【自己顕示録】


1997年9月


09/30

メモ:9/27の20:00(5330)、9/29の20:00(5360)。

/PC98-NX != PC-98 /

NECがPC98を実装するらしい。

PC98とは、マイクロソフト(とインテル? )が画策する、1998年のPCハードウェアのアーキテクチャの標準。NECは商品名としてPC98-NX(? )としてこれを売り出すんだそうだ。名前が紛らわしいが、いままでNECの主力モデルだった“国民機”PC-98とは無関係。

こうして国民機は消える。98という名称はWindows98のものになる。P6といえば、pentiumProのことであって、けっしてPC-6001のことではないのだ。って、それはもとからやんけ>俺

/グアージュ/

名古屋にあるハンガリー料理店「グアージュ」が大変美味しい。

ランチは880円で、スープとメインとデザートと飲み物がでる。男性には少々量が足りないかもしれないが、何にせよ、この味、このヴァラエティでこの値段はすばらしい(味の説明は、文字では難しいので省略)。

地下鉄東山線“池下”で下車、三洋堂書店があるほうのとおりを、今池の方へしばらく歩く。左手(ってことは三洋堂の対面の側)にお店がある。手前には山登り用品店「山小屋」が、とおりすぎると中華料理屋とオムレツ屋が並んでいる横道を発見できるはずだ。


9/29

/BeOSもあるんだぜ/

僕は中村正三郎さんのファンなんだけど、その彼のSITEでZDNet Japanなるものが紹介されていた。同名の海外WWWニュースサイトの完全日本語版だ。実際、読んで見ると凄い内容。C|Netもいいけど、これもいい。

ZDNetの中には、一般コンピュータニュース、PC Week、Macものなどの専用コーナーがある。僕が期待しているラプソディの情報も、きちんと載っている。こりゃあ便利だ。

そこで、なんとBeOS小コーナー(BeHive)を発見してしまった。

BeOSとは、ベンチャー企業Be社が作るOSで、ターゲットはマルチメディアコンテンツの作成。複数CPUの並列処理が魅力。会社のイメージはNeXT社と似ている。始めはハードとOSの両方を扱う予定だったが、既にハードは手放し、今はPowerPCをターゲットにOSを作っている。まだ発売されていないが、βが無料配布されはじめた。最近、appleの経営不振をにらんでか、intel用のBeOSも発表された。OS設計が大変しっかりしているため、もともと移植性が高く、その対応のすばやさが話題になった。

BeOSはラプソディと異なり、MacOSエミュレータはついていない。GUIの感触はNeXTとMacOSの合いの子みたい。ねらい目はマルチメディアと書いたが、実際にSGI(シリコングラフィックス社)なみの仕事がPowerPCあるいはPentiumII2ヶ並列マシンで処理できるのだ。これは凄い。必要なメモリやCPUパワーは僕らにはわからないが、たぶんwindows95程度のメモリではおさまらないだろう。だって、目的がマルチメディアだもの。

BeOSは一般個人向けマシンのOSではないかもしれない。でも、その安定性は企業のサーバマシンとして十分に活用できるといわれている。オフィススイート系のソフトウェアも存在するし、Netscape社がサーバの供給を宣言した。OSレベルでjavaをサポートしていることも考えれば、イントラネットがらみで活躍すると期待していいだろう。

でも、本当の素晴らしさはそこではない。本当の素晴らしさは、利用者に選択肢ができることだ。ms-windowsしかない世界なんて寂しすぎる。しかも、そのマイクロソフト社は1997年になって、完全に行動不信なのだ。

今のところ(パワーマック相手に限るが)、インストールなども半自動化が進んでいて、トラブルも少ないとのこと。ならば、一般個人がコンピュータを利用するのに使ってもいいOSになり得るのだ。しかも、intelにもPowerPCにも対応しているという利点。これは、ソフトウェア開発者にとっても大きな魅力だ。あとは値段だな。

freeのunixとしてのLinux・FreeBSDはすばらしいが、それらはかなりの技術を持ったコンピュータユーザしか使えない。本当は、すべてのユーザがそれくらい勉強するのが望ましいのだが、現状はそうじゃないのだ。僕はunixを使えるが、もっぱらプログラムテストとネットワークだけ。日本語文章を書くには、windows上で秀丸エディタを使う方が好きだ。TeXよりもマイクロソフト社のwordのtree編集が好きだ。(最近はHTMLとスタイルシートが好き^^;)軟弱だといわれるかもしれないが、そのほうが軽いし楽ちんなのだ。なんだかんだいってもハードウェア等のサポートもwindowsから始まる。いまのところ、非商用pc-unixはその名のとおり商用サポートのない世界なのだ。

しかし、BeOSは違う。既に多くのベンダがBeに注目している(bigメーカではないが)。ソフトウェアも統一された高度なGUIのもとで供給される。

僕は、1998年はマイクロソフトが馬脚をあらわにする年だと考えている。その傾向は1997年から見え始めている。そこでさっそうと表れるのがラプソディだと考えていた(その前にappleが潰れなければ)。あのNeXTの素晴らしさがPowerPCでもIntelでも得られるのだ。そして、実際にはさらに選択肢が増えるのだ。BeOS。

