2001年4月1日、メディアファクトリー
1巻に引き続き、かなり好印象。一時期の停滞はどこへやら。絵もストーリーも復活。
なぜか総扉のイラストが初期のアタゴオル物語のカットだね。テンプラ君が少女のようなフサフサの髪の毛をしていて、目もクリクリでかわいい。
2度目の登場の傘屋さん。「傘が人を選ぶ」とは、いかにもアタゴオル。ここでヒデヨシは幻の傘[雨ノ尾ッポ]の種を授かるのだが、それをマニアに売りつけようとしたり、栄養と称して沸騰させたマグロ汁を掛けたりと、実に奔放。すばらしい。
今回は、アタゴオルには珍しく2段でオチをつける。
「(前ページ)激しい雨の日は どこにもでられない/でも この傘なら(改ページ)会いたい人に 会いにいける」
脇だが、子機を発見してから操作するまでのあいだ、唐揚げ丸さんが口を手で押さえて声を出さないようにしながら、「欲しい!」と悶絶しているのがかわいい。
ヒデヨシの無意識から郷里の記憶を取り出し、それで湖の水を氷に替える。その氷で作ったかき氷を食べると、誰もが郷里を思い出し、胸の中にひそやかな悲しみを覚え、同時に全身に冷気が行き渡る。
かき氷によって、「もし子供のころから精一杯努力していたら辿り着いたはずの姿」が氷像として浮かび上がる
というアイディアがすばらしい。さらに、ヒデヨシだけが今のヒデヨシのままなのも、見事な設定だ。
脇だが、沼ぞこの唐揚げ丸のお店で、ごく久々に散髪シーンがある。本職をみるのはどれくらいぶりだろう。その散髪の見開きシーンで、ヒデ丸がハンマーを持って待機しているのも見逃せない。長年読んでいる読者にしかわからない設定を出してくるとは、演出家として心憎いねえ。
(補足:唐揚げ丸はバイオリンの名手であるだけでなく、その旋律でカニをコントロールできる。唐揚げ丸の散髪は、カニを使った散髪だ。ところが、彼の本性の芸術化魂が災いして、まれに散髪中だということを忘れて旋律に集中してしまうことがある。そんなときのために、助手のヒデ丸が控えている。ガツンとハンマーで殴って、正気に戻すのだ。唐揚げ丸は深いルナティックのため、それくらいの刺激でないと戻ってこれない。)
情報を視覚化するキノコ。われわれは、ふだん要らない情報に絡み疲れ、踊らされている、解放するべし。解放されるべし。何者にも縛られないものだけが、大地や雲の声を聞くことができる。
話やオチは浅いが、頭脳キノコの描画がかっこいい。襲いくる情報は本当に怖いし、襲われっぱなしの新聞記者をテンプラが冷ややかに眺めているのも怖い。
脇だが、イントロがすばらしい。新聞記者が外部からパンツ君を訪ねてやって来るのだが、その彼に向かってヒデヨシ。
パンツの家なら、おととい火事でボーボー焼けて無いぜ。(焦り顔で)こんがりと焼き猫になってしまったのよォ!
