【自己顕示録】


1999年4月後半


4/27

/「Xサーバ」におけるサーバの意味/

:見出しは“「漢字変換サーバ」におけるサーバの意味”のほうが適切だが、語呂をとって「Xサーバ」とした。)

最近でてきたPC-UNIX関連の本で、次のような記述を見かけた。

(大意)

Xは、クライアントサーバ方式を取っている。これにより、ネットワーク上の別ホストで稼動しているXサーバにXクライアントの画面を表示させることが可能だ。

別の例。

(大意)

UNIXでは、漢字変換をクライアントサーバ方式で行う。すなわち、ネットワーク上のどのホストで変換しても、同じサーバに接続しているならば同じ辞書を利用できるようになっている。

どちらも「クライアントサーバ」を「ネットワークで利用するもの」だと誤解しているような気がする。なお、偶然にもXも漢字変換もネットワーク透過なので、上記の説明は間違いではない。でも、一側面しか語っていないから、誤解を感じるのだ。

Xや漢字変換におけるクライアントサーバは、「機能を複数のアプリケーションで共有する」ためのものだ。根本は「複数のアプリケーションが別べつに同じ機能を実装するのは馬鹿らしい」というところにある。

:プロセスとは、「動作中のアプリケーションの実体」を指す用語だと思ってください。ハードディスク内にあるデータとしてのアプリケーションではなくて、RAMに読み出されてCPUによって実際に実行されている状態のものです。)

漢字変換サーバで説明を進めよう。 サーバが漢字変換や辞書管理機能を占有することの利点は、次のとおり。

こうしてみると、Windowsでも同じような形式を採用していることが分かります。名称は違うけど。

ちなみに、UNIX/Xではこのクライアント・サーバ間の情報のやり取りが「ネットワーク透過」になっており、「別ホストであっても、同一のサーバを利用すれば、常に同じ日本語変換機能を利用できる」ことになります。これはWindowsには無い発想です。

余談:ところで、CannaやWnnの「ネットワーク透過」って、どういうものだっけ。辞書はサーバサイドじゃなくてローカルに置くんだっけ。分からないや。)


(この文章を書くきっかけになったモノ)

先日見た本(たしか日経BPのRedHat5.2jpの入門書)の説明では、漢字変換がクライアントサーバ式であることを取り上げて、「Windowsとは根本的に異なる方式であり、別ホストのサーバを利用できるようにする仕組み」と説明していた。この説明では、クライアント・サーバ方式とネットワーク透過を誤解して覚えるのではないかな、と感じた。



04/26

4/18-23:45(10480:25295)、4/19-1:30(10510:25340)、4/23-11:45(10625:25640)。

/岡本太郎情報/

もう2年前ほど前のことになるとおもうが、TV「しってるつもり」かなんぞで、岡本太郎の特集が組まれた。この時始めて、岡本太郎の作品の凄さを知った。それまでは、たんなる「芸術は爆発だ」オジサンだと思っていた。迂闊にも、彼の作品の素晴らしさには気づけずにいた。−−その理由として、大阪万博の「太陽の塔」があまりにも有名すぎたことがあげられるかもしれない。

僕は、太郎の立体作品が好きだ。ジョアン・ミロの世界がそのまま具現化したかのような世界が好きだ。

かの番組では、太郎のお墓が紹介された。一平とかの子(ご両親;ともに高名なアーティスト)、そして太郎の3人が並ぶように作られており、それぞれに太郎の作成した彫刻が飾られている。 『生前にあまり顔を合わせなかった両親が並ぶ姿を、 太郎が幸せそうに眺める』という構図になっている。この図を見て、僕は涙したものだ(僕は家族ネタにもろい)。

この番組を見て以来、「太郎の墓を参りたいな」とずっと考えていた。でも、場所を知らないので、実現していなかった。−−1999年の2月ごろの「太陽」の特集で「有名人の墓地」が特集された。夏目漱石、井伏鱒二などなど、各界の著名人の墓地が紹介されていた。しかし、その中には太郎の墓地は記されていなかった。

