今週末は新宿タワーをうろついた。店内BGMは今年のベストヒット1色。年末だなあ。
試聴機でBECKの[ミューテーション]を試聴。どれもメロは奇麗だが、MIX上での音の分離が悪い。ラジオで気に入っていたtropicariaなんて、左端でラテンンパーカス、右端でアコースティックギター、ってなカンジで、まるでビートルズ。わざとなのかもしれないが、こんなものは買えない。
なぜかmassive attackのカブトムシのアルバムが試聴に入っていた。真っ暗でスローなトリップロック。angle とかtear drop などの既知の曲はかなり気持ちよく聞けた。でも、家で聴く気にはなれない。
beasty boysの[hello nasty]も試聴。intergaractic がヒットした。この曲は嫌いだが、アルバムでは得るものがあるかもしれない。…と思ったが、だめ。僕にはなにがよいのかやっぱり分からなかった。
ふとしたことで、イーグル=アイ=チェリーのsave tonghit のシングルを発見。6月ごろにヒットしたフォークロック系の曲。これに入っているremix版をラジオで聴いたことがあるのだが、なんとレゲエトリップ系のやんわりしたアレンジになっていて、その落差におどろいたものだ。記念に、購入を決意。
帰り際にスマッシュマウスのアルバムを発見。4月ごろ、walkin' on the sun とwhy can't we be firend が流行っていた。どちらも名曲。今度買おう。−−しかし、邦題が「ビー フレンド」では、ニュアンスがだいぶ違うではないか…
それはともかく、レニクラのsuper soul fighter、曲もリズムもアレンジも録音のカンジも、まるっきりPRINCEやんけ。PRINCEがSLYを意識したときのアレンジにそっくり。「よく似せたね」と誉めていいのかなんなのか…
店内をうろうろしていると、ルー=リードを発見。最近ラジオでかかっていてお気に入りの「walk on the wild side」が入っているアルバムを探すと、[transformer]だった。なんかトラックがロボットに変身しそう。
それにしても、ジャケットワークが最悪。それにくらべると、ベルリンのカバーはキレイ。裏にある「sad, sad, sad, sad, sad song.」という歌詞の切り抜きもオシャレ。うーむ、悩めるところだ。
結局、1曲のためにトランスフォーマーを購入。
ズルズルとsoul/danceコーナーへ。
つづいてfat boy slimを試聴。やっぱりgangstar trippin'はかなりの名作だと思う。けど、今日はbody movin' を買うつもりなので、パス。
ローリン=ヒルの[miseducation of lourin hill](スペル不問のこと)は、でっかいポップ付きで宣伝されていた。試聴可能。やはりcan't take my eys off of u のアレンジは素晴らしい。他のはあまり気に入らなかったが、購入を決意。
bootsyセンセイのジャケットが目に飛び込んできた。いいよなあ、あの人は。自分の信じたアレを一生とおせるだけのパワーをもっているんだから。
ふと気づくと、1993年くらいの来日公演のライブ版がでていた。P-FUNKやらnight of the thumpasorus peoples といったPARLIAMENT名義の名曲が含まれている。ジョージクリントンなしであのへんの曲をどう処理したのかは楽しみ。それに、ピノキオセオリー 、「ahhhhh, the name is bootsy! 」、「streackin' out 」などの名曲も入っている。事実上、ベストと捉えて良いようだ。でも、サイフと相談した結果、買わなかった。
off springのアメリカーナからのシングルが売れているらしい。これ、部分部分は強烈なんだけど、構成がタルい。「intro-A-B-intro-A-B-brige'-intro-B」だからね。僕なら「intro-A-B-A-B-bride-B-intro*」でまとめるけどなあ。で、かの強烈なintroの叫び声はAのfillにする。
−−それはサテオキ、このAのラップ部分、shampoo(なつかしい)のtroubleにそっくりだ。
(余談後年、ローリンのアルバムは良いと評価し直した。)
ルー=リードのtransformerだが、なんとプロデューサがデビットボウイであった。曲調もアレンジも、全体にボウイ色に染められていた。
唯一の例外が、くだんの「walk on the wild side 」。この曲を大雑把に説明すると、こうなる。
