも)。
(5月13日)
とある方からメールをいただいた。
「日本以外の仏教国でも、お墓を作る国は存在します。これは、先祖崇拝みたいなものの影響なのでは? 」…そうかもしれません。すると、人類みなremix?
「それから、仏教と儒教の融合(混在)は、日本に入る以前に既に始まっているのでは? 」…調べないとわかりません。
ううん、わたしく、めいっぱい実力不足^^; 専門(コンピュータ系と音楽の一部)の内容は大丈夫なのだろうか…
また、別の方曰く、ちくま新書「日本人はなぜ無宗教なのか」より。
「浄土真宗では北陸や山陰の地域で墓を持たない 寺があるそうです。理由は簡単で、浄土真宗では誰でも 阿弥陀如来に救われることになっているので、死後の 心配をする必要がないからだそうです。
思い出したので、ついでに。
仏教では転生を信じますが、その一方で輪廻しない魂も存在すると説きます。それが「解脱」した魂です。ブッダは解脱したので、転生しません。−−とある新興宗教の教祖は「わたしはブッダの生まれかわりである」と説教したことがあるそうですが、仏教の風下にも置けない話ですね。(これも同じ本にあったネタです。)
念のために、解脱について。解脱とは、輪廻転生を越える、ということ。仏教思想における生は「苦」であり、輪廻とは永遠の苦を意味する。だから、その苦から逃れる「解脱」を目指すのだ。解脱とは、決して「悟る」ことでも「超人になる」ことでもない。−−そして、とある新興宗教の教祖は、「自分は最終解脱者だ」といいながら、現世利益をむさぼっています。標本にしたいくらいの自己矛盾者^^;
(5月13日)
「ブッダ本人が輪廻転生を説いた、という確認は実は取れていません。輪廻転生という概念の発祥は、バラモン教のほうです。また、ブッダ本人のいう“解脱”は、一生の中の“苦”を克服すること、だそうです。」…だそうです。なるほど。先の「お墓うんぬん」にも絡みますが、仏教は分派が多すぎて、なにが本家なんだかわからないのだそうです(決めると逆にやっかい? )。
バラモンは仏教以前から存在するあちらの宗教。バラモン(僧)、クシャトリア(貴族)、なんとか(失念)、スードラ(奴隷)の4段階のカースト制のアレですな。わたしのこの辺の知識は、手塚治虫「ブッダ」によるものです。ブッダことゴーダマ・シッタールダは釈迦族(どうして漢字? )の王子、生っ粋のクシャトリア、その身分制度に疑問を感じて、身分を捨てて修行を始めたわけですな。たしか。(こうやって生知識を書いてると、また問題が出るぞ^^;)
バラモン教では、身分が下の人が料理した食い物は汚れているので食べられない! ということで、料理人はバラモンがやる(ことが多い)んだそうです。この辺の知識は、あやしい旅行番組(TV)で得たものです^^;
ううん、人生いろいろですな。
いいえ、人生には3つしかありません。「ぼよよん」と「おろろん」と「にこにこ」です。「ぼよよん」は普段のごく普通の状態、「おろろん」は悲しい状態、「にこにこ」はうれしい状態です。
とはいっても、人間を越えてしまうと、「ニコポン」と「バカボン」の2種類の境地に達することがあります。「バカボン」はバカボン教の教祖バカボン様の境地です。では、「ニコポン」とは?
