近所でサンタナ[シャーマン]を視聴して、非常に気に入る。ゲストボーカル多彩、曲も雑多。どちらかといえば先方の曲にサンタナが参加したような感じ。singleのミッシェル=ブランチなど、完全にあちらポップ。対比として、サンタナ曲のラテンなモノがよく映える。かなり成功していると思う。ギターもかっこよく、Zappa亡き今、サンタナに期待してもよいかも。
ところが、私は悪いやつで、(ポイントカードの都合で)購入はたいていtower record。新宿タワーにないBachを探すため、珍しく渋谷へ。すると予想外なモノをいくつも発見してしまった。困る。
私は1st〜3rdを持っていないので、とても重宝。このころの曲はsingleしか知らぬが、jogaやisobelは大好き。いまのところ邦版しかないようなので、洋版がリリースされるかどうかチェックしてから購入。
FZ:OZ:19761月20日演奏。ボジオ参加! マイナーレーベル(not ryko)発売、MSI直輸入。なんと輸入版は9500円。買えない!
調べると、zappa.com直販商品らしい。これからいくつか出るのかな>未公開ライブ。だったらちゃんとrykoと仲直りして欲しいな>ゲイル(奥さん)
(amazon.co.jpで買える。30$。ちと高いが、2枚組みならしょうがないか。)
bootsyが新譜を出しており、専用視聴機でビデオまで見える。悩んだ結果購入。感想は別記。
同じ棚には この2つが。
bootsy参加liveとして唯一の公式版。日程も曲目も [revolution of the mind] と被る。power〜のほうが微妙にテンポゆっくりめで、演奏がよりゴリゴリしている…かな? わたしはrevolution〜を買ったところなので、購入は見送り。
私コレを高校生のときに1度買っている。princeつながり。そのときはまったく理解できず、すぐ売り払ってしまった。
今聞くと分かる。純度の高いサイケロック。エディ=ヘイゼルのギターが最高だ。
(注:ファンカデリックもParliamentsも、コアメンバーは同じ。george clinton御大+bootsy+メイシオ=パーカー+バニー=ウォーレル。契約の都合かなにかでキャラを使い分けてリリースしていた。bootsyソロも、メンバーはかなり被る。)
当時の私はこれを「funkじゃない、おかしい、どういうことだ」
と混乱しながら聞いていた。もったいないことだ。いっぽう、初期のParliamentsは純度の高いfunkで、こちらを気にいって聞いていた。
自戒1:音楽を聴くときは、周りの評判や思い入れや期待はソレとして、ちゃんと音盤そのものと向かい合い、音盤そのものを評価せよ。
自戒2:ファンカデリックはfunk bandといわないほうが、誤解なく伝わると思う。funkもやり、なんでもやるグループ。
金に余裕が出来たら、ヘイゼルのいる録音を買い漁ろうと決意。その結果、サンタナ購入は見送ることにした。
(追記:メールで指摘いただいた。one nation〜にはヘイゼル不参加とのこと。あらま、視聴機のタグに「ヘイゼルが〜」と書いてあったのに。なんにせよ、購入してクレジット見ればクリアーになる問題。買ってガッカリすることにならず、よかった。)
11月4日まで期限で安売りセール。値段よりも、過去の名盤が視聴機に並ぶのがうれしい。
今日のみっけもんはジョージ=デューク(geoge duke)。アーシーなシンセが宇宙を飛ぶぜ。albumタイトルを失念したが、1曲目のベースフレーズgoodだった。でも、mix悪し。音が分離せずに癒着した感じ。残念だな。
さらにjimmy smith [root down] を聞いた。考えた末に購入。
ネタonly。及川ミッチーとキヨシのコラボレート。ジャケで、2人が化粧して並んでいる。ミッチーが妖艶。−−ただ、コンセプトがあまりにも《坂本+忌野》と同じすぎて、私はちと辟易。
音楽は。別にどうということなく。こういうまっとうなボーカルと並べると、キヨシはジャマに感じる。
一期一会=スピッツのカバー集。全体に、私にとっては意義ナシ。あまりグっとこない。椎名林檎[スピカ]の中盤トイピアノフレーズ(最初のサビ後)が面白いくらいか。あとは、松任谷由実(漢字不問)が歌うとなんでもユーミンだと再確認したことくらいかな? −−ユーミン大嫌い。はい。
唯一の例外が。最後から2曲目。polysics[チェリー]。
