推理力を持つロボットと、精神感応力を持つロボット。この2つの異種ロボットが、ロボット三原則に疑問を持ち、悩みながら、《人類》という観点からの新しい原則(第零原則)を打ち立てる。
このスジ自体は面白いんだが、この本は《人間関係》が中心のオハナシなので、例によって薄っぺらな人間描写(アシモフはそれしか書けない)と付き合わなければいけないのが苦痛だ。特にグレディアが「人類平和伝道師を自分に任じる」のがイヤ。最低の展開だと思う。あと、マンダマスが自分の戦略をアピールするときの論理展開が下手すぎる。あんなにヘタクソなプレゼンテーションでは、誰も付いてくるはずが無い。
また、推理展開も甘いと思う。いつのまにか仮定が事実に置き換わっている。都合が良すぎる。
−−アシモフには、人間心理じゃなくて科学理論に基づく小説を書いて欲しい。
(資料:MANGA CLUB冬目景 特集)
マンガです。絵が好みです。八重樫さんかわいいです。砂江(だっけ、主人公のお姉さん)の和服(和服のしぐさ描写)がエロティックです。といっても、エロマンガじゃないですよ。
舞台は現代。主人公は普通の中学生(高校生だったか?)、一砂。進路を決めあぐねている。ごく小さいときに母は死に、父は姉と2人で別のところで暮らしている。自分は親戚に引き取られているが、養子縁組はしていない。叔父叔母はやさしいが、自分がどこかで気兼ねしている。
最近なぜか貧血気味だ。心労があるのだろうか。
微妙な不安を覚えながら、なんとなく足が「かつての実家」に向かう。そこで、姉と 15年(くらい)ぶりの再会を果たす。姉は冷ややかに父の死を伝え、また自分の家にだけ伝わる奇病「血を吸いたくなる」(極端な血液成分不足による精神病)について語る。そして、数話目で一砂も発病。
(この病気の設定以外は常識の世界を使う。)
一砂は、血縁との思いがけない再会と、自分の奇病に戸惑う。他人に迷惑をかけたくない。誰にも本当のことを話せない。だんだんと壊れていく人間関係。そして一砂は姉と2人で暮らすことを決心。
根本的に、絵が好みです。山本直樹系?
八重樫さん(一砂が好きだった女の子)が一砂に血を飲ませようとして自分の指を切るシーンが好き。
砂江(だったかなあ…姉)が和服で朝食(焼き魚)を出してくれるシーンが凄く好き。
かつて父が砂江に母の面影を求め、砂江が父に恋をした。今、砂江が一砂に父の面影を求める。この倒錯愛も耽美でいいなあ。
発刊元は、もとスコラ、今はソニー=マガジンズ。4巻まで出てます。4巻のラストでは、一砂が病気発作から、砂江の首筋に噛み付きます。この後を読みたいぞ。
(余談)
スコラはついに潰れてしまったらしい。合掌。
12/16-11:00(18520:45690)、12/17-22:00(18565:45850)、12/20-10:00(18640:46030)、12/23-11:30(18740:46270)、12/24-11:00(18750:46335)、12/25-23:00(18780:46420)、12/26-22:30(18790:46470)。
24日、ナイロン100℃の劇を見るために下北沢へ。渋谷で乗り換えたんだが、またしても迷ってしまった。京王井の頭線を探して、JR渋谷駅界隈を2週した。人が多くて指示看板見えないし、見えたとしても場所がわかりにくすぎる…
最近はニュース転記(URL書きとめ)が多い。
69台のLinuxマシンによるクラスタ接続「Aoyama+(plus)」。
Zdの年末特集
Javaのライセンスおよび標準化をめぐる混乱も,エンタープライズJavaへの需要に水をさすものとはなっていない。これはJavaベンダーやインテグレーターにとっては朗報だ。
Javaはよいニュースと悪いニュースが交互にくるなあ。でも、「SUNによいニュース」は少ないねえ。
12月21日、3時ごろに休憩してasahi.comをみたら、とんでもない事件が出てきた。