僕らは選択肢を待っている。


(追記2001年1月4日)

私は今や中村正三郎氏を好きではない^-^

BeOSは、いまだに注目されていない。DTPやDTMはいまだにMacのものだし、3D CGはハードもソフトもNT/2000あるいはSGIなどの専門機のものだ。−−SGIがNTマシンを出すとは思わなかった。

BeOSは、現在OSを無料とし、Webからダウンロードしたり本に付録で付けたりできるようにしている。でも、今後もグっとはこないだろう。なぜなら、いま普通の人がコンピュータに求めているのはメールとWebであり、小さなノートPCだったり省スペースデスクトップだったりで、マルチメディアを謳ってもピンとはこないからだ。



09/27

メモ:9/23の18:00(5225)、9/24の20:30(5240)…寂しいなあ。

メモ:9/24の20:30(5240)、9/27の20:00(5330)。

/転石苔むさず/

クロスロード10月号の表紙がローリングストーンズだった。どう見てもジジイでよぼよぼなんだけど、とってもカッコイイ。しびれた。ああいう風にふけたい。キースのインタビューが載っていたんだけど、これがまたいい。

昔はブルースマンやジャズマンがロックを持ち込んだから、そこにはロールがあった。でも、ロックンロールが定着した後、そういう素養がないヤツラがベースやドラムを始めたから、ロールがどっかにいっちまった。俺は、ロールの無い音楽なんて興味が無いね。

俺は幸運にも、数多くの高名なギタリストと共演できた。マディー=ウォータースも、バディ=ガイも、BBキングだってだ。俺も少しは成長したもんだ、って思っても構わないよな。

でも、ステージサイドでマディー=ウォータースに「おい、さっきおまえがやったフレーズ、ひとつ俺にも教えてくれよ!」なんて言われた日にゃあ、もう10代の少年の心になって張り切っちまっても仕方ないよなあ。


9/23

/マンガ:たけし/

週刊少年ジャンプでやっている「世紀末的リーダーたけし」が熱い。ギャグマンガになっているけど、内容の端々には「本当のリーダーとは」「相手を思いやるとは」「人を引っ張っていくとは」などの哲学にあふれている。いま、こういうネタはギャグマンガの形式を取らないと、恥ずかしくて読めないのかもしれない。

ちなみに、週間少年誌で連載しているものでは、サンデーの「め組みの大吾」が、ストーリ、画質共にずば抜けておもしろい。同じくサンデーの「ガンバ!FLY HIGH!」もかなりおもしろい。あと、マガジンの「はじめの一歩」が安定しておもしろい。

連載終わっちゃったけど、サンデーの「うしおととら」は傑作だ。

少年系をはなれると、「家栽の人」は何度も繰り返して読んでしまうほどおもしろい。「寄生獣」もいいね。

まやみねお「パタリロ!」の6巻くらい(スターダスト以降)から23巻くらい(バンコランvsバンコラン)までって、最高におもしろい。テンションの高いギャグが、シリアスなストーリの中に平気でほうり込まれているという「あの感じ」は、他では得られない衝撃だ。

ますむらひろし「アタゴオル」関連は外せない。ファンタジーとはこれのことだ。最近、ハウスシチューの宣伝でヒデヨシが出てるけど、これでアタゴオルがブレイクするかな? そんなわけないか。

桜沢エリカ「しっぽがともだち」って、完全に連載終わっちゃったのかな。まだ読みたいなあ。読みたいといえば、あしべゆうほ「クリスタルドラゴン」の15巻ってどうなってるんだ。14巻がでてから、もう何年経ったんだ? 



9/22

まとめると、「きらい、きらい、だいっきらい」ってところかな。


/マザー=テレサのここは嫌い/

*はじめに*

ダイアナさんの事故死に続いて、世界の聖母テレサも死んでしまった。いくつかの追悼番組も作られた。基本的に、マザー=テレサの悪口をいう人はいないだろう。僕だって、特に悪口をいうわけじゃない。でも、非キリスト教として、一部だけ許せないところがある。

*貧しい人が貧しい人に喜捨することの素晴らしさを謳うな*
「私が飢えて苦しんでいる彼らに食物を渡すと、彼らはその隣人に、そのわずかな食物を分け与えにいきました。貧しい人でも、他の貧しい人と分かち合うことを知っています。なんとすばらしいことでしょう。」

たしかにすばらしいんだけど、ボランティアの基本は「豊かなものが貧しいものに与える」であって、そのことによって自分が死んでしまったらどうしようもないじゃないか。その「貧しいものが貧しい人に」は美しい言葉だが、それを崇拝しちゃだめだ。

イスラム教では、貧しい人が貧しい人に喜捨することを禁じている。明らかに豊かな人がいるからだ。僕は、こっちのほうが現実的で好きだし、あっちはイヤだ。

正直なところ、僕らは飢えていない。豊かだ。でも、そういうのは相対的なものであって、「日本の貧乏人でも、たいていはあの子供たちよりも豊かだ。そう思うと恥ずかしくなる」という感想を漏らしていたTVコメンテータは偽善者だ。日本で貧乏だったら、日本にある限りはあくまで貧乏だ。僕らが無理して喜捨する必要はない。