いまのところ、「ニコポン」に達した日本人は二人だけ、西条秀樹と氷室京介だけなんだそうです。その証拠に、彼らの声はまったく同一です。そして、「ニコポン」の詳細は不明なのです。
(注:わからない人のために。このへんの知識は、大槻ケンヂから得ました。)
メモ:5/10-20:30(1215)、5/11-20:00(1290)、5/12-23:00(1325)。
細野晴臣のラジオの宣伝がすごかった。以下、BGMなし、細野本人のしゃべり。
「えっと、細野、晴臣、です。僕、いまラジオ番組やってます。月曜日、よる8時です。」
「いまのでわかりましたか? 」
…それでわからなかったら、日本人じゃないぜな。むっちゃくちゃ単刀直入じゃないですか。
そして、5月11日の番組(デイジーワールド)の冒頭もすごかった。
「えっと、昨日は母の日でした。」
「僕には関係ありません。」
「お母さんごめんなさい。」
5月5日は端午の節句。3月3日は桃の節句。ところで、1月1日正月や7月7日七夕も節句であるらしい。TV番組かなにかで聞きかじっただけなので真相は知らないが、ひょっとすると節句って12ヶ月毎月あるのかしら? 体育の日も節句? ああ、百科事典が欲しい。
とかんがえていると、とある友人がメールをくれた。こいつは陰陽に関係しているらしい。で、奇数月にしか節句はないんだそうな。なお、二桁の月には節句はないそうで、結局は1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)の5つの節句があるんだそうな。(あれ、1月1日じゃないんだね。)
なお、これは普通の国語辞典にも載っていました。先に調べるべきでした。反省。
なお、メールをくれた方は、「1は1月で使っちゃってるので11月は無しなのです。」
と説明してくれた。でも、日本は弥生とか神無月とかいっていたわけだし、ヨーロッパはJanuaryとかMarchなわけだ。はたして月を「1、2…」と記述したのはどこの国がはじめで、日本に入ってきたのはいつ頃なのだろう。それとも、はじめから数字併記だったのだろうか。
ああ、雑学・教養の無い人間(私)にはわからないことが多すぎる。やっぱり百科事典が欲しいなあ。
(5月12日)
同じ方からまたメールをいただいた。
まず、「11月」について。これは「既に秋祭り(収穫祭)があるので やらない」が正しいようです。さらに、「節句」は「おかゆ」とか「ちまき(? )」とか、食い物をたべてお祝いをするものであることに注意せよ、とのこと。
実は「節句」以外にも「節」(つまり季節の節々)のお祝いの日がたくさんあるのだ、ということ。5節句以外にも5節会(なんてふざけた名前だ)があって、「1月1日:元日節会(がんじつせちえ)」「1月7日:白馬節会(あおうまのせちえ)」「1月14日および1月16日:踏歌節会(とうかのせちえ)」「5月5日:端午節会(たんごのせちえ)」「11月辰(十二支の一つね)の日:豊明節会(とよのあかりのせちえ)」なんだそうな。こちらは神様にお祈りを捧げるものであるらしい。
あれえ、おいおい、二日以上にわたるのもあるし、5節句と同じ日のやつまであるよ! というわけで、めでたきゃあいいんじゃなかろうか。(以上の情報は、『桃尻語訳枕草子』上巻(橋本治)に詳しいそうです。)
ついでに、立春とか啓蟄とかは24節季といって、1年を24(2週間)に分けるものであるらしい。本当は、なにかイベントをやるものなのかな?
そして、月を数字で表していたのは中国であるらしい。もともとこのへんの行事のルーツも中国なんだそうです。まあ、日本の文化のかなりの部分は中国原産なのは当然なのでしょう。日本は、今も昔もリミックス文化^^;
(5月15日)
なお、「10月10日体育の日は、東京オリンピックの日で、節句ではありません。」という指摘も頂いた。
−−とはいえ、節句だろうが宗教だろうが、時代とともに変化・追加するものだから、そのうちついでに節句として認定されるかもしれないよ。
1998年5月、APPLEは「iMAC」というハードウェアをリリースした。かわいい卵型の一体型マシン、エアマックスのエアみたいな「みみ」(なお、蛍光色に光るらしい)をもつ、$1300の廉価マシン。しかも、G3なのだ。その見栄えで各方面から「おお、APPLEのきわみ」とか「スティーブジョブスここにあり」みたいな評価をえている。
たしかに、これなら僕も欲しい。でも、足踏みしちゃうのであった。
http://www.zdnet.co.jp/news/9805/07/coursey.htmlには、以下のようなことが書いてあった。
Steveへの伝言:Macをより興味深くするものは、“G3 MacはPentiumより速い”というベンチマークではありません。Mac上でしか得られない、クールなソフトウェアなのです。速度ももちろん、重要な要素ではありますが「僕のマシンのほうが君のより速いぞ」という'90年代初めに流行った男性ホルモン型の大騒ぎは、もう古いのです。
全くそのとおり。ハードウェアなんて、ただの箱だもんなあ。
さらに、冷静にスペックを見ると、ハードディスクは4GBあるが、RAMが32MBだけである。RAM32MBでは今時windows95も満足に動かない。いわんやMacOSをや。APPLEはこれの購入層をどう位置づけているのだろう。自分でメモリを増やせる人を対象にしているのか? メモリが足りないことで発生するトラブルをどう処理するつもりだ?
