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PR:日本留學情報網 taiwan2japan 從台灣向日本
1月6日についーとしたものを、加筆修正します。
これが夕方のショートバージョン
床屋に行ったら、協会の指定かなんかで、化学物質汚染の冊子を配ってた。「地球が泣いています」
て。なんだそれ、なぜ床屋が。
森林学で修士までやった身として、「地球が泣いています」
は大嫌いだし、通じないと思う。
環境汚染にせよ気候変動にせよ、日本人に一番通じる言い方は「米が採れなくなり、マグロも獲れなくなる」
だと思う。
地球自身は、灼熱から氷結まで、ぜんぶ体験済みだ。地球は痛くも痒くもない。生態系も、新しい遷移に移るだけ。自然はしぶとい、強い。困るのは、今の生態系に依存してる人間だ。
年の平均気温が3度あがることの影響なども、一般には「海面が3cm上昇する」
と説明するが、それより「米が採れなくなり、マグロも獲れなくなる」
のが通じるだろう。日本人は食が絡んだときに一番本気になる。
気温が3度上がれば、気候帯がズレる。今 米を作っている産地で米が採れなくなる。米は、その土地の養分に合わせて最適化されてるから、同じものは取れない。山田錦はもう採れないかもしれない。つまり、同時に酒も死ぬ。−−大豆はしぶといが、酵母も しぶといとは限らない。すると、味噌も醤油も全滅だ。
(注:わたしの専門は「森林学」
なので、細菌は疎いです。でもこれは意図的な煽り文なので、あえて酵母も弱いということで進めます。そこ、念のためご注意ください。)
(補足:「大豆はしぶとい」
は、明日分に説明を記述します。)
海水温度が変われば、当然漁場も動く。今まで日本人が獲っていた場所に、その魚はいなくなる。北上するわけだよ。中国とロシアの海域へ。
山がハゲ山になれば、まず水道水の料金が倍になり、店でのお水も有料になる。日本の水は森が守ってくれているもの。
山がハゲ山になれば、さらに土石流と水鉄砲が多発して、台風時の被害が凄いことになる。気温も変わるなら、台風のコースも変わる。いままで九州が特に苦しんでいたのが、ちょうど首都圏が危ないかもしれない。ま、そしたら首都移転だろうけど。
こんだけ人間の生活に密着したことなんだから、「地球が泣いています」
じゃねえと思うのよね。
「米が採れなくなる、マグロが獲れなくなる」
。醤油・味噌・酒、全滅。てか、食生活が成り立たなくなるよ。
ちなみに、ええと人類自体て何億年だっけ、さすがに曖昧だな、その間に気候変動てのは何度もあって、その度に、たとえば民族大移動とかしてる。まあ、移動の原因ほかにもあるけど。生活も当然変わってる。種としての人類自体はしぶといよ。
でも、個人はそうじゃない。
問題は、とりあえずACの歴史0000〜1900と、産業革命以降の1900〜2000で、産業革命以降のたった100年のほうが気体の変動が大きい。原因特定できないけど、その観測自体は疑いようがない。観測精度の差レベルじゃない。
原因究明も対策検討も、ちゃんと専門家がやってる。なのに、特にこの数年、変なエコブームでイメージ戦略するから、きちんと伝わらない。あげく、武田教授の「実は温暖化してない、二酸化炭素は原因じゃない」
てな本がベストセラーになる始末だ。
武田教授、専門は工学なのに、なんで環境系に手ぇ出したのかなあ。煽ると儲かるのかねえ。
たとえば武田教授の本には「ペットボトルのリサイクルに意味はない、たとえは鉄屑には回収屋がいる、ペットボトルに回収屋がいないことで、実際は経済的ではないと分かる」
てな感じのことが書いてある。実際は、中国からペットボトル回収屋が来とるつーねん。
話がずれた。ともかく、地球のためじゃあ無いのよ。今の自分達の快適な暮らしを維持するために工夫が必要なの。「米が採れなくなる、マグロが獲れなくなる」
が分かりやすいと思うんだけどなあ。味噌醤油酒全滅。
ここからが深夜のロングバージョン
繰り返しますが、「地球が泣いている」
「地球に優しい」
は意味が無い。実際はもっと人間生活そのものに根本的にかかわることで、そう意識させたほうがいい。地球自身は氷結も灼熱も平然だし、生態系も遷移が変わるだけで、何も困らない。困るのは、いまの生態系で生きている人間だから。
いちばん分かりやすいのは、食文化がぜんぶ壊れる、だと思う。日本人は「食」
が絡むときに一番本気になるのは、これは歴史的な事実。−−例のあれも「おせち」
じゃなきゃ、小さな問題だったと思うよ。
万が一平均気温が3度上がれば(なぜ3度かは後述)、日本でも当然気候帯がズレて、農作物から動物まで、ぜんぶの育成が崩れる。
もちろん、200年レベルでみれば、次の遷移で安定するだけのことだ。でも、そのあいだどうするの? 米も魚も獲れない。米がない=酒がダメ、大豆酵母が無い=醤油、味噌、ぜんぶダメ。
つか、米、味噌、しょうゆ、酒、こんだけなくなって、日本人は平気かね? 200年レベルでは平気だろう。米がなきゃパンを、酒がなきゃワインを。でも、ほんとにゼロになることを考えてみて欲しい。
武田教授は「3度など、夏と冬の気温差より小さい」
とか書いてベストセラーだが、冗談じゃない。平均気温が3度違う= 中部が九州になる、首都圏〜北陸が中部になる、東北が首都圏になる、だよ。農産物ぜんぶ崩れる。
米は、その土地の養分に合わせて最適化、品種改良されてます。山田錦が別の場所で栽培できる保証は無い。単純に北にずれるだけじゃすまない。
そして、日本の一番の食糧供給部分である北海道の気候は、海に逃げる。カニくえないだけならいいよ。乳牛どうすんの?
とりあえず気候の話だけで進める。禿山ふくめると長くなりすぎる。ただ、日本の水は森林が守っているもので、その結果 お店で水がただで飲めることだけ再掲する。世界的には水も優良。森林がなくなれば、水道代も倍になりかねんよ。
AC0000年〜1900年の分の大気成分変化と、産業革命後の1900年〜現在の大気成分変化で、産業革命後のほうが大きい。1900年間より100年間のほうが大きい。統計精度の誤差じゃないレベルでおかしいのは、そこは疑いようのない事実。
ちなみに、昔の気温とか、別に古文書で確認してるわけじゃなくて、地層を掘り返して調査しますですよ。大局的なものは、南極という優秀な氷床があるので、そこで深くボーリングして調べまくってます。成分変化と放射性同位体から、いろんなことが分かります
(ちなみに、大昔は南極大陸にも木がありました。それの専門家が名古屋大学にいましたが、残念ながら移籍した。冒険家っぽい面白い先生だった。末田先生。そこからも分かるとおり、いまは400万年規模の寒冷化フェーズです。)
地球の気温は、大きなフェーズと小さなフェーズの2つが絡まって、温暖化と寒冷化を繰り返します。それ以外にも、隕石などの不安定要因で局所的な時間変動はありますが、なくても振幅します。
(地層調査によって、たとえばノアの箱舟で知られる大洪水が実際にあったことは判明済みです。別に神の怒りじゃないけどね。それに、原因までは分からないんだけど。なんかあったことは事実です。)(古文書と事実を研究する専門家もちゃんといるのです。)
人間には、いや生物には、異物を除去する機能があって、たとえば菌やウィルスが入っても、免疫系によってそれを吐き出して、固体を守ります。キツい汚染でも、熱出して4日も寝込めば直る。しかし、それを越えるレベルの、処理しきれないレベルのものが来たら、最悪は死にます。
生態系全体にも、このような異物排除機能があります。鉛などの汚染でも、通常の量なら、20年もあれば浄化される。しかし同様に、処理しきれない量がいっぺんにくると、確実に壊れる、というか別の安定に変化していく。
生態系全体というのはしぶといもので、「他の安定に変わる」
だけ=別の生物が繁茂するようになるだけです。
ただ、そのときに人間が生きていられるかどうかは分からない。いま人間が繁茂してるのは、恐竜が絶滅した気候変動による次の生態系に、哺乳類が偶然適していたから、それだけ。
んで、限界値の検査ってのはいろいろやってて、どうも温暖化ガスの処理にも限界量があるようだという「仮説」
があって、いまCO2がその極限に達している「恐れ」
があります。そこを突き抜けるとブレーキというか免疫力がなくなって、平均気温が少なくとも3度〜5度、しかも突然変わると「試算」
されている。
(注:TVだと「徐々に温暖化が進む」
と説明されているかもしれませんが、実際は、その限界値を越えたあと、「突如 温暖化する恐れがある」
です。まだ進行は始まっていません。)
「仮説」
「恐れ」
「試算」
です。でも、別に実体験して検証するこたぁないよね。物理だって、理論上の存在だったクォークが発見され、グラヴィトンが発見された。気象学も宇宙学も進歩してます。生態学の仮説だって、信頼してくれてもいいんじゃないかしら。
[温室効果ガス]は、実際にはものすごくたくさんの種類があります。S硫黄系、N窒素系が圧倒的に強い。そして、同属のC炭素系にも、相対的に小さいけど機能はある。メタンとCO2を比べると、同量なら圧倒的にメタンのほうが効果は大きい。
ただ、S系N系は、それ以前にとっくに、大気汚染の問題で、1990年までに排出規制が済んでいる。CO2はなんにもしてない。そして、単体の効果とは別に、CO2は、その分量がほかと比べて何100万倍も多いです。
地球の大気のうち、99%は窒素と酸素。残りのほんの1%を他の気体でシェアしてる。そのうち、ppmじゃなく%で表記できるのは、アルゴンとCO2、たった2つだけ。CO2は0.037% →Wikipedia:地球の大気
ほかはぜんぶ1ppm=0.0001%以下です。すんごく少ないです。%ではおっつかないです。
そんで、CO2だけが、この100年で、なんと0.036%から0.037%に増えてる。10ppm。他の気体の全量以上増えている。こんなに増えた気体は他に無いです。そのゆえんは、ほぼ間違いなく化石燃料の燃焼。−−過去に蓄積した固体化CO2の気体化。
TVが伝えるのはCO2のことだけかと思いますが、実際には他の温暖化ガスも含めて、しっかりとした対策が練られていますですよ。ただ、いちばん対応が取り難いのがCO2なんです。なんせC系ってのは、生物が体の基礎に選ぶくらい、基本かつ多い元素だから。
CO2だけ管理してもダメですが、他を管理しきってもCO2が管理できなければ、いまのところ「たぶんダメ」
です。そこが限界突破しそうだから。人間が醤油を一升瓶で一気飲みするレベルに達しようとしておるです。
結果、平均気温が3度変わるかもしれない。たった3度。で、その3度とは、さっき書いたけど、九州の気候が中部にやってくるレベルです。九州での畜産、中部のタマネギなど、それはいまの気温で生きてるものだから、全滅です。
なお、TVが「異常気象」
として取り上げるエルニーニョやラニーニャは、10万年も昔からふつうにあるもので、あれは正常な気象現象の1つです。そういうのと混同されるのもけっこう困る。
(ちなみに聖書にすら記述があるんですぜ>エルニーニョ。なんでそれを「異常」
と呼ぶのか、ちとTVのひとに聞いてみたい。)
そういう、ごく短期のエルニーニョの年でも、農作物が取れなくて、値段上がりますよね。2010年は白菜が高かったのはご存知のとおり。それがずーっと続くようになるとしたら、どうですか?