このお話、変だね。前半と後半がつながらない。なぜ月光ドングリがヒデヨシの言うことを聞くようになったのか、そのきっかけすら語られない。−−理屈が語られないのは いつものことだからいいとして。
描画としては。ヒデヨシが花をおちょくっている間に、生命線であるタイコを落とし、結局襲われるシーン。ヒデヨシの性格を見事に書ききっていて嬉しい。−−設定説明:その花は毒花だが胞子が薬で、タイコのリズムを聞かせている間だけ毒性が消える。
「雨ノ尾ッポ」とこの「移ろい」が、抜群に傑作だと思う。
「木々から抜き取った不思議なマッチで、木々を燃やして紅葉させる」
、この描画は下手すると全アタゴオル中で一番美しいかもしれない。この見開きシーンでの巨大テンプラが目を閉じているのもグーだ。燃えるマッチを手に、非常に得意そう。
その金の実を、大晦日の日暮れ後にカマクラに差し込むと、雪の造詣が今年1年の思い出を再現する。小粒ながらもきれいな作品だ。
脇だが。「スミレ式カマクラ作り」と称して、人の作ったカマクラを乗っ取るヒデヨシは、実にヒデヨシだ。
本筋はけっこうどうでもいいのだが。
ヒデヨシが、パンツの家に入り込み、ベッドにもぐりこんだまま、本を読んでくれとパンツにせがむ。かなりかわいい。ついでに、そのわきにある猫正宗のラベルが、いつもよりかわいい。
唐揚げ丸さん、壊れてるなあ…カメですか。まあ、秘密の趣味のある人間は珍しくないし、それが人に見せられない恥ずかしいことだっつーのも珍しくない。恥ずかしいことだからこそ、その隠匿性が非日常でいいんだろうな。
本筋のほうは。それほど面白くないのだが。オチだけ妙に秀逸だ。よくできた落語みたいだ。憑りつかれたのかついたのか。ここで一杯お茶がこわいのか。
2000年4月21日、創元SF文庫
アイザック=アシモフの中篇を原作に、ロバート=シルヴァーバーグが長編化。2000年には、ロビン=ウィリアムス主演で映画にもなった。
アンドリューは家政用ロボットだが、偶然にも芸術にも似た感性を取得していた。理解ある家人らに恵まれるうち、いつしか自らの自由を確保したいと思うようになる。その後、長年の経験と思考成長を経て、物理的にも法律的にもどこまでも《人間》たろうとした。多数の人間の生理的・論理的反発に合うが、アンドリューは最後に自らに老化と死を導入することにより、死の当日に人間として承認される。
この小説は、完全にアシモフ作品として味わえる。翻訳を経ていることもあるだろうが、ストーリー展開のクセも論理のクセも、すべてアシモフ節に忠実だ。悪い点(善悪観念が単純、すぐ弁護士が出てきて弁を振るう、しかもその弁がいまいち説得力がないにもかかわらず通る、など)までも取り込んでいる。
解説いわく、「アシモフはストーリー=テラーであり、シルヴァーバーグはノベリスト」
とのこと。この表現は当を得ている。アシモフの表現は、正直それほどうまくない。だから、あまり長編を楽しめたためしがない。ただ、コアのアイディアと裏づけの知識がすばらしいので、読む価値がある。本書は、見事なノベリストによって補完された、本物よりもアシモフっぽい長編だといえよう。
最初の展開部分は、具体的には6章までは、読んでいて無上に幸福だった。人間からロボットへの愛と、ロボットから人間への愛が、このうえなく美しい形で描かれている。人種や性別や形態の差をものともせず、互いに尊敬し、互いに必要とし、必要とされることを喜びとしている−−という姿を見て、まさにアシモフの真骨頂を感じる。
ところが、6章ラストでアンドリューが「自分の自由」についてサー(主人)に申し出た瞬間から、この小説の蜜月は終わる。真のストーリーはここから始まるのだが、あとは楽しめない。
私は、読者として、そもそもの最初から権利闘争に反対の立場だ。もし「強制や命令で仕えるのではなく、自ら進んであなたに仕えたい」
という意味で自由を申し出たならば賛成した。ところが、アンドリューがいうのは「命令されていない間は、自分の意志で何かをする自由」
のようなもので、そんな主張はロボットにはそぐわない。認める必要はない。と思う。
