演奏も歌も上手いバンドで、特にこの時期(siedah garrettがヴォーカルの時期)がもっとも充実していると思う。
blues/gospel風pop funk。2小節でE-Bを繰り返す。エレピ(ローズかな?)の半小節のブロックコードがループ風に流れていて、この醸し出すblue noteが根源的に気持ちよい。
後半ほど楽器もボーカルも色を出すようになり、かつ音も増える。盛り上がるーです。
ヒットsingleのpop。他の曲と比べるとチャラいが、サビのメロディの美しさとアンサンブルは抜群。
このバンドはpop職人だ。基本的なグルーヴを完璧にこなしたうえで、サビを見事に盛り上げる。冒険は少ないが、かといって反吐が出るような出来合いsongはやらずに、着実にクォリティを上げる。バンドの実力は、ボーカル抜きのJamの(11)once is twice enoughを聞けば分かる。
この他にも、(2)sometimes、(7)feels like right、(8)highest high、(9)stay goneを好きだ。
LSK のデビュー作。2000年で一番話題になったsoul singer(かな?)。混血で、音楽もオーバークロスなものを作る。−−余談だが、昔ラッパーだったのだが、今は「自分のなかにメロディを見つけた」
らしい。
多くの人がdebut singleの(2)による軽やかなsoulの印象を持ってCDを聞くと思うが、1曲目に流れるのはラテンなグルーヴだ。パーカッション中心のgrooveとvibeのリフのflavorのうえに、ジャマガフィンが乗る。意外だが、心地よい裏切られかたの曲だ。
バックトラックにガットギターとストリングスを効果的に配置して、コーラスの綺麗なサビを用意する。ミドルテンポに軽いswingの16beat。soulをベースに、かなりpopに歩み寄った作品。イヤミなく奇麗で、心に残る。
歌詞のほうは、かなり攻撃的。自分自身の混血と、音楽の多様性を、自分でプロパガンダする。アメリカならではの問題というか、princeの時代でもstivie wonderの時代でも、さらにもっと前から変わらず残る問題だなあ。−−これをagreeではなくてpopに奇麗にまとめるアタリが、LSKの偉いところだ。
実の妹をコーラスに使っている。ローリン=ヒル風な現代R&B。ミドルテンポの余裕のあるループで、エレピとwah wah guitarのバッキングがファンキーだ。−−かなり好きな曲。
2小節を1テーマにして、A-A'の4小節を延々と繰り返す。princeもよくやる形式だ。昔からある音楽だから、一般に通じる《名前》があると思うんだが、出てこない…
ローテンポ(100くらい?)の、あいまいなgrooooveの暗い曲。闇の美しさ−−まさにprinceだ。アメリカの非白人は、自然にこういうカルマを負ってしまうのだろうか。
こちらも同様にローテンポだが、長調で明確なハーモニー。全編を妹さんが歌う。
演奏は、どことなく中に浮いた感じ(非現実感?)を出している。−−具体的には、抑揚の少ないシンセ2種による16分のアルペジオを和音の基調とし、軽目のelectoric drumを使い、かつベースをごく小さな音の白玉に押さえている。これと、妹さんのか細い声が、全体として不思議な雰囲気を組み上げている。
bpmを110くらいに戻し、軽目のFunkなR6amp;Bを歌う。バッキングトラックは極力大人し目。リズムだけを出して、原則歌を聞かすもの。
メロディ自体は力強くも展開できるものなのだが、演奏に合わせて大人し目にアレンジされている。具体的には、押さえた声で冷静にメロをなぞり、さらに裏声1オクターブうえを乗せて繊細さをアピールしている。
サビではメインボーカルが白玉になり、代わりにハッキングコーラスがスキャットでメロディを作る。
全体として、LSKはnot<ただのシンガー、作曲者>but<composer>だと感じる。構成を重んじているのがよく分かる。
朝のj-waveの7:45のコーナーでは、週代わりで音楽の偉人を紹介している。2000年の夏だと思う。とある週に、Henry Manciniが紹介された。
