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BaltimoreはZappaのふるさと。
この曲では、中央部で分厚いコーラスが訊く。「なあ、バルティモアでは何が流行ってる?」
−−すべての演奏がSTOPして、Zappaが答える。
「ロッキンロビンじゃないかな。」
わたしはバルティモアがどういう都市なのか知らないし、Zappa自身がふるさとにどういう思いを抱いているのかよくは知らない。ただ、自伝を読む限り、そこは田舎町だったはず。
受け取りかたは2つあるだろう。(1)「いまだロッキンロビンが流行ってるままなんじゃないか」
という自嘲的なもの。(2)「いまでもロッキンロビンが流行っているような田舎のままであってほしい」
という回顧的なもの。どちらが正しいかは分からないが、わたしはZappaの口ぶりからは、なんとなく愛を感じる。
なお、歌詞の内容は毎回違う。ロッキンロビンはon stage 5のバージョン。ロッキンロビンはいわいるオールディズで、ジャクソン5のテイクが有名。
楽曲は、前半と後半でまったく違う。
前半はテーマ演奏。美しいメロディと不可思議な変拍子。A-1パートは5+5+5+6(2+2+2)、A-2は6+6。リズムは難解だが、反復が明確なので、聞いても戸惑うことはない。このへんは70年代以降のZappaのお家芸。なお、A-1部の(2+2+2)はギターのハーモニクスを生かしていて、耳に残る。
中盤でちょっとした展開を挟んで、後半はゆったり6拍子のロックバラードに。上述のコーラスとの掛け合いをやったあと、ギターソロ。メジャーコードでI-VI展開。Zappaのソロで、この当たり前のメジャー展開はちょっと珍しい。
このアルバムは、全体が歌詞の関連性を持っている。前半(LP1枚目)はすべてメドレー。
1曲目は[teen-age wind]。Zappaにはちょっと珍しくU2調で(うまく表現できない)、ボーイソプラノが少年らしい苦悩を歌う。「自由になりたい、風のように自由に」
。
ふつうのロックソングとして展開して行くが、サビで突如変拍子になり、Zappaが低音で語る。
「自由とは、つまりお金を払う必要がなかったり、なにも持ってないってこだ。で、キミ、自由になりたいかい?」
(日本ではGNU関連など《フリーウェア》のフリーの定義でたまにすれ違いが起こるが、英語圏でもFreeの扱いは難しいようだ。)
このあと、曲は突然ブルースリフの3連に変身する。それも束の間、ブルースタイプのままリズムが8+8|6+6+6+3+3に変化。最初は奇怪すぎて驚くが、数字を見て分かるように、なれると素直なリズムで、気持ちよくなってくる。
そのヘンタイリズムに馴れたころ。ロックサウンドがすべて消え、突如オルガンとブルーハープが鳴り響いて、2曲目に移る。カントリーソング。内容は「なあ、フリー(独身)になろう、別れよう。」
−−この人を喰った展開には大爆笑。
曲名は[Harder Than Your Husband]。内容は、浮気相手の女性と別れようとする男の話。最初は「おれはオマエの亭主と違って気難しいから(hard)、付き合っていくのは大変だぜ(hard)」
なのだが、だんだんと違うものの硬さの話になっていく。
「オマエの亭主より硬いんだ、硬いんだ、もっともっともっと硬い」
でも曲調もコーラスもアコースティックなカントリーの柔らかなもののまま。この差異にもまた苦笑。で、「もっともっと」
を繰り返すうち、また突然次の曲へ。
一転して若々しいポップハードロック。ゴリゴリのパワーコードで「xxxx xx.. .... ....|xx.. .... xx.. ....」
という妙に分かりやすいリズムで、パワーボーカルが元気に叫ぶ。「愛してる、愛してる」
。ただそれだけの曲。冗談みたいに充実した分厚いコーラスが気持ちいい。
次はまた一転してレゲエへ。−−全般こんな感じ。万華鏡。
演奏面での特徴は、異常なまでに凝った分厚いコーラスワーク。たぶんZappa作品のなかでも随一。
曲は、現存するポップソングのカタログのようにジャンルが豊かで、それぞれのオーソドックススタイルをなぞる。チャカす感じはなく真剣にアレンジされているからこそ、受け手は面白い。わたしがいつも言う「落語家は笑ってはいけない」
の原則。
Zappa入門に最適な1枚。
オリジナル版(71年【waka/jakawa】)は、cool/free/mode jazzのZappa版解釈と思われる演奏。Zappaの中でも異色の存在。
アドリブ部:ゆっくりとした4ビートswingのリズム。まずはエレピがソロワーク。george duke得意の繊細で美麗な音空間。2分くらいでミュートのトランペットが乱入。掛け合いでも8小節交換でもなく、互いに独立したまま同時にアドリブを繰り広げ、緊張感が上がる。しばらくするとZappaのギターも乱入。
すべての楽器がめいめいにアドリブをして、混沌とした音場を作る。−−実はこれはZappaにしては珍しい。ほかには、2nd【absolutely free】[call any vegetable]でのギター+フルートバトルしかないのではないか?