米どころは日本各地にありますが、その土地の栄養に合わせたものが生えているので、気候が変動したら育ちません。適した気温の場所の土地の栄養が適している保証も無い。コシヒカリ・ササニシキ・山田錦が採れなくなるかもしれません。大豆を発酵させる酵母も似たようなもんです。すると、醤油も味噌も酒も同時に死にます。みりんもだよ。
(注:酵母については、前述のとおり、意図的な煽りです。)
海水気温も変わるから、魚の位置も変わる。漁場が変わる。捕れる場所が変わる。まず、あたらしい漁場を探すのが大変だし、そこが日本が入れる海水域である保証は無い。とくに日本海側ってのは狭いわけで、そちらの魚は捕獲不能になりかねない。−−カニくえないですな。
気候も変わります。台風の進路も変わります。いままで九州→愛知→北に抜けてたパターンが、愛知→東京→青森直進という感じになる可能性は高い。いまの東京、雪にも台風によすごく弱いよね。地盤固いから地震対策はしっかりしてるけど。
3度変わるって、めちゃくちゃなことですよ。それでも、200年レベルでは、次の安定に移るだけです。生物は強い。自然は強い。でも、個人は強くない。わたしらの老後はどうしたらいいかね?
そのへんをちゃんと科学技術的に対応とろうとしてるんだが、3度目くらいの「エコブーム」
というビジネスによって、けっこうグシャグシャになりつつあります。それはちょっとよろしくない。とくに「地球のため」
っていう非当事者意識は嬉しくない。それよりは無関心のままプロに任せてくれたほうが。
たとえば排出権取引ですが、あれはきちんと運用すれば、森林を守ってくれる山主さん(彼らは伐採時にしか収入がないうえに土地税がすごい)、彼らに毎年お金を払うことが可能になる。彼らが山を管理し続けることが可能になる。そういうシステムです、本来は。
また、世界でトップレベルの省エネ技術を持つ日本が、その技術を海外に売りまくるチャンスでもあります。なのに、活かせてませんね。てか、日本にいると、日本の省エネの凄さってわかんないですよね。
いまでも、東南アジアでは焼畑をやります。管理されてる日本式焼畑(再生可能施行)ならいいですが、彼らはそこまでの余裕が無いので、「目の前の収入」
のために、回復不能なレベルまで山を焼いてしまう。
それを止めるための手段が1995年(私が学生のとき)にはなかったし、彼らの財産権利を奪うことはできなかった。
でも、排出権取引によって、それをお金で止めさせることができます。彼らも助かる、われわれの生態系も助かる。でも、いまだそういうふうには機能してないですな。
気象学・宇宙学として、周囲の惑星の組成と太陽からの距離、地球の現在の元素構成から、初期の地球はCO2だらけだったことがほぼ確実です。そして灼熱だった。大地もなかった。
幸いCO2は時間があれば水に溶けるので、やがて気温が下がった。大地もできた。
途中をさっぴくと、生物の進化によって、CO2の固定化は加速度的に進みます。体内に取り込むのですな。その死骸が残ったものが化石燃料です。そのへんは高校レベルでもご存知のとおり。
ありえない話ですが、すべての化石燃料と生物を燃やしてやるほどのインパクト爆発があれば、地球はもっかいCO2型に戻ります。人間が生きていけないだけで、その状態でも生きてる生物はいくらでもいます。
しかし、さすがにそこまでのインパクトはふつうは起こらない。広島に核爆弾が落ちたあと、世界中が「向こう100年は草も生えないのではないか」
と思った。にもかかわらず、現状はみなさんご存知のとおり。自然は強いです。人間も強いです。
だから、別に3度の変化では[種としての人類]は滅びないです。でも、「いまの生活」
はキープでけんです。違う生活に慣れれば生き残る。んでも、わたしはそんな実験を実体験したくないなあ、と。
これは別に、「だから原子力発電にしようぜ」
ってわけでもありません。まあ私はそんなに原子力発電には反対しませんが、実際には想定より安定して石油の在庫があるので、それを効率よく使えばいい。
(原油は、輸送パイプが世界中の地中・海中に埋め込まれていて、大変効率的に輸送できます。加工もしやすい。原油から、工業加工に必要な材料もたくさん採れる。たいへん優秀な原料です。)
んでも、火力発電って基本的には効率悪いのです。エネルギーの50%は熱として空に逃げる。だが、日本は、その熱すら再利用するだけの技術を持ってます。−−そういう技術を世界中に普及させるだけで、目の前の問題は防げたりします。
(ご存知のとおり、アメリカは省エネなんて一切やりません。京都議定書にも参加してません。自国が金持ちで、消費が正義の国だから。アメリカに日本の技術を無料提供するだけで、問題のかなりは解決します。)
そりゃ金かかりますよ。んでも、必要なときに使うべき金を使うのは大事なことかと。でも、政治家が決めたら、たぶん国民怒りますよね。科学者は1990年からずっと言ってるが、力はない。となると、やっぱ国民全体が「ああ、そういう方向なら金使えばいいじゃないの」
と分かってもらったほうがいい。
というわけで、一番伝えるべきメッセージ、わかりやすいメッセージは、「米とれなくなりますよ、魚くえなくなりますよ、味噌・醤油・酒、全滅ですよ」
だと思うですよ。−−まあ「全滅」
ってのは嘘ですが。壊滅的、くらいか。
(いちおう読み返した。極論は書いているが、大間違いは書いてないと思う。変換ミスはあった。まあ、それはそれ。まとめで直した。)
なお、私が大学にいたのは1998年まで。12年前。そのあとのは趣味の独学です。
だから、最新技術は、私が知っているものより進んでます。対策も、私が知ってる うわっつらより、何倍も検討されてるはずです。とくにこの5年の進歩はすごいみたい、どの分野も。
ただ、いま国立大学ってぜんぶ採算独立性なんすね…国の金ではないのです。「国立大学」
も民間企業になりました。で、環境系って、提携してくれる企業が、工学系と比べると極端に少ないんですよ。そこが心配ではありますが。先生たちヤキモキしてます。
(そんでまあ、先述の氷樹の大家である末田先生は民間の研究所に引き抜かれちゃった。ほかにも、生態系の大家の只木先生はお年で引退しちゃったし。次の世代は育ってると思いますが、わたしも大学を離れてからは先生の名前は分からない。論文読んでないし。)
注:以上でシメです。以下は余談です。ファイルとして日付を変えます。
[calender]
妄言の〆がわりに。
1996年3月末、うちの先生に連れられて、金閣寺の裏山の生態調査にいった。「やったー金閣寺、すげー、見れたら嬉しい」
とか思ったが、ほんとにすごい裏の裏の山で、金閣寺からは遠かった。−−まあ、私がバカなのはおいておいて。
その調査の帰り、林家さんに言われた。
「先生、うちの山は立派ですよね? なくなったら困りますよね? でも、なら、なんでわれわれには収入がないんでしょうか」
私はいまだにこの言葉を忘れてない。林家さんの辛そうな顔も忘れてない。−−そのわりには、森林系じゃなくて出版社に就職しましたが。
だってねー、1998年って、森林や環境の仕事なんて1つもなかったもの。ギリギリが、製紙会社に入って、海外から木材を買い付ける仕事。国内の森林にかかわれる仕事は1つもなかった。林野庁解体が痛かった。施行禁止も、「国はきちがいか」
と思った。手入れしない山は死ぬのに。
日本の山は「自然」
(天然)ではありません。厳密な意味の自然林は1つもありません。すべて「管理山」
(人工林)です。人間が共存できるように手入れした山です。そして、自然のままよりも高機能です。その管理・手入れをしなくなったら、山は荒れます。「自然がいい」
って無邪気な気分で言える状態ではないです。
大昔から、人間は山・森林とかかわって生きてきた。おじいさんは山へ柴刈りに、て、おいMS-IME、「芝刈り」
はないだろ、柴刈りに。落ち葉ひろったり、薪木ひろったり。その人間活動も自然の一部です。そのなかで森林は現在の安定系を保っています。
人間が手を引けば、森林は今とは違う姿になります。そのとき、人間の味方であってくれる保障はありません。自然はやさしくありません。−−んだからこそ、厳しい自然環境の文化での宗教は「戒律」
とか「神の罰」
て解釈が中心になります。日本が八百万に精霊を見出したのは、ほんとに幸せなことです。
たとえば、ですが。松は日本の代表的な風景を作る樹種ですが、あれは本来は遷移途中で消滅する樹種です。日本を「完全に自然」
に任せたら、全体がシイ・カシ・ブナで埋まります。人間がいて、適度に土地が荒れたり、また荒れた土地を耕したりして改良してる結果、多様な樹種があります。
松島、赤松で有名な海岸線。あそこが1980年くらいに、「景観保護」
のため、一切の人間の出入りを禁止したことがあります。結果どうなったかというと、遷移が進んで赤松は滅び、見事にシイになりました。−−嬉しい? 違うよね。
人間には「自然を好きにする権利」