僕が求めていたのは、こういう曲だ。なのに、これ1曲のみ。残念。
(ボウイ系のグラムはナンパで芯が無くて嫌い。)
ルーリードのsweet jane は「ギターリフ中心ながらも、甘く切なくグラム」でカッコよかった。どのアルバムに入っているんだろう。実はルーリードのベスト版で「walk on the wild side 」と「sweet jane 」の両方が入っているヤツがあったから、それを購入すればよかった、と後悔。
11/29-20:00(7170:14635)、12/1-18:00(7285:14805)、12/4-23:00(7350:15105)、12/6-23:00(7365:15220)。
最近のJ-PhoneのラジオCMで「絶対音感のある人は、雨音もドレミで聞こえる」といっている。気に入らないので、絶対音感について再言及。
「絶対音感のある人は、なんでもかんでも音程(ドレミ)で聞こえる」というのは嘘だ。ふつうの喋り声、雨音などの音程は安定していないため(恐ろしい勢いで変化するため)、ドレミでは聞き取れない。進行中の速度の分解能の問題で、無理なものは無理だ。「今は何時何分何秒です」といいにくいのと同じ。また、ドラムや足音などはノイズ成分が多いため、明確に音程を指摘するのは無理。
どちらも程度問題ではあるが、なんにせよ「全てを、というのは無理」だ。
ところで、「音程を聞き取る」のは、「会話を聞き取る」のと同じようなものだ。知っている言語の会話であれば、誰でも出来る。普通の人が音程を聞き取れないのは、たんに音楽という言語に親しみなれていないから。(注:もちろん、才能の限界はある。どう頑張ってもスポーツ選手にはなれないひとがいるのと同じ。)
たとえば、僕は日本語を聞き取れる。けど、早口すぎたり、10人いっぺんに喋られると聞き取れない。でも、完全に聞き取れなくとも、部分だけ聞き取ったのを常識(文法や普通の会話の流れ)と照らし合せて、内容を補完して想像することは可能。なぜなら、僕が日本語に慣れているからだ。
また、僕はネイティブスピードの英会話はほとんど聞き取れない。ところどころで知っている単語は聞き取れる。でも、とても元の会話を再現して理解するだけの材料にはならない。なぜなら、僕は英会話に慣れていないからだ。
ちなみに、僕は音楽に慣れている。ごく小さい時から音楽と親しんでいるし、3歳以降は継続的に楽器にふれている。だから、音楽に関して、音程(単語に相当?)も構成(文法に相当?)も、ほとんど無意識で聞き取り、再構成できる。
音感に関して言えば、「音」として鳴っている「音」、つまり音楽を演奏している楽器の音は、すべて音程(ドレミ)で聞き取れる。でも、速すぎるフレーズ、多すぎるハーモニーは無理。とはいっても、速かろうが音が多かろうが、スケールやハーモニーなどの常道に沿っているものはすべて把握できる。なぜなら、それに慣れているから。
このように、「聞き取れるか否か」「どの程度まで聞き取れるか」は、普通の会話と同じ。
ところが、どんなに頑張っても「会話」を音程として聞き取ることは無理。
なぜなら、「喋る声」の音程は音楽の常識からは考えられないようなスピードで変化しているからだ。「あ」という一音だけ出すならば聞き取れるが、「ありがとう」という単語になると、もう無理だ。また、厳密には「母音+子音」は複雑なハーモニーによって再現される音色であり、倍音の含みかたが複雑なので、僕の手にはおえない。同じように、雨音の「ぴちょん」というひとはねの中にもとてもたくさんの音があり、かつすばやく変化している。だから、これを音程で表現するのは無理。
いいかえてみると、“「会話」や「雨音」は音楽じゃないから、音程として聞き取るのは無理だ”というわけだ。
絶対音感という概念(才能)は、音楽に関する概念(才能)だ。だから、音楽以外−−たとえば「雨音」−−に拡張するのはよして欲しい。
(注:僕は、いわいる音楽大学的な音楽教育は受けていない。だから、シロウトさんは必要以上に僕を信用しないように。また、こういうのを書くと、たいてい後でそちら関係の人からフォローをもらえる。今回も、お待ちしてます^-^ そのやり取りによる勉強結果は、のちにWebに反映されます。)
殿下がプロデュース。
Hipなだけの重苦しいソウル、あいまいなメロディライン、ぱっとしない展開。例によって勘違いの嵐。0点。
新宿のTOWER RECORDが移転して大きくなった。高島屋ビルのHMVサザンと張り合う位置に移動したのだ。あたらしいお店の名前は、[Tower Record 新宿タイガー]。−−タイガー?????