したがって、私は作品中の最古参の人間と同じ立場だ。−−物語が展開してアンドリューの主張が高度になるにつれ、かつての支持者ですらその要求を「とっぴ」「やりすぎ」と感じるようになるが、私は常にそちらサイドの感想を持った。−−作品中には、次々とその子の世代がアンドリューを支持してゆくのだが、理屈や理由は示されず、唐突にしか感じない。納得できる展開ではない。
私がアンドリューの主張を認められない最大の理由は、アンドリューが利己的であるからだろう。彼は[ロボット全般の権利]ではなく[自由ロボットである自分の権利]を主張している。しかも、理屈がなっていない。「人工臓器などを開発して人類に貢献した自分を、その恩を持って人間だと認定してほしい」という論理展開では、馬鹿馬鹿しくて論をなさない。ラストの「老化と死を受け入れるから」など、愚の骨頂だと思う。まったくもってロボットの主張を表現したとは感じない。
逆にいえば、そのような非論理的な愚かさに突っ走るからこそ「人間」と言えるのかもしれない。
この作品自体の目的は、このように「ロボットの権利とはなにか」「人間と人間でないものを隔てるものは何か」を読者に考えさせるところにあるのだろう。その意味では成功していると思う。
1996年10月10日、早川文庫JAカ3-23
主人公は3人の軍人グループ。
「マタタビ装置を用いて、猫のオットーを確保せよ」という謎の指令を受けて行動しているのだが、実は本書第1行目からすでに異世界に迷い込んでいる。少尉の結論は、「われわれは死んでいると考えるのが論理的」だ。時間の逆転、意思の遠隔操作、シンクロ、時空の移転、オットーとの遭遇を経て、ついに主人公は過去からのメッセンジャーに遭遇する。明かされる軍の意思。物語は急展開を見せ、ついにオットーを捕獲したのち、三者三様の結末を得る。
キレのよい会話を挟みながらポップに読める。にもかかわらず、存在論・生死論など、深いものが展開される。「オットーは、1/2の確率で死んでいる」
「すべてのコミュニケーションが断絶した状態こそが、死だ」
など、言葉そのものの魅惑も満載。見事な神林作品だと思う。
神林作品に共通に出てくるテーマといえば「情報・存在を乱すもの」「自己とはなにか」だ(と思う)が、本作品ではそれが《死》につらなる形で開花する。前半では「生きているのか死んでいるのか」「ならば死とはなにか」だが、後半では「乱された結果の偽りの死からの解放」に展開してゆく。集団意識論やコミュニケート論や宗教論まで取り込みつつ、ここまでポップに読ませるのは、本当にすごい才能だと思う。
唯一記述不足に感じるのはオットー捕獲の状態だ。少尉の父母と行動を交えるわけだが、これが作品中唯一の[過去との交流]なのだ。ほかの部分では、過去は過去であり、死は死であり、自分たちからそれにはコミットできなかった。なぜ少尉は母にコミットできたのか、その理屈が説明されていない。作動したマダダビ装置の効果なのかもしれないが、神林なのだから このへんもきっちり描画して欲しかった。
お話としては、マタタビ装置の本格作動以降の急展開は、非常に面白い。−−象徴(オットー)の認識〜過去とのコミット〜正規律での死と復活〜乱れた現実(大黒)〜軸の修正(知念)−−その前のしばらくが思想論だったので、その行動の急激さにめまいがするほどだ。
メカ的な側面では、総合情報装置搭載の[秋月]で楽しめる。[情報をモニターし、外部を知り、また外部に自分を知らさないようにする]という一連の操作は、《敵は海賊》など多数作品に共通してでてくる情景とはいえ、何度体験しても見事な記述だと感じる。また、マタタビ装置による異空間情報の察知描画も、神林のよさがよく出ている。
−−こうしてみると、私が好きなのは神林のセンサー描画のようだ。戦略情報システムの展開を読んでいるときが一番興奮する。ものごとをどう認知し、どう分析し、どう行動にフィードバックするか。その理屈が好きなのだろう。 だから、いまのところ一番興奮したのは[完璧な涙]を好きだし、 《敵は海賊》ではカーリーの対センサー完全透明化が大好き。あれは魅惑的。
(てことは、はやく戦闘妖精・雪風を読まねば。)
2001年4月10日、角川oneテーマ21(新書サイズのペーパーバッグ)
辞書で有名な金田一さん著。日本語や日本人の知識に関するエッセイ集。雑学が付くし、自国および母語への理解と愛が深まる。けっこう楽しめた。