(Zappaの通常のケースは、イニシアティブを取るメロディリーダーが1人いて、それに合わせる様に全セクションがアドリブ反応する。すなわち、fusionやbluesの方法論をロックで演奏している。一般的なロックではソロイスト以外は定型リフを弾くだけ。Zappa型になれると、一般ロックは物足りなく感じることがある。)
最初聞いたときは、わたしはモードの悪夢に迷い込んだ(マイルスが本気のときってワケわかんない!)。が、不思議なことに、2度3度と聞くと、浮遊感のある世界が止められなくなる。麻薬のよう。全員のソロを全部暗記したくらい。−−あとから分析すれば、ベースは無調ではなくずっとルートEをキープしているのと、ところどろこでホーンセクションがリズム合いの手を入れているので、そこがガイドになっているのか。
テーマ部は、bop的な短いフレーズをZappa風に展開したもの。リズムがキテレツで、7+7+6+6。ただし、まったく同じフレーズを、最初はギター+ベースで、2度目はホーンセクションが対演奏するので、聴いているほうは安心できる。−−この手法は本曲で最初に取り入れられ、以降のZappaの基本パターンの1つになる。
on stage1版は、74年バンドの演奏。テーマ部はそのままだが、アドリブ部はいわいるfuison/funkになっている。前半は11(8+3)でgeorge dukeのエレピソロ。後半は16でZappa。混在はなし。
on stage2版は、エンディングとしてテーマのみを演奏。譜割を変えて、ふつうの16beatに載せている。こういう《同一メロの譜割変化》も70年代Zappaのお家芸の1つで、その究極形がinca roadやrdnzlで聴ける。
テリーボジオが主役。このころ、美形ハードロックバンドangelというのがいて(未聴だがHRファンには有名だそうな)、そのボーカルpunkyにボジオがメロメロになった。それをZappaが面白がって、おちょくるゲイ唄にしたてる。
(なお、リリース前にはangelサイドにちゃんと許可を取り、punkyは大笑いしてOK出したそうな。)
楽曲は、ハードロックと“いわいる”クラシカルプログレの塊。複雑なリズムに美メロを乗せて、8小節ごとに次々とまったく新しいテーマが導入される。基本唄メロ3つ+演奏メロ2つのほかに、(厳密には数えていないが)使い捨て演奏メロが5つ以上あって、興奮の大構築美を見せる。−−ちなみに10'50''の尺だが、アドリブソロは3分くらい。
これが、どのメロも心底美麗。そしてハード。複雑でも聴きやすい。奇跡のような1曲。 個人的には、唄前半が終わってソロに入る前の部分が好き。アルペジオ基本のテーマを最初にゆっくりテンポて提示し(6+6+6+3+3+3+3)、4回繰り返したあと倍テンポにする部分の緊張感がたまらん!
DVD[baby snakes]で生演奏を見ることが出来る。
ボジオは、あれだけハードなドラミングをしているのに、片手でマイクを掴みながら歌う。ときには立ち上がりまでする! エイドリアンブリューは婦警さんコスプレをして、ボジオの唄にあわせてセクシーポーズを取ったりする! 見た目のエンターテイメントも凄くて、演奏がアレ。どういう能力を持っているのか。
余談だが、ギターソロの最中に、とある8小節ループ目のラスト1拍でドラムが完全STOPするフィルがある。CDで聴いたときはただの効果だと思っていたが、DVDで見ると、そのシーンでなんとボジオはカメラに向かって投げキッスをしている。−−だから演奏が止まるのか! アホすぎるにもかかわらず、すごくカッコいい。悔しい。
ほかの曲でも、ボジオはタオルで体を拭きながら足だけでドラミングしたり。にもかかわらず、音数はしっかりしている。どういうテクだ、この男。
初出の【in new york】版では、曲の終わりでZappaがアナウンスする。
「birthday boy, Terry Bozzio, sad but true.」
おいおい、男の誕生日になにやらせてんだ>Zappa
[calender]
はがれん15巻は22日発売です。
1〜4 5〜8 9 10 11 12+13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26・27|人形アル 7つの大罪 ネコ カバー裏 錬丹術!
イシュヴァールの逸話(みなの思い出話)が終わり、現代に戻ってくる。悲しみを踏まえつつ、エルリック兄弟は語り合い、前に進もうとする。
それと同時に、スカーらも意外なところへ動き出す。−−《北》へ。
「この国の錬金術は どこか間違っている」=作られた《似て否なる》もの?