それまで、マンシーニは売れない映画音楽家だった。仕事を探しにTV曲をうろついていたところ、なじみの監督に声を掛けられた。
「TV向けのシリーズを始めるから、ちょっと軽目でなじみやすいテーマソングが欲しいんだ。」
「分かった。なにか考えておくよ。で、なんて名前の番組なんだい?」
「peter gunn。刑事ものなんだ。」
マンシーニは、「親しみやすい、ということで、ちょっとJazzっぽいflavorを入れよう」と思い、この曲ができあがった。
そうなんだ! あの曲、TV番組のテーマだったんだ。作曲者、ヘンリーマンシーニ? 知らないけど、買おう。買おう。
と思ってradioを聞き続けると、他にもpink pantherや小象の行進も彼の曲だった。感心。
というわけで、Greatest Hitsを購入。
全体に雰囲気は同じです。良質な弦楽音のうえにホーンセクションが乗る。明快なテーマフレーズと、本式なハーモニーワーク、加えてアドリブあり。シアワセな融合。
タイトルは知らなくても、誰もが必ず聞いたことのある曲だ。ffaf a#fbaというsimple blues riffに、強烈な不協和音のホーンセクションが高名なテーマを乗せる。フレーズも音も徹底的にファンキー。−−art of noise? によるカバーテイクも有名で、車のCMで使われたこともある。
ちゃんと聞いたのは今回が始めて。意外なことに、最初にテーマを2度提示したあとは、テーマB(バッキングが演奏)上のアドリブ+テーマ再現上のアドリブ、とそっけなく演奏は終わる。短い−−TVサイズというやつだろうか。−−短いが、演奏のテンションがとても高く、心地よい。
これを表現するボキャブラリを持たないので悔しい。−−ロマン派オーケストラサウンドのバッキングに乗って、マリンバとピアノがテーマを弾く。−−とても美しい。−−ムーンラーダーズをご存知のかたは、シナ海の雰囲気を想像して欲しい。
(作曲claued thornhillとある。マンシーニはアレンジ担当?)
実はいままでmoon riverとmoon light serenadeを混同していた_o_ すいません。これで覚えました。
bookletには、主演のaudrey hepburnの言葉が載っています。ざっと意訳すると…
我々が演技で言おうとして伝えきれなかった部分を、あなたの音楽が完璧に補ってくれました。
いままで「小象の行進」は好きじゃなかったのだが、オリジナルを聞いてはじめて好きになれた。
drumは、ハイハットとrimで静かにテンポを刻む。オルガンが可愛くバッキングリズムを勤める。その上で、ソプラノサックスやフルートが、テーマフレーズを軽快に奏でる。−−演奏には重さは全く無く、どこまでも愛らしい演奏。まさに小象だ
私が過去に聞いた演奏では、アルトサックスやバスによる太い演奏で、ハーモニーも重厚で、リズムも強烈になっていた(東京スカ=パラダイス オーケストラや、高校の吹奏楽団など)。しかし、それはかなり誤訳だったようだ。−−ちなみに、タイトルも誤訳だ。walkとmarchを一緒にされては困る。
「酒とバラの日々」もマンシーニでしたか… 敬服。
なお、いままで聞いた酒バラは楽器によるアドリブの激しい演奏ばかりだったので、今回はじめてメロディを覚えました。
またヘップバーンですね。
暗い歌唱曲。おフレンチな感じ。−−「Princeがparadeでやろうとしたのはこういう音楽だったんだなー」
と感じ入った。よく考えると、paradeとcharadeってまんますぎ>プリ
これこそ知らない人はない曲だ。私にとっては「ドリフターズ スパイのテーマ」でもある。
テーマおよびバッキングのフレージングが絶妙の絡みを見せる。半音移行が多いのでテキストでは表記できないが… これほど魅力溢れるテーマはなかなか無いんじゃないだろうか。Jazzアドリブとしてもレベルが高い。
冒頭のピアノによる「..a. c--b | e--- --e. g--e| a--- --a. c--b| 〜」がとても印象的。
(作曲Nino Rotaとある。マンシーニはアレンジ担当? ディカプリオのロミジュリでも、この曲が使われてました。もともとのシェイクスピアからこの曲????)