(余談:その父である金田一京助の作った辞書が[大語海]だったっけ。名探偵 金田一の名前も、たしか彼から取ったんだよね。)
一部をまとめつつ引用し、紹介する(以下の文章)。けっこう営業妨害かもしれない。
たとえば。言語文法として、日本語は特異的に「数学」を理解しやすい。
日本人なら、0〜9までの数字の計算を知っていれば、あとはぜんぶ応用で計算できる。いわいる[足し算の九九][引き算の九九][掛け算の九九]だ。日本人にとっては、80 - 8は当然72で、8 + 72は80だ。72は8 * 9だし、すなわち8 * (10 - 1)すなわち80 - 8だ。
ところが、フランス人にしてみれば、80 - 8は「40 * 20 - 8」で、72 + 8は「(60 + 12) + 8」だ。こりゃあ、シャレにならないくらいの難易度だ。
ドイツはもっとキテレツで、123を「103 + 20」と表現する。インドでは、0から100までがすべて別単語であり、「93まで覚えても、94を発言できない」
となる。
日本人は非常に察しのよいよう成長するようだ。
「提灯に火をつけた」といえば「提灯のロウソクに火をつけた」。「実験室に行ってみたら、誰もいなかった」といえば「自分以外だれもいなかった」。「漱石を読んだ」といえば「漱石の著作を読んだ」。日本人ならそこまで言わなくとも通じるが、ドイツ人も中国人もアメリカ人も後者の言い回しでないと通じない。
表現の省略だけではない。たとえば、TVに雪国の光景を見て、「寒いんだなあ」
とつぶやくと、アメリカ人は「あなたは今寒いのですか」と聞くんだそうな。また、ビルの入り口が故障していたときに「故障中のため使用禁止」
と張り紙をすると、アメリカ人は面食らうんだそうな。日本人なら自分で別のドアを探す。アメリカ人は「別のドアからお入りください」と書いていない限り、入れないものと思い込むらしい。
よく日本語は論理的でないとか、主張が弱いなどといわれる。実際にはそうではなく、表現のしかたが違うだけだ。日本語は、日本人が日本人の日常を過ごすために組み上げた文化に根ざした言語体系だ。他国語もそうだ。表面だけの変換では通じないのがあたりまえ。
(補足:もちろん、アメリカ人とビジネス交渉するような場ならば、あちらにあわせたやりかたを取り込むことが必要だろう。)
「油を絶やすことが一秒でもあれば、我をとがめること一生あれ」。漢字がそのまま通じると思い込むと大変。
2001年8月1日、白泉社JETS COMICS279
舞台は小学校。とある女性の先生は、実験主体の授業を行う。教科書を使わず、テストを設けない。これに、一部の生徒や父母は反対しており、どうも辞めることになりそうだ。
主人公ら一派は、先生の教え方に意義や力があることを証明したく、夏休みに自分たちだけで小型のロケットを作ろうと考える。ところが、転校してきたばかりの少年により、当初の計画の根本的なミスを指摘される。反発しあいつつも、取り込まれる形で転校生主体のロケット作成に参加。ところが、彼も突然再度転校して出て行ってしまう。
そして−−以下略。
弱い。
ストーリーの描画に余裕がない。お話の持つ時間的な広がりを表現できていない。展開が短絡だし、説明が不足しているし、感情移入もできない。紙面の都合か?
実は、少年チャンピオン連載[ショー☆バン](野球漫画)でも同じことを感じていたのだが、主人公の少年が 非常にダメなやつだ。作品中で転校生が指摘したとおり、「何もできないくせにプライドばっかり高くて 何でも自分に都合よく考える奴」
「失敗しても努力賞、『こんなにがんばったんだから僕のことほめてー』…なんてヌルい事考えてたんだろ」
だ。自分の失敗にはただただ衝撃を受けるばかりで、反省も飲み込めもせず。間違いを指摘されれば うろたえて逆ギレし、自分よりも優れた存在には嫉妬ばかり覚え、いつまでも根に持つ。−−いまどきの少年に限らず、普通の少年はこうだろうし、私もこういう人間だ。だからといって、物語の主人公にこうあってほしいとは思わない。
主人公がこんなんだから、当然 成長もない。でも、物語は進み、なぜか成果は出る。−−それが気に入らない。それじゃあお話にならない気がするのだ。