以前のマルコーの類推によって、次にウロボロス(ホムンクルス)らが紛争を起こす場所も《北》だと判明している。たぶん、ホーエンハイムがいるところも《北》なのだろう。
物語は進むなあ。よくできてるなあ。
マスタングが連絡を取った老紳士にも期待。
あの老紳士、東部のときの上司か。6巻で確認。中央でも静かな胎動が始まる。−−ひょっとすると、その胎動すらウロボロスの望むところのような気がしなくもない。でも。「人間よ、責務を果たせ!」
だね(これはヘルシングの名セリフだが)。
北。某ねえちゃん少将こえええ。そして。都市の距離感がやっぱり分からない。−−アメストリスの地図ってないのかね。ググると、コミケで誰かが作ったみたいだが、さすがに画像は出てこない。
そして、まさかのスロウス登場。いままでのウロボロスで一番理解しがたく、それゆえに不気味で怖いかも。それにしても、8巻のあの1コマが生きてるとは(しかもここで)。
ただ、流れとしては整理巻、整理巻。14・15が素晴らしすぎた。でも、また伏線いっぱい消化して、同時に貼って、物語を膨らませてください。
以上、ガンガン2006年12月号まで。ひょっとしたら16巻にはあと1つ入るかな?
何度目かの再読。そして初めてタイトルの意味に気が付く。−−なんでこんな簡単なことを3年も4年も気が付かないままだったんだろう。
「1つの光を無限の色に分ける」
なわけだな。1つの事象を多くの側面から見る。想いの再分配。−−これはまさに神林テーマであり、本書のテーゼだ。
(写真は言うまでもなくピンクフロイド。)
[calender]
Gシリーズは、かつての「でっかくて よく写る」
高級コンパクト。だが、デジタル一眼が安くなって、自然に役割を終えていった。
これは秋モデルかな? 妙に評判がいいので、実際に触ってきた。
驚きました。小さいのだ。かつてのAシリーズ(廉価でボチボチのやつ)くらい小さい。でも作りはGシリーズで、新設のISO専用ダイアルと、ボディ背面ダイアル(EOSと共通)によって、ものすごく扱いやすいカメラになっている。−−個人的には、あのもっさいグリップがなくなったのがグー。
顔認識も−−この機能自体は2年くらいまえから富士(かな?)が搭載しているが、評判がよくなって来たのは今年。で、まあ、実用になったあとの顔認識をイジるのはわたしは初めてなのだが。これがまた感動的だった。
画面上の顔に、ほんとに四角が出る。AF中じゃなくて常に出る。歩いている人を四角が追いかける。−−いまでも多くのユーザーが「子供の運動会を撮る」
「記念写真を撮る」
だから、これは強烈だろう。FUJIのfd(face detect顔認識)も試してみなければ。
ちなみに、ただ顔を見つけてピントをあわせるだけでなく、顔と背景の光量差などを分析して逆光補正したりするそうな。−−一眼でコレやられたら「俺の露出意図を無視するな」
と怒るところだが、コンパクトはそれでいい。
すげーなCANON。出し惜しみのCANONがここまでやってくれたとは。
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前も撮影した青目クリーム。スカーフが新しくなっているので撮影していたら、突如短く「にゃ」
と鳴いて歩き出す。
先を追うと、おばあさんが。カゴ車を押しながら、ゆっくりゆっくり歩いていく。クリームくんは、その前を先導するように、ゆっくりゆっくり歩いていく。で、いつもクリームが逃げ込むお宅、すなわちこのおばあさんの御宅へ帰ってゆく。
ネコがこんなふうに、ヒトの前をゆっくり歩くのを見たのは初めて。エサが欲しくて後ろを付いていったり、ニャーニャーと呼ぶのは何度も見ているが…
なんとなくすごくいい光景を見た気がする。
ひとには強要しないけど、わたしは主義として、
ドトールだろうがファーストフードだろうが、
お金を払うときや店を出るとき
かならず「ごちそうさま」
と言う。
記号化してていいと思う。
日本人は、「ありがとう」
「いただきます」
「ごちそうさま」
「すいません」
などの
いろんな記号の中で育つことで、
いつのまにか記号が本心になるようにできていると思う。
記号は 言うのが楽だし。それでいい。
(自覚的になにかするような西洋タイプは日本人には向かない。そのかわりに、こういう和合という知恵がある。)
今日 D23と話したネタの1つ。 コマ割の発明者は誰だろう?
マンガのコマ割は日本独自のものです。もともとのアメコミは基本的に同じ横長コマがずっと続く。新聞の下とかに連載なのね。便宜上、フィルムストリップといいます。
ページを独自のサイズに割って、それでリズムを出すのは、実は日本が発祥。この《マンガの文法》を作って定着させたのは手塚治虫です。
ただし、発明者は手塚ではありません。手塚より古いマンガでも、コマ割っぽいものはある。ただ、完成してはいないの。そこは間違いない。
でも、誰が最初かはわからないのね。誰か知ってるかな???
ちなみに手塚の初期のマンガもフィルムストリップです。ページを単純に横長の3コマに割って、それがずーっと続く。宝島あたりはこのへんね。
あと。D23が指摘したんだけども。《見開き》を定着させたのは手塚じゃなくて、なんと車田正巳であるらしい。それはまた意外な事実。でもあたってそう。ぎゃらくてぃかまぐなむ!
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