はないですが、「自然と共存する権利」
はあります。まあ権利っていうか、そうやって生きてきました。それを続けて生きたいです、私は。
(最初「松山」
って書いてた。ごめんね、ほんと地理は覚えられないんだ。福井の隣は福島。愛知と愛媛は同じでいい、愛知県民だけど。地理と地名を区別できないくらい、ほんと苦手。)
ついで。自然遷移は、荒れた土地でも生きられる(けど競争力の弱い)植物→安定した土地でないと生きられない(けど競争力は強い)へ流れます。最初はマメ科です。唯一、土壌中の窒素を回収できる植物。そこから400年くらいかけて極相へ向かいます。
(補足:大豆は言うまでもなくマメ科なので、非常にしぶといです。どの土地でも生えます。そして、世界としては、マメやイモを主食にしている国がいっぱいあります。インドカレーでお分かりのとおり、基本はマメです。ドイツはジャガイモ食ってますね。)
なんか一般TVのいいかただと、自然に任せてると「多様多種な森」
ができるように聞こえると思いますが、実際の極相林は独占林になります。独占林は、病気などでいっせいに滅ぶ可能性が高いです。多様性を守るには、人間が手を入れてやったほうがいい。
んで、松は、荒れた土地でも十分に育つ、けど競争力の弱いほうの樹木です。だから、天然林に人間が入って、薪とか拾った結果、つまり「その森に本来返るはずだった養分」
を畑などに持っていた結果、山がちょっと荒れて、松などにバックしてるわけです。
これは「非自然的」
ではありません。人間も自然の一部です。そこを忘れて自然を語る評論家がTVに出てきたら、インチキだと思ってください。そして、世界中の山の90%は禿山だということも心に留めてください。山=森林なのは日本だけ。世界には平面の林が基本です。
日本とドイツだけ、18〜19世紀に1回、災害などで森を全滅させた経験があります。なので、森林再生のノウハウを持っているのは日本とドイツだけです。他の国にはノウハウはありません。カナダなどの亜寒帯の木は、現状は切ったら2度と生えない可能性が高いのに、カナダは平気で木を切ります。
もちろん、カナダの木は材木として優秀で、その経済価値を彼らから奪う権利は私たちにはありません。でも、ほんと、なくなっちゃうからね、カナダのメープルも、ツンドラの樹木なんてとくに。
同じことを昔にも書きましたが、「熱帯林保護」
ってのは、実際には不可能です。熱帯はほんとの野生で、人間が手を付けられるものではありません。そして、自然が壊れているのではなくて、東南アジアの焼畑など、住民の生活・経済の必要で切っている。それを辞めさせることもできない。
(で、前述のとおり、排出権取引がうまく機能すれば、先進国のお金によって解決させることが可能になります。)
砂漠の緑化技術は、地味だけども着実に進歩してます。それと「熱帯林保護」
は方法論が違います。
1990年の段階で、「保護するなら温帯林」
「ほんとに危ないのは亜寒帯林」
てのが森林屋の常識です。そこなら、人間の技術で再生可能な施行ができるから。
ついでだ。遷移についてもうちょっと。
前述のとおり、最初はマメ科が生えます。地中の窒素を唯一吸収同定できる植物。それが窒素系の肥料を作り、またそれによって虫などが集まってきて、徐々に地中に養分が増えます。
すると、次は、「その栄養を大量にぶんどって」
生長する樹木が入ってきます。その結果、マメ科は枯れます。そして、このレベルの木は、たいていが「大量の日光を浴びないと生きていけない」
樹種です。
次はどうなるかというと、「背が高く伸びる樹種」
が潜入します。ほかより高くそびえて、日光を独占します。このへんで、森林の中(林床)は暗くなります。それで、1つ前の段階の樹種は枯れます。
こんなかんじで、自然ってのは競争と奪い合いの連鎖でできています。けして ほんわかしたものではありません。それが野生です。
その野生と共存するために作られたのが「管理林」
です。適度に間伐したり枝きりしたりして、林床の日光を確保したりします。そして多様な樹種を守ります。
野生の自然は、必然的にものすごく厳しいものです。2010年か、山里に熊が降りてきて射殺したあと、ごく一部のバカタレがmixi中心に反対グループを作って抗議の電話かけまくったそうですが、動物園の熊と野生の熊はぜんぜん違います。そのへんは、それ系のまとめサイトがあるので、お好みで。
(私は森林調査中に熊に出くわしたことあるのでね。まあそれは人間が森に入った事例なんで、熊は悪くないですが。)
ちなみに天然のマツタケにも遭遇したことありますですよ。50mm圏に入っただけで、恍惚となるべき香りだった。トリコのヨダレ、あれは大げさじゃないです。同期と2人で現物探したけど、見つけられなかった。
さっきは松を例に出しましたが、「米くえなくなるよ」
系でいえば、「自然のままだと、日本では桜は見られないよ」
ってのが一番伝わりやすいのかな。桜はバラ科の樹木で、そんなに競争力はないですが、これまた土地が痩せてても生きていける樹木です。公園でも生えるものね。
つうわけで、いまの日本の環境は、「人間と森林と他の生物」
が共存した結果の産物です。それを守るには、人間が手を入れる続けるしかありません。そのためにはお金がかかります。でも、いまそのコストを国は出してくれません。これを変えるには、「ああ、だったらそのためにお金使っていいよ」
とikr
日本の水は森林が守っています。もし山に森がなければ、降った雨はすぐに川に流れ、海に戻ります。台風が来たら鉄砲水と土石流だらけになります。
樹木があることで、土壌の中に空隙ができます。根だったり、また土中生物の素だったり。ここに水が溜まります。そのおかげで、大雨でも森林が水を吸収し、水の災害から防いでくれます。
そして、そのとき溜めた水は、ゆっくりと時間をかけて濾過されながら、いわいる湧き水として、下のほうに来ます。これのおかげで、雨が無い時期も水が飲めます。
似たようなことを人工的にやるのがダムですが、ダムよりも森林のほうが 安上がりな上に高機能です。
もちろんいまは、上下水道が完備されて、各地に貯水場もあって、だからこそ家庭に水道水が来てます。でも、その大元の水を恒常的に安定的に供給するのは、森です。森が緩衝材となって、供給過多や供給不足を補ってくれます。
森がなければ、その過多・不足の制御も人間がやらねばなりません。するとコストがかかります。森林がぜんぶ無くなれば、水道代が倍になったり、飲食店での水が有料になります。−−てか、海外はたいていが有料ですな。
日本の森林率は67%。もし68%だったらゴメン。Wikipediaみてください。これは先進国でトップどころか、世界で見ても、未開地でない都市としてはNo.1です。日本はものすごく恵まれた環境にあります。
(森林・林業学習館によると、66%に減ったみたいだ。私が習った1994年は67%だと思う。)
その理由はいろいろあって、1つは山を神様と見る信仰、1つは木材自体を住宅に必要としてきた文化の結果です。たいていの他の国は、人が住める場所の木は原則ぜんぶ伐採しちゃうので、山だろうと木がありません。
実際、日本でも、人間が住む場所は木は伐採してます。畑にしたり家にしたり。山里も、下のほうは刈ります。そんでも丸刈りにはせんですね。これは世界的にはかなり珍しいそうです。結果として、残った森林は山だけですが、日本は起伏が多いため、森林率がいまだ66%もあります。
日本人が「山」
といったら自動的に森林をイメージしますが、世界的には禿山のほうです。mountainとforestはまったく別のもので、海外のforestは平地の林であるケースがほとんどです。
ああ、ぜんぜん関係ないけど、ビートルズの「ノルウェイの森」
ってのは誤訳で、原題はNorwegian Wood、これはノルウェー製の家具のことです。村上春樹がタイトルにした結果、誤訳を訂正するチャンスは一切なくなりました。
んでも、誤訳的な邦題、わたしは好きですけどね。Hard days night→ビートルズがやってきた ヤァヤァヤァ、HELP→4人はアイドル、とか。ヤァヤァヤァは、伝達ミスによって生じた水野晴夫の誤訳です。来日公演のキャッチを同時に頼まれた、とか。詳しくはWikipedaかなんかでご自身で探してください。
これ、あくまでヒマに明かしてつぶやいたものなんで、〆はありません。あえていえば、2011-01-21分が本来の〆で、この22日分はすべて余談です。
[calender]
さて、また「つまらない話」
を連投します。テーマは著作権の肥大解釈と誤解フェアユース。「お米採れなくなるよ」
の環境系やら出版系と違い、完全な畑違い。詳しい方に教えてもらっている最中で、わたしの理解ミスの可能性もあるので、自己責任でやります。
いつもどおり、ツッコミどころがあったら、ぜひツッコんでください。
読むべきリファレンス:著作権法 [単行本]中山 信弘 (著)
「著作権法に違法」って言うかねえ?
