【自己顕示録】


1999年5月


05/30

/ntoskrn.exe is not found./

5月23日、私の所属するセグメントのサーバ(NT)が落ちた。そのときに画面に表示されたメッセージが強烈だった。

「ntoskrn.exe is not found.」

名前から察するに、NTのOSのカーネルもしくはカーネルローダが見つからないのだ。つまり、根本からダメになっている。社内のスペシャリストが回復させようと試みたが、どうあがいてもダメなようだ。

復活させるまでの間は、上位のサーバ(FreeBSD)が該当のセグメントのルーティングを臨時に代替した。

余談だが、FreeBSDに代替処理を設定するのにかかった時間は30分(必要な機材を探す時間も含む)。もちろん、サーバの電源は入れっぱなしで作業された。対して、NTを復活させるのには1日かかった。設定中に、20回は「再起動」が必要だった。

もちろん、動いているマシンの設定をいじるのと、ゼロのマシンの機能を復活させるのでは、作業量が違う。でも、イメージとして「NTってダメ」という感触を受けた。

注意:私はサーバの設定は何もしていない。偶然にもNTサーバは私の座席の目の前にあるので、一部始終を眺めていた、というだけだ。サーバ関連の知識はゼロ。私の印象はシロウト考えに過ぎない。)


5/25

/XSLことはじめ…から挫折/

XSLの勉強を始めようとおもったのだが、W3Cの仕様書の分量が多すぎて、くじけてしまった。

とりあえず、FAQと「Introduction」だけ読んだ。これで、1つ誤解が解けた。私は、「XMLは、HTML系の文書の構造を定義する(DTDを定義する)言語である」という意味で、「XSLは、CSS系のシートの文法を定義する言語である」と考えていた。でも、違うようだ。

「XSLは、XMLアプリケーションとして記述するタイプのスタイルシート」らしい。機能としては、「プレゼンテーションにおける要素表現の構造にまで踏み込むという貪欲な機能を持っている」(CSSは、表示の構造に関してHTML文書構造に従属せざるを得ない;でも、XSLは違う)ってなカンジらしい。

−−読み違えていたら、ゴメン。

Java Worldの今月号に、なぜかXSLの記事があった。これによると、XSLは「XML→HTML+CSS」変換テンプレートとしても使えるらしい。うーむ、よく分からん。

/URN/

fjで、URNについての説明を見かけたので、 ここに書き記す。特に引用許可は取っていない。 ちなみに、改変もしていない。

cite=Message-ID: <7h2kuu$me7@utogw.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp>

久野です。

GGA01671@nifty.ne.jpさん:
> URLを似たような意味で使うみたいですね。Lは「場所(ロケーション)」
> という意味ですが、単に場所だけを示すのではなく、ファイルであっ
> たり、プログラムであったりしますから、より一般的な表現として識
> 別子(Identifier)というのではないかと思います。(違っていたら、
> 識者のかたの突っ込みをお願いします)

  URLには「場所」が含まれていますから、同一のドキュメントが複数
箇所にミラーされていた場合に「そのどれでも」という指定には使えま
せんよね。そこで、URN(Universal Resource Name)という概念がありま
して、これは場所とは関係なく「このドキュメント」という書き方がで
きます。その実現方法は、たとえばRFC2168とかを見るとよいんではな
いでしょうか。

  で、URLやURN等(ほかに何があるのかな? :-)を併せた概念としてURI
と呼ぶ、ということでしょう。

                W3Cでは「URI」に統一してますね。           久野

cite=Message-ID: <ASADA.99May9163722@pooh.isoternet.org>

久野先生> 
> そこで、URN(Universal Resource Name)という概念がありまして、これ
> は場所とは関係なく「このドキュメント」という書き方ができます。

えーと… URN というのは(ネットワーク的な意味での)位置に依存せず、
対象を一意に特定できるモノ、例えば本の ISBN だとか、電話番号だとか
を指すために使われることも想定しているようです。

>   で、URLやURN等(ほかに何があるのかな? :-)を併せた概念としてURI
> と呼ぶ、ということでしょう。

でせう。


あさだ たくや

というわけで、URI(⊂{URN,URI})の概念を上手に活用すれば、 (かつ、サーバが十分インテリジェンスであれば、) 色々なシアワセな事象を実現できそうです。


05/24

5/16-19:00(11435:27755)、5/19-11:50(11505:27909)、5/24-14:00(11675:28355)。

/はたちの頃/

はたちの頃」ってのが面白い。立花隆のゼミでやっている「取材して、それをまとめる」の成果だそうな。萩尾モトや横尾忠則といった有名人からただのシロウトさんまで、各種のヒトの「はたちの頃」がどんなんだったかを質問するインタビューだ。

はっきりいって、日本語ライティングはすんごく下手だ。でも、「大学生がこういうコトを実現できる」という事実が嬉しい。

(余談:点や改行が根本的におかしい。もちろん、担当者によってレベルの差はある。でも、全般に「会話起こし」を「テープのそのままを書かないといけない」という強迫観念にとらわれすぎている気がする。−−実は、立花隆の文章もけっこうおかしい;と放言するだけでは説得力が無いので、そのうち具体的に指摘しよう。)


5/20

/WWW黎明期のオハナシ/

先日、とあるプログラマと飲みました。 彼は高エネルギー物理関係のドクターを取得しており、 その関係で一時期CERNにいたそうです。 偶然にも、オリジナルの(Tim berners Leeによる)WWWの立ち上げ時に CERNにいたそうで、 version 1のWWWのソースには彼のコードと名前が入っているそうな。

:ここでの「WWW」は、アプリケーションの名前。このソフトの名前が、現在のWWWの由来になっている。)

:version 2のときに カットされちゃったんだそうな。彼は悔しがっていた^-^)

(余談:ちなみに、私は「最初のWWW」はNeXT上のものだったと記憶しているんだけど、彼が言うには「VMS」だったらしい。NeXTはMOSAICだったかな?)