つい先日、Webでようやく岡本太郎関係の作品を大量に拝める場所を発見した。お墓も発見した。

川崎市の記念美術館事業

80%完成だそうな。

青山の岡本太郎美術館

これはすでに存在する。

▼お墓

多磨霊園にある。

でも、この写真だと、太郎の表情の素晴らしさは分かりませんね。

今度、チェックを入れてきたいと思います。


4/25

/本多勝一「日本語の作文技術」の読書前感想/

本多勝一(1982)[日本語の作文技術」(朝日文庫)を購入。ライター必携の書といわれている名作。

だが、ちょっと読んだ段階で、すでにイヤ。文章がイヤミくさいんだもん。それに、点丸の打ちかたの説明には賛成できるが、段落の切りかたの説明には納得できない。他の部分の指針にも納得できない点が存在する。

木下是雄「理科系の作文技術」(中公新書624)を読んだときは、このような疑問は感じなかった。両者ともに、「読む側にとってわかりやすい文章を書くこと」を目的に書かれているのに、どうしてこうも印象が異なるのだろう。

その違いは、「理系」と「文系」の違いにあると思われる。

例として、「段落」の説明の違いをあげよう。

木下のもの:

一方、本多のもの:

本を読む限り、本多の文章は木下の指針を守っているし、本多の説明による段落構成の修正結果も、木下のものと合致する。にもかかわらず、説明はここまで異なるものになる。

:(1999年5月5日追記)本多の文章をきちんと読んでいったら、実際には段落構成が木下の理論から言えば「おかしい」ものであった。)

もうひとつ例をあげよう。つながりが悪い(同時に点丸もおかしい)文章の直しかたも好対照だ。

木下の説明は、紛れもなく「理系」だ。そして、本多は文系だ。この辺の違いが、印象の違いを左右しているのだろうか。僕は理系だから、木下の説明方法に良くなじむのだろうか。


「なじめない理由」は、実は全然違うところにあるかもしれない。

本多の文章には、「俺の文章が、かつて無能な編集者の手によって、無断でこんな風にリライトされた。その結果をここに示す。これは、これこれこういうふうにオカシイ。まったく、こまったもんだぜ。」というのが複数出てくる。この言い口が、例の本の著者に似ているので、僕はイヤな気分になるのかもしれない。

: 本多は実力と理論の裏付けをもとに主張しているが、かの著者はそうではない。 この件については、のちのちにはちゃんと文章にまとめたい。−−公開できるかどうかは別として。)



4/24

(5月1日、改定)

/今回の改定にあたって/

原文を読み返せば気づくのだが、ところどころに「共産主義」「安っぽいユートピア」「キチガイ」といった相手をデモナイズする言葉がちりばめられている。しかも、それを否定して「自分はもっと高潔だ」と言わんばかりの攻撃を繰り広げる。かつ、「これって変だと思いませんか」など、文末が語りかけになっている文が多数見られる。この手法は、読者に自分の主張を押し付けるための手法だ(しかも稚拙)。

:そもそも、「日記」なのに口調が「語り掛け」である段階で、変だ。いくら「読者がいること」を想定したWeb日記だとはいえ、あまりにも自意識過剰だ。)

改定後の文章に現れてるとおり、実際には僕はGNUのこともDebianのことも詳しくは知らない。

去年の12月にMac批判をしたときもそうだったが、今回も「相手のことをよく調べずに、感情的な嫌悪感から展開した誹謗」だ。このやりかたは、ジャーナリスト失格だ(僕がジャーナリストかどうかはさておき)。日記なのだから「イヤなものをイヤだと書く自由」はあるのだから、素直に「イヤだ」と書けばよい。にもかかわらず、批判記事のふりをした誹謗文章を書いてしまった。これは改められなければいけないだろう。このままでは、自分の心もすさむし、読者にも悪い印象を与える。

−−というわけで、リライトした。

:なお、原文はコメントアウトした表示されなくしたうえで、HTMLソースに残す。僕が書いた悪文を読んでみたい人は、ソースを表示してください。)

/ストールマンなんてキライ/

僕は、リチャード・ストールマンをキライになりました。

リチャード・ストールマンは、かのEmacsのオリジナルの開発者にして、GNUで有名なFSF(Free Software Foundation)のリーダーです。「ソフトウェアはフリーであるべきだが、同時に開発者の権利も守られるべきだ」というGPL(GNU Public License)を打ち立てた人でもあります。

:GPLのいう「フリー」は、無秩序な自由ではなくて、「再配布や改変を許すが、その成果は同じくGPLライセンスでなければいけない」などの制限を含みます。また、GPL製品の商用利用はみとめられています。GPL製品を利用したサービスを販売したり技術サポートしたりすることを商売にしても構いません。)

