【自己顕示録】


2001年11月8日〜10日


京都

/事前/

9月ごろ、2年ぶりに旅行に行きたいと思い立つ。和平飯店(いきつけの中華屋)で上海を勧められ、その気になっていたが、9月11日にNYでWTCテロがあり、飛行機はやめた。京都には修学旅行ですら行ったことが無いので、こちらに決定。宿などをerkさんにおさえてもらう。

“るるぶ”の写真栄えがよかったので、下鴨神社に行くことにした。あとは適当にボーっとしてこよう。

予定日の1週間前に、風邪で寝込んでしまった。長引く風邪のため辛かったが、多少無理して決行。

/8日/

*京の遊々きっぷ*

《ミニ周遊券》を買おうと思っていたのだが、とっくに廃棄になっていた。かわりに《京の遊々きっぷ》をget。新幹線往復+座席指定+京都市バス地下鉄1日乗車券で、値段は新幹線往復のみ程度。

名古屋にいたころは意識していなかったが、新幹線の絡むサービス切符はJR東海で購入しなければいけない。東京圏でのJR東海窓口は、東京駅八重洲口と横浜駅にしかない。

*待ち合わせ失敗*

erkさんとは現地集合。13:00と申し合わせたつもりだったが、14:00まで現れない。思い違いがあったようだ。

余談:13:30に空腹に耐えかねて、駅構内にて食事。焼き鳥屋にて唐揚げ定食。メニューを見ると「すずめ」「うずら」が。京都はこういうものを食べるんだと感心。)

14:00に合流。ホテル(新都ホテル、新幹線出口から歩いて2分)に荷物を預ける。待っているうちに体調を崩していたので、15分ほど休憩。京都は東京より暖かいため、服装が合わなかったのだろう。軽く喫茶してから復帰。


余談

新幹線の中で、今年の「そうだ、京都行こう」ポスターを見た。

醍醐寺と醍醐味には関係があると思っていました

醍醐がどういう食べ物だか思い出せなかったので、喫茶のさいにerkさんに質問。「豆腐とチーズの中間みたいな食べ物」とのこと。醍醐天皇が作らせた料理。ネクターは想像の飲み物だが、醍醐は実在する。ちなみに醍醐寺も醍醐天皇によるもの。−−あいかわらずerkさんは雑学大王だ。

ところで、その醍醐ってのは本当にうまいのかな? 食べられる店を知っていたら行こうと思ったが、さすがのerkさんもそこまでは知らなかった。

(追記2002年1月16日:http://www.asm.ne.jp/~milk/rekishi/wakeru.htm


*駅まわり*

とりあえず、erkさんに導かれるままに散歩することにした。

駅地下をくぐって、駅の反対側に出る。目の前に京都タワー。その脇の路地を覗くと東本願寺。近い。近すぎる。

駅構内の花壇に、赤い綺麗な花(サルビア?)と、なぜか風車があった。他の場所でも風車を見たので、そういうイベントをやっているのだろうか。

*梅小路公園*

そのまま西へ歩いて10分ほど歩く。細い路地を通ったのだが、車が頻繁に来るので驚いた。途中に人形供養のお寺があり、小さなお堂に無数に詰め込まれた和服人形を見た。−−どことなく名古屋の神宮前や覚王山にいる気分だ。

16時ごろ、梅小路公園に到着。とくに「なに」というわけではない公園。子供が遊んでいたり、イヌの散歩のオバサンがいたり。パピヨン、秋田系、シーズー、コリーなど数匹見た。−−活発に動くシーズーは初めてみた。整えた長毛がゆれるさまは、どうしてもヌイグルミに見えてしまう。

*龍谷大学〜西本願寺*

西本願寺を目指し、そのまま東にすこし戻る。途中でかわいい交通標識を見つけて嬉しくなる。−−関係ないが、auのプリケーの宣伝もたくさんあり、これのキャラもかわいい。東京では見たことがないが、なぜだ?