マーヴィンが世界的に有名になったのはnew soulと呼ばれた時期(what's going on以降)だが、個人的にはそれ以前の王道モータウンsoul時期も素晴らしいと思う。この時期は、特にtammi terrellとのデュエットの質が高い。2000を記念した「20th century masters」としてbestが出ていたので、喜んで購入。
彼と彼女は、モータウンの鬼っ子だった。どれもメロディが綺麗で、それをしっかりした声で歌い上げる(2人ともよい声だ)。オーケストラもホーンもリズム部隊も一流を集めている。
ぜんぶメロメロに好きなので、まともなレポートは書けない。特に好きなのは(1)your precious love、(2)ain't no moutain high enough 、(3)you're all i need to get by、(9)keep on lovin' me honey、(10)you ain't livin' till you're lovin'だ。−−(10)は全マーヴィン作品を通して1番好きかも。
(2)は、別の人のカバーテイクで知っており、元曲がマーヴィンだと知って驚いた。
(記憶が間違っているかもしれない。以下のハナシはtammiじゃなくて次の奥さんのハナシだったかもしれない。)
tammiは、当時のモータウンの社長の娘。マーヴィンとは結婚しており、この2人の歌はモータウンがもっとも力をいれており、ガンガン売れていた。しかし、マーヴィン個人の懐は潤わない。売り上げは会社に取られていた。
60年代後半にtammiと離婚したとき、マーヴィンは音楽界にいどころを失った。曲がヒットしなくなり、収入はさらに減った。
マーヴィンは、70年代の頭に自殺を覚悟し、最後のレコーディングに望んだ。single1曲のみの録音だった。−−ゆったりとした16beatにラテンパーカッションを追加し、それにのってアドリブばかりのヴォーカルが響く。ストリングスの演奏が、歌を支えるのではなくて、意図して全体のテンションを挙げるように不協和音のテーマを弾く。−−これがwhat's going onだ。予算の都合なのか、曲はモノラル版でリリースされた。
本人や周囲の予想とは裏腹に、what's going onは大ヒットした。急遽albumのレコーディングがブッキングされ、似たような曲と似たようなアレンジの曲を詰め込んで作品は完成した(私はあのアルバムをキライだ)。
続くシングルmercy mercy, meもヒット。マーヴィンの収入は安定し、ようやく離婚示談金も支払えた。
同じころにcurtis mayfieldも(バンドimpressionsからソロデビューし)、実験的な新しいsoul musicを作っていた。どちらもメッセージ性の強い歌詞(非love song)で、旧来モータウンsoulとは大きく違うストリングスを配備し、ラテン系のリズムを導入していた。−−これをして、世の中はnew soulと呼んだ。
その後、このnew soulは普通のソウルとして定着した。79年のmichel jacksonの[off the wall]など、new soulやfunk r&bのカタマリだといえる。
marvinは、その後に実の父親によって射殺された。よく覚えていないが、父親が麻薬でラリっていたのだと思う。
curtisは、ライブステージで落ちてきた照明器具によって半植物人間状態を余儀なくされた。奇跡的に意識は回復したものの、普通の生活はできない。1度だけ《本人は寝たままのレコーディング》でalbumが出されたが、翌年死去。