ストールマンは、「LinuxシステムをGNU/Linuxと呼ぶように」と発言しています。 ストールマンがDebianプロジェクトを通じて公開している文書に、「Linux and the GNU system」を読んでください(Debian-jpに翻訳があるので、僕が実際に読んだのはこっちです)。この文書の内容をまとめると、以下のようになります。

(大意)

多くの人間は、「Linux」を一連のオペレーティングシステムだと考えているようだ。だがしかし、Linux自身はLinus Torvaldsが作成したカーネルに過ぎない。これをシステムならしめているのは、我がGNUプロジェクトの各種ツール群だ。

我々は、システムとしてのLinuxを指す呼称として、GNU/Linuxというのを提唱する。今後は必ずGNU/Linuxと呼ぶことを要求する

いっている内容には一理あります。しかし、僕は 「開発者の権利をゴリゴリと前面に出すよりも、ソフトウェアを皆に使ってもらうのが大事。開発者の名前を覚えてもらうよりも、ソフトウェアの機能を知ってもらうほうが大事。」という発想でCopyleftを捉えていたので、この発言にはズレを感じます。

:Copyleftとは、ストールマン発案の「Copyright」代替品。実は、僕は「Copyleftが具体的に何を指すのか」を知らない。上記は勝手な僕の解釈。)

ストールマンは、GNOME1.0発表時の記者会見でも記者に「GNU/Linuxと呼ぶように」と強要しました。あげくに、単にLinuxと発言した記者を「君はいま、私に挑戦したいのか」とすごんでいるのです。−−この模様は各種Webニュースでも報道されています。特にZdNetは秀逸で、ソースはオープン,心はクローズドというタイトルを付けています。

ストールマンの他の発言も見てみましょう。

(大意)

SUNはJavaをオープンソースにするというが、それはね、俺に言わせりゃあ、真のオープンソースじゃないのさ。だって、SUNはソースを読める人間を限定しているだろ。改良を認めていないだろ。

我々は、近いうちに、完全フリーのJava互換ライブラリとJava処理系を提供するだろう。

(初出失念)

これについても違和感を感じます。「GNU/Linuxと呼べ」と発言するほどGPLプロダクトの権利を主張する人間が、SUNの権利に関しては不注意なのではないでしょうか。もちろん、SUNの権利を直接踏みにじっているわけではないのですが、違和感は否めません。この作業が許されるのであれば、MSの作業(非互換JavaVMの作成)も許されなければいけないでしょう。

以上のように、最近はストールマンの所業にも違和感を感じています。生理的には「キライ」になりました。

/Debianについて誤解していた/

*Debian is not one of Linux, but Universal OS*

DebianのオリジナルWebサイト(http://www.debian.org/)を覗いてみましょう(言語ネゴシエーション対応なので、対応しているWWWブラウザならば、このURLで日本語版を読めます)。このHTML文書のTITLE要素は、次のように書かれています。

「Debian GNU/Linux -- ユニバーサルオペレーティングシステム」

僕はこれを読んで、「おいおい、ユニバーサルはねえだろう。“宇宙の、万有の、全世界の、全人類の、不変の”新クラウン英和辞典)かよ。そんなにすごいOSなのか?−−MSだって、ここまでのホラは吹かないぜ。」と感じました。

(5月7日加筆:良く考えたら、MSは「ユニバーサル・プラグアンドプレイ」ってのを提唱してますね^-^)

でも、これは誤解だったようです。

そもそもの誤解の始まりは、Debianをone of Linuxディストリビューションだと考えていたところにあります。すなわち、(そう感じている人は少なくないと思いますが)「Debian=GNUプロジェクトによるLinuxディストリビューション」という理解です。だって、Debian GNU/Linuxと表記されますからね。

でも、DebianはLinuxディストリビューションの名前じゃないそうです。 Debianの文書 曰く、「Linuxはカーネルであり、Debianはシステムだ」とのこと。「Debian」とはオペレーティングシステム(パッケージ管理ツールやシェル、基本コマンドなど、ユーザが操作するシステム)の名前であり、複数のカーネル用のDebian、複数のアーキテクチャ用のDebianが存在する(予定)んだそうです。つまり、Debian GNU/Linux(for i?86)は、one of Debianなのです。

:このGNU/Linuxの意味するところは、ストールマンの主張のとおり。)