しばらくゆくと、通りに面したところに門があり、「龍谷大学・西本願寺 入り口」とある。木曜日のせいか、観光客はほとんどおらず、学生さんばかり。その合間を縫って入る。

そこには西本願寺の唐門が。鮮やかな着色が施されている。柱の守護は狛犬。中央には鳳凰と龍。柱面には、馬に乗った人が掘られている。仙人だろうか? その上部には虎がいる。前足を舐めて毛づくろいしており、猫のようだ。−−写真を試みたが、すでに暗い(17時)ために失敗に終わった。

そのまま右折して本殿に入ろうと思ったが、ここは行き止まりだった。引き返して龍谷大学を出て、ぐるっと回って正門へ。漆黒の立派な門で、屋根の上に逆立ちした獅子がいて可愛かった。位置的に写真に撮れないのが残念。

現在は御影堂が修復工事中で、近寄れないし眺められない。さらにグルっと回り込んで、唐門の裏に出る。こちらは、柱面に馬が彫られており、上部には豹(メスの虎だと思われていた)がいる。−−けっきょく、見物できるのは唐門だけだった。

*porta*

どうも体調が思わしくないので、今日はこれで撤退。駅地下portaでソバを食べる(予想外に美味しかった)。

途中にあった輸入食品屋で、キュートなペッパー=ミルを発見。アームを握るタイプのもので、そのアームが兎耳になっているのだ。erkさんが土産として購入した。

余談:この兎の商品タグを見ると、原産国はマレーシア、でもmade in china。輸入業者は名古屋で、販売位置が京都。なんとインターナショナルな…)


余談

地下街にある宣伝で、鮮烈なのがあった。

どこぞの慈善団体の紹介広告
介護に疲れていませんか? (文字のみ)
醍醐にあるレジャー施設の宣伝
醍醐でなにしたって いいじゃない! (コギャル2人、スキー姿)

/9日午前/

下鴨神社〜哲学の道〜高台寺の予定。体調はほぼ復調。

*だんご*

9:30にホテルを出る。市バスの複雑な経路図をerkさんが解読し、205系統に載る。駅前では消防音楽隊がデモをやっていた。

「下鴨神社前駅」からすこし北上し、《加茂みたらし茶屋》へ(“るるぶ”に載っていた)。みたらし と 磯巻きを食べる。みたらしは甘めで、いってみれば普通。磯巻きは辛目で、山椒をつけて食べる。これは美味い。

*下鴨神社 外宮*

11時ごろ、北西の入り口から下鴨神社に入る。−−あとで気がづいたが、これは裏口だった。

境内には、ガイト付きの団体客1つと、別の数名のかたまりが。全体としては空いている。−−後者集団は立派なカメラと三脚を持って撮影大会している。立派な大樹と小さな橋があり、ここが一番の撮影スポットのようだ。

中庭に、小さめのお堂が複数ある(それぞれ奉歌・奉舞など)。小さめの祠には朱塗りの狛犬がいた。看板によると「このまわりには、何の木を植えても柊(ひいらぎ)になってしまう。京都の七不思議の1つ。」だそうな。だが、そのすぐ隣には立派なヒメコマツが。看板によると、これは玉依姫尊(たまよりのひめのみこと:神様のお母さん)の化身だそうな。

本宮への門には、桧皮葺(ひわだぶき)の説明と寄付のお願いが。桧皮葺とは屋根の細工の1つで、ヒノキの樹皮を幾層にも重ねて瓦がわりにするもの。30年持つそうだ。−−erkさんは、この看板よりも前に私に桧皮葺の説明をしてくれた。雑学大王健在。−−本宮の桧皮葺部分と、その下の黒漆塗りの柱および金の細工が綺麗だったので、写真に収めた。

*下鴨神社 本宮*

本宮の参詣部は狭い。ここに、本殿以外に小さなが社が7つもある。一言主の社だそうで、それぞれが複数の干支の守護になっている。団体さんガイドの説明によると、一言主には7つの別名があり、それぞれに対応する社を作ったんだそうな。

本宮には入れないが、奥を覗くと2宮になっている。それぞれに2匹ずつ、銀光りする立派な狛犬がいる。毛の部分だけ着色で、青と朱がいる。


余談

しばらくすると、中に夫婦+子供が かしずいていた。どうも七五三の奉納のようだ。すこし遅れて神主さんが現れ、お払いと読経が始まる。子供の頭の上を数度払い(邪気を切る)、子供に榊の枝を渡す。所定の台に榊を収めさせたいのだが、子供にはそんなことは分からず、台の上にちょこんと座ってしまった。両親が慌てて調整し、ようやく儀式終了。

榊は奥に奉納され、それと入れ替わりに神主さんが千とせ飴を持って出てくる。にわかに元気になる子供「プレゼントだ!」−−かわいいものだ。神主さんも微笑んでいた。両親は焦っていたが。