テンプテーションズの何年かぶりの新作。
第1シングルカット曲は、自分達の過去の大名曲「my girl」のリフのサンプリングをベースにしたソウルソング。−−これって、むっちゃ卑怯だと思います。ラジオオンエアを聴いて、思わずアルバムを買ってしまいました。僕と同じような人、すんごく沢山いると思います。−−テンプテーションズのmy girlといえば、そこまでのステータスのある曲です。(余談:、beatlesの「デイトリッパー」のリフは、このmy girlをベースにしています。)
といいいつつ、実は3回聴いたらあきました。全体にソツなく奇麗ですが、それだけでした。
10月11日、j-waveの「UAのカピバラレストラン」にてオンエア、即座に気に入った。探したみたところ、初期のシングル[情熱]の2曲目だった。アルバム未収録(ライブ版にはアリ)。
詩と曲をホフ・デュランが書いていて、アレンジは朝本浩文。曲は日本人独特のフォーク スウィング系ポップで、日本語がすごく奇麗に乗る。アレンジは、ジャジーなピアノとウッドベースによるスィングバラード演奏の下に、8を刻む工場ノイズビートが入る(まるでムーンライダーズのマニラマニエラみたい)。
「憂鬱が僕の邪魔をしたら、また君に電話をするよ。僕を元気にしておくれ。」
歌詞は、軟弱(一歩間違えば、これほど迷惑なヤツはいない)^^;。しかし、僕も軟弱なので、実にハマってしまったわけだ。曲も、この軟弱さを美しいかのように勘違いさせるだけのよいメロディを持っている。
すごくよいんで、みんなにも聞いて欲しい。せめてもの雰囲気を伝えるために、採譜した(元曲はトニックGだが、Cにて。なお、音の上に「_」があるものは、1オクターブ上ね)。ただし、頭の中でしか確認していないので、あしからず(下宿には楽器がひとつもないのです)。
CM7 CM7 g.egeg ...... ...... .....b Em6 Em6 _ ..ggeg ...... ...... .....e Am Am __ _ _ _ _ ..ccac ...... .....c d.cb.a FM7 G7 _ __ c..... ..aaeb ...... ......
Aメモもう一回。
Bメロ。
FM7 E7 Am Am G7 _ _ _ c..c.a b.e..a ...... a..b.. FM7 E7 Am Am G7 _ _ _ c..c.a b.e..a ...... a..b.. FM7 E7 Am Am G7 _ _ _ _ _ _ c..c.a b.e..a .....c d.cb.a Fm7 E7 G67 c..... b..... a..... g..egeg CM7
女性アーティスト、これまではソングライターだった人、デビュー作。すでにベテランの風格アリ。ソウルバラード系中心の見事な作風。−−全体にプリンスのエッセンスあり。特に、シングル曲strawberry は、そのままプリンスの作品としてリリースできそう。
でも、視聴しただけで、購入には至らなかった。なぜかといえば、バラードばっかりだからだ。
(1999年6月6日、ちょっと修正)
ラジオで、大沢伸一がjazzをかけていた。そのなかで大沢氏が言った言葉が気にくわない。
(大意)
「JAZZといえば、マイナーコードに被せる7thや9thの不協和音が特徴ですね。このテンションの高さは理論的にもカッコよいのですが、でもジャズメンたちが理論的に考えていたかどうかは分かりませんよね。そもそも、彼らは楽譜など読めなかった人が多いです。やっぱり、理論的にどうという戦略で作り上げたではなくて、体で演奏して気持ちのよい音を探してそれが偶然に形になった、というのが真実ではないでしょうか。そもそも、アドリブが大事ですし、ジャズとは自由なものなのです。」
(注:大沢は、これを「よい意味で」発言したに違いない。しかし、あえて悪い意味にとってみる。)
では、楽譜が無いと音楽理論はありえないのか? そもそも、音楽理論は楽譜を用いるものなのか? それは大間違いだ。音楽理論を分かっていない人間の考えた誤解だ。「楽譜」は、音楽を書き留める手段のうちのほんの1つに過ぎない。楽譜は、音楽にとって何ら「絶対価値」を持つものではない。音は音であり、楽譜に書いた記号ではない。音楽理論は音に対する理論であって、決して楽譜の理論ではない。もちろん、楽譜無しでも理論を組みあげられる。
楽譜など書かなくても、複雑な不協和音を組みあげたり、和音を展開させて曲を進めることは可能だ。まともな耳さえあれば、自然に頭の中で組み立てられる。耳だけでは難しくても、楽器で演奏を確認しながら作業すれば、カンタンに理論を組みあげられる。(余談:実際には、楽譜では書けないような和音すら組み立てられる。だって、ホンモノの音は、楽譜(ニセモノの音)よりも優れているのだから。)
試行錯誤の結果として和音進行のパターンなどを定型化させたならば、それは立派な音楽理論だ。楽譜など必要無い。必要なのは、音楽だけだ。