何度か書いてますが、昔は著作権“侵害”という言いかたしか無かった。いつごろからか、たぶん「違法物ダウンロード違法化」
のころから、「著作権法に違法」
という言いかたが増えてきた。
このころから、いろんな意味で誤解が広まっていると思う。解釈の肥大化。著作権でないところで著作権の話を持ち出す人がいる。多い。
権利者側の肥大化の例は、ちょうど中山教授のインタビューがある。福井健策弁護士は「擬似著作権」
という単語を提唱している。わたしは「著作権の解釈肥大化」
で行きます。−−なお、わたしはEULAの自由を、たぶん法が認める以上に尊重しています。
利用者側の肥大化の例として、「美術館、あれ作品の著作権切れてるのに、なんで撮影NGなの? 海外ならOKなのに」
というのがある。それは、著作権じゃなくて、商売上の都合、EULA、利用許諾です。著作権は関係ない。営業妨害です。
ちなみに海外でも企画展示は原則撮影NGだし、日本でも常設展は「申告すれば」
撮影OKのところが多いです。−−私が自分で撮影させてもらった具体的例は、上野国立博物館、竹橋国立近代美術館、奈良国立博物館。ちなみに撮影腕章くれますですよ。
→[2005/01/30●国立博物館[博物館に初もうで 酉特集]+充実常設]
(ただし、厳密にはWeb掲載は許可されてない。なので私は侵害しています。“自覚を持って”侵害しています。訴えられなくても、悪いのは私です。)
とくに竹橋国立近代美術館は、常設には近代作品、つまり著作権が切れていないものもあります。それも撮影可能です。−−つまり、このへんは著作権が切れてる・切れてないは一切関係ありません。
ちなみに、著作権が切れてなくても、たとえば岡本太郎の公共物としての立体作品、あれは撮影可能です。青山こどもの城、上野の時計、太郎美術館の野外、太郎記念館の庭(レプリカですけど)、太陽の塔。などなど。各地にあります。
著作権は、「作品の利用の仕方」
の取り決めです。かならずしも代金のことではありません。“お代”は、原価やら製造技術やら、別の価値で決まります。「著作権が切れたらタダ」
はひどい誤解だし、著作権切れてなくても著作者がダタと決めたらタダになります。
1点モノ美術品の現物のお代は、著作権どうこうの前に、その“所有者”が決められます。でなかったら、サザビーズで古代の美術品がなんであんなに高く売れると思うのさ。
で、「侵害」
と「違法」
は違う、というか、「著作権法で認められないモノ」
(著作権法に外れる)すら違法とは違います。
たとえば、美術品のトレスを「違法」
だと思ってるひとがいますが、そして実際に著作権法で著作として認められないわけですが、たんに「新規の著作権が発生しない」
だけで、トレス・模写することは違法でも侵害でもありません。−−でなかったら、美大生はなにで練習したらいいのさ。
複製原画で質のいいものは、ちゃんとした値段で売れる。これも認められた商売行為です。もちろん、許可は取らねばならないし、真作と偽るのは侵害・詐欺です。
同様に、パロディ同人誌も、「内心の自由」
で、それ自体は違法でも侵害でもありません。私個人の言いかただと「感想を書く自由」
で、感想表現がその読者において創作にまで広がっただけ、です。
ただし、模写と同様、「公表」
(頒布・公衆配信)すると、自由とはいきません。これはどの“表現の自由”にも当てはまることで、他者の権利を侵害する場合には自由は認められません。−−別に同人に特殊な話ではありません。
で、その「他者の権利を侵害する場合」
は、著作権の規定ではありません。えと、ごめん、知識足りないので憲法か法律か分かりませんが、別の法です。
具体的には、「すみけんたろうはキチガイで最悪だから、死ねばいいのに、いや殺す、やつ痴漢してるし、窃盗魔だし」
ですら、内心である限り、誰にとっても自由です。でも、発言して回ったり、反抗予告を書いたり、実際に殺せば、[プライバシーの侵害]やら[殺人]やら、いろんな法で罰せられます。
ちうわけで、同人誌の頒布ですら、なにもかもが著作権だけの話ってわけじゃないです。
私的複製が許される範囲は、たとえば自分が買ったCDのPCへのリッピング、家族へ貸すなど。−−これが「不特定多数」
の反対で、「特定少数」
です。
(なお、判例上、借りたモノ(レンタルCDであっても)をリッピングすることは合法とされてますが、私は「合法だろうとモラル欠如」
だと思います。というわけで、法とモラルは別物です。)
同人誌頒布会の場合、[同好の徒への頒布]であり、わたし個人は「クローズド・特定少数と解釈してはダメなの?」
と思ってました。
が、法律に詳しいかた どなたに聞いても、「残念ながらNG」
です。会場が開放されている以上、特定少数の定義に当てはまらない。特定少数は「家族など」
に限定されます。−−まあ「学校のクラスで友達に」
でもギリギリアウト? セーフ?
(補足:実はその解答は詳しいかたに教えてもらっているのですが、議論がややこしくなるので書きません。ちょうどいい機会なので、みなさんもご自身で考えたり調べたりしてください。)
まねきTV。2011年1月、最高裁にて公衆送信でNGとなりました。公衆送信≒「不特定多数への送信」
です。
このエンガジェットの記事の解釈は間違っています。
「まねきTVに「預けた」時点で、実質的にはサービス利用者しか視聴できなくても、テレビコンテンツを「公衆」に送信する機器になるという判断」
法学、とくに著作権を専門に学んだかたに聞きました。許可を取って紹介します。ちょっと表記編集してるので、原文ではないですが。
「預ける契約の門戸が開かれている(誰でも契約できる)から、公衆に送信するというあてはめになる」
「家族にロケフリを預ける場合なら、家族が自分の家族に向けて送信するので、「公衆」送信ではない」
というわけで、預けることは無問題で、特定少数であればOK、そうでなければNG。それだけのことです。−−指摘複製と似た基準で考えられるので、とても分かりやすいと私は思いましたですよ。
ホテルで“家庭用”ゲームの提供の事例。このばあいは「ゲームは映画の著作物」
で上映権てことになりましたが、これも「不特定多数」
です。
ただ、それ以前に根本的に、「他のホテルやネットカフェは、ちゃんと利用許諾と金額を払っている」
という常識を忘れないでください。私的複製や私的な利用を越える範囲では、使用料を払わなければいけない。それを守ってないホテルが摘発されただけです。−−んで、貸与権で処置できないので、上映権ってことになっただけです。
許可を取ってないビジネスがNGになるだけです。許可を取ればOKです。これは著作権でも特許でも同じ。
(アメリカの場合、実際には権利を抵触してなくても、「ちょっとでも危ないかも」
と思う特許なんぞは、片っ端から先に許可をとっておくのがビジネス上の慣行です。そんでまあ、IBMのフロッピーで、Dr中松氏の瑣末な特許まで許可を取って、Dr中松氏は「自分がフロッピーを産んだ」
とか言うわけですが。)
そして、「法の抜け穴を使うようなビジネス」
は、裁判で拒否されていきます。自炊の森も、そのうちNGになるでしょう。パチンコ三店方式以下。
(自宅に機材をレンタルして、自分が裁断して自炊するのはOKです。→impress[書籍の電子化、「自炊」
「スキャン代行」
は法的にOK?〜福井弁護士に聞く著作権Q&A])
そしてシンプルなはなし、まねきTVだって、放送局(権利者)に許諾を取って利用料を払えば、OKです。ただたんに、「フリーライダーは認められない」
、それだけです。
というか、ロケーションフリーって、製品そのものが「外出先でも、インターネットに接続すれば、自宅にいるようにテレビ番組やDVDなどが見られます」
です。まねきTV利用者は、なんでロケフリ自分で買わないの?