*大炊殿*

特別公開中という大炊殿(おおいどの)を参詣。入場券を買うと、 「いま団体さんが見学しているから、参拝入り口(本宮脇の小扉)が使えない」とのことで、特別に《炊事役が入る門》を空けてくれた。 そのチケット係のかたが案内がてらいろいろ説明してくれた(ヒマだったようだ)。−−葵祭り(天皇からの使者が京都御所から上加茂神社へ行脚する儀式)について。その際の下鴨神社の役割。天皇がじきじきに行う喜納のための区画が神社内にあることについて。お祭りの模様。やぶさめなど関連行事について。守護のヤタガラスとサッカーについて。などなど。−−まったく意識せずにやってきたのだが、ニュースで報道されるあの行事がここで繰り広げられているようだ。

大炊殿とは、葵祭りの際に天皇および御付のかたがたに出す食事を作る炊事場。中には大きな釜や脱穀機があり、そのほかにも模様を説明する資料が展示されていた。エビ・コンブなどの食品(の模型)もある。これも儀式で使うらしい。まるで結納みたいだ。−−いまでも毎年これを使った食事を出すのだろうか?

別棟には、衣装や写真が展示されている。使者(斎王:女性)が着る十二単、出迎える神主が着る装束、受け渡される勅命の書かれた紙など。


余談

入り口の門には、山ぶどうの紋様がある。この説明看板より。

イザナギの尊が黄泉の国から戻られるさい、襲い掛かる鬼に 髪飾りを投げつけられると、それが山ぶどうに変化した。 鬼が山ぶどうを食べている間に、イザナギの尊は無事に逃げおおせた。

しばらくのあいだ、イザナギが「投げた」のか「被投」のか理解できずに混乱した。私は「られる」を受身として読んでいたのだが、ここでは尊敬だったのだ。


*糺の森(ただすのもり)*

12:30ごろ下鴨神社を出て、糺の森を南下。振り返ると、外宮門も鳥居も非常に綺麗だ。しばらく行くたびに振り返り、距離による視界の変化を確認。その光景の見事さに感じ入り、裏口から入ってしまったことを後悔する。

森の紅葉は、まだ始まったばかり。どちらかといえば緑を楽しむ状態だった。


余談

私は表参道を歩いていたのだが、脇の馬道(やぶさめをするところ)に舞妓さんを見かける。珍しいなと思っていると、今度は照明クルーと撮影スタッフが。どうもTV舞台が入り込んでいるようだ。撮っているのは忠臣蔵のもよう。年末用か…

クルーがやって来て、「見物のかたは、脇に寄ってください」と指示された。撮影見物ちゃうわい、わしら参詣に来とるんじゃ。えらい迷惑なはなしだ。


*河合神社*

下鴨の大炊殿チケットとセットで、河合神社の展示も見られる。行くと、入り口は撮影クルーの荷物置き場にされていた(涙)。

河合神社は同じ敷地にある小さな神社。鴨長明が棲んでいたそうな。展示は長明の品+方丈。方丈とは、組み立て式の簡易の住まい。ここで方丈記を書いたんだね。−−現場に来るまで、私は「下鴨神社」と「鴨長明」の関係など想像もしなかった。

展示には、木彫り像+肖像画、長明自筆と伝えられる書、当時の地図、および十二歌聖の紹介絵巻があった。


余談

その後、鴨川沿いに歩いて南下。

川辺に消防車がいて驚いた。ホースが側に入っている。給水中? バス停で止まった際によく見ると、消防隊員がなにかイベントをしているようだ。そういえば、京都駅でも見た。今日は11月9日。そうか消防の日なんだ。


/9日午後/

*釜そば*

バスに乗って、銀閣寺道に移動。バス停をちょっと北に上がると《哲学の道》の末端。

この場所にて、「釜そば」という大きな看板が目に入る。すでに14:00近く、非常に空腹だったので、選ばす入店。ニシンそばを食す。たぶんこのお店

ニシンそば自体初めて。あっさり醤油スープに山椒が効いている。これに甘辛煮付けのニシンが乗っている。他の具材はネギだけ。ニシンは、口に入れるとすぐに解けるようにボロボロになる。ソバは腰が弱く、すぐ切れる。口の中で、ニシンとソバとスープが混ざって、よい感触。ふだんうどんばかり食べていることもあり、食感が面白かった。

