【自己顕示録】


2001年8月前半


8/13

/築地とインド/

休暇。銀座シネパトスに[バーシャ]を見に行く。手持ちの地図を見ていたら、ちょっといったところに[築地本願寺]があるではないか。上演時間の都合で、まず築地でメシを食うことにした。

*築地場外市場*

11:30ごろ到着。はじめて来たんで、どのへんに名店があるのか分からないので、適当にブラブラ。なぜかラーメンのお店で行列があるのがいくつか。築地とラーメンにどういう関係が? 出汁が美味しいのか?

市場独特の猥雑感を期待していたんだが、客が(私も含めて)食事屋目当てが大半であるせいか、いまいち賑わってない気がする。築地の本番は朝だから、こんなもんなのか?>昼 

無数にあるお店の中で、乾物屋がよい香りをさせていて嬉しかった。また、マグロのカシラ(カブト)がゴロゴロと並んでいる様は圧巻。なぜか1店だけ白狼の剥製を置いている店があった。

…映画が始まってしまうので、バタバタとメシを食べて移動。途中で歌舞伎座を眺めつつ、シネパトスへ。

*築地本願寺*

帰りに、築地本願寺に寄る。お寺を想像していたのだが、なぜか西洋風の建物だ。門番も、仁王や唐犬ではなく、羽のあるライオン。−−資料によると、西本願寺の別館で、大正に焼け落ち、唱和9年に新印度様式の寺院として再建だそうな。
ライオン? 塔

(余談:美術館でも同じように思うが、インド/ペルシャの建物や彫刻を見ると、私は西洋だと感じる。なぜなんだろう。)

/バーシャ! 踊る夕陽のビックボス/

バーシャ! 公式サイト

ラジーニ主演の映画。インドのスーパースター。[ムトゥ 踊るマハラジャ]で日本でもブームになった。私は見るのは初めて。

12:10の回を観た。客層は、大学生から老人までバラバラ。

*ストーリー*

内容だが。「インド映画は歌と踊りのシーンが中心」と聞かされていたのだが、思っていたよりもちゃんとストーリーがあった。

マニラクはナイスガイ

リクシャー(タクシー)の運転手のマニラクは、非常に気前のよいナイスガイ@マドラス。近所の仲間のピンチに駆けつけ、金難にルピーを出し、兄弟の就職や進学に心身を砕く。マニラクは、父の遺影に誓う。弟を警察官に、妹1を医者に、妹2を幸福な花嫁に。

(挿入:リクシャーのダンス)(タイトルは私が勝手につけた)

マニラクの過去と家族

弟の最終面接時に、警察署長が書類を見て驚く。父と兄の名に覚えがあるようだ(BGM効果が最高!)。呼び出されるマニラクにも心当たりがあるらしい(スローモーション効果が最高!)。−−差し込まれるネガ映像。グラサンとスーツのマニラク。ギャング集団。マシンガンを連射。新聞記事「ボンベイの密輸王バーシャ 死亡」−−マニラクは署長に「弟をよろしく」と挨拶し、去る。

妹1の最終面接時に、校長は「授業料を払えないなら」と性交渉を暗に迫る。そのことを知ったマニラクは校長室に乗り込み、人払いをする。

「俺はマニラクだが、もう1つ名前がある」

外の部屋からは中の様子はわからない。だが、校長は深く感銘を受け、妹1の入学を喜んで受け入れる。

「覚えておけ。俺が1度言ったなら、それは100度言ったのと同じだ。」

妹2は、地元の貴族の息子と恋に落ちていた。はじめ貴族の父親は貧乏人をあざ笑っていたが、マニラクら一家の熱い義侠心を見て、婚姻を受け入れることにした。

ヒロイン

マニラクは、とある商業富豪の娘をリクシャーに乗せる。娘はマニラクに恋に落ちる。何を見てもマニラクに見えるという入れ込みよう。

(挿入:何もかもがあなたに)

商業富豪は密輸犯罪を犯していた。一度は、娘が乗ったリクシャーにその証拠を落としたと思い込み、マニラクのリクシャーを解体しにやってきた。−−しかし、マニラクは怒らず、なすがまま。「貧乏人は、こういう仕打ちになれてるのさ」