「大変なことが起きた」。俊希君と一緒に遊んでいて犯行を目撃した女児二人が、大声をあげて職員室に駆け込んだ。教頭ら二人がすぐにグラウンドのジャングルジムに走った。異常に気づいた下倉健至校長が、俊希君がうつ伏せで倒れている現場に着いた時には、懇談会で来校していた母親の唯子さん(33)と担任教諭も駆け付けていた。唯子さんは息子の名前を呼び続け、「早く救急車を」と悲痛な声で何度も叫んだ。
うー…
他の子供がいる目の前で、偶然とはいえ母親が近くにいる状況で、こんな惨殺を決行できる神経ってのは信じられない。しかも、変えのズボン用意説、自転車偽名防犯登録説、ハンマー所持説など、用意周到さを示す証拠が目白押し。
京都新聞のWeb、写真入り。校長先生の悲痛な涙顔がつらすぎる。
同じころ、東海村事故での現場作業員大内氏が死去した。
今回の事故をきっかけに「原発は危ない」「原発の廃止を」などという声も一部から出ている。しかし、単純なヒューマンエラーが生んだ事故であり、原発のシステムそのものには問題がなく、当然、原発の安全性を否定するものではまったくない。
当然だが、原発を止められては困る。やるべきは危機管理体制の充実であって、そのためには予算増幅すら必要。もし《予算を削れ》運動が起こったら、「よけいに事故が増えるぞ」といってやらなければいけない。
もし原発を無くしたければ、自分の電気使用量を半分まで減らす覚悟をしよう。
池袋で無差別に数人を斬り殺した事件、裁判開始。
(最近よくヒトに言うハナシ。たぶんまだWebには書いていないはずだ。)
「オレンジページの紙面戦略は、情報マスメディアとしての出版の1つの理想形だ」と私は思う。
たとえば、味の素が新しいドレッシングを出したら、それを使ったオイシイ料理のレシピを載せる。しかも、わざとらしく「この製品を使ってみよう」などとはしないで、「今月の特集:シチュー」のなかのどこかで、その製品を使った料理を出す。料理の写真は鮮やかで、食欲や《作ってみたい》欲をそそる。レシピの下段などに、ここで使った新製品のカンタンな紹介が乗っている。その前後にアジノモトの広告ページを設ける。
(注:社名忘れてしまったので、《アジノモト社》と記す。)
読者のニーズである《おいしい料理のレシピ》に応えている。しかも潜在ニーズとしての《新しい製品の賢い使いかた》にも応えている。だから、購買層はオレンジページにお金を払う。同時に、記事の作りがアジノモトの意にかなっているから、アジノモト(スポンサー)もお金(広告費)を払う。
「オレンジページは、もっとも効果的なカタチで、メーカーとユーザーをつなぐ」(と私は思う)。これぞ情報マスメディアのあるべき形(の1つ)ではないだろうか。
仮定だが、オレンジページがアジノモトの言いなりになって、「アジノモトは気に入るけれど読者ニーズから外れた紙面(つまらないチョウチン記事)」になってしまったらどうなるか。もちろん、雑誌は売れない。アジノモトも出資に見合う結果が得られない。−−しかし、このような失敗があっても、オレンジページ社の損益は少ないはずだ。なんせ、アジノモトから金がでるから。それがタイアップの旨み。−−そのかわり、ここでオレンジページ社が戦略を転換していかなければ、結果としてアジノモト社は広告費を出さなくなるだろう。
(注:だから、実際にはこの仮定のような記事はスポンサー側も書かせない。)
オレンジページは、「読者を意識した紙面」を前提にした積極的なタイアップを申し出ている。だから成功している。
オレンジページの今の戦略が可能なのは、徹底した顧客ニーズ調査と、それに基づいた雑誌紙面作りノウハウ、この両方があるからだろう。顧客ニーズ調査をやっているのがオレンジページ側かアジノモト側かは分からない。けど、紙面ノウハウを持っているだけでも、メーカーは積極的にオレンジページとタイアップしたがるだろう。もし調査ノウハウまで持っていたら、皆がタイアップしたがるだろう。
オレンジページ側の広告営業担当は、営業しやすいと思われる。「ウチにはこういうノウハウがあって、こういう実績がある。まだ貴社とは取り引きがないが、絶対に貴社に損はさせない。」と堂々と言える。また、営業しなくても向こうから依頼がくることだって少なくないだろう。
−−この想像が事実だとしたら、なんて理想的な世界なんだ!