WWWは、高エネルギー物理学者どうしが情報共有を進めるために開発されたらしい。 高エネルギー物理は共同研究じゃないと研究が進まないジャンルで、 各地でバラバラに実験をして、その結果を送りあわないといけないらしい。 その必要性からWWWが生まれたわけだ。−−だから、WWWの発祥の地はCERNなんだな。なるほど。

彼曰く、

「WWWができる前はね、ftpとarchieを使ってたわけさ。archieなしの生活は考えられなかったね。」

余談:いまはarchieはほとんど使われていないだろう。Web検索サイトがあるからね。)

ちなみに、当時は「URL」が発案されていなかったらしい。当然といえば当然なのだが、なんかカルチャーショック^-^


(別のハナシ)

彼曰く、ストールマンは1993年くらいから一貫して「GNU/Linuxと呼べ」と叫んでいるそうな。でも、問題の文書の日付は1998年だったハズ。これは「最終改定日」かな?



5/19

/訳も無くセーフモード/

この日、Windows98がフォントを認識しなくなった。正確には、OSインストール後に追加したフォントを認識しなくなってしまった。fontview.exeも機能しなくなっている。−−でも、理由が分からない。

まず、「$windir$tttCache」を削除してみた。でも、状況は変わらない。fontview.exeやfont*.dllを入れ直してみても、改善されない。WWWでトラブルシューティングを漁っても、「$windir$fontsディレクトリが“普通のディレクトリ”になった場合」の対処法は見つかるが、今回のものは見つからない。

KBRJR氏の指導によりTweakUIの「フォント情報の再構築」を試すと、状況は更に悪化。今度は各種widgetがバケるようになってしまった。ウィンドウ右肩の[最小化][最大化][終了]ボタンが、それぞれ「1」「2」「3」に、スクロールバーの上下の三角が「5」「6」に−−といった感じになってしまった(画面ダンプを取っておけばよかった^-^)。

もういちどWebで情報を漁ってみると、 http://www.saitou.com/forum/trouble/00511.htmlというのをみつけた。ズバリ、同じ症状だ。

このQ&AからAnswerを引いてみると−−

「いったんセーフモードで起動して、更に再起動する。」

SDO先輩曰く、「セーフモードに入ると、システムキャッシュがすべてクリアされるんだよ。というわけで、何かが壊れてたんじゃなくて、たんにメモリ管理がいいかげんなんだな。」とのこと。


5/12

/マイクロカーネルとは何か/

Real-Time Mach と NTT Release 2.0から引用。

よくあるマイクロカーネルに対する誤解としては,

というものがありますが,これは間違いです. マイクロカーネルだけではセルフコンパイルはできませんし,プログラムをロードするだけでも大変なことが多いです.このため, ほとんどのマイクロカーネルアーキテクチャをとるOSでは, Un*x personality を実現するシステムサーバを用意しています.

はい、私はそのとおりに誤解していました。

では、正しい「マイクロカーネルの定義」を教えてください。

マイクロカーネルアーキテクチャとは,OSを

に分けて実現しようというものです.マイクロカーネルはカーネルレベルで動作し,サブシステムサーバはユーザレベルのプロセスとして動作するのが一般的です.これに対し,従来のUn*x系のOS(Solaris, Linux, FreeBSD など)は,モノリシックカーネルアーキテクチャに基づいています.

なるほど、だから「Mach上に構築したMkLinux」とか「Mach上に構築したMacOS X」っていうのですね。

マイクロカーネルアーキテクチャはモノリシックカーネルアーキテクチャに比べると,

  1. マイクロカーネル上に,様々なOSを同時に実現することが容易である.
  2. リアルタイム機能のサポートが容易である
  3. カーネルの巨大化を避けることが可能で,OSの拡張性,保守性が向上する
  4. マイクロカーネルにハードウェアの依存性を吸収させることで, OS全体の移植が容易となる.
というような特徴があると言われています.ただ,3番目後半と4番目後半はマイクロカーネルアーキテクチャの特徴というのは言い過ぎで,アーキテクチャによらず正しく設計されていればそうなっているはずです.

−−というわけで、とても勉強になったので、記念として日記にも付けちゃう。

ところで、Mach以外のマイクロカーネルって存在しないのかな?


(5月23日追記)

メールでいただいた情報によると、次のアタリが 独自のマイクロカーネルアーキテクチャを採用しているらしいです。



5/9

/ノストラダムスなマンガ/

少年チャンピオンに「ノストラダムス」関連のマンガが掲載された。あらすじは、つぎのようなカンジ。

少年は、ノストラダムスの予言を信じていて、今年の8月に世界が滅びるとおもって脅えていた。そこに、タイムマシンを駆使する不思議な少女があらわれた。少女は、少年を過去に連れて行き、ノストラダムス本人に会わせてくれるという。

出会ってみたノストラダムスは、神々しくも無く、研究熱心でもない、ごくふつうのおじいさんだった。少年がノストラダムスに予言の真意を確かめると、「それはオスマン帝国の侵略を想定したもの」などと答えるばかり(当時の文献とノストラダムスの予言を普通に眺めると、そういう結論しかでないらしい)。

少年が「もうオスマン帝国はないよ。ということは、この予言はハズレになるよ。」というと、ノストラダムスはこう答える。

「それはめでたい。悪い予言は、外れるためにあるんだよ。」

つづいて、ノストラダムスはこう諭す。

自分が書く予言は、疫病や戦争など、いつの世代も存在しうるものだ。だから、後から見れば当たっていると解釈できるものはたくさんあるだろう。でも、自分は“未来を見て”それを書いたわけではない。起こりうる惨劇を、予言という名称で書いたのだ。