店内にあるストーブのうえには、たぬき付きの茶釜(ぶんぶく茶釜)の焼き物が置いてあった。ソバの器と茶器は、どちらもひねり茶碗で、手触りと口取りがよい。出てきたお茶はソバ茶で香ばしい。−−適当に入ったわりには当たりだった。

:ソバ茶が出たのは、昨晩のportaのお店だったかも。)

*銀閣寺*

そのまま参道を通って銀閣寺へ(15時ごろ着)。坂を登って山のふもとへ着たので、いままでよりも木々が色づいている。

(参道では人力車が「乗りませんか」とやっている。土産もの屋もたくさん、観光客もわんさか。こうしてみると、西本願寺も下鴨神社も《観光地》ではなかったらしい。)

門をくぐると、砂庭が目に入る。

右手を見やると、観音殿。「銀閣寺」という華やかな名前とは裏腹に、木肌の侘び寂びのお堂だ。ふもとのススキがひときわ高いのが印象的。ちょうど逆光になる時間帯で、お堂の輪郭がぼんやりとボヤけて、よい風合い。屋上の鳳凰のシルエットもまた凛々しい。

余談:erkさんに教えてもらったのだが、本当は銀ばりにしたかったんだが、財政的にできなかった。金閣寺の時代と比べて足利家の体力が弱っていたことを端的に示す。)(これくらいは日本人の常識なんだろうか。)

*森*

《銀沙灘》を超えてゆくと池があり、立派な鯉が無数に泳いでいる。亀は見当たらない。池の周りには小さなベリーの木がなっていた。私にはカナメモチに見えるのだが、実際はなんだっけ?−−センリョウ(千両)かマンリョウ(万両)ですね、はい。

この裏山は散歩できる(《展望台》という名前になっている)。4分くらいが紅葉していた。林床はスギゴケ。低いほうではコナラやらもみじ系やらが多かったが、奥には立派なスギとヒノキがあった。途中に弁財天の小祠あり(ご神体は見えない)。

撮影しやすい被写体があったので1枚ずつ。「マムシ注意」看板。椿かサザンカ。−−お掃除道具。他の場所にも、歩道の逆側にいくつかのお掃除道具が設置されていた。

(余談だが、みなさん足早に通り過ぎてゆく。看板などがない限り、立ち止まらないヒトのほうが多い。それでは何も見えんのではなかろうか。)

*参道*

土産もの屋多数。なかでも、《元祖八つ橋》と《本家八つ橋》がすぐ近くにあったのが可笑しかった。どちらか忘れたが、完全プレーン(混ぜ物も具もなし、ニッキもなし)を焼いて売っていた。微妙にお餅のような食感で、香ばしい。

余談:これで長年の疑問「生八つ橋を焼くと焼き八つ橋(かわらみたいなの)になるのか」が解けた。別物だった。)

おもちゃ屋で、木を組み合わせた人形のおもちゃを発見。やじろべいの胴体と手のような形(細長い棒の上部に太目の長円球があり、長円球と垂直に別の棒が刺さっていて、ここが稼動する)。足を持って回すと、カタカタと小気味よい音がする。買って帰りたかったが、アパートで鳴らしていると隣から苦情が来そうなので、断念。

せんべい屋で“ぬれおかき”を食す。“ぬれせんべい”なら食べたことがあるが、おかきは初めて。柔らかくて不思議な食感。−−これを会社用みやげとして買い込む。

(余談だが、小物屋にはアイドルのプロマイドがあった。しかも、あゆ と 加護あいが多い。なぜ銀閣寺に来てまで。)

*ベル=ピエール*

16:30、行きに発見した喫茶店に入り込む。お店の外にネコの像があり、それが店内を覗き込んでいるのだ。これは入らずにはいられまい。−−店名は「ベル=ピエール」なのだが、看板に「喫茶まなみ」とある。ケーキ部門と喫茶で名前がべつなのかな?