1998年、j-waveでよくかかっていたfunkyなループのclub songがある。アーティスト名を忘れたが、cantaloopという曲だ。その元曲はJazzで、誰の演奏かは知らない。1999年9月のPC Expo時にPalm(当時は3comの1部門)が主催でblue note tokyoの協力の下に開いたパーティーに参加したときに、ビデオとして掛かっていた。とてもカッコよくて感動したのを覚えている。
その元曲を、つい最近しった。cantaloupe island。オリジナルは、herbie hancock。彼のピアノのバッキングが印象的だ。
実は私はherbieをキライだ。数曲しか聞いていないが、感触としてキライだった。そのherbieが、この曲のオリジナル。自分の価値観が揺らぐのを感じる一方で、「私がキライなのはシンセを弾くelectric herbieであり、ピアノならば好きなのかもしれない」と希望を灯した。その後j-waveで聞いたtaken' offという曲も彼のピアノ曲で、かなり気に入った。
このたび購入したアルバムは、(elingtonのときと同じく)ken burns jazzシリーズのherbie hancock。時期とレーベルを問わずに代表曲を収録している。(1)watermelon man、(2)cantaloupe island、(3)meiden voyage(処女航海)、(4)speak like a child、(6)chameleon。
聞いたが、ぜんぜんダメだった。まったく感心も感動もできない。イライラばかりが募る。
アドリブ部分に入っても、印象は変わらない。−−生気が無い。あえていえば、メロディやリズムやハーモニーではなくて、ムードを出すように勤めているように感じる。「主張してはいけない」という戒律でもあるようだ。
(余談:曲をキライなわけではないようだ。他のバンドがアレンジ・演奏したものでなら、好きなものはいくつもある。とくに、小曽根誠のラジオでコーナーテーマとして流れるwatermelon manは好きだ。あのフレーズをピアノ1本に構築しなおすとは思わなかった>小曽根。)
実は、マイルス=デイビスのso whatを聞いたときにも、チック=コリアのreturn to foreverを聞いたときにも、まったく同じことを感じた。そして、私はそのどれもをキライだ。どうも生理的に合わないらしい。
(余談:個人的には、私がユーミンや原由子をキライなのも、同じ理由だと感じる。私は、あの2人の声の出しかたに感情を感じない。)
たぶん、まったくもって「たぶん」だが、マイルス以降のこの手の音楽は、swingを否定するところから始まっているのだろうか?
私が好きなのは、生気のある音楽。主張のある音楽。−−たぶん、マイルスやハービーは、彼らの方法で主張をしているのだと思う。でも、私はそれを汲み取れない。逆に、「彼らは分かって欲しくないのではなかろうか」「わざと聞き手を無視するような音楽をやっているのではなかろうか」とすら感じる。
残念だ。悔しい。
(余談)
chameleonのシンセベースには聞き覚えがあった。すぐ気がついたが、Zappaが、adventure of greggery peccaryのダンスシーンでコレを引用している。−−これを知ったのが、今回の唯一の獲得物かもしれない。
最近BACHが好きで、彼に関する研究的な入門書を読んだ。それによると、実はバロック音楽には「リズムの揺れによる興奮」「不協和音の追求」「小人数での演奏(多くて10人)」「即興」が付き物だったんだそうだ。−−極論すれば、Jazzっぽかった。
(補足:礒山雅(1990)【J.S.バッハ】講談社現代新書1025)
その音楽は、古典派(教義のクラシック)やロマン派の時代には消えてしまった。一部に「楽譜に指示が無ければ、ビフラートすら掛けてはいけない」というような楽譜史上主義すら生まれた。