また、「アドリブだから、理論はないし、自由だ」と取られかねない発言にも違和感を感じる。アドリブとデタラメは別のものだ。アドリブのための理論書は沢山存在する。JAZZミュージシャンは、きちんとアドリブ理論勉強して、実践で試して技術を磨いている。
(注:たぶん、大沢が言いたかったのは、こういう意味合いのコトではない。彼自身は苦労しているミュージシャンだし、こんなことは当然理解しているハズだ。でも、揚げ足を取らせていただく。)
(以下、ハナシを広げる。)
たまーに、「ジャズメンやブルースメンは音楽理論を知らないで本能でやっている
(理論的に考えたのではなくて、それは偶然できたものだ)」という発言を聞く。これを聞くと、いつも悲しくなる。
たとえば、チャーリーパーカーの織り成す不協和音センスは(和音にせよ、スケールにせよ)、偶然では生まれ得ないものだ。それまでの音楽理論に精通し、そこに無いものを意識的に探らない限りは生まれ得ないものだ。実際に、チャーリーパーカーは驚くほどの勉強と実践を重ねて、あの境地に達した。他の偉大なミュージシャンだって、やぱり勉強して苦労している。そのことを無視してはいけない。もし知らないのならば、知って欲しい。
知ってもなお無視する傾向があるとしたら? −−ひょっとしたら、「黒人には、理論的な作品など作れない」という偏見があるのではないか? あるいは、黒人がそのような偉業を成し得たことを認めたくないという意識があるのではないか? −−だとしたら、不幸だ。
(同じような偏見は、黒人白人を問わず、ミュージシャン全般に対しても存在すると思われる。「ロックなんて馬鹿がやる音楽だ」という発言を聞いたことのある人は多いのではないか? )
−−以上は、「認められないしろうとミュージシャンとしての私」の「いじけ」「ひけめ」から発生したグチである。根底にあるのは、「音楽は芸術だし、理論のあるものだ。クラシックだけじゃなくて、軽音楽だってロックだってジャズだって、ちゃんと数学的な理論もあれば計算もあって演奏してるんだい。認めておくれよ(ToT)」−−だが、ともかく、書きとめておこう。
ラジオで偶然、すっごくムーディーでメロウなバラードをきいた。「まるでwhat's goin' on のようだ」とおもっていたら、“marvin gayeのカヴァーで、disturbed lover ”だという。
「なんだあ、やっぱりマーヴィンかあ」ということで、さっそくその元曲を買いにいった。カヴァーよりも当人の方が上手にできていると思ったからだ。それに、タイトルも気に入った。「虐げられた恋人達」なんて、すんごくカッコイイじゃん。
レコード店で数枚のアルバムを眺め、ついにそれらしい曲を発見。すると、タイトルは「distant lover 」であった。遠隔の恋人、長距離恋愛。あれえ、曲のイメージが全然違うー^^; でも、曲のメロウさを考えると、長距離恋愛の方が似合っている。
その収録アルバムは、[let's get it on]であった。表題曲は、僕が一番好きなマーヴィンの曲だ。ずっと興味があったのになんとなく購入にいたっていなかったアルバムなので、即行でget。輸入版で1380円也。
内容は、すごく好き。[let's get it on ] [distant lover ] [you sure love to ball ] が群を抜いてよい。
そのアルバムの前作である[what's going on ]は、引退を決意した彼が実験的に作ったシングル(同名)が「新しいソウルのスタイル」として受け入れられたために、引退を撤回して慌てて作ったアルバム。そのため、とってつけたような中途半端な曲が含まれるなど、内容がちょっとわるい。
それにくらべると、ちょっと時期を置いて作られた[let's get it on ]は、マーヴィンのニューソウル フレイヴァーがアルバム全体を通して安定していて心地よい。悪くいえば「曲の雰囲気が似すぎている」わけだが、それは問題にならない。このあたりの人間になると、同じような曲を大量生産してくれた方がうれしいから不思議だ。
Hole(コートニー=ラヴ)の新アルバムの表題曲「celebrity skin 」がすんごくカッコイイ。何がカッコイイかっていえば、Aメロでギターカッティングとボーカルの掛け合い具合だ(ああ、なんで「掛け合い」なんてダサい言葉しか思いつかないんだろう! 悔しい!)。見事なロックバンドアンサンブル。
Puffyの新曲「たららん 」がカワイイ。これまでのPuffy曲は、古臭さの逆利用とかビートルズからの引用とか、そういう“ちょっとしたヒネリ”を持ち味にしたPOPSだった。でも、今度のは純粋にPOP。メロディワークもアレンジも1級。いいなあ。
オスカーピーターソンは生きていて、不定期ながら新作を出しているようだ。1996年のパリでのライブ録音アルバムを発見した。驚いた。どうしよう、買うべきか?