店内にも、陶器のネコが無数飾られていた。店員さんに許可をもらって撮影。

ネコめあてで入ったのだが、紅茶もしっかりしていた。私はロイヤルミルクティーを、erkさんはキーマンをいただく。

余談:4つほど隣に、橋本関雪記念館がある。落ち着いた綺麗な動物画が飾られていた。次回は入りたい。)

/9日夜/

*祇園*

本来は《哲学の道》を歩いて南下するつもりだったが、予定外に銀閣寺に行ってしまったため、パスしてバスにて祇園に移動。四条通り(バス停の通り)を西に歩いて祇園見物。秋の18時なので薄暗いが、まだまだ土産もの屋が多数営業していて、色彩豊かだった。

舞扇堂にて自分用土産を購入。干支でもないのに、ちりめん絞りのネズミが非常に気に入った。

花見小路地りとやらを歩く。高そうな料亭が並ぶ。なぜか和牛料理屋が隣接していた。値段を見ると、なんとか5000円から食べれるようだ。−−通りを舞妓さんが歩いていた。ほんとにいるものなんだねえ。

高島屋という旅館らしきを見た。百貨店の高島屋と同じマークで、そちらの宣伝看板もあった。これが本家?(東京日本橋高島屋が本家ではなくて??)

(補足12月23日:高島屋の歴史

*高台寺(夜間参拝)*

多少迷いながら歩き、19時ごろ>高台寺へ。北の政所ねね(秀吉の本妻)のお寺。期間限定の夜間参拝で、erkさんのリクエスト。時間の割には人が多い。

ライトアップのなか、お堂(開山堂)と渡り廊下がぼんやりと浮かびあがる。ムリは承知でカメラに収める。フラッシュなしのほうは、お堂の感じが少し分かる。フラッシュ炊いたほうは、手前の立石が綺麗に見える。

お堂の前まで行くと、周りの池への木々の映り込みが秀逸だった。目の前の立体の木々の紅葉が、平面化されて湖上に敷き詰められる。湖面は微妙にゆれている。−−写真にしてみたが、何も写らなかった(涙)。

お堂の中に入れる。欄間に淡く鳳凰が描かれている。たぶん写真とっちゃマズイのだが、つい撮影。しかもフラッシュ炊いた。最低だ>自分。−−ちなみに、ここの窓間から覗く廊下や湖が綺麗で、みなが記念撮影をしていた。みな同罪。

順路に沿うと、さらに奥に進む。細い階段を上がり、御霊屋へ。お堂の中には、ねねの坐像が。それが収められている神棚の扉(観音開き)は、黒漆に金装飾が施されたもの。ゴージャスとは言わないと思うが、派手に綺麗だ。お堂外の柱にも朱塗りの細工が。

さらに奥にまわり、小さな庵を眺める。傘亭と時雨亭。いまパンフで見ると綺麗な茶室だが、現場では感動した覚えは無い。パンフは内側だが、実際には外面しか見えないからかな?

復路では、竹林を通る。下からビーム白光でライトアップされており、夢幻的。かぐや姫がいそうだ。

オーラスに、方丈(といっても大きなお堂)の脇廊下を歩く。ここから前庭(砂庭)を鑑賞できる。砂にはウネウネの線が多重に描かれている。たぶん線は並で、いくつかある岩に打ち寄せているのだろう。

−−ところが、ライトアップ用に、ウネウネ線に沿ってネオン管(赤や青)が張り巡らしてあり、複数のスポット照明が周期的についたり消えたりしている。これではあまりにも風情が無い。台無しだ。

帰り道、正門から下る。路脇のライトをよく見ると、どれも竹細工だ。おかしなこだわりに感心。

余談:実は行きは駐車場のほうから入っていた。今回の旅程では、ことごとく脇門から入っている。なぜだ。カルマか。)

*グリルミヤタ*

20時ごろ、歩いて京都四条駅のほうへ。“るるぶ”の写真で気に入ったグリルミヤタへ。高級和牛ハンバーグのお店。

へんぴなビルを地下に降りると、ネコのイラストの看板がお出迎え。厨房に掛かる暖簾(のれん)にはネコのイラスト。店内に掲げる日本画もネコ、その隣にはおじいちゃんがネコを抱く写真が。−−ベル=ピエールといい、今日はお店が猫づいている。

余談:入り口脇には、芸能人記念写真もいくつかあった。私は誰が誰やら分からんが、erkさんはキムタクを発見した。)

お店に入ると、おばあちゃんが席を割り当てる。奥にはマスターらしきおじいちゃん。店内は居酒屋(非チェーンの)な造り。おでんが出てきそうだ。でもBGMはJazz。先行する客は2組。どちらも品がよさそう。

メニューを見ると、「2人で1万円コース」がある。カップスープ、サラダ、エビカニクリームコロッケ、ハンバーグ、ステーキ、コーヒー。楽なんでこれにする。サラダの胡麻だれが美味しくて、おかわりしてしまった。