オープニングが。濃厚なフィードバック=ギターによる分厚い重ね録音フレーズ。プログレ風の畳み掛けドラム。圧倒的にアングラな音場。
「ここからどうチェリーになるのか」とわくわくしていると、サっと全体無音。歪みまくったギターだけがブロックコードをジャリっと鳴らす。−−8分。休符。8分。休符。8分。休符。8分。休符。−−ボーカルにはディストーション。乾いた音場にポップメロディが軽く響く。
大笑い。king crimson[21世紀の精神異常者]のパロディだ。バンド演奏の基本はアレを使い、メロやコードはスピッツそのまんま。
演奏はかなり徹底しており、Aメロの2ループ目ではドラムとベースが入ってきて、ブロックコードに厚みを出す。7小節目では再びブレイクを入れてボーカルのみとなる。間奏部分では、[f--f#--g--]繰り返しの怨念プレイをした後、[cc.c.c e♭-e-f-]フレーズのパロディでジャムセッション。ちゃんと[..b.fg ..b.fg]まであり。素晴らしい。
あえて苦言を出すならば。これはどちらかといえば[21世紀の〜]のカバーであり、[チェリー]ではない。チェリーのメロディは保護されており、壊されていない。どうせならば、部分部分でチェリーを分解するところまで行って欲しかった。
…てなふうに私は大感激したが、しかしこの演奏を喜ぶのはごく珍しい人種だと思う。商売になるのかね>polysics。(googleでひいたら、どうもテクノバンドの模様。だとしたら、彼らのファンもとくに喜ばんのではないか。)
放置しておくと溜まる一方なので、速報として書く。
2002 wanner/eastwest
数年ぶりのスタジオ新譜。ゲスト多彩。邦題[ファンクだよ、全員集合!]。snoop doggやfat boy slimなど。今っぽいsoul singerもつれてきており、音は全体に現代。−−個人的にはrosie gainesが1曲歌っているのに感動。
一部気に入っただけだが、その一部が無性によい。このあいだライブ版を購入しなかったこともあり、先生への感謝の印として購入。
ミドルテンポのポップファンク。メロは今ふうsoul。
最初のフルコーラスが、ただの4つ打ち基本ビートとbootsyの生ベースだけ。このベースのフレージングが素晴らしすぎて、店頭で強くうなづいてしまった。−−時間があったら打ち込んでお届けしよう。
フレーズだけでない。エフェクトもすごい。一定以上の強い音をはじくと、音がクリッピングしてワウ系フィルターが掛かるようになっている。ウニョっと裏返る。bootsyのシンセベースのテイスト。ソレが生でも。もう感動。
歌は、80年代ディスコを今っぽくリアレンジした感じ。とくになにということはないが、クールなベースとあいまって素敵。
(余談:この曲を含んで多くの曲でbootsyが「ワーーーーーーミ アップ!」
などと叫ぶ。いまだコレは持ちネタなんだな。ほほえましく思う。)
スローテンポの今モノsoul。サビの女性ボーカルが無性に綺麗。ベースはあまり出ず、fat joeとbootsyがラップする。
−−これ、AshantiかJa Ruleを呼べれば大ヒットしたと思う。呼べないあたりがbootsyの微妙なところか?
超スローテンポのメロウファンク。贅沢なホーン合いの手と、絶妙なトーキングモジュール+ギターが入る。何を言うにもrosieのボーカルの説得力がすごい。princeがあんな無礼をしなければ、もっとbigになれた素材なのに…と再び悔やむ。
ミドルテンポの80年代ディスコ…というか、これはprince[1999]のディスコだ。シンセのフレーズ、音色、ブロックコードでのリズムのつけ方、シンコペーションのあるブレイクなど、どこをとってもprinceにしか聞えない。
ボーカルはone。ファルセットで美メロをかます。princeの変名じゃないのかと疑いたいくらい。が、いまのprinceはこういうのを上手くやれないような気もするし。
(私は、店頭でこれを聞き、あと一歩でマジ泣きするところだった。コレが決め手となって購入した。)
ちなみに(8)dance to the musicにもoneは参加。これなどサビがlady cab driverマンマだ。
それはそれとして。bobby womackのようなビッグネームがここに参加するとは思えない。ただたんに、サンプリング元かな?