(訂正)1/25、ご指摘もらいました。契約上、「自分で買って、預ける」
ことになってます。ロケフリ自体がとっくに生産中止になってるので、うっかり見逃しました。お詫びします。−−生産中止なのは、あれがアナログ放送用の録画機材だからです。
(というわけで、やはり専門外のことを書くときは、ファクトのチェックにチェックを重ねる必要があります。こういう「とっくに生産中止だから」
でチェックを止めるあたり、私はジャーナリストにはなれないな。)
ここで、一部のネットユーザーに、「フェアユースがあればOKになるはずなのに」
というヘンな誤解・期待があるようです。一部だと思うんですが。
フェアユースは、米国版と日本版で定義がぜんぜん違うのですが、どちらの観点からも、まねきTVもホテルもNGです。
フェアユースの「フェア」
の中身が「消費者にとって都合がいい」
という解釈を多くの人々をしている恐れがあります。しかし、それは違います。
日本版フェアユースは、「フェアユースにすることこそが著作権法の目的に合致する」
場合に認められるもの、です。まだ結論でてないですが、たとえば「CDショップでのCD試聴に利用権を払わなくて良い」
というもの。
(なお、店内BGMは利用権を払います。違いはお分かりのとおり、店が「店の雰囲気つくり」
に利用するには利用権を払う。消費者が購入を検討する段階では利用権はまだ発生しない。)
フェアユースは、法の抜け穴を利用するビジネスを許容するものではありません。
著作権は、原則として「著作」
を守る権利です。あと、対価を払った消費者がバカをみないようにする法律でもあります。−−相談相手の言葉がカッコよかったので、許可もらって紹介すると「タダで消費させろ、技術的に可能なんだからそれを阻むな、という者こそ斬るためのもの」
です。
というわけで、まねきTVにせよホテルゲームにせよ、フェアユースではOKにはなりません。
(追記)ちょうどいい記事があったので、追記します。→ [著作権法改正案:違法状態拡大の懸念政府は通常国会提出目指す](毎日新聞)
(1)はテーマパークでの撮影の際に、キャラクターが写り込んだ写真や映像を個人のブログに掲載すること
(2)は漫画のキャラクターを商品化する際の企画会議用に、そのキャラクターを複製した資料を配布すること
(3)は映画・音楽の再生録音可能なAV機器を開発する際に、録音・再生を検証するためのDVDやCDの複製
エンドユーザーが絡むのは(1)だけです。
で、これ以外はいまのところフェアユースではありません。なのに、それ以外まで「フェアならいいんでしょ?」
と勘違いされることが懸念されています。
『これはフェアユースだ』と意図的に抗弁する『居直り侵害者』や知識・理解不足による『思い込み侵害者』が増大する懸念もある。
わたしは法規には詳しくありません。なので、本来は私が法的な判断に意見を述べるのは危険です。ただし私は自覚があり、法律に詳しい方に質問・確認したあと、「まだ勉強途中で間違いがある恐れがあるが」
と但し書きをして、いま書いています。
それくらい、専門外のことは難しいです。環境系のことも、工学博士の武田教授がメチャクチャ書いてますが、農学修士に過ぎない私でも論破できるくらいメチャクチャです。
誰かの話を聞くときは、心情で「ああ、そうなの」
と思い込まず、また声の大きなひとに無条件で従うのではなく、せめて身元、あるいは「これまでのそのひとの発言からして、信頼してもいいかな」
というものだけ信頼するようにしてください。
私だっていくらでも間違えますから。
[calender]
ついでに2年前くらいの「日本のヒットソングは実は1つのコード進行だけでできている」
の話でも書こうかな、と思ったり。
(追記:説明用の実演を足しました。が。そもそも弾くのが1年ぶりで、もともと演奏ヘタなんで、その点はご容赦ください。わたしゃあ打ち込みのあとに細かく訂正せんと、まともな演奏にならんのです。)
あれに感心するひとは音楽理論を知らないひとだけだし、話しているほうも知らないひとだろう。ごく単純な話、あの進行でヒットしてない曲も無限に提示できるし、あの進行でない大ヒットソングも無限に出せる。
具体的には、井上陽水[夢の中へ]も山下達郎[クリスマスイブ]も、例の進行じゃない。で、この2つは同じコード。トニックCで、C-Am-F-Gです。
根本的に、ふつうのひとに違和感無く聞こえるように作ったポップスで、臨時符号部分以外で使えるコードは、トニックCならC/F/Gしかない。それに代理コードのAm/Dm/Emを足したら、ほぼすべてだ。
本質的には3つ。その組み合わせしかない世界で「同じ進行!」
て、あたりまえのこと。
「実は四コママンガで面白いものは起承転結からできています」
に「な、なんだってー?」
てなる人はいないよね。ほんとそれだけのことなのに。なんであんなことでみんな感心してたんだろう。
ふつうのひとに違和感無く聞こえるように作ったポップスで、臨時符号部分以外で使えるコードは、トニックCならC/F/Gしかありません。その3つで、何通りもの音楽が作れてしまう。
それに代理コードのAm/Dm/Emを足したら、ほぼすべてになります。実演3を聞いてお分かりのとおり、これで“普通の音楽”は基本的に表現できてしまう。
→実演2:Am/Dm/Em、実演3:C/F/G/Am/Dm/Em
ポイント1:そもそも本質的に、使う和音は3つ、補っても6つしかない。
(補足:Cはドレミファソラシドの長調、Amはラシドレミファソラの短調。この2つはまったく同じ音階を使います。もちろん、表現される音楽の結果は違いますが、相互に交換可能なため、代理コードといいます。厳密にはC6とAm7ですが、まあそれはそれ。)
「安定→不安定」か
「不安定→安定」か
ポップスの基本進行は、[夢の中へ][クリスマスイブ]の[C-Am-F-G]だ。これはいかにもAメロです。実演の末尾に和音だけの部分をつけたので、唄を交換して歌ってみてください。
→実演3:C-Am-F-G*2、実演4:夢の中へ、実演5:クリスマスイブ。
(ここでは、1コードが1小節、この4つで4小節です。「4小節」
は、基本旋律の単位です。2回繰り返して「8小節」
にすると、一般的なAメロディのまとまりの単位です。)
補足:クリスマスイブの実演を聞いて「あれ、ちょと違うんでないの?」
と思ったかたは、耳がいいです。ここでは、「基本が同じ」
ということで、あえてそうしています。正しいコードはあとで提示します。
で、これの順序を入れ替えて[F-G-C-Am]にすると、突如Bメロ(サビ)っぽくなります。
ポイント2:「コード進行」
の中身は同じでも、出現する順番を入れ替えるだけで、効果が変わる。
音楽は時間進行による表現であり、音が出現するタイミングを変えるだけで、並びが同じコード進行であっても、違う結果になります。
「安定から不安定へ」。なので、いかにもオープニングっぽい。
「FからCへ」
「4度から1度へ」
「サブドミナントからトニックへ」、同じことを違う用語で3回言いましたが、意味は
「準安定から安定へ」。なので、
「オープニングに戻る」っぽい、Bメロやサビになります。
タイミングによって結果が変わるのは、リズムも同じ。ただの「3回叩いて1回休む」
でも、[XXX.|XXX.|XXX.|XXX.]、[.XXX|.XXX|.XXX|.XXX]、[X.XX|X.XX|X.XX|X.XX]、[XX.X|XX.X|XX.X|XX.X]、すべて まったく違う印象になる。
でも、構成リズムは、「3回叩いて1回休む」
、それだけ。スタートの時間軸が違うだけ。
このように、音楽は、皆が思うよりも少ない要素でできていて、その組み合わせの時間軸を変えているだけだったりします。
コード付与は、引き伸ばしたり縮めたりできます。[C-Am-F-G]を基本コード(協和音)だけで引き伸ばすと、[C-(G-)Am-(C7)|F-(Am-)(Dm-)G]で、いわいるパッヘルベルのカノンになります。すごくAメロです。−−厳密には、[クリスマスイブ]はこっちです。 あ、いけね、C7は不協和音だ。まあそこスルーして。
(ここでは、1コードが半小節、この8つで4小節の まとまり とします。2回繰り返して「8小節」
にします。)
ポイント3:本質的に同じコード進行でも、展開することで複雑になる
同様にBメロ[F-G-C-Am]を伸ばしてみます。[F-G(-Em-Am)|(Dm-G-)C-Am]。基本コード(協和音)しか使っていません。
トニックCなので、ラストのAmは代理コード、不安定、未完了です。すなわち、「まだ続く」
印象の提案になります。すなわち、このBメロはまだ続きます。
もしここで終わりにするなら、[F-G(-Em-Am)|(Dm-G-)C-C]です。ラストがCで安定するので、エンディング。
別の方向に変えます。[F-G(-Em-Am)|(Dm-G-)C-C7]。C7はトニックCを壊す不協和音で、大変不安定です。この場合、「別のメロディ(サビとか)へ移る」
あるいは「リフレインでBに戻る」
ことを強調します。エンディングへは向かいません。
お聞きのとおり、C7に戻る限り、何度でも繰り返しになります。
(C7は「臨時記号」
、標準スケールのドレミファソラシドに含まれないシ♭を使います。トニック音C(ド)と1音でぶつかり、安定度が失われ、非常に不安定になります。不協和音です。)
音楽は時間進行の作品なので、まとまりの節目である4小節目や8小節目を変化させることによって、音楽の流れ対するに強調効果を生みます。いま臨時記号を使ったのはラストです。節の最後を盛り上げたわけです。だから、「終わる」
「続く」
などの変化になります。
節の途中を変えてみましょう。[F-G(-Em-A7)|(Dm-G-)C-C9]。
A7(ラド#ミソ)は、トニックC(ド)自体を否定してド#を使う、非常に不安定音です。これが節の途中にあるあることによって、旋律の後半が必然的に大きな変動を迎えます。サビの2回目で使えば、「さあ、次で終わるよ」
的な盛り上げになります。
(んでまあ、ついでにラストをC9にしました。これはジャズでよく使うエンディングコードです。音としてはCにオクターブ上のレを足したもので、臨時記号ではありませんが、不協和音です。エンディングに対して特別な印象を与えます。)
つなげますよー。→実演9:まとめ
これですんごくサビのリフレイン+エンディングです。
ポイント4:基本のコード進行を元に、必要な箇所だけ差し替えれば、適切な効果になる。
私の趣味では、ラストの後半のDm-GをDm-Fmにします。Fm(ファラ♭ド)も本来スケールに無い臨時記号で、Dm(レファラ)やF(ファラド)に対して、ラを半音下げます。
「ラ」
に続いて「ラ♭」
(半音下)を並べれば、必然的に1音下がったソを次に誘導します。すると、DmからトニックC(ドミソ)に戻る効果が滑らかに強調されます。−−まあ、FmM7(ファラ♭ドミ)のが気持ちいいな。どうせ趣味だ、それにしよう。
展開は、他の方法でも可能です。また、例外の処置も、私が示した場所で、必要な理論に従って違うようにすれば、この基本コードから違う結果が作れます。
もっと凝りたければ、変えるべき場所はいくらでもあります。でもまあ、「コード」
に関しては、ふつうこんなところでしょう。あとはメロと実演を凝るべきです。
はい。んで、かの有名な「日本のヒットソングは実は1つのコード進行だけでできている」
を見てください。これのことです。
これは、音楽理論として、ビートルズ以前に、というかバッハ以前なレベルで とっくに定石として成立している、盛り上げるための工夫の基礎の基礎です。偉大な先人が生み出した、傑作の定石です。
(ちなみに、すかんち のローリー寺西さんは、これを「胸キュンコード」
と呼んでました。)
それをみなが使うのは当たり前です。−−それこそほんと、「実は四コママンガで面白いものは起承転結からできています」
なんですよ。
で、あたりまえですが、「コード進行」
というのは音楽の実物ではありません。「そのコード進行に、どういうメロディを付け、リズムを付け、演奏を付け、実演するか」
。それが音楽の実物です。
んでまあ、偶然というかなんというか、平沢唯[ギー太に首ったけ]も、基本この展開です。
これは、例の「日本のヒットソングは実は1つのコード進行だけでできている」
を裏付けるものではありません。ただたんに、「必要な盛り上げを必然的に盛り込めば、この形になる」
だけです。
細かく見れば、強調した箇所が違う。でも、大きく見れば、これは基本展開です。そして、聞き飽きている基本展開だろうと、いや聞き飽きているからこそ、メロと演奏がよければ、それは楽しい音楽になります。
「ほんのちょっとしか違わない」
ことに疑問を抱くかたへ。「ガラス」
と「カラス」
は、濁点しか違いません。でも、ガラスとカラスは根本的に別物ですよね。日本人でないひとは、この差が分からないかもしれません。でも、日本人なら、小説を読んでいて、カラスであるべきところが「ガラス」
だったら、ものすごい違いに気が付くはずです。
音楽では、基本のコード進行は同じです。で、基本以外の部分がちょっとずつ違います。その違いこそが作品の味です。
(余談)
[ギー太に首ったけ]の真に驚愕すべきところは、「1年目のギターキッズが弾ける演奏」
だけで、あんだけのカッコいいものが作られているところ。1年目じゃ自分では編曲できないけど、弾けるんだよ、あれ。
「カッコいい演奏」
と「難しい演奏」
は違います。上記のような定番コードだろうと、そして[ギー太]のようなシンプルな演奏でも、プロが組み合わせて使えば、驚くほどカッコいい演奏になります。
真に難しいのは、「カンタンなことだけでカッコいいものを作る」
こと。そして、音楽理論が分からない人をも感心させる、気持ちよい音楽を作ること。それが娯楽産業としての音楽家の仕事です。
で、わたしらアマチュアは、それを聞いてマネすることができます。なんて楽しいんだろう!