9月17日、J-WAVEの番組で小林武志がdavid bowye特集をしていた。アルバム[ziggy stardust]を大傑作と評するわりには、かけたのは[starman ][ziggy stardust ][suffragette city ]だった。
僕は、あのアルバムの代表作として[starman ][ziggy stardust ]を挙げる人間は信じられない。あれはただの「軽いキャッチーな曲」に過ぎない。
あのアルバムでは、間違い無く1曲目[five years ]がずば抜けてすばらしい。実は、曲は変哲の無いゆったりとしたフォークブルースで、アレンジは特に強烈でもなんでもなく、歌も下手。なのに、不思議なことにめちゃくちゃ印象に残る奇麗さを併せ持っている。完全にひとつの世界観を築いてしまっている。カリスマという恥ずかしい単語を評価に使うならば、この曲に使うのが正当だろう。それくらい、不思議な良さをもった演奏になっている。
ちなみに、歌詞も演奏とあいまって美世界を構築している。あらすじとして書き留めてみよう。
ストリートは静かな混乱に満ちている。老婆が泣いている。僕らは、僕らの運命を聞かされた。僕らの未来はあと5年で終わってしまうらしい。僕が感じる息吹、僕が感じる町並み、僕が感じる人々の暮らし、それらがすべてあと5年で終わってしまう。
そんな時でも、貴方は美しい。僕は、これからもずっと貴方に生き続けて欲しい。
でも、あと5年。世界は等しく終わりを迎える。でも、あと5年。残されるものは何も無い。
この歌世界には、「なぜ5年なのか」「5年で何が起こるのか」が何も描かれない。そして、「5年後の終末」は絶望するには遠すぎ、希望を託すには短い。その微妙な終末感を、演奏も声も、すべてが完全に演じきっている。私は、この[five years ]を歴史に残る傑作だと思う。(少なくとも、ボウイ作品史上に燦然と輝く作品だ。)
続いては、かわいいラブソングの[soul love ]、グラムの傑作[moonage daydream ][suffragette city ]、パンク+ロケンロールの[star]が名作としてあげられる。一番どうでもよいのが[ziggy stardust ]であり、ついでどうでもいいのが[starman ]だ。
信じられないセンスのズレ。どうして、あんなに「当たり障りの無い」音楽を好きでいられるのだろう?
(注:でも、彼らはそういう音楽を好きでいるから、ちゃんと商業音楽をやれるわけだ。所詮僕が吠えてるのは、音楽でくいぶちを稼がなくてよいシロウトの発言に過ぎない。)
会社のKMおねえさまにCDを借りた。その感想を記す。
とてもカッコ良かった。熱烈ラテン系バンド。正しくは、スペインのフラメンコであるらしい。全体にアップテンポでリズムもこきみよく、メロディも美しい(これ系のフォークロアを聞きなれていないから、珍しいだけか? )。
一番有名なのは、「Djobi DJoba (ジョビ・ジョバ)」だろう。my way やhotel calfornia (別アルバム)などの「皆が知っている曲」をも熱烈ラテンバージョンにしてしまうという、このパワーはすばらしい。
全体に悪い意味で「期待どおり」。よい曲とよい演奏が多いのだが、意外性はない。あたりまえか、アイドルなんだから。しかし、「i want you back 」は歴史に残る名曲だ。