自分がそういう予言を書くのは、子供たちの幸せのためだ。このような予言があれば、それを警句と取り、疫病などを撲滅させるように人々が努力するだろうし、戦争も避けられるだろう。

ノストラダムスは、少年に「未来にも、病気や戦争はあるのか」とたずねる。少年はおずおずと「残念ながら…」とこたえるが、そこに少女が割り込んで、さっそうと伝える。

「でも、医学は進歩しています。今では、ペストや結核も、直せる病気になりました。」

(ノストラダムスは、子供のうち何人かをペストで亡くしている。だから、あのような予言(警句)を書き残したらしい。)

それを聞いたノストラダムスは、孫を抱きあげ、泣きながら喜ぶ。

「ペストでも死ななくて済むなんて、1999年はなんと素晴らしい世の中なのだろう。」

(1ページまるまる使って、太陽に向かって孫を抱き上げるノストラダムスが描かれる。)

その嬉しそうな姿を見て、少年は悟る。「後生の人間が勝手に作り上げた予言騒ぎに乗せられて脅えていた自分は、なんと馬鹿だったのだろうか」と。

ノストラダムスに関する記述が本当かどうかは私は知らないが、それでもこのプロットは好きだ。すくなくとも、無責任に予言を過大解釈して恐怖を煽るMMRに比べたら、このほうが子供のためになると思う。

(もっとも、MMRの「予言」騒ぎをジョークとして受け取れないのも問題があるが…)


:MMR)

少年マガジンのマンガ、マガジン=ミステリー=リサーチ。

毎回起こるミステリアスな事件を、マガジン編集部の編集者が取材して解き明かすことになっている。シリアスタッチで描かれるマンガだが、「人間の体内時計が24時間よりもちょっと長いのは、実は火星に移り住むためである。そのことは、ノストラダムスの予言のこの部分に現れている。」といったカンジの主張が繰り広げられるマンガでもある。

そして、ある程度謎がとけてきたところで、アメリカの謎の組織などによって調査は妨害されはじめ、最終的な結論は闇に包まれるのであった。



/根津美術館:琳派/

*客層*

念願の根津美術館に到着。古式ゆかしい作品が多いだけあって、お客も「着物のおばさま」「観光外人」を中心に、上品なかんじのかたが多い。嬉しい。

*展示品*

今回の主展示は、尾形光琳を中心とした琳派のもの。きらびやかな金箔が美しい屏風絵が中心だ−−が、私はその屏風絵にはほとんど感心しなかった。光琳のはマンガちっく(デフォルメが激しい)ので、趣味に合わない。

副展示(所蔵品からのセレクト)は、今回は中国古代(魏などのころ)の仏像と青銅器がひとつの中心で、もうつとつの中心は鎌倉〜江戸期の水墨画。私は水墨画のほうに強くひかれた。

正確に言うなら、水墨画が貼り付けてある掛け軸の表装にひかれた。絵を張りつけてある《地》の部分、上下の淵(布の折り返し)、および壁にかけるための紐が美しい。特に今回は山水中心の水墨画なので、地の布質や色、模様が目に入りやすい。−−主張しすぎず、でも弱くなく。

前回の鏑木清方展のときもそう感じたが、あの繰り返し模様の多彩さと美しさには目をみはるばかりだ。和服、着物の地に見られる模様もきれい。−−私はミニマリズムとかループが好きだ。

ご存知のとおり、絵画は《作品そのもの》だけでは成立し得ない場合がある。西洋画でも、額縁は重要だ。作品と入れ物が見事に合致している場合には、単品では考えられない《雰囲気のよさ》を醸し出す。今回も2つほど絶品な組み合わせが見られて、かなり長い間眺めてしまった。−−ちなみに、西洋画だと絵画が勝つ場合が多いような気がする。でも、掛け軸では、場合によっては表装がメインになったりする。

(にもかかわらず、お土産絵葉書でも美術書でも、掲載される写真は「作品そのもの」のみである場合が多い。すごい損失だと思う。)


(余談)

一方の中国の青銅器や皿は、あまり私の趣味には合わない。青銅はそもそも苦手だ。だって錆びてるんだもん。出土物から原形を想像して楽しめる人はよいだろうが、私にはその才能はない。

皿は、彩色が図柄がカラフルすぎてイヤだ。−−青磁はけっこうよかった。−−こういう自分の感性をみて、「やはり日本人なんだな」と思う。私は日本の美が好きだ。

しかし、仏像は気に合う。今回は、釈迦三尊像と如来像に気に入ったのがあった。


*みやげもの*

鷺図(松村景文) みやげものが、とてつもなく充実している。金塗りの色紙が1000円、作品塗り込みのレターセットが520円、皿の形をした変形絵葉書が120円である。他にも、「お香」や「におい袋」も充実している。−−外人向けとおぼしいTシャツやハンカチも多数存在した。

藤花図(円山応挙) もっとも驚いたことに、所蔵品のレプリカがそろえられていて、高価なものも安価なものも存在していた(もちろん、値段によって精度が違う)。

中でも、「吉野龍田図屏風」の土産物(絵葉書、ミニ屏風、色紙、レターセット)が気に入った。春の図案(桜)と秋の図案(紅葉)が1対になった屏風で、まさしく「雅を感じるシロモノ」だ。ホンモノは根津の所蔵品であるらしい。これのミニ屏風が家にあったらシアワセだと思うのだが、今回はあきらめてレターセットにした。−−そのかわり、「倭絵屏風」(根津美術館所蔵品シリーズ15)という小冊子を購入した。これには、その図案だけでなく、光琳やら源氏絵巻きといった「おいしいモノ」が盛りだくさんである。500円。安い。
吉野龍田図屏風(春) 吉野龍田図屏風(秋)