放置しておくと溜まる一方なので、速報として書く。
1972 verve
jimmy smith with electrich band。歪んだワウギターとラテンパーカスを従えたjazz funk。
どの曲もテーマ部とか無性にカッコイイし、アドリブ部も抜き出して数分聞くとカッコイイ。とくに(1)でのjimmyのオルガンの叫ばせかた(変なタイミングで変な位置の高音をギュオっと出す)はカッコイイ。が、全体を通すと、微妙に飽きる。趣味の問題にすぎないとは思う。
−−理由の一環には、jimmyの音色表現が少ないことがあると思う。at the organでは、目くるめくスイッチングやフィルタと超絶演奏の両立に感動したわけだから。
さらには曲調もあるだろう。ローテンポの泥臭いブルースjamである(3)after hoursは無常に好きだ。こういうのが好きなんだろう>自分。(1)のハイテンポ系や表題曲(4)root downのミドル24thは合わないのか。
あと1つ理由を挙げるなら。(1)も(4)もコードがブルース進行で、1-1-1-1-4-4-1-1の8小節のあと、かならず4小節使ってフィルを入れるのだが。このフィル部の演奏が固定なのだ。jazzのjamなら、ここはコードに従うだけでフレーズは自由。その差異がどうも引っかかっている。
−−(7)root down別テイクは、(4)より遅いテンポで、フィル部もみな毎回違う演奏をする。演奏アンサンブルが一部噛み合っていない部分があれども、こちらのほうが圧倒的に聞き応えがあると感じる。すると、要因としては《短いスパンで同じ演奏が繰り返される》が一番気に入らないのかな。
(10月22日(火)20:45)
目黒の洋食屋ポップワンでのBGMは、いつもノスタルジーの極地。曲が変わるたび、それに刺激され、客がそこかしこで苦笑いや思い出話に花を咲かせる。
今日は80年代アイドル歌謡。私が入ってから出るまでは…
ヘボなエレドラ、ヘボなシンセ、ヘボななボーカル。なよなよ。だが、このころの英国ニューウェイブは本家もこんな感じだった。見事な輸入。
イントロは、ノッコのvoだけでサビを歌う。当時も感じていたが、レベッカは(ごく少数の例外を除けば)演奏も歌も下手だし、私の感覚では“ハズしている”部類。
前にも書いたような気がするが、当時の小学生〜中学生である“僕ら”は、「はたしてレベッカはロックなのか?」というような変な次元からロックを探求せねばならぬような足かせがあったのだ。ジッタリン=ジンは否定していいのか。ならリンドバーグは? B'zは? 極端な話、歌舞伎ロックスは?
それに比べると、今の日本の音楽環境は圧倒的に幸福だと思う。すくなくとも、たとえばモンゴル800が演奏としてロックであることを疑う必要はないだろう。だがまあ、それでも小学生〜中学生は「GRAYなんて本物のロックじゃない!」など、似たような足かせはあるんだろうな。−−逆に、大人になれば、GRAY“も”ロックだとやすやすと認められるんだが。真実は1つじゃないのだよ>中学生だった私へ
最初から最後まで、ドラムが1小節ループだった(フィルあったか?)。もうちょっとがんばればいいのに。歌も、この太いイモっぽさが80年代だな。Aメロが綺麗にポップでも、サビ後半の変化部分で浪曲に動いてしまうのが“お楽しみ”か。
イントロで、ギターの高音単弦がパーカッシブにキュンキュウンと鳴る。これがカッコよくて、思わず頭を上げてしまった。歌が始まると、隣の机で「めぞん一刻だねぇ」と嘆息が。それにしても斉藤由貴は歌が下手でかわいい。
演奏が。かなりロックなんで驚いた(ポップ=ロックを否定してはいけない)。バック演奏に徹しているのでとくにフレーズはないが、前掲のCCBやレベッカよりも明確にロックしている。ベル系キーボードが前面に出て、そういう印象を消しているんだけども。
サビ部分の演奏ブレイクや、間奏でなぜか転拍子するあたり、個人的にツボ。
イントロのシンセのフレーズがあまりにも鮮烈。これまた顔をあげてしまった。あのフレーズ、わたしには思いつけないし、耳コピーでは弾けない。スゴイ。
歌が始まり、それが少年隊だと気が付いたとき、無性に興奮した。カッコいいよコレ!(除く:歌詞と歌唱) 日本版ユーロビートの綺麗な解釈と、かなり良質なロック演奏。メロディーとコード展開が甘い歌謡曲なので、ギター旋律がヘンな方向に跳んでいるが。