BACHの音楽は1900年まで消滅しており、復興時もロマン派的な解釈によって極端に抑揚が無かったり極端にテンポを遅くされたりして、かなり捻じ曲げられたものになっていたらしい(その演奏者には捻じ曲げたつもりはないにせよ)。1950年代後半になってようやく上記のようなバロックの実体が分かり始めて、演奏形態も工夫され、ごく最近になってBACHの演奏は大きく変わってきている。
あらためて自分が持っているBACHを聞き比べると、私が好きなテイクは、リズムの揺れやアドリブが多い。私は「生気のある」演奏だと感じている。−−あとから得た知識と照らし合せると、これこそが新しいBACHの解釈で、かつ実はオリジナルに近い解釈のようだ。
(注:オリジナルが必ずしも最良というわけではないのだが。)
(注:といっても、オリジナルは「即興せよ、この楽譜に演奏者自らの解釈を足して、そのときどきの生気を持て」といっているわけで、私にとってはそれこそが音楽の唯一の正しい姿だ。−−発展を認めないならば、オリジナルを越えることもありえない。)
それと照らしめてherbieを聞くと、まるで反対の音楽に感じる。あのサックスの使いかたは、まさしく「ビフラートしてはいけないヴァイオリン」と同じではなかろうか。なんてつまらない音楽だろう。
−−だがしかし、本当にそんなにつまらない音楽なら、マイルスやハービーがこんなに支持されているはずがない。だから、どこかに鑑賞するポイントがあるはずだし、感情を読み取る文脈もあるはずだ。
だが、私はそのボキャブラリを共有していない らしい。哀しいことだが、しかたあるまい。どうしても分かり合えない人間だって、ときにはいるのだから。
バロック時代の古楽器のコンボによるzappa楽曲集。内容は、ぜんぜんダメだった。ただ楽器を古楽器にしただけで、それようにアレンジし直したわけではなく、原則オリジナルに忠実に演奏している、この矛盾が酷くて聞いていられない。
(注:Bach演奏で古楽器が流行っているのは、あれを現代のフルートやピアノで演奏すると、編曲と楽器が矛盾するからだ。作り込まれたものほど、楽器のサシカエは難しい。)
唯一よかったのは、エドアキナ's arf(spell忘れたし、音も自信ないが)。でも、これのためにわざわざアルバムを買う必要はない。
ひさびさのbjorkの作品。本人主演映画で使われた音源を中心とする。映画だけあって、オーケストラ演奏を交えていたり、展開が(ストーリーに合わせて?)複雑になったりしている。bjork自身の歌唱はいつもどおり神経質な叫びなので、全体としてとても前衛プログレっぽい。もちろん、とても良質な。
全体に暗い。暗い、重い、狂おしい。病的。まさにbjorkの資質そのものだと思う。
オープニングからしばらくの間、インダストリアル=ノイズのループによるリズムトラックが続く。だんだんと音数が増えてダンサブルになり、bjorkのシャウトが乗る。歌詞は聞き取れないが、suck, wack, burn!
という意味不明な叫びが届く。
しばらくするうちに、マリンバとストリングスが入り込み、歌にメロディが生まれ、オーケストラが音場を包み込む。−−オーケストラとインダストリアル=ノイズが共存したまま、曲は進む。
bjorkの性格を多分に反映した(と思われる)、破天荒で実験的な音楽。なのに美しい。−−オーケストラの編曲者は大変だろうなあ。
映画の宣伝でも掛かっていた「主題歌」。
こちらもノイズ系のループ+オーケストラの曲だが、よりオーケストラが主体。全編を重苦しいストリングスが包む。男性ボーカルとbjorkが交互にメロディを切々と歌い上げる。サビのみ一部ハモる。
基本的に、短調のコード展開とメロディが美しく、かつどちらのヴォーカルも声質が合っている。美しく、物悲しい音楽。
(余談:サビのメロディが「NHK 人体の神秘」と同じなんだが、どういう偶然だろう?)