そう、問題は「誰に売るのか」だ。現MACファン? 現Winユーザ(含む嫌嫌使っている人)? 現「まったく使っていない」人? このへんが、あまりはっきりしていないような気がする。
昔からいわれるように、APPLEの最大の資産は「ブランドイメージ」(とデザインセンス)だ。iMACはまさにそのブランドイメージを最大の武器にしている。でも、でも、ブランドイメージだけでは商品は売れない。顧客は、それだけのためにはお金を出さない。もっとも、すでにMACのファンである人は、ブランドだけでこのマシンを買うかもしれない。ということは、これではシェアの拡大にはつながらない。
次に、「このマシンを何に使うのか」。僕は古いコンピュータ人間なので、コンピュータは「道具」であってインテリアではない。他の人だって、「コンピュータで音楽をやりたい」とか「仕事をしたい」という意識が無ければ、コンピュータなど買わないだろう。
というわけで、これを売る際の売り文句としての「適している用途」は? ビジネス、はだめだろう。よほどセンスのある会社でなければ、iMACをオフィスには導入しないだろう(このへんがVAIO505との違い)。それに、何をいうにも、仕事はAT互換機、ホビーと芸術はマックという棲み分けができているので、ソフトの問題が出てきてしまう。では、芸術・DTP・CGはどうかというと、その用途にはSPECが低いかも(モニタサイズとVRAMとRAM)。
こうしてみると、このシリーズは「買った後に文句がたくさん出るのでは」と思われる節がある。APPLEには商売の戦略が足りないのではないか? (でも、職場のマック信者にいわせると、「マックは時々不安定になったり、不条理な暴走をするあたりがかわいいんだ」そうなので、これでいいのかもしれない。)
さらに調べてみると(APAPLEのWWWにて)、「buitin Ethernet(iMACのiはinternetのi^^;)とかbuitin Stereo Soundなどと書いてあるが、正確なスペックも規格名もわからない。仕様として「G3」といえば一定のガイドラインがあるのか? 僕はマックに暗いのでよくわからない。このマシンに、LinuxやMkLinuxやBeOSやRhapsodyは入るのか?
職場の詳しい人(5月8日のカンファレンスにも参加した人)に聞いてみると、「BeOSはまだG3に対応していない(Appleが仕様を公開していない)」
とのこと。Rhapsodyは次の開発者リリースでG3対応になるといっていたけど、もう3ヶ月くらい音沙汰ないし、APPLEはどうするつもりかね、謎。
おいおい、先行き暗いなあ。これでは、せっかく湧いた購買意欲も、立ち消えてしまうぜ。
(追記2001年1月6日)
その後、iMacはMac信者だけでなくてPCを知らないシロウトまで巻き込んで、売れた。最初はボンダイブルーのみだったが、クロックアップと同時に5色ラインナップを出してきた。
また、これ以降はすべてコレ系のデザインの筐体になった。ザブトンG4しかり、iBOOKしかり、G4Cubeしかり。−−PCでも、自作用ATケースだけでなく、ソーテックや富士通やHITACHIがクリソツマシンを出した。ちなみにソーテックはAppleから訴えられた。
私はiMacを買わなかった。だって、実物を見たら安っぽくて落胆したんだもの。
ついでにひとこと。MkLinuxはマック用Linuxじゃないよん。Mkは「マイクロカーネル」の略で、普通のLinuxとはカーネルが異なるわけです(じゃあ、根本的に違うOSなのか? よく知らないんだけど)。MkLinuxのIntel用もマック用もあります。なお、普通のLinuxのマック用も存在します。あんまり進んでないけど。