実はこの数ヶ月、MISIAのsingle(タイトルしらぬ:「じれったい じれったい 思い出ばかりじゃ」ってやつ)の演奏があまりに悲惨なので苦しんでおるのだが。これにくらべると、少年隊にせよ斉藤由貴にせよ、ほんと良質ロックよ。このあいだのdeep purpleながれでhitomi[love2000]も再確認してみたが、speed king引用も見事だし、ホーンフレーズもカッコイイ。ロックよ。
その一方で、doubleは(筋をパクリまくりとはいえ)音は立派な今風R&Bだし。宇多田[automatic]の演奏も、日本歌謡とSOULの融合が見事だったし。いまの子供はほんとラッキーだと思う。
…これもj-waveが最低限のフィルタリングを実施しているからかもしれんけど。
実際には、桑田圭介が、あんなモノをrock'n'roll heroなんてタイトルでリリースして、少年たちをムゲに混乱させておるわけだが。いやもちろんアレもロックなんだけど。
友人に借りて[はっぴいえんど]を聞いている(寄せ集め)。演奏も曲調もアレンジも上手い。日本フォーク調を基調にしながら、ファンクもロックもブルースも見事にこなす。けして「っぽい」のではなく、かなり本物。コーラスワークでのメロの変化具合は、細野のチャンキーミュージックの片鱗が見える。
私にとって、はっぴいえんどは 残された聖地の1つだった。ずっと開けないで来たのは、コレがかっこ悪く感じた場合に自分の軸が揺らいでしまうから。聞いたこともないくせに、無性に思い入れと信頼を寄せるアーティスト。三つ子の魂百まで…というか、中学生のときの(後天的な)刷り込みは一生消えないものだ。
これまでいくつかの聖地に足を踏み入れ、期待以上だったことも以下だったこともあるわけだが。[はっぴいえんど]は以上だ。安堵かつ幸福。
実は昔コレを嫌いだったのですよ。「beatlesはこういうプレスリーなロックを演奏してはいけない」と思いつめていた。間違った想いの掛けかた。
冷静になれば。オールドアメリカンポップとブルースを上手く消化して、バラードながらもゴリゴリに力強い演奏に仕立てていて、目を見張る部分ばかり。ギターをひずませまくった一方で、割り切ってスネア部でのカッティングのみにしたり。ボーカルは全体にガナりっぱなしで、特にブリッジ部分のテンションは尋常じゃないし。
わたしコレを初期beatlesだと思い込んでいたのだが、アビーロードなんですな。考えてみると、このステレオ音場の活用の上手さと、心地よく歪んだディストーションは、ホワイトアルバム以前には存在しえない音(たぶん)。
実は聞いたことないのです>アビーロード。買わねば。
珍しく早く帰り、途中デパ地下で購入した弁当で食事。j-waveから無性にハードなオルガン+ギターの、いかにもプログレな楽曲が流れる。【jam the world】の8時台は、トランスありプログレありの意外な時間帯。そのわりにはシリアスな時事ニュース分析をクールにこなす。そのBGMもダブだったり。アンバランスが面白い。−−今日は拉致問題一時帰国で、ハコ記者から電話報道。
(補足:調べたらYESだった。[PARALLELS]。鋭角的なのはいいが、ベースがE周りA帰結、オルガンがC周りA帰結。スケールがパニクってますがな。だが不思議なことに、歌が入るとC-Aで統一される。なぜだ?)
その直後、ドリカムのDCTレーベルからのsingleが掛かる。へったくそな英語歌はどうでもいいのだが、バックトラックのギターの響かせかたがすんごくカッコいい。|..XX|XX..|..XX|XX..|と、頭休んだあと開放で音をつなげてカッティングするのだが、深くコンプレッサーを掛けてペコペコにした状態で、だんだんとwahペダルを踏み込んでいく。ワウじゃなくてローパス=フィルタとして使っている。別に新ネタじゃなくて、SOULでたまにある奏法なんだが、ディストーション具合とwah具合が絶妙で関心した。
(補足:[IT'S ALL ABOUT LOVE]。)
持論だが、自戒を込めて:もし個別の曲単位で聴くチャンスがあるのならば、アーティストくくりで音楽を評価するのではなく、曲単位でいいところがあれば認めたい。嫌いなヒトでも、たまにいい曲・いい演奏をすることがある。逆もまたしかり。
(余談)
数年前のこの時間帯は、日本のアイドルまじりミュージシャンが日替わりで担当していて、とてもじゃないが聞けなかった。方針転換してくれて嬉しい。−−もっとも、祭日くらいしか聞くチャンスがないのだが。しかし、groove lineから掛けっぱなしにして炊事などできて嬉しい。