ところが、マニラクとその仲間は、実は富豪の顔に見覚えがあった。−−挿入されるギャングの打ち合い−−暗黙の了解で、一同はこの娘とかかわらないことを決めた。娘はマニラクに愛を告白するが、マニラクはやんわりと断る。

(挿入:あなたとキスを)

耐えるマニラク、怒るマニラク

警官になった弟は、地方の支配者的ヤクザと揉める。小売に高い場所代などを請求していたためだ。だが、1人の警官とヤクザ集団では、力に差がありすぎる。あわやリンチというところで、マニラクが身代わりを申し出る。マニラクは、柱に縛り付けられ、一方的に殴打される。どんなに殴られても、目で仲間に静止を呼びかける。−−だが、ガマンできなかった弟は、ヤクザの逮捕状を取る。

ヤクザの実力は予想以上で、数日で釈放され、家族に報復を始める。妹が傷つけられたのを見たマニラクは、ついに怒る。怒涛の体術で一行をねじ伏せ、ヤクザの棟梁を(己がやられたように)柱に縛りつけ、殴打を加える。

弟は、兄のあまりの変わりように驚く。「兄さんは、本当は誰なんだい? 僕は兄さんを逮捕しなきゃいけないのかい?」 母は、そんな弟を叱りつける。

バーシャ

長い回想シーンが始まる。

かつて、ボンペイはマフィア《アントニー》に恐怖支配されていた。マニラクの父は、そのグループの一員だった。しかし、マニラクと親友Aは、アントニーのやりかたに猛反対していた。やがて親友Aは殺され、それをきっかけにマニラクは自らギャングの世界に見を落とす。名前を《バーシャ》と変えて。

(挿入:人生は8で回る)

数々の対立の結果、バーシャはじわじわと市民・警察・マスコミの指示を取り付ける。追い詰められたアントニーは自らテロ活動に入るが、その模様の写真を新聞に掲載され、ついに逃げようも無く逮捕に至る。−−そのさい、執事は裏切って逃げ、またマニラクの父はアントニーによって殺される。

《アントニーを失脚させる》という目的を達成したマニラクは、新聞に「バーシャの死」を報道させる。残りの人生は、父の遺言を成就させるために捧げる。

バーシャ再び

商人富豪(先の裏切り執事だ)は、自分の息のかかった若者と娘を結婚させようと強制する。娘はマニラクにその旨を訴える。悩んだ末、マニラクは結婚式会場に乗り込み、花嫁を奪う。−−その際、富豪はマニラクがバーシャだと気づく。

その情報は、牢獄にいたアントニーにも伝わる。アントニーは脱獄し、マニラクに復讐を試みる。家族がさらわれた。−−激したマニラクは、久々にバーシャに戻る。同じころ、弟も警察の資料で真実に気づく。

激闘(魅惑のアクションシーン)の結果、マニラクは家族の救出に成功し、アントニーにとどめを刺しかける。だが、長官の「君はもうバーシャじゃない、ただのマニラクだ!」の声で我に帰る。

「悪党に惚れる女はいないよな」と、マニラクは富豪の娘の元を去ろうとする。それでも、娘はマニラクを選ぶのだった。

*ダンス! *

映画の数箇所で、ダンスシーンが挿入される。ミュージカルシーンというか、音楽プロモーションビデオみたいなものだ。本編とは内容的にも登場人物的にも無関係のシーンとなる。

基本的には群集ダンス。男性軍と女性軍が入り乱れながら、マイケル=ジャクソンのプロモビデオ並にハデにダンスを繰り広げつつ、マニラクがPrince並みのヒーロー扱いを受ける。ひとつの歌のなかで何度も衣装替えがあり、小道具も満載で、非常に楽しい。

(−−実際には、「一糸乱れぬ」というわけじゃなくて、集団のポーズはかなり大味にズレている。それがまたいい感じだ。)