本作であれば。あさりよしとおが「少年」「ロケット」「夏休み」というテーマを選んだのだから、もっと科学的工夫に焦点をあてて描けたはずだ。ところが、実際には少年たちの不器用なケンカが描かれたに過ぎない。だからといって、少年の物語がちゃんと描けているかといえば、前述のとおり《煮え切らない少年》が掻かれているだけ。−−作品として非常に弱い。
せめて、転校生の少年がなぜまた引っ越したのか、引っ越した先で彼はなにを思ったのか、それを描いてほしかった。病気を思わせる描画が1コマ、なぞの嗚咽も1コマあるが、これでは何もわからない。−−そもそも、なぜ彼がロケットを飛ばそうとしたのかすら分からない。主人公と違って、彼は先生に恩義はないはずだ(在校期間が違いすぎる)。
実は、本編を読む前に、Webで「なつのロケットは 本当に飛ぶのか」を読んだ。これを読めば、このマンガに出てくるロケットは、現役のロケット=エンジニアと あさり氏が練りこんで、実際に小学生が作れてもおかしくない技術内容で、本当に飛ぶように設計されているのが分かる。
これだけの準備をしたのに、実際のマンガがこれでは、名作[まんがサイエンス]を描いている作者としては、かなりの失敗ではないか。[宇宙家族カールビンソン]のような感情描画もできるのに… メカを描かせたら、かなりのこだわりがあるはずなのに…
ともかく残念だ。
今朝みた夢。
商店街の小さなお店。お父さんが外で商談を取り付けて帰ってくる。「このお店、2000万円で売れるってよ!」 お母さんは弁護士さん(?)と相談中で、堅実に1500万で売却する計画を立てていた。「どうしてあなたは、いつもそうやってバクチばかり打つの!」と泣き出す。
娘はそれを見て、ひどく困惑する。弁護士に聞く。
「ウチみたいな つまらない店に、2000万もつくんでしょうか。」
「ここは路地の門で、人のとおりも多いですから…」
ふと、想い出が面前によみがえる。自分の育った町、自分の帰る家。それが無くなる。突然娘は泣き出す。
カバチタレか?
私としては、「自分」のいないストーリーは珍しい。
つーか、何て読むんだよハゲ! (2ch Web製作板)
いかん、10分以上読みふけっていたかもしれない。バカバカしくて面白い。
PNGの発音。むかしに開発者本家のWebを呼んだ記憶によると、「ペンギンのピングーと同じ発音」
のはずだ。GIFに対する利点のリストのなかに、末尾にジョークとして「読み方が一意」
とあり、そこで解説があった。「gifはギフはジフか…ってのは日本人だけの悩みじゃないのだなあ…」と感心したのを覚えている。
(補足:PNGはW3C承認なだけでW3C開発じゃない。)
と記憶しているが、原典は示せない。えーと、本家でもW3Cでも pronounce 'ping'のみだなあ。てことは記憶間違いかな。
言葉は変化するものだということは理解しつつ。
日本語の「ボランティア」は、いつから「慈善活動」になったのだろう。
*volunteer*
1.ボランティア,奉仕活動家,志願者,有志,志願兵,2.志願の,自発的な,志願者[兵]の,3.志願する,自発的にやる,志願兵になる,申し出る,進んで話す(辞書:Gene73)
*voluntary*
(強制ではなく)『自由意志でなされる』, (報酬なしで)『みずから進んでする』,自発の, (生理学で)随意の, 《名詞の前にのみ用いて》篤志によってできた,任意寄付で維持される, (教会の礼拝前後の)オルガン独奏(辞書:EJDIC)
私が小学生のころは、「(ヒトに言われるのではなくて)自分から進んでおこなう」という意味しかなかった。その意味で、奉仕活動という響きに矛盾はなかった。暗黙のうちに「ヒトのためになることをやる」ではあったが、そんなのは他者関係においては当然だから意味は無い(はずだ)。−−ところが、いつのまにか「奉仕」の部分が拡大したようだ。
さいきん、公共広告機構が変なCMを流している。
チョボラって知ってる? ちょっとしたボランティアのこと。道のゴミを拾う、お年寄りに席を譲る。あなたにもできます。チョボラ、してみない? (大意)
「してみよう」といわれて行うようでは、もうボランティア(自発活動)じゃない。それに、ここに揚げているようなことは当然の範囲であり、奉仕でも慈善でもない。と思う。
同様に、日本語の「ダイエット」はいつから「やせること」になったのだろう。これは始めからか?