うまく表現する言葉が見当たらない。−−短調。くらい、重い、狂おしい。オーケストラ綺麗。なのにシンセドラムが暴走する。
4+2の6拍子。しかし、その構造を示すのは、音場エフェクトで挟み込まれたシンセスネアのみ(後半2で16分が8連打)。ヘッドフォンで聞かないと、構造を把握できない。
歌詞が数値のみ。一定テンポでモノローグとして語る女性をバックに、節廻しつきで歌い上げるbjork。それだけでも恐いのに、数値の順序に規則性がないのが、また恐い。
(余談:オーソン=ウェルズを称するときに、「彼ならば、喫茶店のメニューを読み上げるだけでも、聞く人を感動させるだろう」
みたいなのがある。この曲がまさにそうか?)
演奏は−−さきほどから同じことばかり書いているが、オーケストラによるロマン派系演奏で音場を埋め、そこにインダストリアル系ノイズが被る。主導はオーケストラが握るが、後半ほどノイズが暴走する。
(余談)
映画のほうは、カンヌ映画祭でパルムドールという賞をとり、かつ主演女優賞だか新人賞だかを取った。
日本での上演時、宣伝が「感動大作」と謳い、先行して見た女性陣が「涙が止まりません」
「体の震えが止まりません」
などと言っている。だが、内容は感動モノではない。−−ただ悲惨なだけの物語。
主人公セルマは、売れない歌うたい@キャバレー。病気の息子のために治療費を貯めていたが、そのお金は友人に盗まれてしまう。犯人を求めて深夜に街を徘徊中、警官に誰何され、答えられず、射殺される。
本当の人生には、ドラマなんかない。神の奇跡などない。救いなどない。−−これがこの作品のテーマだそうな。
そんな映画は見たくないなあ^-^
このアルバムの特色は、(1)キツイ反復のリズム、(2)太いシンセサイザー、(3)音場をいじるエフェクト(細かいエコーやパンニング)、(4)ボコーダーの多用、以上の4点だ。マドンナ個人の特製は、本作では素材の1つとして扱われているに過ぎない(と私は感じる)。−−楽曲は、基本的に鋭角ダンステクノ。今回起用した新鋭プロデューサーmirwais ahmazaiの仕業のようだ
(余談:前作ray of lightでは「歌い上げユーロビート」で、私は大嫌いだった。古くからのプロデューサーの楽曲は、今回も私は嫌い。)
1st single。この曲を始めてラジオで聞いたときの感想は、「どこのバカだ、いまどきここまでのコアテクノをリリースしちゃうヤツは」だった。マドンナだと知ったときは驚いた。ご乱心か、とまで。
ベタベタのシンセベースと単純極まりないシンセドラムによる、猛烈な反復リズム。ボコーダーで「音色」に変身させられたボーカルが、音素材の1つとしてループしている。同じく電子的に加工されたギターのリフが、半小節ごとに分割されて左右の音場を押さえる。それとは別に、無秩序なシンセの発信音+フランジャーがノイズ的に音場を圧迫する。
このうえで、マドンナがシンプルに歌う。けして叫ばず、ガならず、感情の起伏があるようなないような曖昧な調子で、「music, lisen people, come together」
。
正直なところ、はじめて聞いたとき、私は「こんなにつまらない楽曲でいいのか」と感じた。しかし、聞き込めば聞き込むほど麻薬のように脳髄に刺激が来る。よーく聞いてみると、音楽には仕掛けが盛りだくさんだった。
ヘッドフォンで細かく音を確認すると、シンセベースには付点8部のディレイが掛けられており、しばらくの間左右を漂っている。フランジャーも多用されており、左右を飛ぶギターリフと、中央で16を刻むシンセ発信音にもキツくかかっている。−−かなりトランス系の音場だ。
音は、後半になるほど多数重ねられていく。ドラムに注目するならば、こんな感じ。
マドンナが、ここまでコア系の音楽をやるとは思わなかった。
同系統のテクノダンス。bpm128くらいかな?