*次回展覧*

次回(5月後半から)の茶碗展にも期待できる。

茶碗・茶器の展覧会は、1996年に名古屋松坂屋で開かれた、休雪の一派(三輪釜萩焼き)のものしか見たことが無い。かの一派は「わびさび」の基本から前衛までこなす一派で、とくに独特の朱の使いかたが素晴らしかった。私が好きだったのはわびさびのほうで、朱と白の組み合わせの妙にひかれた。

次の根津のものは、信長や秀吉など武人にゆかりのあるモノを中心とするようだ。これまた楽しみ。

*庭園*

根津美術館には、立派な庭園が付属している。たくさんの植物に囲まれた日本庭園で、ひとつの池、複数のお堂や東屋、灯篭、仏像が配置されている。全体をきちんとあるくと、1時間くらいになるだろう。−−実はそれほど「キレイ」ではなく、「雅な気分にひたる」というよりは「ワイルドな気分を楽しむ」カンジの庭園だと感じた。

この庭園では、2個所ほど気に入った画面があった。美術館が配っているパンフレットの説明番号でいうと、3番と4番だ。

3番は「池の中心」で、そこに見事な燕子花(か菖蒲)が咲いている。光琳のかの画が再現されたかのようだ。−−池の回りから眺めるもよし、池にかかった端から眺めるもよし。

4番は、「仏様」だ(どういう仏様なのかは、説明が無いので分からない)。−−私は偶然にも、そのブロックに裏口から入った。裏口からの道の脇には、複数のお地蔵様が構えている。そのお地蔵様をたどってたどり着いた先には、立派な仏様がいらっしゃったのだ。この配置の妙と、仏様の凛々しさに感心した。

なお、東屋やお堂の中には入れないようになっていた。願わくば、いつか公開して欲しいものだ。


5/5

4/26-10:00(10695:25825)、17:00(10720:25865)、4/27-10:00(10745:25920)、4/28-11:45(10800:26050)

/先日見つけたひどい親/

紀伊国屋サザン(新宿)で、ひでー親を発見した。場所は、コンピュータ/マルチメディアのコーナー。

親(30代後半くらい)と子供(5歳くらい)がつれそって見に来ているのだが、親はオタク系の作品に見入っていて、子供を顧みない。子供は、コミュニケーションを求めてか、作品を片っ端から指差して「これ、面白そうだね」とか「これはどういう遊びなの」と話し掛けているが、親は一言も喋らない。子供のほうを振り向くことすらしない。

ある程度の時間が経って、あきたのかなんなのか、親は唐突に(子供に声もかけずに)棚を離れていった。驚いた子供は、半分泣きながら「どれでも良いから、ひとつ買って」と訴えた。それに対する返事は「うるさい」だった。

/方言と「とおりゃんせ」/

名古屋弁で「えらい」とは、副詞(形容動詞)の場合は「大変だ」という意味であり、形容詞の場合は「疲れたという状態」を意味します。−−「えらく大袈裟だね」とは「とても大袈裟だね」という意味であり、「今日は久々に運動したので、えらい」といえば「今日は久々に運動したので、疲れた」です。疲れたそぶりの相手に対して「えらいの?」と質問したならば、「疲れたの?」という意味です。けして「君の地位は高いのかい?」と聞いているわけではありません。

この系統の「えらい」は、関西でもだいたい通じるようです。でも、東京では全く通じません。名古屋人が言葉で困る状況の第1番です。

ちなみに、童謡の「どおりゃんせ」の「帰りはこわい」の「こわい」は、「疲れた」という意味の方言です(たしか、東北のもの)。あれは「行きはよいけど、帰りのことは保証しないよ」という脅しではなく、「帰りは疲れるかもしれないけど、がんばっていってらっしゃい」という送り出しの文句なのです。−−名古屋弁にすれば、「帰りはえらい」です。

この「こわい」については、大学生のころにNHKの番組で知りました。それまでは「帰り道は暗くなるから恐いよ」という意味なのかと考えていたので、目から鱗が落ちました。

/童話と教養/

最近考えているのだが、「童謡や童謡、昔話をいくつ知っているか」というのが「心の豊かさ、生活の豊かさ」のバロメータになるような気がする。さらに掘りさげれば、「親が、どれだけたくさんの物語を子供に語ってきかせられたか」が子供の豊かさにつながると思う。

多くの常識(正しく生きること、一生懸命やることを素晴らしいと感じること、悪いことを悪だと自覚すること、社会性を持っていきること、友達と仲良くすること、人を敬うこと、などなどの)は、直接に明文化したものを読んで覚えるのではなく、親の言動を見ながら覚えるものだ。親は、自分の行動はもちろんのこと、先にあげたような寓話を話して聞かせることを通じて、子供に常識を自然に覚えさせるものなのではないだろうか。

:また、「話して聞かせる」というコミュニケーションそのものも大切だと思う。)


5/2

/鏑木清方展/

(皇居の近くにある東京国立近代美術館にて)

清方は、明治の日本画家。もっとも、「日本画」という言葉のイメージから比べると、かなり近代風な絵になっている。色使いは濃い目、濃淡も強め。−−芸術新潮の1999年4月号に特集が組まれているので、絵を見たい人はそれを買うと手っ取り早いだろう(私は買った)。

*和服と樹木*

展覧会入り口付近に飾られていた作品は、次のようなモノ。

どの作品も、着物の書き込みがとてもきれい。しぐさがとても雅。植物がとても豊か。

(芸術新潮によると、樋口一葉や泉鏡花は、自分の作品の挿し絵を清方にまかせていた。絵のイメージ的にも、とても納得のいく話だ。それら作家の肖像画も飾られていた。)