最初の[リクシャーのダンス]は、お約束のタオルを使ったポーズも満載。−−音楽は、激しいタブラなどの3拍子リズムの上に、シンセとギターのロックな演奏。インドなメロディを激しい男性ボーカルが歌う。マジでカッコイイす。

次の[何もかもがあなたに]は、富豪の娘が見た白昼夢になっている。「町を歩いていると、何もかもがマニラクに見える」というもの。そのため、マニラク(ラジーニ)がさまざまな衣装で登場する。ホテルのドアマン、給仕、ドアマン、バスの運転手、交通整理の警察官、待ち行くオッサン、などなど。−−音楽上の《合いの手》役として、女子学生の集団が登場する。合いの手パートになると唐突に学生集団の映像が挿入されて、なかなかテンポがあって楽しい。

音楽は、メロにインド感を携えた16beatバラードだ。この女性、歌も上手い。−−音楽としては、上記の2曲が飛びぬけて秀逸。

*アクション*

ポーズの決め方、およびその際の効果音がカッコイイ。香港映画のイメージ。

:キメのセリフ「俺が1度言ったら」を言う際には、顔の横に手を持ってきて、1本指を立てる。この際、風を切る音(バシュッ!)が鳴る。

*感想*

イキオイがあって面白い。観るべき映画だ。

ただし、家庭用TVで十分かも。−−画質はそれほど良くないし、キレは悪い。カメラワークが悪くて目がチカチカするシーンもあるし、合成が適当なので違和感あふれるシーンはいっぱい…

あと、いくらなんでも2時間半は長すぎだと思う。1曲カットし、全体を少しずつカットして、なんとか2時間にまとまらなかったものか。−−だが、この過剰さこそがインド映画なんだろうなあ。

/今週の誤変換/

埋めよ増やせよ

プラマイゼロ。循環?


8/12

/13回忌:三福vs宮田楼、another brick of the wall/

*なれそめ*

私が高校1年の8月、母方と父方の祖父が立て続けに死去した。体育祭の準備でデコレーションを作っていたのだが、葬式で抜けなければいけなかった。

「おいおい角、また親戚殺したのか?」

(いや、マジなんだが…)

というわけで、12日に父方、19日に母方の13回忌だ。バラけて2回も帰郷か…

*ウナギ食べ比べ*

12:00に名古屋着。

今回の野望は、大須のウナギ名店[宮田楼]に行くこと。といっても夏は1年で一番ウナギの不味い時期なので、これだけで評価するのは失敗の可能性がある。そこで、行きつけの名店[三福]と食べ比べてみることにした。

まずは昼に[三福]でうな丼。しっかり焼けていて香ばしいのだが、身に歯ごたえが足りなくて、硬い部分がある。夏はまあこんなもんか。

夕方19:00に、大須[宮田楼]で、またうな丼。名物のジャンボ丼を考えていたのだが、本当に巨大どんぶり(ラーメンどんぶりよりデカい!)だったので、パス。

味だが。皮は微妙にパリっとしているが、身に歯ごたえはまったくなし、というか柔らかい。ひょっとしたら蒸しているかも(東京風)。タレは相対的に辛めな甘辛ダレ。歯ざわりはちょっと気に入らないのだが、ご飯といっしょに食べると(ウナギは溶けるように消えてしまうのだが)美味しい。

ちうことは、長焼きで楽しむなら三福、まぶしで食べるなら宮田楼かな?

*バナナレコード*

昼のあいだは、栄〜大須の中古レコード屋を徘徊していた。といっても、ほとんどがバナナレコード。並んでいる商品は変動しているが、空気感は昔のまま。ノスタルジー!