(ただし、ドラム・ベースに関しては、めちゃくちゃ難しいです。なので「1年目のバンド」
では弾けないですね… まあ、唯のキャラソンなので。)
「ガラス」
と「カラス」
の違いに準じる程度の違いでも、和音にはものすごい違いが生まれます。ついでで、コードギアスで喩えてみます。
さきほど「盛り上げ」
でA7(ラド#ミ)を使ったわけですが、そこをGdim(ソシ♭ド#ミ)にしたりすると、もっともっと胸キュンですね。あ、YMOのことじゃないですよ。ほんとに効果がキュンキュンしてパイロットになっちゃうんです。
音階は、基本がドレミファソラシの7つ、半音を入れても12しかありません。そして、その基本和音に1つ音を足すだけで、音楽的な意味はまったく変わります。神秘的です。
「フレーズが転換期を迎える」印象になります。
和音単体でなく、トニック・スケールの中での役割を考えると、もっと神秘的です。トニックCにおける代理コードAmについて。
この場合、「裏切り者は内部にいた」
ですね。コードギアスでいえば、「仲間だと思っていたけどどうも信頼しきれないゼロが、実はやっぱり裏切り者だった」
という。
(追記:あ、いや、「代理が裏切る」
だから、ハルヒにおける長門Amと朝倉A7のほうが分かりやすいか。)
トニックCで、同じくドを否定する和音として、Gdim(ソシ♭ド#ミ)はさらに強烈です。
この場合、「仲間じゃないけど信頼していたのに、予想以上に裏切った」
ですね。コードギアスでいえば、「行方不明だったルルーシュが、突如皇帝宣言した」
「スザクは、ナイト オブ ワンへの道を捨て、ナイト オブ ゼロと化した」
という。
たった12個の音の組み合わせで、それだけの世界が広がります。神秘的です。
(逆に言えば、たった12個しかないんですよ。音楽のいろんなところが、専門的に勉強してないひとにとって「あれって似てる、パクリ?」
と感じるのも無理ないところです。)
たちかえれば、「ガラス」
と「カラス」
なんて、濁点しか違わない。カ行であることまで同じ、そしてたった3文字です。それで、表現できるものはこんなに違うわけです。
(余談)
ちなみにdim:ディミニッシュは、ジャズの巨匠デューク エリントンが生み出した和音です。20世紀以降に生み出された、唯一の新しいコードです。それ以外はバッハの時代ですべて出尽くしています。
…というか、今まで見てきたとおり、基本的に、メジャーかマイナーに数字を足すだけです。
構造自体が新しいために特別な名前を与えられたコードは、ディミニッシュとオーギュメントくらいしかありません。
…あれ、aug:オーギュメントっていつだっけ? あ、これもジャズ由来っぽいな。とはいえ、バッハでも経過音としてオーギュメントはあるので、名前が無かっただけだと思うんだけど。ごめん、音楽歴史は専門じゃないんだ。
ちょうど例を出した[クリスマスイブ]ですが、昔わたしが破壊カバーしました。完全に同一のメロディを、まったく違うコードで演奏。それでも音楽は成立します。
もうちょっと複雑な例として、NHKピタゴラスイッチ[アルゴリズム体操]のメロディを用いて、伴奏にプレスリー[ラブミーテンダー]を使った破壊カバーもあります。コード進行もメロディも違う2曲を同時に演奏しても、音楽は成立します。
(ま、編曲翻案許可とってないんで、これも侵害ですが。意図して侵害してるんで。ごめんなさい>権利者のみなさま。)
さきほどは「音楽は、皆が思うよりも少ない要素でできていている」
と書きましたが、その組み合わせによる結果は無限です。−−それこそ、たった15文字の俳句で、いろんなことが表現できるように。
んで当然、同じコード進行でも、違うメロディ、違う唄はいくらでもできるわけです。あるいは、同じメロディ・同じコード進行でも、編曲、あるいは演奏自体の巧いヘタで、味わいはまったく変わります。
というわけで、大元の「日本のヒットソングは実は1つのコード進行だけでできている」
にはなんの意味もありません。
[calender]
昨日は「1つのコード進行進行からできている」
の否定でゴチャゴチャ書きましたが、まあその、趣味程度の演奏を勉強するなら、絶対に英会話の勉強より楽だと思う。なんせ、基礎コードって6つだもん。唯でもできたんだから! たのしいよ演奏。
「実演」を一切意味しない
コードというのは「使う音」
の表記であって、実演では、そもそも音の高低や音の順番が、このコードどおりとは限りません。したがって、同じコードであっても、まったく違う演奏が可能です。
具体的には、実演3では、[C-Am-F-G]を2回弾きます。1回目はトップノート(一番上の音)を「どーらーふぁーそー」
と変化させていますが、2回目は「みーみーみーれー」
としています。これで、「同じコードだろうと、演奏で印象はぜんぜん変わる」
と体験できると思います。
(注:F(ふぁらど)には「み」
はないため、厳密にはこれはFM7ですが、まあスルーしてください。)
「え? 3つ、いや6つ?」の理由+用語トニック
トニック=基準。「トニックC」
とはジャズやポップスでの言いかたで、音楽の教科書では「ハ長調」
です。
(しかし、義務教育レベルで習う「長調は明るい曲」
「短調は悲しい曲」
は音楽的には間違いで、[代理コード]によって長調と短調は同時に存在します。音楽の印象が「明るいか悲しいか」
は、メロディや歌詞で左右されるものであって、調では決まりません。)
トニックCでは、Cすなわち「ド」
を基準として、音階として「ドレミファソラシド」
を使います。ピアノでぜんぶ白鍵盤。アルファベットで「cdefgab」
、数字で「1234567」
です。−−慣行上、小文字だと音階を、大文字だとコードです。
この「ドレミファソラシド」
だけで作れる和音(コード)は、次の6つしかありません。協和音といいます。
(B(シ)スタートは、ドレミファソラシドでは和音が作れません。)
音階にはオクターブ、すなわち「高いド」
「低いド」
「もっと低いド」
などがありますが、コードにはオクターブの概念がないので、ほんとに6つしかありません。
これを、前述の2グループに分けます。
(再掲:Cはドレミファソラシドの長調、Amはラシドレミファソラの短調。この2つはまったく同じ音階を使います。もちろん、表現される音楽の結果は違いますが、相互に交換可能なため、代理コードといいます。厳密にはC6とAm7ですが、まあそれはそれ。)
そして、どのコードにも、「ドミソ」
のどれかが含まれています。このことを利用して、和音をつないだり、意図的にズラしたりして展開させます。
具体的には、「ドミソ」
を「ドミラ」
に1音変える。それをコードに書けば、C-Am。「ドミソ」
を「ドファラ」
と2つ同時に変えれば、C-Fです。1音でもつながりがあれば、原則として音楽が破綻することは(めったに)ありません。
コード名をズラズラと書くと「なんか凄そう」
と感じるかもしれませんが、実際には音を1つ2つ変えているだけです。3音書くのが面倒なので、まとめ記法としてコードを使う、それだけです。
実を言うと、このC/F/Gは、どういう順番につなげても、絶対に音楽が成立します。[C-C-F-C|G-F-C-C]がブルース、[C-C-F-G|C-F-G-C]がポップス。そのほか、[F-G-C-G]でも[G-G-C-F](ちょっと据わりが悪いけども)でも、あるとあらゆる組み合わせで、絶対に音楽は成立します。それゆえの「基礎コード」
です。
ちなみにブルースの進行は非常に強力で、たったこれだけで何曲でも作れます。どんなジャンルでも作れます。
こうやって成立したコード進行から、対応する代理コードに差し替えて、バリエーションを作ります。ブルース[C-C-F-C|G-F-C-C]に対して、[C-Am-F-C|Em-F-C-C][C-C-Dm-Am|G-F-Am-C]など、カッコいい悪いを別にすれば、原則として音楽は成立します。
ポップス[C-C-F-G|C-F-G-C]は、実際には[C-Am-F-G|Am-Dm-G-C]のほうが普通です。昨日の実演3[C-Am-F-G]は、これの前半だけを使っています。
不協和音も使うなら、[C-Am-F-G|Am-Dm7-G7-C]が綺麗です。
ポップスの例は、それこそ例にキリがないですが、たとえば。
トニックCで、Aメロは[C-G-Am-C7|Dm7-G7-Ddim-C]で、Ddim以外オリジナルどおり、Bメロは[Dm7-Ddim-C-C7|Em-Dm-G7-C]で、趣味でかなりイジってある。てか、わたしDdim大好きだねえ。
これを標準コードに戻せば、[C-G-Am-C|Dm-G-C-C]、[Dm-F-C-C|Em-Dm-G-C]。
基準コードだけにすれば、[C-G-F-C|F-G-C-C]、[F-F-C-C|G-F-G-C]。シンプルですね。そこから出発してイジるだけで、こんだけ変わります。
自分で発明するのも楽しいですが、世の中には定番・定石になっているコード進行がいっぱいあります。まずはそれを覚え、そしてこの「代理コード」
による差し替えを覚え、自分でアレンジしていくところから始めると、楽(らく)かつ楽しく音楽を学べます。