(補足)
もしチョウチン記事であっても読者ニーズにあうならば、じゃんじゃんチョウチンを書けばよいと思う。読者ニーズを踏み外さないことが大事なんだから。
さて、パソコン書籍業界も情報マスメディアだ。雑誌はいざしらず、書籍はジャーナリズムとは無縁の世界だ。コの業界でも、当然タイアップ(広告費とか買い上げとか)は存在する。たとえば、アスキーはAIBOオフィシャル本やムック「VAIOがスゴイ!」をソニーと連携して作っている。
でも、ウチの会社にはタイアップは少ない。わたしの直属の上司があきらかに消極的だ。「メーカーからお金をもらったからといって本を作るようなまねはしない」といっている。
この発言から考えると、上司が想像しているのは、読者不在のタイアップ(いけない方向のタイアップ)だ。もちろん、そんなのはやらない。受動的にお金をもらって意義の無い傀儡本を出すのはたしかにいけない。しかし、逆に「こういう本を出せば読者にもメーカーにも利益があるから、メーカーさんお金を出しませんか」と積極的に打って出るのはいけなくない−−と私は思っている。
…というハナシを上司にしたんだが、「制作費を出してもらおうという発想自体が望ましくない」という返答だった。そうなんかなー。自社損益を少なくするのが望ましくないなんて、なんか納得いかないなー。
コの業界自体、この数年構造が大きく変わっている。
出版社サイドとしては、日経BPがますます強くなってるし、宝島みたいな有名一般誌や読売などの新聞屋も「パソコン入門書」に入ってきている。
PCハードウェアのほうも、だいぶ変わっている。レガシーフリーなEasyPCがあって、値段も安い。また、「Webボタン」「メールボタン」というハードウェアボタンを装備したマシンが当たり前になった。ソニーのように明確に「このPCはビデオ編修に使ってください」とアピールする会社もいる。
PCを新たに始めるユーザは、メールやWebをやりたくて買うようになった。もちろん、これまでどおりに「新入社員で会社に入って始めてExcel使う羽目になって…」という読者はいるだろうが。
だから同然メールやWebの本はいるんだが、「メールのはじめかた」的な本を過去のまま出してよいのだろうか。上記のとおり、《メールボタン》っつーシロモノを買うようなユーザが増えているのだから、本も対処を考えなければ。また、新聞社のような資本体力が強いところと《一般入門書》の分野で争うのなら、過去のやりかたではいけないのでは?
−−その変革案のひとつがタイアップだと思った。
とかおもっていたら、アスキーはムック「VAIOがすごい!」を出してきた。スゴイと思う。もちろんウチの会社にはこれ系の実績やノウハウがないんだが、無いからといってそれでいいのだろうか。仮に「ウチは徹底的に長期売れる本だけをやる」とか戦略立てるなら別だけど。
むかーし、ウチのとある上司は「営業なんで信頼するな」と言い放った。かつては「営業なんて、自分でものを生み出せない人間、できることのない人間が就く職だ」とまで言われたことがある。
でも、その意見は大間違いだ。営業さんは大事だし、営業力は企業の命だ。売ってくれる人がいなかったら、なんのために生み出すのだろうか。
私はWorkPadで文字を書きまくるので、液晶のうちグラフィティー部分だけに極端に傷が付いている。傷のせいか、最近は「i」や「-」(直線を書くもの)が誤認識されやすい。
そこで12月23日、液晶保護シートを購入@ヨドバシカメラ新宿西口。モノはConceptKitchen(r)のWriteRight。輸入しているのはIKEショップ。2枚で1980円。c3/PalmV専用シートだから液晶形状にぴったりくっつくようになっている。
シートの表面には軽いブツブツ加工が加えられている。すりガラス風に、ほんのすこし雲って見える。したがって、そのままピッタリ貼ってしまうと液晶が曇ったかのように見にくくなってしまう。今回の目的はグラフィティーエリアの保護だから、それ以外の部分は切り落とした。
貼った結果、驚いたことに文字認識率が上がった。表面のザラザラのおかげでペン先が滑らなくなり、書いているイメージと実際の動きがより一致するようになったのだろう。たんに液晶を保護するつもりで買ったのだが、思いがけない収穫を得た。
12/13-0:00(18360:45360)、10:00(18390:45400)、12/14-13:30(18470:45545)、12/16-11:00(18520:45690)、12/17-22:00(18565:45850)
12月17日、gopherはまだあるのかなーと思い、 WWWで(^-^)検索してみた。 http://www.hiroshima-u.ac.jp/OtherServer/Gopher.html とかなんとか出てくるけど、つながらない。 つーかIEにはゴーファーブラウザの機能は無いんだっけ?