*ネコ*

20:00ごろ自宅近くの駅に着く。 途中でクロネコを発見。ちうわけで猫写真010812。

*天候*

11日の23:30から、唐突に大雨 w/ 雷。12日07:00でもまったく衰えていない。TVが「大雨洪水警報」と叫んでいる。さすが雨男>俺。どうなる>三重行き(祖父の墓は三重にある)。

と思っていたら、08:00に前触れ無く止んだ。どうも親戚には晴男のほうが多いようだ。

*another brick of the wall*

親戚12人が集まり、マイクロバスを借りて、一路三重へ。09:00発、11:30着。遠い…

集合墓地を見ていたら、必然的にフレーズが出てきた。another brick of the wall。邦題は[人間なんて]であってほしい。ららーらーららら らーらー。

*田楽*

一行が帰宅すると16:30。私はあわただしく東京駅へ。思いのほか新幹線は空いていて、かんたんに座席を指定できた。

空いている時間に食事。ネタとしてスガキヤに行こうかと思ったのだが、テルミナ7Fに行ったら田楽[鈴の屋]があったので、こちらに変更。

《初音》セットを頼む。串の田楽として、豆腐・コンニャク・里芋。赤味噌と溶き出汁の絶妙なハーモニーに感涙。愛知県民でよかった。付け合せのおぼろ豆腐もそうめんも美味しい。テーブル備え付けの諸味も美味しい。

−−高校生の時は、こういうモノの味がぜんぜん分からなかった。いまの味覚になれてよかった。

(田楽食べたの何年ぶりだろう? 少なくとも4年か。)


8/5

/クレヨンしんちゃん[嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲]/

2001年春公開の作品。各所で傑作と褒められており、「今年最高峰の日本映画」とも。本公開時は見逃したが、このたび下高井戸シネマで8/4〜8/10の短期特別モーニングショーとして上演されたため、足を運んだ。

結論としては、噂は正しかった。オープニングからエンディングまでストーリーに心つかまれっぱなし。テンポよくストーリーが進み、笑いどころあり、泣き所あり。見事です。

後半では、3度も泣いてしまった。お涙ちょうだい系で作られているので泣いて当然なのだが、それにしてもよくできていると思う。

*ストーリー*

ストーリーは、(非オフィシャルだが)[クレヨンしんちゃんデータベース]が詳しい。ごく大雑把にまとめると…

2001年春、テーマパーク《20世紀博》が設立される。大人たちは懐かしさに日々通いつめる。ところがこれは、未来に退廃を感じた組織による陰謀だった。組織のボスであるケン曰く…

「かつての夢のあった21世紀は死んだ。世界は20世紀でストップするべきだ。」

(余談:ケンですが、非常に低い渋いよい声です。声優はevangerionの碇ゲンドウと同一? 最初の登場時は、例の「顔の前で手を組み合わせる」ポーズをやってました。)

この組織による精神操作(香りによる意識操作)によって、オトナはみな20世紀の甘い夢の中に閉じこもり、追憶の中だけで生きてしまう。子供の世話をしないばかりか、その存在を忘れてしまう。

見捨てられておびえる子供たちのもとに、ラジオから放送が届く。

「大人たちはみな20世紀に戻った。君たちの未来は遮断された。もう時間は進まない。」

多くの子供たちも収容されてしまうが、しんのすけら一行は抵抗する。ところがなんと、その一行を捕まえるために派遣された要員は、ヒロシ、 みさえ 、そして保育園の先生たち。信頼する大人たちに追いまわされつつも、子供たちは懸命に抵抗する。

はたして、春日部に平和は戻るのか。子供のもとに、家族は戻るのか。そして、未来は。

*お涙ちょうだいピックアップ*

この映画のストーリー展開は非常にテンポがよく、小さなエピソードが満載で、小気味がいい。笑ったりワクワクしたりするシーンは無数にあるのだが、それでも全体を覆うムードは《悲しみ》だと思う。オトナの過去への追憶と、支えを失った子供の悲嘆。そして、未来への希望(これだって悲しい!)。

今回はあえて、私が泣いたシーンだけを書き出しておく。

恋人の色

ケンは、《20世紀博》敷地内に、夕暮れの街を作り上げていた。30年代を模した(?)町で、市場は活気にあふれ、TVはカラーと白黒の境目で、子供たちが(オトナなんだが…)電気店のまえで力道山の活躍を見つめている。まだ家庭にエアコンは行き渡っておらず、窓を開けて冷を取り込む。

この半セピアの世界を描く際に、BGMとして[白い色は恋人の色]が流れる。音はこの音楽しか鳴らず、画面のなかではセリフなく人間生活が描かれる。

−−この音楽の圧倒的な美しさは、人を泣かす力を十分に持っている。

とおちゃん、どうしたの?