そしてまあ、こういう基本的なコードを、昨日見せたようにさらに展開したり、必要な箇所に不協和音を足して盛り上げて、「安定→しかるべきところで不安定→安定に戻る」
を作ります。
「安定」と
「不安定」
基準であるトニックCとは「ドミソ」
。これがトニックCにおける安定状態です。
各コードには、その「ドミソ」
のどれかが必ず含まれていますが、3つは揃いません。これらは準安定です。
昨日紹介したとおり、実際の演奏では、これらに含まれない音を足し(不協和音といいます)、その不協の度合いによって不安定を作ります。
(注:一般語と異なり、音楽では「不協和音」
と「雑音」
は別物です。)
安定でない状態からは、かならず「安定に戻ろう」
とする作用が働きます。音楽は、“安定と準安定・不安定の間を行き来する”ことで成立します。そして、不安定の性質によって、「イントロに戻る」
方向になったり、「サビをリフレインする」
方向になったりします。
ひどく乱暴にまとめると、“標準的な”音楽は、「安定」
であるトニックCに始まり、準安定や準不安定をへて、最終的に安定であるトニックCに戻ります。その変化の変遷が「音楽」
です。
(もちろん、あえて準安定から始めたり、安定に戻らなかったり、いろんな演出方法があります。でも、それは応用であり、基本は「安定→準安定→準不安定→不安定→安定」
です。)
つい昨日だけど、まあ再掲しよう。
基本コードとG7しか使ってないです。
音楽では、基本のコード進行は同じです。で、基本以外の部分がちょっとずつ違います。その違いこそが作品の味です。
で、[ギー太に首ったけ]の真に驚愕すべきところは、「1年目のギターキッズが弾ける演奏」
だけでできていることにあります。1年目じゃ自分では編曲できないけど、弾けるんだよ、あの元演奏。
「カッコいい演奏」
と「難しい演奏」
は違います。上記のような定番コードだろうと、そして[ギー太]のようなシンプルな演奏でも、プロが組み合わせて使えば、驚くほどカッコいい演奏になります。
で、わたしらアマチュアは、それを聞いてマネすることができます。なんて楽しいんだろう!
(ただし、ドラム・ベースに関しては、めちゃくちゃ難しいです。なので「1年目のバンド」
では弾けないですね… まあ、唯のキャラソンなので。)
昨日は盛り上げ部分の不協和音の役割をアニメ[コードギアス]の登場人物の行動を用いて使いました。
音楽も、その曲の中で、必然的に物語を持っています。
たとえばミステリー的には、しかるべき段階で事件が起こり、しかるべき段階で探偵が登場し、「みんなの前で推理を披露」
し、「犯人はお前だ!」
があり、犯人が裏の心情を語りだしたり、自殺してしまったり、いろんな定石に展開があります。−−で、その定石のなかですら、無限の物語が作れます。
音楽も同じです。しかるべき場所でしかるべきコードやメロディを登場させる。
(というわけで、音楽に詳しくて、さらに絵が書ける人は、ぜひ定番コード進行の擬人化をやってください。楽しいよ、きっと。)
もちろん、別に和音を変更する必要もありません。ファンクなどでは、ずっとC、ワンコードファンクが普通です。
「するってぇと何かい?」@天祖神社近く]
でも、ワンコードといいながら、実際には実演によって、不安定音を足して変化させます。なので、もし厳密に書いていくと、[C-C-C7-C|C-C6-C7-C9]だったりします。
「数字付コード」
を見ると「え、なにそれ」
と思うかもしれませんが、上記のとおり、「ドレミファソラシド」
=「cdefgab」
=「1234567」
。「ドc1」
「レd2」
「ミe3」
「ファe4」
「ソf5」
「ラa6」
「シb7」
。んで、「高いド=8」
「高いレ=9」
。
というわけで、C7の場合はシ♭(CM7だとシ)、C6はラ、C9は高いレを足す、それだけです。−−3と7だけいろんな事情で特別扱いしますが、まあ理由は略。
「なんでCが安定なの? なんで音を足すと不安定なの?」
そのへんを説明するには、たとえば数学だと「なんで1+1が2なの?」
に答えるのと同じく、数学であれば高等数学(集合論etc)の勉強が、音楽でもそれなりの音楽理論の勉強が必要になります。
でもま、弾いて楽しむ・聞いて楽しむ範囲では、そこは「そういうもの」
で済ましちゃったほうがいいと思いますですよ。
基本を十分使いこなせるようになったら、その次に「で、なんでそれって安定なの?」
に踏み込んで勉強すると、さらに楽しいです。
[calender]
iPhone4+Photoshop Express
私が住んでいるのは愛知県の「東海市」
。まあ合併時に東海地方ってんで名前をもらったのだが、知多半島だけに、ウチから30分歩けば湾がある。この日はとくにこっちにいく予定はなかったんだが、なんとなく湾へ辿り着いてしまった。
で、フリッパーズギターの[海に行くつもりじゃなかった]だが、あまりに据わりのいい言葉なので「誰か詩人の言葉の引用なのかな」
と長年疑問だったんだが、ググった程度では原文が分からなかった。
ついったーで教えてもらった。どうもアーサー ランサムの[We Didn't Mean to Go to Sea]であるようだ。
先行翻訳では「海に出るつもりじゃなかった」
。海に近い場所での漁師さんだか船乗りさんの話で、その場合の翻訳は「出る」
だろうね。日本人一般としては「行く」
か。まあcomeとgoの違いとか、私には分からぬけど。
やはり正月は、ひさびさに懐かしい人に逢う。
まず、1人は小学生時代からの親友。美術の才能が凄くて、中学生の段階で美術の先生が親を説得して「美大へ行かせなければいけない」
と言わしめた実力者。いろいろあって、いまは輪島で漆塗り職人をしている。昔から手の大きなヤツだったが、いまはほんとにゴツくて、爪の中に漆がしみこんでいたりして、「職人の手」
になってる。
彼は細かい作業もできるので、どんな分野に行っても成功したと思うが、でも彼が興味を持ったのは漆だった。大学時代の研究作品では、漆が透けることを利用した照明などを作っていた。いまはそういうモノではなくて、ほんとに伝統を受け継ぐ職人さんをやっている。
もう1人は高校時代の先輩。いろんな方向へスキモノで、かつ名言をたくさんもっているかた。今年はキエフ88を持って来た。すでにハッセルを持っているにもかかわらず、だ。
父親が、突然デジタルウォークマンを買ってきた。それまでは中国製の安物を使っていたのだが、落としてしまったそうな。
んで、ケーブルだが。USB MicroAっぽいが、まったく違う。技術畑のかたに聞いてみたが、どれとも違うそうだ。ちなみにPSPはふつうにmini Bだそうで。ケータイでもそうだが、mini B、せめてmicro Bで統一してくれんもんかねえ。
んで、音だけども。LGエントリー機にも負けたiPhoneだが、もうSONYは段違いだった。議論の余地がない。「音作り」
が巧い。
ただし、非常に面白いことに、この機種のデジタルウォークマンは、なにを考えているのかは分からないが、音の定位までイジっている。空間系エフェクターでも積んでいるのか? 確認しなかったが、擬似サラウンドが標準でオンなのかもしれない。
ただし、「音作り」
が巧い結果として、データのよしあしがモロに分かってしまう。ちゃんとビットレートあげておかないと、フランジがモロに出る。逆に言うと、iPhone/iPodはそれを意識させないカジュアルさを持っているわけだ。−−野外で気楽に聞くなら、まあどっちがいいかはお好みで。
なお、LG Optimus GT540とiPhoneに関しては、雑音下でも聞き比べてみた。面白いことに、静穏下では圧倒的にLGのほうがいいのだが、雑音下だとこういう差になる。
これはこれで、意図的な音作りなのだろうね>iPhone
通説つうより、ルーズベルトか誰かの言葉で「もうしわけない、今日は忙しいので長い手紙しか書けない」
という有名が名言があるはずなのだが、裏とれなかった。
とつぶやいたら、atohさんが裏とってくれた。→マーク トゥエイン 「短い手紙を書く時間がなかったので、長い手紙になってしまいました」
。まあ、真の出典には辿り着けないんだけど。
ちょっと違うんだが、木下是雄[理科系の作文技術]経由で、Robert Barrass[Scientists Must Write]のp21より、1940年にチャーチルが閣僚に曰く。
(1)報告書は要点のみを短く書け
(2)結論の裏付けの資料は別添とせよ(=本文を無駄に厚くするな)
(3)補足は口頭のみでよい(注:政治家の報告書だからね)
(4)もってまわった言い方は省くか、一言で言い切れ(=「〜〜ではないかと思われる可能性を熟慮されたし」)
ほんと、相手に伝わる簡潔な文を書くのは難しい。省くものを精査し、順序を精査し。etc。難しいけど、必須の技術だ。
(念のため)
チャーチルのこれは創作じゃないので、著作権はないです。
そうであっても、引用は原典を示すべきです。それは、発言者が本当にそれを発言したか確認できるようにためです。そうでないと、言ってないことを「チャーチルが言った」
かのように捏造できてしまうから。それは名誉毀損行為です。