窓の森やwinfilesでgopherを検索したが、ふつーのクライアントが出てこない。 そういう時代か。
別に見たかったわけじゃないだが、かの情報がその後どうなったのか 知りたいなあ。そのままhttpに移行したのかな。それが順当か。
1999年後半、SUNがやたらと「非難以外受けようが無いこと」をやりまくっているような気がする。前回のBlackout事件や今回のJ2EE料金徴収なんかは分かりやすい例。とくにJ2EEに関しては、UNISYSのGIFライセンス料事件みたいになっちゃうのかなあ。
XSL Transformations (XSLT) Version 1.0が、16 November 1999にW3C Recommendationになりました。
(余談:このURL、スラッシュはないので正しい。なんかこの形式のURLは嫌い。)
また破壊ネタだ。
sunの発表会に出かけた。四角いビルの上に、Led Zepperinな飛行船がくっついている。ビルの中は、だだっぴろい体育館だった。天井も高い。なぜか、ところどころで独奏が繰り広げられている。ヨーヨー=マがチェロを弾いていた。
僕は飛行船に向かう。長蛇の列に並ぶ。列はまったく動かない。
突然アナウンスが。
急いでください! ようやく許可が出ました。
警察が危険を訴えています。
我々はパニックの群勢と化し、飛行船に詰め寄る。中から、窓を通して外を見る。数人が、真っ黒のクリスマス=リースを持っている。理由はないが、私は彼らをオウムの人間だと認識し、もっているリースを爆弾だと認識した。
「やっぱりオウムはヤバイよ」
「あんなにあからさまに破壊活動したら、バレバレだよなあ」
やっぱり破防法やっちゃってほしいなあ。
ここで目が覚めた。
この冬、オウム危険ネタは既に2度目。なぜだろう。
ずーっとJ-PHONEのラジオCMは嫌いなんだが、今回NTT系のCMも嫌いになった。電話系、総じてダメか?
いまやっているのは、寝る前の母と子の会話。子供が「寝る前のお話して」とねだると…
たぶん罪の無い冗談のつもりでCMを作ったのだと思うが、私は家族ネタには過敏反応する。
子供は親を信頼して、安心しきっている。安心して眠りたいから、眠るときも親といっしょにいたがる。それなのに、上記のような仕打ちをしてしまえば、子供は裏切られたと感じ、親が自分を愛していないと感じ、傷つく。こんなことが繰り返されれば(CMでは、いまのところ3タイプ繰り返している)、やがては親に心を開かなくなる。心を動かすと傷つくかもしれないから、それを恐れて心を動かさないようになる。楽しいことがあっても悲しいことがあっても、心を動かさないように注意するようになる。心が枯れる。当然全てがつまらなくなる。
もちろん、このCMは「実際の親子の会話」ではない。でも、そんな子供が出てくるCMを見たり聞いたりするのは、苦痛だ。
12/05-23:30(18115:44740)、12/13-0:00(18360:45360)。
整理する暇がない。
スナフさん。
(補足:緑のとんがり帽をかぶり、長いパイプを加え、諸国を漫遊。腰には「ニョロニョロの種」をいれた袋を常備。種族として、放浪を好み、定着を厭う。でも、彼は定期的にM谷に戻り、Mに冒険談を語る。)
99/12/10 9:29 am読了。「プランク定数を変動させられたら、ミクロ化は実現する」という仮定のもと繰り広げられるSF。映画とは無関係(「1」は、映画のノベライゼーション。2は、同じ設定で新たに起こしたアシモフオリジナルの作品。ちなみに、映画「ミクロの決死圏」の体内美術担当は、なんとダリだとのこと。知らなかった。みたい。)
内容本筋とは別に、政治色・人間関係の単純さがイヤ。アシモフはいつもそうだ。単純な2国対立。すぐ恋に落ちる主人公(もっとも、今回は「すぐ恋に落ちる」がどんでん返し素材だったけど)。あと、主人公が臆病すぎる。読んでいてイライラする。そのため、科学的な興奮を味わえない。残念だ。
http://www.ascii.co.jp/linux/business/db2/article/article328448-001.htmlのDB2記事の真中あたりの記述。
このサイトで特に注目したいのが、画像そのものの色や形によって芸術作品の検索を行なえることだ。これまで一般的に用いられてきた検索手法は、基本的に文字や数値といった情報をベースにしたものがほとんどだった。画像データベースでも、画像のキャプションやキーワードをあらかじめ“文字”で記述しておき、この文字情報で検索するのが普通だった。しかしこのサイトでは、作品の色の割合や幾何学的な形を指定することで“指定したイメージに近い画像”を検索できるようになっている。これを可能にしているのがIBMの「QBIC(Query By Image Content) 」というテクノロジーであり、これはDB2 UDBのオブジェクト・リレーショナル機能を活用することで実現されている。
大学院で研究してたころ、「イメージデータベース」を調べると、 「たんにデータにバイナリが入っていて、それが画像です」っつーものが たくさんあってヘキエキした。 バイナリデータを入れたキーは外部参照も主キーかもできない。 それは普通のデータベースじゃん。
(俺が探していたのは、Arc/Infoとかの意味の地理データベースの応用の広い意味の図形データベースだっだ。
イメージデータベースを「色」や「形」で検索。 こういうものを探してたんだよ−(;_;) どうせ、発見していたところで、予算的に間に合わなかったけど。 )
だってそうじゃん。音楽データベースであったら、フレーズなどをもって楽曲内を検索したいに決まってるでしょ。楽曲タイトルで曲データが出てきたって、それはただのデータベースで「音楽データベース」とは認めない!