『金色夜叉』の初版のためのイラストもあった。−−学生服の青年が、きつい眼差しで海を眺めて怒りをあらわにしている。すがり付く娘。だが、青年は、けして娘のほうを見ない。「来年今宵のこの月を…」のシーンだ。−−黄昏色と呼ぶのだろうか、暗い黄土色のトーンで整えられた色調が、情景によく合っている。

清方の作品では、特に和服の美しさにひかれた。もともと和服には奇麗な模様や絵が描かれている。清方の絵の中の和服にも、奇麗な絵が描かれている。「絵の中に絵が描かれている」という贅沢な2重構造に、私はしびれた。−−清方の絵はかなり写実的なので、和服のしわの描かれかたを見ているだけでも感動できる。

実は、背景として書かれている樹木もかなり魅力的だ。細部までよく観察して書かれていると感心する。たとえば、朝顔の朝露を女性が眺めている絵画のバックに、ヒノキ(と思われる)木があった。描かれている無数の葉のどれを見ても、どれもちゃんとヒノキの葉の分岐どおりに描かれている。さらに、葉の先端だけ色が薄く、形も小さい。−−新芽なのだ。とても手の込んだ演出だと思う。


(余談)

ちなみに、作品のほとんどは掛け軸になっている。どの掛け軸にも立派な表装が施されている。表装の基本は、模様の無限の繰り返しだ。花の模様とか家紋らしき模様とかが絡まり合ってひとつの構図となり、それが繰り返し描かれている。ものによっては書き込みだったり刺繍だったりする。金の刺繍のものもある。

私は、この「繰り返しパターン」を美しいと感じた。シンプルなものも、複雑に絡み合ったものも、どちらも好きだ。

−−よく考えてみると、着物の模様も、基本はこういう繰り返しパターンだ。バカラの切り子模様もそうだ。ケルトの模様もそうだ。その全てを、私は特に愛している。私はパターンの虜なのだろうか。


*歌舞伎舞台*

後半には、歌舞伎の舞台を描いたものが複数あった。題材をもとに絵にしたものもあれば、舞台宣伝のために役者を描いたものもあった。

「道成寺」を扱った作品が数点存在した。着物の女性が舞っている図なのだが、実際には雉(だっけ鶴だっけ)が化けたものであるらしい(私は道成寺のストーリーを知らない;日本人として恥ずかしいことかもしれない)。雪の降り積もる庭で、赤い和服を着た女性が、身を狂おしくよじりながら舞っている。目は怨みに燃え、空を睨みつけている。−−その狂気な感じがよかった。


(余談)

2代目市川団十郎を描いたものもあった。

これをみて、とあるおばちゃんが、仲間と色めき会っていた。「きゃあ、これが団十郎様の姿なのね。どの代も、美しいわ。」−−なるほど、いつの時代にもアイドルはいたわけだ。


*みやげもの*

みやげものの質が大変低く、がっかりした。絵柄を選ぶセンスがなさすぎる。少なくとも、金色夜叉や樋口一葉肖像などの人気図案は用意してしかるべきだったと思う。

というわけで、収穫ゼロ。

/岡本太郎記念館/

*玄関*

岡本太郎記念館は、青山にある。回りを普通の(青山っぽい)お店に囲まれた、ごく普通の場所にある。−−実家のアトリエを改造して作ったのだと聞いたが、こんなに普通のトコロに岡本太郎が住んでいたのかと思うと、ちょっと不思議。−−すぐ隣はオープンカフェ(いちおう記念館が運営??)で、記念館の庭に食い込むアタリにもテーブルを出している。庭にも多くの作品が無造作に飾られており、通りすがりの(たぶん観覧料は払っていない)客が、作品にふれて楽しんで帰って行く。

*エントランス*

館内に入ると、作品[縄文人]が出迎える。縄文土偶をベースに、雲をちぎって作ったかのような手足がつけられている。力強いカタチ。とても太郎らしい立体だ。銅の鈍い輝きとても美しい。

*居間*

1Fの《居間》に進むと、居間全体に多くの太郎の立体が飾られていた。机とタンス以外は、すべて太郎の造形だ。

太郎式のトーテムポール
つぶれたダンゴ状のアタマで、目の位置に半円が開けられている。目の穴はくり貫きになっているのだが、手前と背面で広さが異なる。見る角度を変えると、目の向こうに覗ける風景の量が大きく変化する。そのせいか、顔自体の表情もめまぐるしく変わる。−−顔は5つほど重ねて乗せられており、そのどれもが異なる形の目を持っている。全体として、とても表情が豊かだ。
太陽の顔
太陽の塔のてっぺんにのっているアレと同じモノ。ここにあるのは、フレアも付いている。
椅子(座ることを拒否する椅子)
円筒の上に半円をくっつけた椅子。原色に塗られており、半円の部分にはケバケバしい模様が書かれている。−−座ろうとすると、椅子にお尻をかじられそうだ。
座ることを要求する椅子(呼ぶ 赤い手)
広げた手のひらをかたどった椅子。手のひらには、微妙な窪みで目と鼻が付けられている。指は微妙に丸まっていて、まさに座る人を包み込もうとしている。−−やっぱり、座ったら食べられちゃいそうだ。
ニワトリの水差し
陶器の水差しで、水口の部分が「ニワトリのトサカ」をかたどっている。陶器自体は乳白色だが、全体に少しずつ、原色の線がマーブル状に絡み合って描かれている。

(タイトルは、角が勝手につけたもの−−例外は、「座ることを拒否する椅子」)