原義は、食事あるいは食事療法のこと。なのに日本語だと「ダイエットなんで食事ぬき」とかいう。日本語として定着しているから、それを非難するつもりはない。ただ、歴史として、いつからそうなのか。興味がある。
家のノートPCのOSはWindows MEだった。熱暴走かメモリーリークか、複数ファイルを同時に処理しようとすると たまに完全停止した(とくにPhotoshopLE、たまにmp3再生)。ひどいときは、秀丸で文章を書いているだけで止まる。
あまりに悲しくなったので、このたび思い立ってWindows2000にした。会社でw2kは使っていて、信頼感は十分だったので(セキュリティーは別にして)。すでに[管理ツール]をはじめとするシステム構成の違いは飲み込んでいるので、とくにトラブルなく移行できた。
今回初めて気が付いたのだが、ダイヤルアップだとネットワーク接続ウィザードがうるさい。
接続形態を聞かれるが、言っている意味がわかりにくい。
- プライベートネットワークにダイヤルアップ接続
- インターネットにダイヤルアップ接続
- インターネット経由でプライベート ネットワークに接続(VPN)
- 着信電話を受け付ける
- ほかのコンピュータに直接接続する(シルアルや赤外線)
2つめの一般ISP(と思われる)を選ぶと、さらにガツンといわれる。
- 新しいインターネット アカウントにサインアップします(電話回線はモデムに接続されています)
- 既存のインターネットアカウントをこのコンピュータに移します(電話回線はモデムに接続されています)
- インターネット接続を手動で設定するか、またはローカル エリア ネットワーク(LAN)を使って接続します
はじめの2つの意味がわからない(涙)。たぶん、(1)新規にプロバイダーと契約、(2)契約済みのプロバイダーの情報をこのマシンに設定、なんだろうなあ。
「お住まいの地域のインターネット サービス プロバイダーの一覧」をダウンロードしはじめやがる。かなり面食らった。俺は単にasahi-netの設定を書きたいだけなんだが…実によけいなおせっかいだ。
けっきょく全部手動で書いた。
(補足:「新規サインアップ」
を確認したら、こちらはそれなりに多い。ぷらら、DION、ODN、OCN、so-net、@nifty、DreamNet、hi-ho、InterQ、Biglobe。が、役に立つとは思えないなあ。)
12;30ごろ東京駅。おどろくほどガラガラ。新幹線ホームだけは込んでいるのだが、去年に比べたら少ない。13:03発ひかり125を狙ったら、ごく簡単に乗れた。
横浜駅からみえるビルの電光掲示板でナゾナゾ。「ビデオ君のおうちにある、使っても無くならない食器はなーに?」
…マジでわからん。
晴れていたこともあり、ひさびさに富士山をくっきり見た。「見えた」と思ってから見えなくなるまでの時間の長いこと。でかいんだなあ。
新幹線の中で鯨統一郎[candy]読了。400円の軽い文庫。内容もハチャメチャ系軽いお話。記憶を失った主人公が、日ペンの巫女ちゃんシャーリーが支配する世の中で、シャーリーズ=エンジェルとともにcandyを探す。ダジャレばかりの物語。
名古屋着。東京より格段に寒い。微妙にミゾレぎみ。
夕方。いつもなら父方親戚の会合食事会だが、今年はこれなかったようで、我が家+祖母のみで食事(祖母は歩いて10分のところに住んでいる)。
(1月10日追記)
はじめてクイズ=ミリオネアを観る。芸能人特番。みのもんた見事。なるほど、この間の取り方だから受けているのか。回答者の中では、ともさかりえ の悩む姿やツブヤキが非常に可愛い。たぶん、TVの映り方をよく理解しているのだろう。
−−だが。CM挟んでの繰り返しシーンが多すぎる。TVの常套手段なのはわかっているが、だから私はTVが嫌いだ。
ところで。[テレフォン]について。いちおう説明すると、「外部の任意の人に電話できて、30秒会話できる。相手は何を使って調べてもOK。」
ほとんどの出演者が、問題全文+回答選択肢を読みあげていた。電話先の人間はメモしていた(TVに写る)。それで20秒ほど浪費し、けっきょく答えられない。
阿呆な。要点だけ言って、「調べて!」っていえば済むことなのに。
問題例:
2001年11月29日に死去した、もとビートルズのメンバーの名称は?
(1)ポール=マッカートニー (2)ジョン=レノン (3)リンゴ=スター (4)ジョージ=ハリスン
日本の紙幣のうち、鶴の意匠のあるものはどれか?