(はやく音楽データベースも作ってください>IBM。)
つーわけで、上記のようなイメージデータベースを見つけて、嬉しかった^-^
いまさらながら。「透ける≠スケルトン」だ。スケルトン=骨。半透明=translucent、透明=transparent。ついでに、lucent=光る、光を通す。−−ZdNetとかの翻訳記事はトレンスルーセントと書いていたなあ。でも、「透ける」に引っ張られて、「スケルトン」のほうが聞こえがいい…
(12月12日、未整理ながら記す)(12月19日、関連URL記述、一部訂正)
【古代アンデス シパン王墓の軌跡 −黄金王国モチェ発掘展】(TBS創立50周年記念:日本人ペルー移住100周年記念)、新宿伊勢丹美術館1999年11月20日−12月26日。
(注:年代的には、モチェ→シカン→インカ帝国の順番。《シパン》は、この遺跡が発見された場所の近くの村の名前だそうな。シカンとは別の場所。インカ帝国との支配者的なつながりはない。)
前半は、異常に保存状態のよい土焼きの壷。壷とはいえ、人間の顔やら動物やら神像やらをかたどっているため、形状も豊か。その《形状》があまり破損せずに目の前に展開される。赤土ににる彩色の図案も奇麗に残っている。これだけでも十分に「奇跡をみた」と言える。
図案イラスト系は、原則として単純な丸壷のうえに、アンデス系独特のポップなイラストが配備される。神々の戦闘シーン、死後の世界の図、生け贄の儀式などの風俗図、などが多数描かれている。なかでも、《海の神が漁をする》図が面白い。360度のパノラマに、(1)ひとり乗りの船、(2)その船に乗る海の神、(3)神に引き寄せられる贄(鳥と魚)、(4)その贄を食べる船(船首が竜系の動物になっている)が描かれている。
(補足:この図を展開したものが、壁に描かれていた。また、壷は「回転する台」に乗せられていて、我々は全貌を眺められた。)
解説によると、モチェの概念では、(1)我々人間の世界、(2)神(豊饒の神と闇の神を中心とする)の世界、(3)死者と祖先の世界、の3つが混同して『世界』になっているらしい。
その解説の脇にあるイラストが楽しい−−(1)豊饒の神の行進、(2)付き添う擬人化された獣たち(イモリ、ワシ、ネコ、コウモリ、ピーナッツ)、(3)付き添う獣(イモリ、コウモリ)、が書かれている。イモリとコウモリだけ、擬人化と本体の両方がいるあたりが疑問はなはだしくて面白い。−−「擬人化」と解説されていたが、実際には「そういう体に、人間の顔と手足が付いたもの」。ピーナッツに手足が生えているさまは、なぜか微笑を誘う。ちなみに、ピーナッツは《敏速な戦士》なんだそうな。
闇の神(死と再生の神)のイラストもある。《生け贄を捧げる図》が多かった。闇の神の使いは、コウモリやネコ(おいおい、豊饒の神の使いにもいなかったか?)。戦士と化したコウモリが人間を突き刺し、杯に血を採る。その杯をネコが捧げる。
神や動物を形状として起こした壷もある。私は、特に動物系を気に入った。鳥、猫、エビ(分厚いので別の生物に見える)、カエル、カニなど。とても写実的(サイズやバランスに疑問があるが…)。
この系統の中には、「動物や神と人間が融合したもの」が多数ある。けして「鳥の頭に人間の姿の神」ではない。壷が謎の《融合の場》で、壷のある面には鳥の頭が、別の面には人の頭が、とおもったら向こうには別の人間の顔が、手が…という具合だ。解説によると、《融合》には「生命力をあやかりたい」とか「死=神との融合」という宗教感があるのではないか、とのこと。ちなみに、イモの実に人間の顔が溶け込んでいるものもあった。
−−私は、植物と人間を融合させた図は始めてみた。マンドラドみたいな人面花はみたことがあるが、今回の《融合》はそれとは似ても似つかない発想のものだ。そういってみれば、動物との融合もあまり見ないが…でも、動物神が人間を取り込む図は何度か見ている。
人間の顔もいっぱいある。抽象化された人間ではなくて、極力写実的な人間。個人個人の違いがはっきり出ている。なぜか、「皮膚病患者を表現した」ものがおおい。−−くだらぬ想像だが、あれは医者の手元にあったに違いない。皮膚病進行過程が10段階くらいに描画されていて、「あんたはいま第3段階。このまますすむと、こんなふうに鼻が取れちゃって、骨がみえちゃうよ。」みたいな会話をしたに違いない。−−わしはそういう歯医者にいったことがあるし、腰痛の説明でも「こうなってヘルニアになる前に、鍛え直しましょう」といわれた。模型は直感的に患者に訴えかける^-^