思い出せるのはこの3つくらいだが、どれもポップで、力強く、優雅だ。愛らしくて、つい頬ずりしたくなってしまう。−−特に分かりやすいのはニワトリだと思うが、太郎の作品はかなりカワイイ。このカワイサこそが、太郎の特徴だと思う。手法は前衛を取っている、どんな人にも訴えかける分かりやすさを備えている。それこそがホンモノの証しだと思う。


(余談)

にもかかわらず、客の中には「なんだろうね、これ。わけが分からんね。」と大声で喋っている輩がいた。よい歳をしたオバサンだった。せっかく(私が)感動しながら作品を眺めているというのに、気分がだいなしである。−−そもそも美術館の中で喋ること事態がとんでもないのだが、「岡本太郎記念館」にきて岡本太郎を「分からない、楽しめない」と評価するのは問題だと思う。太郎がイヤなら、来なければいいのだ。

想像だが、これを「わけが分からん」という彼らは、美術を解する心を持っていないというよりは、「こういう作品を見たら、“わけが分からん”と評価せよ」という教育を受けてしまったのではないだろうか。−−そう思ったきっかけとなった、とある子供の発言を引用する。

「おとうさん、あの水差し、可愛いよ。欲しいよー。」

(実際、あの水差しのレプリカがあったら、私だって買うぞ。)

−−なお、大声で喋ってしまうような礼儀の無い客が来るのは、場所柄も原因だし、太郎のネームが強すぎるもの原因だと思う。たしかに、青山を散歩していて偶然ここを通りかかれば、「あれ、こんなところに、あの岡本太郎の記念館がある!」と、ついつい中に入ってしまうのだろう。彼らに罪はないし、太郎は訪問を喜んでいると思う。


ちなみに、室内には実物大の太郎の人形が立っている。−−これは結構キモチワルイのであった。

*アトリエ*

居間から奥に進むと、太郎のアトリエが公開されている。使っていた筆やニスなどが、(パンフレット曰く)そのままの形で残されている。室内には、ひとつだけイーゼルがあり、そこに書きかけの作品が載せられている。 棚の中には、無数のキャンバスが寝せられている。2階までぶち抜きになっており、棚は2階にも続いている。全て未完成の作品だそうな。−−これを盗んで売ったら一財産かな?

部屋の角には、アップライトのピアノが置いてある。ピアノのうえには、太郎作らしい灰皿が置かれている。その向こうに、また太郎人形が立っている。−−太郎人形だけは止めて欲しい。

天井からは、2つの作品が釣り下げられている。1つは、ランプをかねた円筒で、鋭い手が長く延びている。もう1つは、−−太陽の塔の顔の、フレア無しのものだ。彩色は無しで、銅の原色にニスを塗っただけ。

私は昔から、この太郎独特の《顔》を好きだ。ここで中空につられている顔をみて、表情の厳しさ、尊大さに打たれて、更に好きになってしまった。20分くらい、ずっと眺めていた。それでも飽きない。−−レプリカを作ったら、1万円くらいならば即断で買います。

*展示室*

2Fは、絵画中心の展示室になっている。この時期のテーマは[エロス]となっていたが、何がどうエロスなのかは私には分からなかった。

気に入った作品は2つ。

犬の植木鉢
木材を横に寝せ、一方の端だけを丸く削りとり、そこに例の《顔》を彫り込んである。背中には節状のくり貫きがあり、そこに緑の葉を持つ枝が挿し込まれている。−−たったこれだけの造形なのだが、とてもカワイイ。
リョウラン
抽象立体。言葉では説明できないカタチなのだが…ニワトリのトサカをイメージさせる流線形の物体が2つ、互いを求めるように手を伸ばしている。一方は大きくて、他方は小さい。その先端は互いに融合している。(このへんがエロスなのかな?)

(余談)

私はいわいる抽象美術を楽しむときに、「何かの抽象表現」だとは考えない。単に、カタチそのものを楽しむ。私は、《カタチ》が好きなのだ。

だから、絶対に「わけが分からない」という感想にはならない−−だって、はじめから「わけ」など考えないから。



(余談)

2F展示室の奥には、関係者以外立ち入り禁止の区域がある。

私は、その区域の向こうから出てくるおばあさんを発見した。誰だろうと思って眺めてみると、TVで見覚えのある顔−−太郎を支えた奥さん:敏子さん(戸籍的には養女になっているはず)だった。見間違いかもしれないが、たぶん間違いないと思う。

だからどうしたというわけではないが、記念のために書き記す。


*お庭*

庭には、太郎の作品が無造作に置かれている。レプリカ?−−というか、太郎の立体は「型をおこして素材を流し込んで作る」タイプのものだから、レプリカもホンモノも無いのかもしれない。

どこにも「触っちゃいけない」とは書いていないから、皆作品に触れている。[イボつきの釣り鐘]に至っては、「叩いてください」といわんばかりにハンマーが添えられていた(たたくと鈍く“ごわーん”と響いて、なかなかヤな感じ^-^)。

私は《太陽の顔》を触りまくった。素材はよく分からないが、金属+塗料+金+ニスだ。滑らかで気持ちよかった。

*みやげもの*

みやげものとして、なんと「記念スタンプ」があった。いわいる「スタンプラリー」的なスタンプで、めいめいに押して帰るアレだ。なんと、3タイプもある。−−通りすがりの子供は、みな大喜びだった。私も喜んで、3種類ともしっかり押してきた。

売り物としては、太郎の書いた本や、太郎のことを書いた雑誌のバックナンバーが売られている。そのうち買おう、というわけで、今回は見送った。

*余談:近辺について*

岡本太郎記念館のすぐ近く(歩いて1分)のところに、なぜかブルーノート東京がある。変な組み合わせだ。

そこから歩いて3分のところに、根津美術館がある。落ち着きのある古風な美術館で、広めの庭園までついている。この時は尾形光琳関係の展示会だった。これまた、前2者との融和感のない取り合わせだ。