(余談:毎日担当は違うのだが、あまり区別つかず似たような印象。別に喋りを聞くわけじゃないからいいんだけど。)
13:10、新宿tower record。岡村らのCDチェックのため、7F(j-pop)に珍しく降りる。
と、店内をアコースティック=ギター音が埋めている。店内イベントだ。見ると、いかにも日本フォークなおじさまが、サングラスに肩までの黒髪で、ガットギターをかき鳴らしている。伸びやかな太い声。感じとして黒*マキ(黒瀬? 黒川? 忘れた)などの女性シンガーみたい。
すぐさま、そのギターの上手さに目を見張る。たった1人の弾き語りで、ここまで太い音+広い音幅+的確なコード進行+メロディを出せるとは。
弾き語りでも開きさせない工夫なのか、演奏曲調はコロコロかわる。タンゴ、ファンク、フォーク、ジャズなど。ハフォーマンスは一切無し、というか、この指使いと、繰り出される音そのものがパフォーマンスだ。歌やメロがすごいとは言わないが、このギター技術と自身の世界は見事だ。one and onlyとはいわないが、一流として数えても恥ずかしくないと思う。
ふだんの店内ライブと比べ、客の受け止め方が圧倒的に違う。ほとんどの人間が(私も含め)彼をまったく知らず、音に気を引かれて寄ってきて、彼のプレイを見て、声を聞いて、そのまま立ち止まる。曲が終わるたびに、割れんばかりの拍手が起こる。−−ふだんはファンしか聞かないし、立ち去るヒトがかなり多いものだ。
MCおよびチラシで知る。彼は長谷川きよし。1969年デビュー。このひさびさの新アルバムでは、意図的にギター一本弾き語りにしており、それでツアーも回る、と。中原中也の詩に曲をつけたり、絵本+詩に曲をつけたりと、いろいろ鋭意的に展開している、と。
もちろん、敬意を払ってCD購入。しかし、家のCDラジカセでは、あの感動がちっとも出てこない。再生環境の悪さもあるかもしれないが、録音方針も悪いと思う。根本的に、歌のバランスが大きすぎ。ギターと歌の両方が主役になるようにmixするべし。また、ギターがスチール弦みたいな響きになってしまっている。エンジニアがエレキしか知らんかったのか? もったいない。
だが。それよりもなによりも。このCDはメジャーレーベルではない。自主制作。CD外側にJasracの了承シールが貼ってあるようなCDなんて、見たの久々だ。メジャーならば「許可印略」ですんでいるものなのに。−−今日の店内ライブも かなり手作りっぽかったし。−−時代と釣合わず商売にならないのは分かるが、これだけの技術が大手資本に冷遇されている状態は悲しい。音楽業界が営利産業であること自体は悪いと思わないが、しかし商売で儲けた余力で、このような本物のアーティストを支えるような業界体制があってもよいんじゃないか。−−と、下っ端書籍編集者は思った。
しかし、このCDでは、あの生の感動の1/10も伝わらないのは確かだ。ミュージシャン、難儀な商売なり。
80年代ディスコとは聞いていたが…これは違う。劣悪なパロディにしか感じない。−−4打ちのバス、8でオクターブに跳ねるベース。低音でつぶやくメロ。意図的にそうしたのは分かるが、しかし個人的には0点に近い。
岡村の良さを出すなら、リズムありきの音楽ではダメだ。美メロが先。そこに狂気のリズムを割り込ますから面白いのだ。また、高音を使わせないとアカン。できれば中音と高音の対比を上手く出すようメロを工夫するべし。さらに、途中からシャウトで高音がすっ飛んでいくとモアベターだ。
なのに。なのに。なんだいこのデキは。今度こそ今度こそと期待したのに。こんなんだったら、眠り続けていておくれよ。
リズムやノイズの使い方、リバーブの掛けかたや切りかた、音色選択、音場制御、なにをとっても一流だ。にもかかわらず、ちっとも面白くない。驚きがない。再生期のYMOとなにも変わらないじゃないか。なんのためにユニット名を変えたのか。−−これならばYMO 1stのほうが新鮮だ。
ただし。4曲目wilsonのベースラインと重厚コーラスは100点だ。あからさまなbeachboys/braian wilson賛歌でありながら、細野独特の無国籍感が出ている。YMO以前のチャンキーミュージックともまた違う。洗練。
いっぱい再販されてますが、江戸アケミがいなくなって10年ですか?