余談:途中で若いカップルが入っていた。男のほうがどこかのレストランのコック見習いらしく、神妙な顔つきでハンバーグを食べていた。)

腹ごなしのため、そのまま歩いて地下鉄四条駅へ。


余談

FM(funky802)にて、金曜日深夜24時より小曽根真「oz meets jazz」が流れる。東京j-waveで土曜日21:00からやっている番組だ。翌日東京で確認したら、内容同じだった。オープニングとエンディングだけ(番組名の関係で)別途録音しているみたい。


/10日/

(これ以降は12月2日記述のため記憶があいまい)

*散歩*

駅に荷物を預け、歩いて東寺に向かう。南西に歩いて20分くらい。

途中の家々はほとんどが平屋で、木造だ。板が黒いのはタール塗りか? これも情景保護条例の結果だろう。

私が子供のころは地元もこんなんだったと思うんだが、地元はいつのまにかマンションだらけになっちゃったなあ。

*東寺 食堂と夜叉*

東寺は弘法大師空海のお寺。密教の本山。火事や一揆で何度も壊れているが、そのつどなんとか修復されている。

東門慶賀門から入り、宝蔵を眺める(近寄れない)。

最初に見られるのは食堂(修行僧がゴハンを食べるところか?)。中には入れないが、覗き込むと仏が見えた(絵だったか木造だったか失念)。あからさまにススを被っている。残念。

その正面に、小さなお堂が2つある。夜叉神堂。中はほとんど拝めなかった。

erkさんが夜叉堂に手を合わせているので理由を聞くと、「怖いことが書いてあるでね」(名古屋弁)と看板を指差した。お堂の前に来たのに拝まない人がいると、夜に夜叉像が暴れるそうな。それはいかん。手を合わせねば。

*都七福神〜納経堂*

本来の東寺を後回しにして、脇にあった《都七福神》金毘羅堂へ。中くらいのお堂が2つ。1つは金毘羅さん立像(ブロンズかな)。もう1つは隠し本尊。何の像だか忘れたが、この本尊を目にしてしまうと翌日死ぬそうな。江戸時代に導師が1人死んだため、いまは厳重にしまいこんであるという。−−他にも、弁財天などのの小宮あり。

庭の部分に、お墓のような卒塔婆のような碑が立っている。そのうち1つは、礎部分がカメになっていた。力強い石彫り。珍しい気がする。

通路を抜けて反対側に出ると、そこは納経堂。大師堂と大日堂の2つがある。

大師堂は古い木造のお堂で、中に自由に上がれる。客が2人、めいめいに読経していた。住職ではなく客が納経しているのを見たのは初めてだ。内装は綺麗だったと思うのだが、もう記憶がない。

大日堂は立て直したばかりで、木肌の若さが綺麗だ。石造りの(かなえ)の文様が《ラーメンどんぶりグルグル》系で、掘り込みの龍や鬼面もどことなく中国風(というか平安風なのか?)。こちらには一般客は入れない。

気に入ったので写真に収めたが、あとで良く見ると「大日堂 撮影禁止」だった。ごめんなさい。−−しかも、お堂脇にいくと、オレンジのネコがうたた寝してので、また1枚取ってしまった。

(余談:あれ。門番像がいないね。そりゃそうか、お寺のお堂だもんな。神社じゃないんだ。)

*講堂*

ここから先は有料。

弘法大師があとから立てさせた講堂。非常に広く、屋根も高い。壁は白塗り、柱は朱。さすがにくすんでいるが…

中にあるのは、複数の金属製仏像。どれもサイズが大きく、細かいところまで細工が行き届いていて、鑑賞する喜びに絶えない。日本人として誇りと畏怖を覚える。

解説書によると、この堂内は立体曼荼羅だという。中央に如来、右に菩薩、左に明王。隅を四天王が守る。あとからニ天が追加され、脇を固めている。

このニ天とは、梵天と帝釈天のこと。日本に伝来したのが遅かったため、あとから曼荼羅に追加された。四天王が武将役になっているためか、文人神っぽい見た目になっている。とくに帝釈天の顔から感じる知性の高さは抜群。柴又帝釈天は寅さんで有名だから、あまりこういうイメージはなかったなあ。

なお梵天は、4匹の鴨(か雁か)の上にさらに蓮台を置き、座禅を組んでいる。4本ある手にも花が。−−そういえば、他の仏は、基本的にノーマルな人間形だな。千手観音みたいなのはいなかった気がする。