Debianが目指しているのは、ハードウェアおよびカーネルの違いを吸収するためのシステムだといえます。こういう意味で「ユニバーサル」なのでしょう。


:現存するのは、Debian m68k GNU/LinuxとDebian GNU/Linux Alphaだそうな。「じきにHurdカーネルのものも実用になる」となっていますが、Hurd自体が進んでいるのやら…)

:Hurdは、GNUのOSの名前です。Machマイクロカーネル上に構築されたOSになるはず…じゃなかったかな。いまだに「実用に足りる」リリースは存在しません。−−個人的な感想ですが、Hurdの遅れがストールマンをして「LinuxをGNUと呼べ」と言わしめているのではないかと考えています。)


*Debian is not GNU product*

なお、僕はずっと「Debian GNU/Linux」は「GNUが進めているLinuxディストリビューション」だと思っていました。でも、それは根本から間違っていました。

Debianは、Ian Murdock氏が始めたプロジェクトであり、GNU発案ではありません。初期(1994年から1995年)にGNUプロジェクト(ストールマン本人?)の後援を受けたのですが、主導権をGNUが握ったわけではありません。

:これもDebianのWebで読んだんですが、URLをメモするのを忘れました。)

:技術評論社の「まるごとわかるLinux読本」には、Debian設立当時の話題もちょこっと載っています。)

ちなみに、ことのおこりはLinuxディストリビューションの改善(1993年の設立当時は、SlackwareもRedHatもなかった)であったことに間違いはありません。それがどこで現在のように「ユニバーサル」を目指したのかは、僕は知りません。

なお、Debianという名称は、Ian氏とその妻のDave(Dabe?)氏の名前をもじって作成したのだそうです。

/ところで、GNUってなんだろう/

Debian GNU/LinuxはGNUプロジェクトの産物ではなかった。−−ここでハタと疑問が湧き起こった。 「GNOMEはGNUのプロジェクトなのかな、それともやはりGPLなだけの無関係なプロジェクトなのかな。すると、GIMPは、GTK+は…」 GNUの本家の仕事ってなんだろう。

僕は「GNU」ってのは「FSFがやっているプロジェクトで、UNIX互換システムをGPLで作成するもの」だと理解しているんだけど、ひょっとしたら違うのかな。 GPLを適用している無数のプロジェクトの不定形な全体のことをGNUプロジェクトと呼ぶのかな。

最近気になっていたのは、GPLプロダクトを「GNUプロダクト」と呼ぶケースがたくさんあるってこと。本家のGNUプロジェクトの「GNUソフトウェア」にはリストアップされていなくても、GPLであれば「GNUプロダクト」とか「GNUソフトウェア」と呼ばれることがある。

たとえば、Ghostscriptはアラジン社が作成している。ライセンス形態はアラジン社独自のものだが、最新版以外はGPLになっており、名称もGNU Ghostscriptになる。

先日、僕は自分の担当した書籍の原稿に、Lesstifを「GNU版のMotif」だと紹介しているのを発見した。でも、LesstifはHungry Projectが開発したMotif互換ライブラリであり、GNUプロジェクトの産物ではない。

「GPLなのとGNU本家なのは違うじゃん」とずっと思っていたんだが、実はこれも僕の勘違いで、「GNUとはGPLプロダクトの集合であり、FSF本家が作成しているものには限らない」とか定義されているのかな。うーむ。

時間があったら調べよう。


4/23

/悲しい日記/

4月23日、出社してマシンの電源を入れた。 Windowsが起動し、一番はじめに出たメッセージは…

「Explorerのエラー」 「内部エラーにより、ウィンドウをひとつ終了します。」

起動と同時にシェルが落ちた。しかもシェルは自動再起動されない。「マイコンピュータ」やフォルダをダブルクリックしても何も開かないし、アプリケーションへのショートカットも機能しない。可能なのは、Alt+F4で「Windowsの終了」ダイアログボックスを出すことだけだった。−−なさけない気分を胸に充満させながら、あきらめて再起動させた。

その後しばらくすると、今度は本体内部からすんごい軋み音が。どうもファンがいかれかけていて、おかしな音をたてているらしい。うーむ。


/雑記:ファインマン先生/

4月17日の会合のため、実家に戻った。

行きと帰りの新幹線の時間を使い、「ファインマンさんは超天才」を再読破。この素晴らしい生きざまを見習いたいものだ。−−ちなみに、「手術中に30リットルもの輸血が必要になったが、キャクテル大学の学生によってあっというまに輸血は満たされた」「その死の翌朝、キャクテルの国旗掲揚塔に“われわれはファインマンを愛しています”と書かれた垂れ幕が掲げられた(写真)」の二つの記述に、おもわず涙した。