あげくに、青山全体としては、ファッションの町だ。ブランド直営のショップ(お店というよりは、ショップ)が無数にある。これまた妙な組み合わせだ。

でも、イメージ的にはファッションの町だよなあ。


5/1

/バカラ展/

バカラ展チラシ 裏 ERKさんと新宿伊勢丹美術館[バカラ展]にいった。

(余談:MS-IME98が「馬鹿ラテン」と変換したので、泣きたくなった。)

バカラは、クリスタルガラスを使った高級家財メーカー。その作品は、まさに芸術品。多くの貴族がバカラのガラス家具を利用している。本家パリのバカラ美術館から多くの作品を持ってきて、今回の展示会になった。

基本的に、ガラスは美しい。バカラのものは、流線形も書き込みも切り子も美しい。また、贅沢で高貴な雰囲気にあふれていて、見ていると幸せになれる、−−残念ながら、私のつたない文章力では、あの美しさは表現不可能だ。

*王家の宝*

今回のひとつの目玉は、各国の王室や貴族が注文した家具のレプリカが展示されていることだろう。レプリカといっても、オリジナルの設計図をもとに、本家バカラが作成したものだ。

一番始めにあったのは、フランスの王朝が注文したという椅子と噴水台だ。ゴシック風の椅子で、足の固定部分以外はすべてクリスタル製。全体に見事な切り子と飾りの彫り物が施されている。うーむ、贅沢。−−でも、これに座ったら、腰が痛いのではないだろうか^-^−−数点ほど赤いクリスタルガラスの作品がある。中でも、銀細工を施した水差しは絶品。写真で見ると赤ガラスが不透明に見えるのだが、実物は澄んでいる。その澄み具合が独特で、不思議な美しさを醸し出している。

2番手は、インドのマハラジャが購入したテーブル。それと、ボートの置物。特にボートは圧巻。クリスタルの深い輝きと、縁に配置された金細工の輝きがよくマッチしている。やはり、全体に複雑で贅沢な彫り物があり、私らにため息を吐かせる−−かえすがえすも、自分の筆力の無さに悲しみを覚える。−−このボートにフルーツを盛って、このテーブルで食事できたら…代金がいくらかかるのかは分からないが、シアワセになれることは間違いない。

3番手は、宮内庁が天皇家のために発注した茶器(お皿とお椀)。クリスタルのお皿には、一筆の塗装といくつかの切り子が施されている。このお皿は、床から30cmほど高い位置に(透明なガラスの上に)配置されており、真上から照明をあててある。すると、切り子のが床に映るのだ。この影がまた美しい。

王家ではないが、バカラが万国博覧会に出展した作品も展示されていた。−−余談だが、日本が初めて万博に参加したときには、何をだしたらよいのか分からず、諦め半分に焼き物を出した。そしたら、これがかなりの好評を博した。その影響を受けて、その次の万博でバカラは「日本風」と称した作品を多数出展したらしい。そのおりの「花鳥風月の描かれたバカラ」が展示されていた。−−でも、花鳥も風月も、ぜんぶ西洋風^-^

*それ以外*

もっとも、そういう特別な作品だけでなく、他のものも美しい。ふつうのグラス、ふつうのお皿が美しい。うーむ、なんて書けばいんだろう。

設計図が数点あったので確認できたのだが、あのカタチも切り子模様の繰り返しも、基本的には幾何学的な設計に基づいて組み立てられている。とくに、切り子は《繰り返しの美しさ》がよくみられるように工夫されているのだな、と分かる。

アール=デコ期のものもアール=ヌーボー期のものもあったが、バカラの性格からいって、やはりアール=ヌーボー期のほうがよく似合っている。

家具ではなく、はじめから美術品として作られた作品もあった。雁や鴨をかたどった写実的な彫り物や、四角を2個ならべて「教会」と称した抽象的な作品もあった。

この「教会」はなかなかのスグレモノ。長方形の立体が2つならべてあるだけなのだが、その表面は微妙にたわんだカンジに磨かれていて、見る角度をほんのすこし変えるだけで光りの具合が大きく変化する。したがって、見るたびに、異なるきらめきを内部に発見できるのだ。とても神秘的。ネーミングが「教会」になっているのもうなずける。傑作だと思った。

しかーし、しかし、返す返すも筆力が無いのが悔やまれる。私の文章では、何も伝わらないではないか(ToT)

*土産物*

土産物は、ほとんどなかった。ただたんに、「伊勢丹本館のバカラショップにも足を運んでください」というだけのコーナーだった。−−ホンモノのバカラの食器なんぞ、高くて買えるわけ無いじゃないか(ToT)

/新宿御苑/

お弁当を持って新宿御苑に行った。入場料は一人200円。新宿口から日本庭園へ、ついで台湾郭、ツツジ通り、フランス風庭園、玉藻の池と廻って帰ってきた。

桜の季節は終わっていたが、私は木を見て葉を見て楽しめるので、あまり気にはならない。大きくて太い木(数本が融合したと見られる大木を含む)が多いのに感心した。

「樹種名当てクイズ」っぽいものが園内に仕掛けられていたので挑戦してみた。しかし、私は林学科出身であるにもかかわらず、ほとんど分からなかった。広葉樹はともかく針葉樹は抑えたいと思っていたのだが、分かるのはクロマツとアカマツくらいなもの。ある一本に関しては「自信を持ってヒノキ」と思ったにも関わらず、サワラだった(ToT) トウヒとヒバとモミに関しては、どの葉がどれだか分からなくなっていた。完全に林学失格である。

:ヒノキとサワラはとてもよく似ており、近くで葉っぱの構造を見比べないと識別できない。−−裏側の白い筋がXかYかで見分けるのだが、どちらがどちらなのかは忘れてしまった。)

日本庭園にある石灯籠がカッコよかった。

台湾郭は手入れが行き届いていないようで汚れていた。残念。もとはかなりキレイだったと思われる。回りに映えている台湾スギは立派だった。

ツツジ通りの近くに、とてもよい香りの高木+花があった。タイサンボクに見えるのだが、タイサンボクの花の時期は7月〜9月ではなかったか?