(余談)

うろ覚えだが。いちおう。

如来

悟りをひらいたもの。他人をも悟らせるもの。狭義の仏。大日如来、阿弥陀如来など。それほどたくさんはいないはず。

菩薩

修行中。悟りを目指すもの。瞑想するもの。かなりたくさんいる。観音様は観音菩薩。

明王

一般の人間を悪魔の誘惑から守るもの。戦う仏。不動明王、金剛夜叉明王など。単体の明王もいるが、中には菩薩が化身したものもいる。この場合でも、菩薩名と明王名はそれぞれ別。

余談:ちなみに夜叉は、悪人から改心して仏道に入ったものの総称。それが金剛一派かつ明王にまで出世するとは、この金剛夜叉明王はすごい成り上がりだ。)

天王

人間として最高の状態。優れた楽を持つが、でも苦もある。増長天、多聞天など。四天王以外のもいる。十二神将もここに入るんだと思う。

他教の神様を取り入れるときも、天王にするんだったと思う。梵天=ブラフマン、帝釈天=インドラ。たしか、イエス=キリストは摩利子天という密教名があるはず。

(といっても、イエスに関しては情報ソースが[明王伝レイ]なんだが…)


(どうでもいいことだが、パンフによると、各菩薩と明王は国宝指定なのに、如来は重文どまり。なぜだ。年代の問題か? それとも作品の質なのか。)

*金堂*

東寺創立当初からあるお堂。「金堂」という名だが、れっきとした木造・無着色。パンフによると天竺様式とのこと。たしかに講堂や大師堂と比べると、木の組みかたから装飾の入れ方、扉の造りまで、まったく違う。

中には、講堂にもまして巨大な仏像が3体。保存である薬師如来を中心とし、月光・日光菩薩が脇を固める。薬師は、足元に小さな十二神将を従え、その上に敷かれたシーツの上に座禅を組んでいる(蓮台ではない)。日光・月光は、蓮台の上の立像で、手に植物をもっている。左右対称。

中から見ると、柱の構造というか蔵の作りそのものが綺麗だ。装飾細工ではなくて、組み合わせの様式がかっこいい。

奥に非常に急な階段が1つあって、天井まで続いている。といっても、その先には何も無いと思うんだが…なんのために設置されているのだろう。すす払いか?

(注:階段も木造。古いものだと思う。)

*五重塔*

パンフによると、現存する古塔のなかでは最大で、バランスの良さもバツグンだそうな。外からしか見られないのが残念。とりあえず、紅葉が入る状態(曇天)、塔のみ(逆光のためシルエット)を写真に撮る。脇にあったススキもよく整えられている。そういえば、銀閣寺でもススキが気に入ったなあ。

近寄って確認できるのは最下層だけ。四隅を見ると、小さな鬼がいた。erkさんいわく、たぶん天邪鬼だとのこと。浄罪のために見張り番、ごくろうさんです。

余談:塔の周りには、ライトアップ用だと思われる照明器具とケーブルがゴロゴロしている。けっこう景観損ねると思うんだが…)

*庭*

有料区域のお庭も綺麗。心なしか紅葉も進んでいる気がする。だが、紅葉よりもキキョウが抜群に綺麗だった。また、家の中央にカメを見つけたので、押さえで1枚。

しばらく鳩と戯れつつ撮影に挑戦したが、素早すぎてムリ。

*portaふたたび*

歩いて京都駅へ。途中で昼飯を食べようと思ったのだがよい店がなく、結局14:00ごろportaでお好み焼きと焼きソバを食べた。今思えばトン平焼きもいっておけばよかった。

その後土産を物色。自分用に「ごり」(なんかの小魚の甘露煮)を、会社用に「生チョコ入り八橋」を。

:「ごり」は非常に美味しかった。それだけでゴハンを何倍も食べれる。ホテルで食べた朝食に付いてきた漬物も美味しかったし。京都のこういう小物は質がよいのか。東京でも選んで買えば美味いのかな。)

その後、新幹線内で食べるために「築地 銀たこ」でタコ焼きを買い、サクっと東京に戻る。「生チョコ入り八橋」といい、この間違った食い物選択に我ながら感心する。


余談

ホテルのTVだが、有料放送(映画およびエロ)は「フルデジタルによるvideo on demandサービス」になっていた。技術はこんなところに使われていたのか。






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