ボーカルが徹底的に加工されている。
ボコーダーを、メインボーカルの装飾音として使う。「ギターであればハーモニクスを出す」ようなメロ展開のために、ボコーダーでオクターブを飛ばす。
シンセベースがまた王道セクシーだ。これも音を重ねることで展開させている。
打って変わって静かな曲。bpm110くらい、アコースティックギターの弦を活かしたカッティング中心のリフが曲の土台になる。アメリカンフォークといえばいいのかな???
マイナーコードで切々と進むのだが、マドンナの声は感情的にならないので、余分な悲壮感は出ない。
そのうえに、ブリッジ部分ではシンセがポルタメントたっぷりに歌い上げる。−−個人的には、この響きにはグっとくる。ヘンに歌い上げるボーカルよりも、よほど胸を締め付ける。
(余談:3や 5 は気に入らない。と思ってクレジットを見ると、willam orbitがプロデューサー。これが前アルバムのひとかな? )
さらにテンポが遅く、さらに重く。これは暗い楽曲だ。イントロだけキーボードがメジャーコードを聞かせる。この段階では付点8部のディレイが強く響くために、テンポも速く聞こえる。しかし、ボーカルが入れば、あとは暗いマイナーコード。シンセストリングスで暗く思い音場が全編を支配する。
ボーカル全編にボコーダーが掛かっている。対メロやブレイク部分のリードでは、アナログ系のシンセサイザーがポルタメントとビフラートたっぷりに歌い上げる。−−この音は、2000年にやたら流行っていた。鼻に付く人もいるが、このプロデューサーが上手いのか、マドンナの声質に会っているのか、気持ちよく響く。
展開が進むと、アコースティックギターのカッティングで場をキープしつつ、ドラムが暴走を始める。まずは32部ハイハット(いわいるdrum'n'base)。続いては効果音を混ぜたノイズ系バスドラムおよび深いリバーブ。
しかし、ボコーダーで固めたマドンナの声は、たった1つのメロディを揺るぎ無く歌う。強い。
2nd single。ラジオで聞いた瞬間から感じていたが、この楽曲の作曲・編曲手法はPrinceのもので、実はPrinceよりも上手いかもしれない。
音楽は、2小節+2小節のアコースティックギターのアルペジオ リフのループを基本にしている。トニックはDで、すべてブルーノート(メジャーでもマイナーでもない)でD-A-C-Gと進む。−−これは通常のAでは考えられないコード進行で、メジャーやマイナーといった調整は完全に死んでいる。にもかかわらず個々の部分に矛盾はないし、全体のモードは1つだけ。
この同じモードで、AメロとBメロをキープする。AとBでメロは全く異なるし、実はメロ内在のコード展開も別。しかし、同じモードにmixしてしまう。
展開は、AとBを交互に繰り返すだけ。基本リフはまったく変わらない。たしかに後半でオカズが増えたりするが、原則は冒頭のリフとループの妙技ですべてを引っ張る。
−−これは絶頂期のPrinceの最大の特徴に、ぴったり符合する。
細かく語るべき部分は他にもあるが、よーく考えたら、この曲の凄さはブルーノートによるD-A-C-Gそのものだと気付いた。ギターリフのDJ MIX on/offや、ベードラ3連府の絶妙さなど、このモードに比すれば、ほんのオカズに過ぎない−−気がする。
この曲だけ まったく毛色が違う。プロデューサーも違う。guy sigsworth and mark "spike" stent。
とても純粋にpop。コード展開もメロディも歌詞も演奏もpop。このアルバムで唯一のやさしい曲。
「それが女の子にとって どんな感じがするか、あなた分かる? その言葉で女の子がどう感じるか、あなたは分かるかしら?」
introのサブドミナントM7−トニック(ここではGM7−E♭)の進行は、人間だれしも胸キュンしてしまう切ない展開だ。これをGM7−E♭−D♭onE−B♭7と続けるとは、感動もひとしお。
公式サイトhttp://www.madonnamusic.com/を見ると、なんと全曲完全に試聴できる(QuickTimeストリーミング)。太っ腹だ>ワーナー