(解説によると、写実的なのは初期の作品であり、後期ほど抽象的になるらしい。そういえば、神像とともに出てくる動物はイコン抽象であり、写実ではない。)
(ついでだが、性行シーンの像も多数ある。あまり写実的ではなくて、原則として抽象立体だった。正常位まぐわう男女、ひとりで男根をこする男、男根を咥える女性(なんと頭部が可動式であるらしい)。これは「大人のおもちゃ」か性教育教材なんだろう。まさか後年美術館に飾られるとは想像しまい^-^)
(ちなみに、神や動物と人間がまぐわう図はない。そのかわりに、前述のように「融合する」図がある。)
抽象的な立体としては、生け贄の儀式の像が多い。裸で縛り付けにされる人間、鳥に目玉をつつかれる人間。見た中には、神は関与していない。イラストのほうには神の出る儀式は多数あるが、立体の神は動的ではなく静的なものばかりのようだ。ようは崇拝用偶像なんだろう。
後半は、王の墓からでた装飾品で、金属中心。鹿をあしらった耳飾りやペンダントなど。解説によると、金メッキの技術があったおかげで、かなりのものが良好な保存状態。−−が、私の趣味として土焼きのほうが好きなので、あまり記憶に残っていない。
子供の握りこぶしサイズの《梟の頭》(金製)を複数つなげたネックレスが奇麗。クモとクモの巣をハリガネ(これも金or金メッキ)で組み上げたアクセサリもあった。《ガラガラ》と称して、扇系の金細工の真ん中に戦闘神がいて、その左手には斧が、右手には首級があった。この《ガラガラ》と同じ図案の鎧胸当てや剣の柄もあった。
ポスターにもなっている[カニ男]は圧巻。金細工と宝石で飾られた蟹の甲羅+手足を鎧としてまとった人間−−だと思うのだが、人間の部分は頭部しかないので、ひょっとすると、上記に私が立てた仮定を打ち壊す《神格》なのかもしれない。−−黒目の部分が深紅に塗られていて、その赤はいまでも鮮烈に見て取れる(復元??)。アンバランスな2頭身(甲羅と頭が同サイズ)は、キュートなのかグロテスクなのか甲乙つけがたし。
今回は、土産物屋が大ヒット。かなり不真面目でいて、それが面白いのだ。
まず、《海の神の漁のシーン》を刷り込んだものとして、ハンカチ(1000円)とクリアファイル(300円)と絵葉書(100円)が。このうちハンカチ以外はたんなる図案化ではなくて、「いったん図案化したものを立体的に加工して、それを写真に撮ったもの」を刷り込んでいる。ただでさえポップなイラストが、よりキュートに。この冒涜感がたまらない。
カニ男は、2種類のイラストが用意されている。ひとつは水彩画でコドモが描画したかのようなゆるーい転記。もうひとつは、定規できっちりとデザインされた平面的なもの。どちらもハステルトーンで暖かに書かれている。ホンモノの威厳は微塵もカンジさせない。見事な破壊。これまたキュート。便箋(500円)・一筆せん(500円)・メモ帳(300円)・ハンドタオル(1000円)およびシール(300円)に起こされていた。…シール(;_;) 貼るのか。
他には、シカをあしらったもの、豊饒神(かな?)と闇の神(たぶん…)のおいかけっこシーンを回りにあしらった便箋がグーだった。
鹿のイヤリングを復刻したものとして、イヤリング、ピンバッジ、ネックレスがあった。どれも2000円程度。きちんとした復刻ではなくて、ポップな復刻。携帯ストラップもあった。うーむ。
王がネックレスにしていた《梟の頭》が、なんとペーパーウェイトになっていた。1800円。おもわず買おうと思ったが、予算が足りなくなるので止めた。
また、「伊万里の里 監修+完全指導」による壷の復刻があった^-^ やばーい、やばすぎる。
帰りに末広亭にいって小遊三を見ようとおもったら、今日は代打ちになっていた。12月11日は、小遊三が昼の部のトリを勤める部会の初日。初日に代打ちでいいのか? しかたがないので、そのまま新宿通りのほうに行き、途中にある喫茶バルコニーに入った。
ちゃんとサイフォンでいれるコーヒー屋さん。例によってブラジルを飲んだ。