(1)1000円札 (2)2000円札 (3)5000円札 (4)1万円札
んなもん、「去年死んじゃったビートルズのメンバー、名前調べて!」「財布あけてお札みて! で、鶴が書いてあるのはどのお札?」でいいじゃん。クイズ慣れしていないのか、発想力がないのか。
ボクサー(畑山氏?)や芸人(東野氏)だけでなく、将棋の羽生氏までが全文を読み上げる。2ch用語でいうところのDQNなのか。
(余談:私はあいかわらずカタカナ倒置のケがある。どうしても「ミネオリア」と言ってしまう。百万長者だからミリオン=ネアだっちゅうに。)
名古屋に戻ると雪が積もり始めている。寒い。大阪は晴れていたのに。
実は愛知はDoCoMoの支配率が低い。東京8割くらいのところ、愛知は5割くらいしかない(伝聞)。J-Phoneとauががんばっている。−−H"は見ないけど。ちなみに、私の家(東海市)はH"電波が弱いので外に出なければいけなかった。もっとがんばれ>ddiポケット
なぜ弱いのか考えた。名古屋は江戸時代からの王道嫌い(アンチ吉宗)っつーのもあるが、単純にCMタレントの差だろうか。
メーカー | 東京 | 愛知 |
---|---|---|
DoCoMo | 広末(引退)+田村正和+加藤あい | 上原多香子(SPEED) |
J-Phone | 藤原紀香+酒井若菜 | 優香 |
au | 浜崎あゆみ | (同) |
(余談)
名古屋の結婚式が派手だったり食文化が変わっているといわれるのは、だいたいがアンチ吉宗に発祥する。
先代の死去時、本来は名古屋領主が時代将軍当確といわれていたのに、それを飛び越えて吉宗が将軍になった。本御三家としては面白くない。以降、ことごとく反発するようになる。吉宗が質素倹約令を出せば「景気はそれじゃ回復しない」と豪華絢爛令を下す。
−−えーと、名古屋の領主の名前は忘れた。この知識はNHK大河ドラマ[吉宗]によるいいかげんなもの。
41年ぶりの規模の大雪だそうな。寒い。本来は母方親戚の会合食事会だが、三重からくる親戚の車が危険のために中止。
時間が空いたので、近所を散歩。ところどころに雪だるま+除雪しているひと。ここは何県だ?
家+マンガ喫茶で[クレヨンしんちゃん]を読む。やっぱ好きだなあ。[パタリロ]は30巻くらいから趣味が合わなくなってしまったが、クレしんはいつまで持つだろう?
−−サンデー[TOGARI]が最後尾になってしまった。いまかなり面白いのに。つうか、ずっと継続してかなり面白かったぞ。お願いだから、打ち切らないで!
(1月10日追記)
録画ビデオにて[完全なる料理の鉄人]を見る(2日放送分だっけか)。主宰の鹿賀氏が去年にフグにあたって死んだことになっており、その甥っ子(役)が新主宰に就任した。これが本木氏だった。モックンだ。−−2人とも漢字うろおぼえ。
いつのころからか、本木氏はマッチョ系性格俳優として大成功している。個人的には、この3年くらいの富士銀行のポスターを大好きだ。
料理の鉄人での役も見事で、前任の濃いキャラを継承して生かしつつも、ちゃんと個性を出している。放送作家の腕もあるのだろうが、「私の希望がかなうならば」
という新しい言い回しには敬服した。料理人が調理している最中につまみ食いしてみせるパフォーマンスも見事。
私はキッチンスタジアムに新しい風を持ち込む。新しい場に作り変えたい。新しい才能に開放したい。古いものなど消えてしまえ!
だが、古さと伝統は違う。私のために甦るがいい、われらの誇る名誉鉄人だちよ!