組織の暗示によって、オトナがオトナでなくなってしまう。ただそれだけならばいいが、父親が父親でなくなり、母親が母親でなくなってしまうのだ。これが子供に与える恐怖心は、計り知れない。

しんのすけは、ヒロシと みさえ が家の中でゴロゴロするしかなくなったのをみて、恐怖と怒りを覚える。

みさえ 、お菓子ばっかり食べるな、料理しろ! ヒロシ、遊んでないで、会社いけ! 満員電車に乗ったり、会議したり、接待したり!

…とおちゃん、どうしたの? 今日は会社休みじゃないよね…

−−うろたえるしんのすけに向かって、2人は「うるさい」としか答えない。

後に、組織の先導するトラックによって、大人たちは連れ去られてしまう。しんのすけは、ひまわりを背負ったまま、慌てて追いかける。

どおちゃん、どこ行くの? 行かないで、オラといっしょにいて。とおちゃん、かあちゃん、せめて返事をして!

その後、抵抗するしんのすけ一行を制圧するために、組織はなんとヒロシとみさえ、さらには保育園の先生らを向かわせる。子供たちは、逃げ惑う中でようやく信頼する大人たちにめぐり合ったと思ったら、彼らは「ガキはここにいたぞ!」などと叫びだす。

−−しんのすけたちは気丈に抵抗・応戦していたが、私だったら悲嘆に暮れて自殺すると思う。

月の石

追憶の中で、ヒロシは大阪万博にいる。大量の人が月の石パビリオンに並び、3時間待ちだという。ヒロシの父は、「3時間も待って石を見るなんて、時間がもったいない」と去ってしまう。

だが、ヒロシにとってはそうじゃない。肩を震わせ、声無くすすりなく。

ただの石じゃないよ。アポロせっかく月に行って取ってきた石なんだよ!

−−子供が大切にしている思いを、オトナは気づけないことがある。だが、そんな自分も、オトナになったとき、やはり自分の子供が大切にしているものを思わず知らず踏みにじにってしまうものなのだろうか。

追憶はあくまでも美しい。その中では、世界は自分のものになる。でもそれは現実じゃない。だからこそ、追憶は悲しい。−−だてに組織名は《イエスタデイ=ワンス=モア》じゃない。

父の記憶

その大阪万博の追憶に沈むヒロシのもとに、しんのすけがやってくる。しんのすけは懸命に「とおちゃん!」と呼びかけるが、子供になっているヒロシには理解不能の状態だ。

だが、ケンの《20世紀の香り》という言葉を思い出し、しんのすけは《現在の香り》を探す。−−ヒロシの靴の香りだ! あの強烈な臭さは、現代の象徴そのものではないか!

この香りをかがされたヒロシは、幼少から現在までの記憶をいっきに体験する。−−父に連れられた幼少時代から始まり、やがて自転車に乗れるようになり、高校で初恋をし、はじめて失恋し、やがて就職する。先輩に指導され、 みさえ と出会い、結婚し、ついに しんのすけが生まれる。取引先にイヤミを言われたり、上司になじられたり、残業したり。つらい日々。だが、帰宅すると、愛する妻と子供たちがいる。笑顔のある家庭。

(やはりこのシーンも音楽のみで、セリフは一切ない。この追憶は、しんのすけの言葉によって破られる。)

「とおちゃん、オラのこと、わかる?

ヒロシは、深い追憶に涙を流しながら、何も言わずしんのすけを強く抱き寄せる。後ろにいた ひまわりもヒロシのもとに寄る。

−−子供の存在によって、大人は追憶から現実に戻るわけよ。辛くても耐えて未来に進もうと思うわけよ。日本映画としては最高の演出だと思うっす。

行動しろ!