今回書き留めたいのは、コーヒーじゃなくてジュースのほう。ERKさんがグレープフルーツジュースを頼んだら、なんか上半分が白濁したものがでてきた。一瞬「ミルクでも入れて、蛋白凝固させたのか」と思った。飲んでみると、下半分がふつうの果汁で、上半分は「果肉を凍らせたもの」(シャーベットにしたのか、ミキサーにかけたのか)であるようだ。ほんのすこしシロップが混ぜられている。あくまでも《ほのか》に押さえたシロップなので、「甘さと酸いさが混在した微妙なカンジ」が味わえる。−−かなり美味しかった。癖になるカンジだ。
(えーと、700円くらいだったかな)
(注:なお、果肉の部分はかなり原形をとどめていて、ところどころに実の袋や種まで混ざっていた。)
はた、と思った。
「Office酷似だけど、マクロっつーかVBAはどうなってるんだ?」
試してみると…なんと、VBA酷似のマクロが! 構文は全然わからないけど、Msgboxは起動できた^-^
(余談:その際の画面ダンプを用意した:サイズ24kbのJPEG)
11/30-02:00(17930:44290)、12/01-11:15(18000:44400)、12/02-19:30(18045:44520)、12/04-22:40(18090:44665)、12/05-23:30(18115:44740)。
日曜日、j-waveの朝(福の上達也氏)のとあるコーナーより。
店頭放送でBeckの新譜を聞く。Debora最高だ。前にラジオでチラッと聞いたときも感じたが、あれはPrinceのAdoreに匹敵するソウルバラードで、しかもファンキーでさえある。恐いくらいだ。他の曲も、総じてかなり「黒い」。うーむ、買うか…
先日、グルミットのぬいぐるみを見つけました。 てのひらサイズで、800円です。 あまりにカワイイので、つい買ってしまいました。
今年の真の流行語は「臨界」か「定説」だと皆が思っているに違いないが、これらのコトバはケシカランorヤバイので、流行語大賞は取れない。だからといって、1999年の流行語大賞を、「ブッチホン」とか「雑草」とか、おかしいものに取らせては困る。
そこで考えた。私家版流行語大賞。
「あーちーちー」
今年はヒロミGOセンセイの[ゴールドフィンガー2000]で決まりではないだろうか。流行ったぞ>あーちーちー。
(注)
後年読むときのために。
ラテンの若き帝王リッキー=マーティンの[living vida loca]を、郷ヒロミがカバーした。元曲とは無関係の日本語詞が付いている。原文の「living vida loca」
の部分を「燃えてるんだろうか」
などと当て、「upside inside out
」の部分を「あーちーちーあーちー」
と当てた。タイトルは[ゴールドフィンガー2000]。意味不明の極致のこの曲は、かなり売れた。
歌詞の引用はヤバイんだloca…
抱きしめて抱き寄せてダンシング イン ザ サン
あーちーちーあーちー
燃えてるんだろうか 感じてんだろうか 燃える指先で 君を人魚に 人魚にしたい 燃える指先で
(すべて耳聞き取り)
先日取材でお台場にいったとき、はじめて《ゆりかもめ》に乗った。海に浮かぶモノレール線。もっとも、海の上なのは一部だが…
ひとつひとつの車両が、すんごく小さい。席も狭い。
モノレール線のためか、すんごく急なカーブがあって、乗っていてキモチワルイ。
車両は自動運転らしい。車掌はいるのかな? ちなみに、行きに、新橋駅からはじめのカーブに差し掛かる直前くらいで、対向車両とすれ違った。帰りにも、ちょうど同じ場所で、やはり対向車両とすれ違った。これは自動運転のなせる技? なんかキモチワルイ…
そういえば、途中で、(普通の自動車が走る)道路を左右に擁する部分があった。窓を開けて手を伸ばしたら届くような位置を自動車が走っている。なんかキモチワルイ…
はじめてだからか、違和感ばかりが先走ってしまった。ちなみに、騒音がすんごく静かだと思う。これは利点だね。
後藤理佐のヒューレットパッカードのCMで愕然。
(「”」を中途半端な濁音とイメージしてください)
みんな、年賀状作った? というわけで、後藤理佐です。 理佐はパソコンで作ったんですよ、ねんがじょ。
でも”、カラープリンターも”って”ないの”ー。
う”あ”ー、凄いプリンターが欲しィよー。