(これ、議会に出した通達だから、議事録とかで真の出典にあたれるとは思うけど、ごめん、そこまではがんばれない。)
で、木下是雄[理科系の作文技術]をひさびさに読み返した。何度呼んでも素晴らしい。「ファクトと仮説と意見の分離から、ムダの省きかた、伝わりやすい説明順序の定石、パラフラフの作りかた」
など、文章を書くのに必須の技術が、具体例付でキレイに解説される。
氏曰く、「論文であってすら、自分の欲望を満たすために書くものでない。読者に伝わるように書かなければ、それは役に立たない。では、いかにして読者に伝えるのか。」
(大意)。それがPC技術書や学習教材であれば、なおさら。
タイトルこそ「理系のための」
だが、文系であろうと、セールスマンの営業報告レポートであろうと、新製品企画書であろうと、いやそれらこそ、すべてに通じる。全知的労働者(事務職以上)が読むべき本です。安いし。ぜひお読みください。
まあ、基本はこの2冊。いつも紹介するけど。大学時代からずっとお世話になってます。
「え、それ理解したうえで、スタイルシートWebデザインはあんなに難解なの?」
というツッコミは甘んじて受けます。それは私の実力不足です。でも、「ファクトと意見」
は確実に分けてあるよ。
[calender]
いや、違うよねえ。ギターでヘコたれる人の大半は「Fコードが弾けない」
でしょ。−−教科書的なFコードは、6弦ぜんぶを正しく押さえる必要はあります。けっこうムズかしい。実は私はいまでもできない。
実を言うと、「楽しく音楽を弾く」
には、そんな必要はありません。
今日のところはそんなお話を。教材はいつもどおり、平沢唯[ギー太に首ったけ]。
ちゃんと原曲聞いていただければ、とてもカッコよいギター演奏だと分かると思います。で、実はこれ、1年目のギターキッズでも弾ける演奏しか使っていません。
「そ」
「ふぁ」だけでできている
まず、根本的に。
イントロおよびAパートの「リフ」
(ギターリフ、ギター伴奏)は、「そ」
と「ふぁ」
、たった2つの音だけで できています。ギターのフレットを2箇所動かすだけ。−−これは買った初日に弾けますですね。
(念のため:撮影しながらの生演奏で、片手しか使えていません。そのへん、さっぴいて聞いてください。)
正確に言うと、それに「5度」
という音を足しています。それは何かと言うと、ギターの弦で1つ下の弦を、同じ位置で押さえるだけ。
(ほんとはギターを弾いて見せれば一番いいんですが、1人で演奏+撮影する都合上、どうしてもキーボードになってしまいますです。誰か撮影しにきてくんない?)
というわけで、あの曲のAパートのリフは、「たった2つの音の変更」
を2つの弦で同時にやるだけで演奏できてしまいます。
ポイント1:「カッコいい演奏」
と「難しい演奏」
は別物です。かんたんでカッコいい演奏はいくらでもあります。[ギー太]は格好の教材です。
このAパートのリフが弾けるようになった段階で、「ふつうのロック」
は99%弾けるようになります。伴奏限定ですが。
とりあえず、そのリフをブルースとして展開します。この曲はトニックGなので、CとDを足します。
(コード展開については2011年1月25日に書きました。)
ほら、1つの曲になってるでしょ。
この「原音+5度」
は、乱暴にまとめてしまうと、ロックの世界でパワーコードと呼ばれるもので、基礎の基礎です。
で、その「基礎だけ」
で できているカッコいい演奏は無限に存在します。この演奏、聴いたことあるでしょ?
最初はこれらをマネればいい。弾くのは楽しい。まずはそれが大事。
ポイント2:基本だけで弾ける「カッコいい演奏」
は大量にある。
楽しく演奏を学ぶには、次のポイントが大事。
(なお、必然的にうるさくなるので、ヘッドフォンが必須です。)
伴奏専用マシンとしては、ローランドのDr.リズムやヤマハのRYシリーズがあります。
(私が実楽器しか知らないだけで、PC用のソフトはフリーでもあると思います。少なくとも、打ち込み素材やDJ素材用のドラムルームのフリーのものは、いくらでもあります。)
なお、「まじめに」
演奏を上達させるには、実はこの(1)(2)はNGです。なぜなら、てきとーに弾いてもカッコよく聞こえるから。
でも、そういう「まじめに」
やるのは、楽しめるようになったあとでいいです。
ただし! これをちゃんと弾くには、次の2つの訓練が必要です。
上記はキーボードを素で弾いただけなんで、ミュートがありません。やっぱ間延びて感じますよね。そのへんがギターがギターたるゆえんです。
で、まあ、ミュートに関しては、多少ごまかしてもかまいません。「完璧に弾ける」
てのは、どこまでいってもない。
ミュートは、最初は意味は分からないし、できたとしても、ミュートとリズムキープを同時にやるには、やっぱり1ヶ月くらいかかる。とはいえ、かかったとしても1ヶ月。
「えー、1ヶ月練習しても、ギー太の1リフだけなの? なら辛いよ、楽しくないよ」
と思うかもしれません。でも、上記のとおり、あのリフさえ弾けるようになれば、あとはロックの名曲はたいてい弾けます。
(で、ギー太のギターソロまで含めて弾けるようになるには1年くらいかかると思います。でも、たった1年であんだけ弾けるですよ。わたし、英会話いまだにまともにできませんよ?)
まあ、ついで。モノシンセでハッタリを効かす奏法の1つ、ポルタメントを紹介します。
(念のため:撮影しながらの生演奏で、片手しか使えていません。そのへん、さっぴいて聞いてください。)
モノシンセは、同時に鳴る音が1つです。…というと「古いんだ、だっせー」
と思う人がいますが、違います。フルートやサックスはいまでも1音楽器ですが、誰もダサいとも古いとも思わない。違う楽器だから。同様に、モノシンセも、同じ鍵盤を使うだけで、まったく違う奏法と発想を用いる別の楽器です。
で、その特徴の1つが「前の音を押したままにして、次の音を押す」
の効果。モノシンセの場合、この間の音階が滑らかに繋がって演奏されます。ポルタメントといいます。そのカーブや速度は調整できて、さまざまな効果に使えます。
で、さらに、「次の音」
を離すと、前の音にポルタメントして戻ります。すなわち、ギターでいうところのタッピングと同じ効果が出ます。
これを使うと、たとえばトニック音を鳴らしっぱなしにしたまま 音階を切りながら演奏すると、なんと「トニックと各音を早弾き」
かつ「そのあいだの音程がスライド」
という劇的な音になります。
でも、やってることは すんごいカンタンです。−−正直なところ、てきとーに弾いていても、正しいスケールさえ選んでしまえば、それなりの演奏になります。私は「それに頼りきって演奏している」
といっても過言ではありません。
私が使っているMIDIキーボードは、Roland Edirol PC-50。たった1万4800円です。音源なし。単体では音がなりません。PCにつなぐ前提です。→買った日である2008年06月06日の日記
で、「Sonnar」
で有名なCakewalk社のシーケンサー+音源(の簡易版)が付属します。好みで、SonnarではなくProjectのほうを私は使っています。これだけでもかなりの音楽が作れます。
音源(楽器)やエファクターは、いまはVSTという形式で標準化されていて、有料・無料をとわず、大量にネットにあふれています。YMOやクラフトワークの時代のシンセ、具体的にはMoogやArpオデッセィのクローンのVSTも存在します。−−著作権と違って特許は比較的早く切れるし、また特許に侵害しない形で「似たような」
楽器を作ることも可能なので。
というわけで、鍵盤系であれば、原資1万4800円とPCさえあれば、たいていのことはできます。これ、高校生でもちょっとバイトすれば買えますね。
(私が高校生のとき=20年前は、バイトしてお金を貯めて、4trのカセットMTRを6万5000円で買いました。それと比べて、なんと恵まれた環境であることか!)
音楽の演奏は楽しいです。そして、いまは安価でもリッチな音楽が作れます。いい時代です。ほんと楽しいよ!
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1名より1口、300円あつまりました。ありがとうございます。asahi-net時代のコンテンツやアドレスに今現在はもう意味が無いのかもしれませんが、保守は続けます。
2011-01-13で紹介するとおり、いまだ鬱病の後遺症が続いておりますが、ただたんに「生きていく」
においては支障はなく、2011-01-21
に始まる一連の連文を書けるくらいには元気でございます。
定収を得る方法がまったくなく、まだ1年くらい見込みもありませんが、 幸い死ぬことはありません。過度なご心配なきようお願いいたします。
とはいえ、なんで最近あんなにいろんなことを書いてるかというと、なんとなく死に準備のような気はします。自分の知識なんざつたないですが、それでも 私自身がまとめておきたい。
音楽系は、あと2つは考えています
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