なお、今回の帰省では、「なべやきうどん」と「えびおろし」を食べる予定であった。しかし、どちらも失敗した。狙っていたお店がお休みだったのだ。−−そのかわり、味噌煮込みうどんを食べた。美味しかったけど、心は満たされないのであった^-^

/うどん談義/

僕は愛知県民で、ずっと名古屋のうどんを食べてきた。ラーメンはきらいだが、うどんは大好きだ。実家の近くに若松屋という手打ちうどんの店があり、そこにしょっちゅう通っていた(この店が美味しかったから、僕はうどんを好きになったのだともいえる)。

その僕が東京に来て最初に戸惑ったのは、東京のうどんは名古屋のうどんとは似ても似つかないシロモノだということだ。つゆがちがう。麺がちがう。具が違う。

たとえば、鍋焼きうどんが完全に別物なのだ。東京の鍋焼きうどんは、えび天、かまぼこ、ホウレンソウが入っている。しかも、鉄鍋で「煮た」うどんが出てくる。名古屋の鍋焼きうどんは、肉とねぎが中心。かつ、土鍋で麺が焼いてあるはずだ。土鍋のそこにこげて張り付く麺をはがして食べるのが美味しいのだ。香ばしいのじゃ。−−この違いは僕の思い込みかもしれないので、いつかきちんと追加調査したいと思っている^-^

また、「鴨南蛮」を頼むと「かしわ」が出てくる。−−ふざけるな! だったらはじめから「かしわ」と書いておけ! −−同僚に聞いてみると、東京では本当の鴨をだす店は半分くらいしかないそうな。名古屋でこんなことしたら、暴動がおこるぞ。

一番ショックだったのは、「えびおろし」が存在しないことだ。「えびおろし」(あるいは「天おろし」)とは、「ころ」(冷たいうどんに濃い汁をかけたもの)に海老天を入れ、山菜と大根おろしをかけたものだ。「ころ」自体が名古屋の風習なのだからしかたないかもしれないが、これはかなりのショックだ。

文化の違いは「違い」に過ぎないので、優劣はない。でも、僕は(当然の帰結ながら)名古屋のうどんが好きだ。それが食べられないのが悲しい。

多くの人は、名古屋でうどんといえば「味噌煮込み」だと思っているかもしれない。でも、それは偏った知識だ。僕ならば、「鍋焼きうどん」と「えびおろし」をオススメする。−−あと、「すきやきうどん」ね。「すきやきうどん」は一部のお店にしかないと思うけど。


同様に、「みそかつ」よりは「どて」をオススメする。 「どて」は、八丁味噌で牛スジを煮まくったモノだ。 甘くて柔らかくて美味しい。居酒屋にいけば、たいていはメニューにあると思う。

あと、「手羽先の揚げ物」だな。ぴりっと辛いやつ。 東京だと、料理方法が違うらしい。 僕はまだ東京の手羽先は食べたことないので、違いが不明だ。

−−こうやって考えてみると、 皆が知らない「名古屋の美味しい食べ物」って、いっぱいあるな^-^ 名古屋にはオススメできる「観光名所」はないが、オススメできる料理はあるぜ^-^

:何があっても、名古屋城の中には入ってはいけない。 全室がショウケース、冷暖房完備、エレベータ完備、電気照明完備のあやしい展示室が存在するだけだ。)


ちなみに、個人的には、東京のうどんは麺がまずい。−−もっとも、名古屋の麺だって、ホンモノの讃岐にはかなわない。ああ、教授がもってきてくれた讃岐うどんはうまかったなあ。また食べたいよう(ToT)


そのかわり、東京のそばはうまい。一方、名古屋のそばはまずい。

かつての東京圏は、関東ローム層などなどのせいで土地が痩せているので、米はとれず、蕎麦だけがとれた。その文化の積み重ねが、現在のうどんのまずさにつながっているに違いない。

−−この「関東ローム層」うんぬんの知識は、東京住まいの同僚に聞いた。このとき、小学校の社会科でそういうことを習ったという事実を思い出した。勉強って役に立ってたんだな^-^