生きてたんですね。しかも、やたらめったら爽やかになって。1曲目pleasure、これのみならsingleで買ってもよいかな。
岡村流に言うならば、「心に住んでるロックンロールが騒ぐんだ」
。世界を黒く塗りつぶせ、と。−−けれど実際のストーンズは、けっこうヨタヨタ・ヨロヨロしておるのです。それほどキリっと立っているわけでもなければ、ハードでもなく、リズミカルでもなく。
この事実は中学生時分の私を苦しめた。−−「日本のヘナチョコなロックは偽者で、どこかに本当のロックがあるんじゃないのか?」
ストーンズは本物のはず。クラッシュは。クリームは。クイーンは。…ビックネームを渡り歩いても違和感は消えない。ジミヘンやジャニスはともかく、ほとんどの白いヤツらの音楽はつまらなく感じる。ピルトルズなんかパンクじゃない!−−そうして私はYBO2や有頂天、あるいは突然ダンボールやキングクリムゾンを聞いておったわけですな。(いや、そこまで偏ってないが。)同級生がブルーハーツやジュンスカやボウイを聞いていたころ。わたしは、RC以外はほぼアングラだった。
日本中のロック探索少年に伝えたい。まずはバディ=ガイやマディ=ウォターズを聞いてごらん。ブルースとリズムブルース。それからZepに行き、もう一度beatlesの意味を考えるんだ。できるだけロック以外の音楽も聴こう。popを聞き、ボサノバを聞き、歌モノJazzを聞くんだ。SOULとR&Bを並べ、Funkも聞き、それからジミヘンやエアロを試してみよう。一通り巡ってから、そこからロックンロールに戻るんだ。そのころには、ロックとロックンロールの差異に、自分の中で落ち着き処ができるはず。そうしたら、be-bopやアドリブ中心ロック(Zappaとか)を聞いてごらん。同時に、アメリカのヒットチャートをバカにせずに聞いてごらん。それからもう一度Zepに帰り、やはりまたbeatlesの意味を考えるんだ。
ロックはロックに過ぎない。幻想や思想で、なにかとてつもないことを期待してはいけない。そういう衝撃ではなくて、音楽自体を楽しめるようになろう>中学のころの自分
(10月12日(土)24:00)
今日の何時に聞いたか忘れたが。nirvanaの未発表曲がオンエア解禁された。次のbestに入るそうな。[i know my right]。ミドルテンポ、ゆったり。ギターはつぶれまくりの音のでアルベジオ中心。ボーカルはつぶやき唸る。暗い。サビですこし張り上げる程度なのに、全体に感じるパワーは強い。暗黒なり。わたしはたいしてnirvana好きじゃないが、これはグっときた。[rape me]なんぞより数倍いい。
(10月12日(土)18:30)
もうやんカレーでドライカレー。
入店すると、TVモニターに加山雄三がスーツでステージに。青いムスタングを抱えてバンドと演奏。外人ギタリストと肩を並べてバンキングしている。店内BGMはまったく別のJazzが流れているので、何を演奏しているのかは不明。この外人も私には誰だかわからぬ。
しばらくすると、モノクロ映像の断片と新聞切り抜きコラージュになる。どうも古い年代を振り返るコンセプトの番組らしい。ch不明。そもそも地上波かどうかも不明。
次に移ったのはジュリー。若い。これは沢田研二ではなくてジュリーと呼ばねばならぬだろう。バストアップの横顔ショット。マイクに向かって、いろんな角度から迫ったり引いたり。手振り大きい。歌い上げる表情が無性にセクシー。これは惚れるわ。
歌詞がスーパーインポーズで下段に。
キツい一日 ベッドで泥のように眠りたい。キツい一日(などなど)
ようわからんが、beatles [hard days night] なのかな?
カメラが正面になり、引く。ボーカルは3人。しばらく気づかなかったが、中央のは境正章(漢字不問)だ。みな細身長身。2人はおとなしく歌っていたが、ジュリーのみオーバーアクション。ひざを曲げて腰を落とし、プレスリーばりに振る。手はギターを抱えるしぐさをし、右手が大きくグラインド。最後には上着を持って大きく旋回させる。つられてマチャアキも上着を脱いでハイジャンプなど。
なかなかよい絵を見せてもらった。
(10月9日(水)10:15)
ボーカリストじゃなかったのか。ドラマの主演なぞしておる場合か? いまさらながら。
去年は朝日なんとかさん中心で岡村トリビュートなぞやったわけだが、この夏もどこぞの女性ボーカルが1曲カバーした。[イケナイコトカイ]で攻めてきた。(しかも岡村全面協力なんでしたっけ?)
私はあまり気に入っていない。演奏も歌唱も、原作をほとんど消化できていない。キツイ言い方をすると、「これではカラオケねーちゃんではないか!」
。
別に「独自アレンジしろ」
という意味ではない。アレンジが同系統であっても、ちゃんとどこが盛り上げどころか理解し、どこに何を込めるか明確にして演奏すれば、それは当人の演奏となり、ちゃんと味が出る。これが《作品を理解・消化する》ということだろ。−−そうでなければ、ただたんにツルツルした表面で味わいなく滑るだけだ。
たとえば[イケナイコトカイ]の場合。岡村原作のエッセンスでは、地声とファルセットを使い分け、音に込める湿気を制御している。サビを実例にだせば、「イケナイ」が地声、「コト」が吸気付きファルセット、「カイ」で吐く。音は(Fトニックで)ddd-a-g-c-。「カイ」で5度あげている。この歌をカバーするなら、この狭間に自分のファルセット分岐ノートを持ってくるように調性を合わせるほうがよい。
(さらに足すなら。Aメロ部分は下オクターブのa〜f音で、余裕を持って包み込むように出している。Bメロブリッジは上のd〜fで、シャウト気味に攻撃気味に叫びやすい音域を使っている。Cサビでは5度移動を駆使して、この曲で最上トーンを使う。歌い手の音域制御力を強く必要とする楽曲になっている。−−自分アテ書きならでは。)
このファルセット=トーンの使い方は、この曲のさらなる原曲ともいえるprince [do me baby]に共通する。もっと遡れば、カーティス=メイフィールドやダニー=ハザウェイらになる。(間奏ストリングスは、まんまマーヴィン=ゲイの模倣だったりする。)
さて、今回カバーした女性歌手は、こういう声湿気制御をしたかといえば、していない。そのわりには、曲アレンジは原曲模倣なのだ。「それではイカン、もったいない」と伝えたい。
…こうして、岡村に思い入れの強い私は、日々悶絶するのでした。
(9月23日(月)15:45)
12:38、ぶじ東京駅着。そこから帰宅、飯、洗濯で現在に至る。
j-waveが強めのロック中心の特番をやっている。実にひさしぶりにpurple [speed king] を聞く。たまにだと嬉しいな。
続いてlennyの[let love rool](うろ覚え)。beatlesの [you wont see me] のコード進行を使ったバラード調。中盤以降のリフレイン部分でレニーの声のガナりがだんだんと強くなっていくあたりが心地よい。−−再生産だっていいじゃないか、職能・芸能なんだもの。
(9月30日(月)17:00)
今朝j-waveで。purple [speed king] のリフが流れる。本物よりテンポ遅めで、ドラムがハーフビートを刻む。カバーだ。元はギターとベーの同音ユニゾンだが、このバージョンでは途中から3度上がハモって乗る。なかなかポップかつロック。カッコイイな。ダレだろう?