復帰した野原一家を、ケンは自宅に案内する。夕暮れ商店街の一角の、狭いアパート。自分たちの計画の意図と、今後の予定について話す。−−捕らえた大人の意識によって、香りエネルギーはMAXに達した。あとは、香り拡散装置のオンにして、世界中を追憶の渦に巻き込む。

止めさせようと説得しようとするヒロシに、ケンはいう。

未来を取り戻したければ、行動しろ。自分たちの手で勝ち取ってみろ。早くしないと、また香りの力がやってくるぞ。

野原家族は、装置(タワーの天辺)へと駆け出す。それを窓から見ながら、ケンとその妻は会話する。

妻「そんなことをさせて、ほんとうにいいの?」
ケン「…最近、駆けてないよな」−−(賭けて?)

このシーンで、本当はケンも未来に掛けてみたいのだと感じた。

くだらない人生なんかじゃない!

数々の障害を乗り越え、野原一家は塔の中間までたどり着く。彼らは、「エレベーターを止められると困るから」というヒロシの発案で、階段を駆け上がっていた。

しかし、ケンはエレベーターで彼らを追い抜く。途中でエレベーターを止め、一家を迎えとめる。−−「こちら側にくるつもりはないか?」「あるもんか! 俺たちは家族のいる未来を目指すんだ」「くだらない人生だな」

ヒロシは叫ぶ。

俺の人生は、くだらなくなんかない! 妻がいて、子供がいる。この幸せを、お前にも分けてやりたいくらいだぜ。
オラはオトナになりたい!

その後も抵抗は続く。ザコを押さえつけるため、ヒロシが、 みさえ が、ヒマが、そしてシロまでが犠牲になって食い止める。しんのすけは一人会談を駆け上がる。

ちょうど屋上で、エレベーターに追いついた。いまにもスイッチを押そうとするケンの足にしがみつき、抵抗する。ふりほどかれても、何度でもしがみつく。

ケンは、香り拡散マシンのメーターが0に近づいていることに気づいた。−−野原一家の行動はTVカメラによって報道されており、夕暮れの街の住民に配信されていた。香りの元である彼ら自身が、野原一家をみて、ふたたび未来に心を動かしたのだろう。

ケンの妻がいう。どうして? 未来なんて、もう希望もなにもないのに…」−−疑問はオトナたちに向けられたものだったのかもしれないが、しんのすけは倒れたまま答える。

オラ、とおちゃんたちがいないなんてヤダから! とおちゃんと、かあちゃんと、ひまわりと、シロと、 みんなで過ごして、ケンカしながらでもいっしょにいたから。

それに、オラ、オトナになりたいから! 大人になって、おねえさんみたいに綺麗なひとと、いっぱいお付き合いしたいから!

エンディング

ケンと妻は見合わせ、自分たちの負けを悟る。

塔から飛び降りようとするのだが、その寸前に目の前に鳩が飛び出し、タイミングを逸する。鳩は、自分たちの巣を守るために、そこに近づいた2人を攻撃したのだ。「また家族に教えられたな」と、2人は生きる決意をする。

オトナは開放され、ようやく家族が家族に戻る。ヒロシと みさえ が、家に向かって「ただいま」。しんのすけは、「おかえり」。

−−しんのすけはいつも帰宅時に「おかえり」と逆を言うのだが、このシーンではそれが「とおちゃんとかあちゃんが ようやく帰ってきたね」という意味に聞こえるようになっている。


(余談)

驚くべきことに、終了後に帰る少年たちが、「笑いすぎてハラが痛い」なぞと言い合っていた。

子供は、この映画を見て、純粋に笑うのだろうか。それとも、照れ隠しのため、間違っても「泣いた」なんていえないのだろうか。


*オープニング=ソング*

音楽は、「ダメダメのうた」という非常に良質でアグレッシブなラップ。リズムもさることながら、猛スピードで「ダメダメダメダメ」と連呼するさまは強烈な破壊感だ。

ここだけクレイ=アニメになっていた。リング上で、しんちゃんと[ぶりぶりざえもん]がプロレス風のドタバタを繰り広げる。


8/4

/tim burton[the planet of the apes 猿の惑星]/

*全体*

SF映画の古典である[猿の惑星]をモチーフにし、別の作品としてtim burtonが練り直したもの。timいわくre-imaginationだそうな。CG/SFXではなくて特殊メイクで猿の表情を作り上げるというこだわりよう。