4/17

/ふたつの悪夢:意思不疎通/

*4月17日の出来事*

わが大学時代の教授の退官記念パーティーに出席。ひさびさに愛知に戻り、サタデーナイトはパーティーでフィーバーである(嘘)。

90人ほどがいた。たくさんの人と話した。

しかし、「この人と話したい」と思った相手の一部とは、うまく話すには至らなかった。とある人(主催者の一員になっている人は、「いま忙しくて、あなたと喋っている暇なんてない」といい放った。名古屋市営林支局のかた(当研究室卒業生;僕は先生の紹介で、卒論のときにこのかたに重要な資料をいただいた)に至っては、向こうはこちらを忘れていた。そういう意味では、大群のパーティーならではの寂しさも味わった。

*第1の夢*

あるヤツがUFOに乗って、僕らの町にやってきた。そいつの指名は、UFOに搭載した武器を使って、この町を壊滅させることであった。しかし、旅の衝撃からか、元来無能なのか、そいつは武器の使いかたを忘れてしまった。そいつ自身は、人間(地球人)と同じ系統のヒューマノイドであるうえに性格がよいので、自然と僕らの町の生活に溶け込んでいった。

(字幕)時は流れ、トランター歴2030年。僕らの町は、銀河帝国の支配から脱却するために、かのUFOの武器の力を解析しはじめるのであった。

夢に字幕が出てきました^-^ こういう体験は、覚えている中では初めてです。 字幕で「トランター歴」と出てきた瞬間に、僕本人が「おお、アシモフが出てくるとは^-^」と思ったのを覚えています。今思うと、「映画を見ている夢」だったのかもしれません。

:なお、「トランター」というのは、アシモフの「ファウンデーション」シリーズに出てくる銀河帝国の首都の名前です。)

この字幕が切れるところで目が覚めました。午前6時でした。

*第2の夢*

ERKさんといっしょに、電車に乗っていました。ふと見ると、隣のオトコが、ERKさんの上着のポケットから何かを抜き取りました。スリです。僕はそのオトコの手をつかみ、「スリだ」と叫びました。ところが、そのオトコは身動きもせずに、僕に手をつかまれるままにしています。ERKさんも含め、まわりの人間もみな微動だにしません。ただ、驚きの目で僕を見つめるばかりです。

そこに車掌がやってきました。僕はスリを車掌に引き渡そうとしたのですが、その車掌が驚くべきことをいうのです。

「このような軽犯罪をいちいち報告しないでください。」

そのとき、僕は降りるべき駅を知らないことに気が付きました。ERKさんと2人で何らかの美術展を見に行くのだと思うのですが、なにも思い出せません。ERKさんに「どの駅で降りるんだ」と聞くと、ERKさんは駅名を答えます。しかし、答えたという事実は認知できるのに、その声は僕の耳には聞こえません。なんど聞いても、その駅名は僕の意識にはのぼってきません。

気持ちがあいまいで定まらぬのを感じながらも、僕はとある駅で降りました。しかし、この駅では目的の(だとおもれる)美術展は開催されていませんでした。もういちどERKさんに駅を聞くのですが、やはり別の駅のようだと認知できるだけで、「この駅」だという理解には至りません。

僕は、持参していたメモ帳に駅名を書き込み、それをERKさんに見せました。

「おまえがいっているのは、この駅でいいんだよな」

ERKさんは「違う」という意思を見せ、太いペンで駅名を正しました。しかし、書かれた文字は、僕が見たことのない漢字で書かれていました。記号とも図形ともつかぬ漢字。

ふと気がつくと、僕は自分の部屋にいました。窓の外には、ERKさんが飛行機に乗ってどこかに出かけていくのが見えます。

僕はひとりになりました。

目が覚めたのは午前8時。

目が覚めたあと、間髪を入れずに、僕は泣いていました。恐くて、かつ悲しかったのを覚えています。誰かと意思疎通に失敗すること。特に、ERKさんとの意思疎通を欠くこと。それがどんなにつらいのかを、まざまざと見せ付けられました。−−なお、目が覚めた瞬間は、泣いていませんでした。断言できます。

ちなみに、この夢の中では、僕が発した質問の声以外は完全に無音でした。

この後も9時までうつらうつらとしており、もう一度夢を見ました。その間は、はっきりと「今夢を見ている」という自覚がありました。しかし、内容はすべて忘れました。






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