…と思って聞いていたら、「愛は〜ど〜こから やって・くるので〜しょ〜」
とヤラれた。hitomi [love2000]だ。イントロでこんな大ネタをやっているとは知らんかった。speed kingまんまじゃないかもしれないが、かなり引用していた。
hitomi担当のアレンジャー、遊びセンスがよいな。
(9月25日(水)10:00)
けさj-waveで、かなりハイテンポなサルサのリズムに、短めのホーンフレーズが2小節ループする、なかなかアグレッシブでかっこよい曲を聴いた。しばらくすると、奥田民夫のボーカルが。スカパラとやったアレだった。
リアレンジ担当はfantastic plastic machine。春頃かかってたEWF [september] もよかったし。他人曲だけでアルバム作ってくれないかなぁ。
(9月25日(水)10:00)
とりあえず聞かなきゃ。
(9月17日(火)13:00 )
sketch show−−細野と高橋のユニット。
この土日にj-waveで2曲聞いた。テクノだった。1つ目は、ノイズループを巧妙に使ったリズムと、抑えたボコーダーによるハーモニーブロックが面白かった。2つ目は、終了期YMOみたいでつまらなかった。これなら新作でやる意味が無い。
個人的には、細野の生ベースと高橋の生ドラムを存分に聞きたいものなんだが。
(9月16日(月)20:45)
j-waveで、ELPの展覧会の絵がかかった。スタジオ版だった。
私が友人から貰ったテープ(中学生時代)はライブ版だった。全曲披露。 いまのいままで、この曲のスタジオ版があると想像したことすらなかった。 あれはライブだからアレなんだとばかり思っていた。
思い込みって不思議なものだな。
(6月24日 11:00)
あんた誰かよwho are you?
I am 祇園のひなぎくだす。
ちょいとイカした芸子だす。
あら、月様、雨が…
春雨じゃ、濡れていこう。
I sing in the rain...
ちゃんばらマンボ:トニー谷。
こうやって書き連ねてみても、隠せずにただようシュール臭。 まだテープ残っているかな…といえば、残ってるわけがない。CD買うか…
(6月28日 21:00)
目黒の洋食屋《ポップワン》にて。BGMは昭和の名歌謡曲が延々と。[やめてけれゲバゲバ][渚のシンドバッド][センチメンタルジャーニー]など、かなり節操のない選曲。有線だろうな。いろんな意味で楽しい。
郷ひろみ[林檎殺人事件]。「アダムとぉーーイーブがーあー」
の声の伸びやかさに非常に感心。歌い手の声の特製をよく把握して作曲してるなあ。
「飛んで飛んで…廻って廻って…」
(タイトル失念。円ひろし[夢模様]だっけ?)。有名なサビメロよりも、Aメロの「そして私は蝶になり」の部分が秀逸。和音展開をごくシンプルにしたまま、メロは1つのジャンプと1つの半音によって驚くほど効果的に丸みを持っている。作曲者に脱帽。トニックC+8分で書くと…
C Dm .eef gf#g↑e | fedc# d----|
こうしてみると。ポップや歌謡の勉強を怠ってはいけないな。このメロはsoul/r&b/rockの素養では出てこない。シナトラよりもトム=ジョーンズか。
店を出るときは、turip[虹とスニーカーの頃]。これはイラン。
(9月17日 22:30)
ニューミュージック以降の日本は、《シンガーソングライター》信仰が変に強い気がする。ポップスやロックの評価で「作曲しないミュージシャンはニセモノだ」みたいな言われかたを耳にしたことがあるはずだ。
私は、専念歌い手や専念作曲者、あるいは専念演奏家も大好きだ。ヒトの曲を演奏するのは、卑怯でもなければ、才能の枯渇でもない。演奏家の才能は《音楽を演奏すること》で発揮されるものであり、作曲ではない。 −−自分の父が職人ミュージシャンでありアーティストでないことも影響していると思う。