玉藻の池では、鵜を見た。鵜が池に潜る姿がカッコよかった。しかし、池にいるコイやカメに多くの人がエサ(米菓子など)を与えていたのが気になった。

あと、どこにいっても寝ている人(本当に睡眠をとっている)が多いのにも驚いた。新宿御苑は昼寝天国か。

以上、雑記ながら感想。

/インカ展/

行く予定は無かったのだが、伊勢丹美術館にてビラを発見したERKさんが「どうしても行きたい」というので、(新宿御苑の後に)新宿三越美術館に足を運んだ。

*閉店セール*

美術館のある三越南館はもうすぐ閉鎖(あるいは改装)になるようで、とある階で閉店セールをやっていた。美術館の階では、美術グッズのお店(メトロポリタン美術館が運営しているみたいだ)が閉店セールをやっている。本家のメトロポリタン美術館が街燈に貼るために作成した「展示会告知ポスター」(新聞の見開きサイズより大きなもの)の各種が2000円で放出されている。中にはかなりよい作品もあったのだが、欲しい物が多すぎで選びきれないので、1つも買わなかった。

−−なお、作者不明の「黒地に金で描いた山水画」がとても美しかった。ポップに変身させられた日本画である。書き込み文字の色がとても鮮烈な朱で、私の心を強くつかんだのだった。でも、他にもよい作品はたくさんあったので…

なお、値は落ちていなかったが、ルイス=ティファニー作のステンドグラスがあった。見事なティファニー作品だったのだが…2万円だから買えなくはないのだが、ちょっと^-^

余談:ルイス=C=ティファニー:宝石ブランド「ティファニー」の1代目の息子。アール=デコ期の代表作家。不透明ガラスを扱わせたら世界一(?)で、ステンドグラスや電飾スタンドを多く手がける。「黒ガラスのカサに銀のトンボが絡み付く」という独特のセンスによる電飾スタンドは、一見の価値あり。トレードマークはトンボ。−−「ティファニー美術館」アリ。)

*展覧会内容*

数年前、とある山から少女のミイラが氷付け状態で発掘されたらしい。インカの神への贄であるらしく、多くの豪華な副葬品も出てきた。温度の関係で保存状態がきわめてよく、考古学者は狂喜乱舞して研究したんだそうな。

この展覧会は、そのミイラを目玉にして、あとは普通のインカの出土品を飾っていた。

しかし、ミイラは異常な飾りかたで展示されていた。「ミイラだけ別室にして、その部屋のみ空調で気温を下げ、BGMとして吹雪の音を流す」という演出が施されていたのだ。美術展としては最低の出来である。そもそも、展覧会のサブタイトルが「哀しみの美少女:フワニーニ」だからなー。

:フワニーニは、このミイラの名前。うろ覚えなので、名前を間違えているかもしれない。)

*古代の楽しみかた*

私は、出土物における動物の紋様やイラストの独特さは気に入ったが、あとは特に何とも思えなかった。実は私は、「出土物」をあまり面白いと思えないのだ。だって、錆びてたり欠けてたりするんだもん。その結果として美術品として味が出ているものならば楽しめるが、単に歴史的価値で飾ってあるものは楽しめない。−−異論は多々あると思うが、私はそういう性格および感性なのだからしかたない。

でも、ERKさんは、古代をゆかしく感じる感性を持っている。そのことを痛感させる出来事があったので、書き留めておく。

展示品のなかに、アルミ(みたいな見栄えのものだった)で出来たポンチョがあった。アルミで作ったラザニアみたいなものがパーツで、それを無数に繋ぎ止めてポンチョになっているのだ。つまり、くさびかたびらみたいなポンチョ。

私はそれをみて、「こんな素材でこんなにポップなポンチョを作ってよいのかね^-^」と感じた。あまりに面白かったので、ちょっと離れたところにいたERKさんを、無言でここまでつれてきたのだ。

すると、ERKさんは、私とはまったく違う感想を漏らしたのだ。

「なるほど。これが新品だったときは、かなりキレイだよ。太陽の光を浴びてキラキラと光って、着ているひとはさぞ誇らしい気分だったろうね。きっと、王族とか支配者の衣類か、それともお祭り用のものじゃないかしら。」

きっとこれが「古代を楽しむ感性」なのだろう。残念ながら、私にはない才能だ。

*土産物*

この展覧会は、土産物王国であった。展覧会の内容とは無関係に、インカの土産品が無数取り揃えてあったのだ。笛、マラカス、彩色した石、人形、はてはカーペットまで。−−動物(種類を失念)の毛を編んで作ったクッション、ふわふわで気持ちよかったなあ。1万円以上したけどね。

土産物コーナーでは、皆が勝手に(買いもしないのに)マラカスを振ったり笛を吹いたりしているので、かなりにぎやかな雰囲気になっていた。私もちょっと笛を吹いてみた。

この笛は、筒が複数くっついていて、ひとつひとつが1音を担当するタイプのもの。はじめは音の並びが分からなかったが、途中で「キーはG、真ん中がルート、右が低い音、左が高い音、音階は正音階」だと気づいた。気づいてしまえば、楽なものだ。−−が、今度は、高いほうの途中の音のチューニングが狂っていることに気づいた。土産物だから、はじめからチューニングなんてされていないかもしれない。

−−というわけで、購入しなかったのに、けっこう楽しんだのだった。





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