事前の評判が悪かったのだが、私は見て快作だと感じた。ストーリーの流れを細かく追ったらおかしな点だらけなのだが、本作で楽しむべき点はそんなところじゃないだろう。

全編を通して、猿の動きがすごい。表情が豊かで、派手なアクション=ワーク。暴力描写のイキオイのよさ! 跳ね飛びまわり、腕を振り回し、殴り、叫び、唾を吐く。これだけそろっていれば、十分に見る価値のある映画だ。

猿がつけている鎧もカッコいい。[武将に引き連れられて進軍する無数の猿]は、けっこう惚れる情景だと思う。

*猿たち*

猿たちは、人間のような言語文化・社会を持つように描画されているが、細かいところに猿の習性が取り込まれていて、その違いに戸惑う。−−唐突に興奮して暴力的になったり、飛び上がったり、胸を叩いて威嚇したり。手で天井をつまんで移動しながら、非常に哲学的な議論を交わしたり。

(この《胸を叩く》は猿文化において根深いもののようで、セード将軍のセリフに「この件を議会に報告すれば、みな胸を叩いて俺を支持するだろう」というのがあった。)

一番おもしろかったのは、1回1瞬だけ出てくる性描写だ。

−−猿の求愛ってこんなんだっけ。たぶん、そうなんだろう。

*ストーリー*

長いので分離


8/3

/非日常@新宿マンガ喫茶/

木曜日夜、新宿のマンガ喫茶[ゲラゲラ]にて、21:00ごろ。

*でくわした事象*

階段のほうから、「もう吐く」「あと少しだからがんばって」と声がする。ちょうど階段近くの席にいたので、ふと そちらをみた。サラリーマン姿のオッサンAに背負われて、泥酔の女性Bが1人が連れ込まれる。それとは他に、白YシャツとネクタイのオッサンCと、黒いワンピースの女性Dがいる。

背負われた女性Bの衣服がおかしい。女性Dのほうがカバンで懸命にBの腰を隠している。好奇心で眺めてみると、Bはストッキングと下着のみの出で立ちだ。上着(緑のジャケット)の裾が長いので丸出しというわけではないが、太もも以下丸出しは否めない。−−靴はオッサンCが手にしていた。

ゲラゲラのトイレは、席の一番奥にある。一向は、いったん真ん中あたりの席に座り込んだ。

しばらくすると、店内にあえぎ声が響き渡る。酔って気分が悪い感じではなく、あからさまに性的なものだ。私の席の近くの女性2人組みが、「AVのテープとか流れてるの?」とヒソヒソ話し合っている。場の空気が微妙にザラついてくる。−−奥のほうを覗き込んでみると、ようやく男性ACが女性Bをトイレに担ぎこむところのようだ。かなりの人間が注視する。

その後しばらく、女性はトイレから出てこなかった。男性A/Cと女性Dが、入れ替わり立ち代りで店外に出ては戻ってくる。携帯電話で数箇所と連絡を取っているらしい。無関係の女性がトイレに行き、あとで友人と「あのひと、まだ中にいたよ」などと囁きあっていた。

30分くらいしたところで、一向は女性Bを背負ったまた店を出て行った。Bが泣きながら叫ぶ。例によって下半身ほぼ丸出しで。

B「なによ、私よりXさんのほうがよかったんでしょ うわー」
A「いいから、落ち着いて」

B「うー 私なんて、もうダメなんだから」
C「大丈夫、こんなに飲んだら、誰だってダメになって当たり前だから」

−−別に酔っ払ったB級芸能人とマネージャーってな訳じゃないと思う。ただの一般人。

*感想*

そんな一行がいるというのも、それを店内に入れる店員というのも、入られても騒ぎもせずに見守る群集というのも、全体によくできた街だと思う>新宿。というか、不感症なんだろうな>俺を含めて





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