友人kmtと昼に落ち合って三福へ。はじめて《特上》のうな丼を食べる(といっても2000円)。ご飯の上だけでなく、中にもうなぎが仕込んである。いつもはご飯大盛りで食べるのだが、今日は うなぎだけで腹いっぱい。しかも、三福の丁寧な炭火焼。歯ごたえも炭の香りもタレも絶品。幸福。−−惜しむらくは、[うなぎモロヘイヤ元気丼]が消滅していたことか。
新幹線は、14時の段階ではグリーンも満席。19:44の[のぞみ]指定席が奇跡的に空いていたので抑える。時間が余ったので名古屋駅近くで喫茶しようと考えたが、どこも行列。入れん。冗談じゃない。金山sound bayと栄banana recordを1人でぶらつく。夕飯は栄[鈴の屋]で田楽。
新幹線にのると、若いカップルと同席だった。2人とも眠りこけていたが、女性のほうが気づいて、男性の荷物を私の席から降ろさせる。2人とも礼儀など知らないような見た目だし、2人での会話も怪しいが、私への対応を見ている限りは真っ当だ。ちゃんと内と外の使い分けができるなら問題なし。
浜松あたりで、会話が思わぬ方向に。なんと、女性から男性に年内結婚を宣言した。男性は「来年になれば2人とも24歳だから、それまで待とう」というが、女性は聞きゃあしない。男性もあきらめ、誰を呼ぶかなどの話し合いをはじめる。若き2人に幸あれ。−−女は強い。
妙法寺には前にも(普通の日曜日に)来たことがある。綺麗だったので今年の初詣に決めた。
0:30着。環七から参道に入るところで神輿と出くわす。男女入り乱れで、けっこうハリのよい声をあげている。いいかんじだが、なぜ正月に神輿? …と思いながら進むと、神社近くの名物[揚げ饅頭]屋は営業してるし、向かいのハンペン屋はおでん即売している。そもそも正門前に複数の出店(食べ物、射撃など)が出ている。そういえば、大宮八幡でも出ていた。東京の正月はこういうものなのか。
それにしても行列が長い。参拝メインである祖師堂への列は、門を超えて道路まで出ている。鐘楼行列もおみくじ行列も似たようなもの。警察も出てるし、なぜか落語協会が「いやー、今年もはや30分が過ぎました」
なんてやっている。私が思っていたよりもbigなお寺だったか。
しかし、行列を無視すれば境内には入れる。サクっとすすんで、奥にある本堂へ。普段は開放されていないが、今日はOpenで、しかも御屠蘇振る舞い場になっている。これも行列だが、御屠蘇(+縁起物のオチョコ)を要らないなら、好きに中に入れる。中央には、金張りのさまざまな細工の中央に、白顔朱袈裟の日蓮上人像が鎮座している。まわりには、小ぶりながら四天王と多数の観音(あるいは如来?)が。なかなかにありがたい眺めだ。
さらに奥へ。日朝堂(学問神)までくれば行列はない。ここもOpenで、参拝だけでなく相談コーナーも開設されている。私が参拝したときは、親子連れが受験(高校受験?)の相談と祈願を申し出ていた。
さらに一歩。[浄行さま]という洗い観音の石造がある。小さな子供が非常に熱心にタワシでこすっていた。親の影響かなにかで信心深いのか、それとも洗うこと自体が楽しいのかな。−−私は腰を洗ってきた。風邪っぽいこともあり、腰痛が来るんだなあ…
その隣が二十三夜堂(財運)。小行列に並べは中に入れる。−−並んでいるあいだに細工を見ると、外門の龍と看板のウサギの木彫りがかなりよい。今度昼に写真を撮りに来よう。
堂の中にはお香が焚かれている。左には[なで石]が。石の表面にヘビの紋様が浮かび上がったもの(というか、これ掘り起こしてないか?)。なでると効用があるそうなので、ひとつナデナデ。
中央には、御仏と線香が。各自で線香を奉納でき、お守り銭ももらえる。欄間に空飛ぶ観音さんの絵が。−−いまパンフを見ると、二十三夜尊ご本人のようだ。手にウサギをいただいているので、化身なのかな。
外の狛犬のところで、ちいさな子供がはしゃいでいる。「わたし知ってる。こっちがXXちゃんで、こっちがXXちゃんなんだよ」
ふと見ると、右側の狛犬の背中に子狛犬がいる。珍しい。かわいい。
帰りしな、祈願絵馬が目に入る。「C型ヘルニアによる腰痛のいたみをやわらげてください」。同じ人が4枚も書いている。その奥さんも2枚書いている。よほど痛いのだろう。
当然だが、祈っても腰痛は治らない。だが、祈る心は認めたい。−−私も絵馬を拝みながら、氏の回復を祈る。
プライベートな願い事を覗き見るのはマナー違反だとは思うが、私はけっこう絵馬を見るのが好きだ。ほとんどの場合、当人は真摯に祈っているのが分かる。私も、その願いが成就するように祈る。日本では、人の思いこそが神・仏なのだ(と思う)。−−過去にも書いてた。
自分干支。
みたらし年おめでとうございます。