また、楽曲が《特定のアーティストに固有》になるのもおかしい。誰もが自由に演奏できるべきだ(著作権使用料は払う)。同じ曲を別人がまったく違う解釈で弾くのは楽しいものだし、同じ方針であっても個性が違えば違うものになる。−−楽曲自身は素材であって、それを処理して作品にするのが音楽家なのだから。
(最近は知らないが)50年台〜70年代の黒人音楽では、あるヒトのヒット曲を別人が歌うのはふつうだ。ライブでやるだけのこともあるし、レコーディングすることもある。otis reddingの曲をbuddy guyがやったり、wilson picketの曲をJBがやったり。−−jazzは言うまでもなく。
日本の歌謡曲・演歌でも、私が子供だった80年代でもそういうもんだったと思う。[三年目の浮気]をレコーディングした歌手は何人もいるだろう。
(9月17日 22:45)
いまremixといえば[別バージョン]のことだが、昔はそうではなかった。言葉の意味から考えても、remix=mix違い、(たとえば)シングルはラジオ向けに(1)ボーカル強調(2)リフレイン短め バージョンで、アルバムでは正規バージョンで、というモノだ。基本的には同じマスターテープを使う。ミックスダウン違い、だな。
いまremixといえば、マスターテープに手を入れる。演奏を加えるどころか、ボーカル以外すべて違うのもふつう。(たとえば)bjorkなどクラブ意識アーティストは、シングルCDの開き部分に、他人editバージョンを4つ5つ入れたりする。こういうものをremix版という。
この言葉の変遷はいつごろ発生したんだろ。
新宿タワーで4枚CD購入。ついでに数枚視聴。
RED直前のライブ。[太陽と旋律III]だけ少しいい。私はクリムゾンを好きではなくて、宮殿の伝説を好きなんだろう。
カバーイラスト最高。ポップな色使い、赤が激しい。例の星メガネでニンマリ笑い、大きな手を振り上げ、ベースをバシバシと叩いて弾く。この絵だけでシビレる! イカす!
イントロがDr.Funkensteinのリフ。これに乗って、ブーティーが煽って喋りまくる。この時点で腰が抜けそうなくらいカッコいい。曲が始まって女性コーラスのシャウトが入ると、もうメロメロにブーティーFUNKだ。特にギターリフとベースの絡みが素敵。ホーン部隊のカウンターも強烈。最盛期のJB並−−メンバーJB'sと被りまくりだから当然か。
でも、音はブートレグ並みの汚さ。演奏内容はダレたり長すぎたり。ソロ演奏がちとイマイチ。強権ディレクターが寄りぬき編集テイクを作るべきだったと思う。
木管トラヴェルゾ版で、チェンバロとの2人ソナタ演奏。編曲でfluteにしたものも含む(音楽の捧げもの)。
これまで聞いたトラヴェルゾ演奏は、一般に音色が一本調子。バイオリンのサポートがないソロor2人ソナタだと、いかな名手でも(私は)途中で飽きてしまっていた。ところが、この演奏家は違う。ブレスをかなり混ぜて、かなりの音色変化を作る。尺八を思わせるくらい。木管のよさ、ここにあり、か? かなり感心。
ただ、数曲でピアノを使う。これがいただけない。トラヴェルゾが消えてしまう。音楽の捧げもの編曲は、かなり意欲的だし方針もいいと思うのだが、なんでピアノなのかね。
j-waveで聞いた話。
9月開催のオークション(イギリスだったか?)で、ジミヘンのあの燃やされたストラトが出品される。ビデオで出回っている、かの有名なシーン、あのギターそのものだ。−−下馬評では、すでに「過去最高だったクラプトンのオークション値を超えるに違いない」
と評判。
そのギターの所有者を聞いて驚いた。ジミ自ら、そのギターを「記念に」とFrank Zappaに渡したそうな。FZは死ぬ前にドィジール(息子の1人、ギタリスト)に譲った。今回ドィジールがオークションに出す。
なんでまた出品することになったのかは知らぬ。なんかのチャリティーなんだろうか。
(追記:9月29日)
結果、たいした値が付かず、希望落札価格にすら達しなかったため、出品取り下げとなった。いったいなんだったんだろう>ドィジール