うわ、こんなキャラだったんだ…ポカリスエットのCMポスターなぞをみた限りでは、おとなしそうなおんなのこだと思ったんだけどなあ…なんてバカっぽい喋りかたなんだろう。でも、芸風としては、篠原ともえには勝てないぞ…
東京都の「差別は止めよう」CM。
先入観の無い子供は、心の壁を作りません。
同和地区出身だからといって、外国人だからといって、女性だからといって、就職時や結婚時にいわれの無い差別をしたり、身元調査したりすることは止めてください。
(前半の文句に対して)なんだそりゃ。「コドモは天使」かよ。コドモだって、残酷な偏見で相手を傷付けられるだろ。下手すると、それがどんなに悪いことかなんて意識せず、面白いからというだけの理由で、何か(モノだけじゃなくて、精神とか信頼とか)を平気で破壊できるぞ。
リポビタンD、あいかわらずハイセンス。寸劇のぐっだらないギャグを連発。大好き。
(会合)
女「あたし、料理するとき、フライパンに“ファイト一発!”って声かけるんだ。心なしか、料理が美味しくなるの。」
一同「へー(感心する)」
男「おれ、クレジットカードにいつも“ファイト一発!”って声かけるんだ。心なしか、残高が増えてるね。」
一同「おいおい!(つっこみ)」
(手紙)
女「あたし、手紙書くとき、ボールペンに“ファイト一発!”って声かけるんだ。心なしか、字が奇麗になるの。」
一同「へー(感心する)」
男「おれ、手紙出すときにいつも“ファイト一発!”って声かけるんだ。心なしか、速達よりも速く届くね。」
一同「おいおい!(つっこみ)」
(サッカー)
衛星放送か何かでサッカーの放送を見ている(らしい)。電波状態が悪くなり、音がかすれるようになる。
男1「あれ、電波おかしい… 叩いても直んねえや」
男2「違う違う、こういうときはさ、“ファイト! 一発!”」
TVらしきもの「日本チーム、ゴーーーーール!」(わー、と歓声)
男1「すげえ、点まで入っちまった」
J-PHONE、あいかわらずセンスの悪いCMが続く。ドラマ風演出なのに、男も女もセリフ棒読み(;_;)
WIN98とLinux上でStarOfficeを触りました。
(余談:こんどはCorel Linuxに触りたいなあ。OSインストール段階からInstallShieldで、Corel Office(WordPerfect系)付きの予定なんだよねー。かなり楽しめそうだ。といっても、僕自身はいらないんだけど>Office系。)
Winでは、シェルExplorerとタスクバーをのっとって、 独自シェルを走らせます。
NetworkComputerっぽい[全画面ウィンドウのみ]な表示で、
です。
(画面ダンプを撮れば良かった…)
Linux上では、全画面ウィンドウがひとつ開いて、 その中でタスクバーなどを再現します。統合環境も含め、ルックスはWindows上のものと完全に同一です。それがいいかどうかは別として、たぶんSUNの狙いとしてはこれでグーなのでしょう。
Linux用のStarOfficeは、ひとつのtarファイル(tar+gzipではない)として配布されています。これを展開すると、binのなかに「setup.exe」相当のファイルが。実行するとInstallShieldと酷似のものが動いて、
~user/Office51
というディレクトリに
バイナリをインストールします。うーむ。
(注:実際には、実行bitの立ったファイル[setup]…以降、setup*と表記)
インストール後のディレクトリにもbinがあり、setup*とsoffice*があります。soffice*がStarOfficeキッカー。setup*は「再セットアップ」^-^ コンポーネントの追加やdeinstallを選択できます。
(余談)
試した範囲では、StarOfficeはマルチユーザに対応していないようでした。setup*を実行したユーザしか動かせません。
/usr/local/bin
などに入れてパーミッションを解放しても、
「setup*を実行したユーザの環境」(ファイルなどの状態)しか
再現できません。
同じマシンで複数ユーザがStarOfficeを使いたければ、
皆が各ディレクトリにバイナリを入れるのか?
うーむ。
たんに設定方法がわからなかっただけだとは思うけど…