本当にすばらしいのは、「豊かな人が貧乏な人に」ではないだろうか。もっとも、これは「生活している世界が違う」ということだけど。

*神に感謝して現世に感謝しないとは何事だ*
「我々は、資金繰りに苦労したことはありません。祈っていれば、いつも間にか資金を提供してくれる人が現われるのです。我々は、神に感謝しています。」

この精神が大嫌い。あなたたちは、当然ながら現世に生きているのです。その現世の多くの人に助けられて生きているのです。それなのに、「それは神様が助けてくれたからできることです」というのはやめて欲しい。

明確に、現世の他の人々が、あなたたちの行動を見て、協力したいと思ったからできているんだ。それは、あなたたちの美徳と、他の人たちの美徳がもたらした幸運な状態なんだ。それを、「神の意志」と表現するのはやめて欲しい。

それにもかかわらず、テレサらは「貧しい人を助けることを通じで、我々の心も助けられています。」などと、貧しい人には現世の感謝をする。これも嫌い。報道されていないだけで、ちゃんと現世の金持ちにも感謝しているんだろうか? 

*おわりに*

つまり、僕にはキリスト教の精神がよくの見込めないし、それがなんとなく嫌いだ、ってことだ。世間が「この人のやることはすべてすばらしい」的な報道をしているけど、日本人には本心からの共感は無理なんじゃないかなあ。それくらい、宗教観・生死観ってのは大きいんだぜ。

という反発から、こんな文をかいてみました。


/「サザエさん」のここが嫌い/

僕は「サザエさん」が大嫌い。「理想的で健全ですばらしい家庭」と謳われることもあるが、それは大間違いだ。あれは、日本のだめなところを凝縮させたもので、濁ったモノに過ぎない。

「サザエさん」という番組は、基本的に悪戯などの出来事と、それにまつわる思い出話の応酬でできている。

たとえば、カツオが忘れ物をして学校で叱られた、と夕食で話題になる。サザエがカツオをしかる。すると、カツオは「姉さんだって、そういうことをするじゃないか」と言い出し、回想シーンが始まる。その結果、サザエはカツオに文句をいえなくなる。

「サザエさん」の登場人物は、問題を起こしても、ほとんどが反省しない。反省せずに、あいつだって悪いことをしているといいだして、自分の悪行を棚にあげ、場合によっては正当化する。

たとえば、波平がカツオのテストの成績を見て怒る。しかし、ある時波平は自分の昔のテストを見て、その成績が悪いことに気づき、カツオを叱らなくなる。カツオは、いつもと同じように点が悪いのに何故叱られないのかわからず、キョトンとする。

このように、「サザエさん」の登場人物は、一貫した理念や自身を持っていない。その場その場で意見を変え、自分に都合が悪くなると、何も言わずに逃げ出す。

「サザエさん」は最低の人間集団だ。


09/14

メモ:9/11の20:00(4860)、9/13の19:00(4930)

/雑記:過ぎたるは及ばざるが如し/

*過ぎたるは及ばざるが如し*

内閣に政治犯として有罪をくらった人間が入った。中曽根いわく、「なぜ政治家だけが、断罪が終わった後も罪を背負わなければならないのか? 」…そりゃ、政治家だからでしょ。こんな馬鹿なよいわけをいうようじゃ、日本国家の信頼はがた落ちだ。マスメディアがこぞって批判していることだけが救いだが、本当に世界的に未聞なことだとおもう。

でも、いいたいのはそんなことじゃない。その佐藤氏がインタビューでこう言っているのだ。

過ぎたるは及ばざるが如し、というように、過去の罪が今にまで及ぶわけではないのです」

もちろん、言葉の意味がおかしい。こんなことを平気でいうほど教養が無い人間に、内閣構成員がつとまるとはおもえない。

いや、そんな批判もどうでもいい。とにかく、「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。この誤用、今年の流行語対象をとるんじゃないか? ってくらいインパクトがある。ギャグなら凄いセンスだ。

*しのはら らぶりー *

ところで、TVで篠原ともえ(らぶりー)がでる化粧水かなんかの宣伝を放映している。ここでは、いわいる「しのらー」じゃない篠原が見られる。髪をまっすぐに下ろし、変なメイクを取り払った美しい篠原。ううん、ぷりてぃ。でも、喋りかたは「しのらー」のままにしていた。「しのはらの新兵器」「髪、つやつやだわ」…しゃべりも営業ぬきでやってくれたら、世界中が君に悩殺されると思うよ、篠原様。でも、ネタとしては、あの見た目でしのらー喋りをしたのは正解です。すんごくオカシイっす。いいぞいいぞ。


9/13

/java scriptはjavaじゃない/

いまさらなに言ってんだとは思うが、いまだにjava scriptをjavaだと思っている人がいる。もちろん、知らないんだからしょうがない。わざと似た名前を採用したんだから、悪いのは会社の方だろう。

まず、java scriptはNetscape社のscriptだ。エンジンブレーキがエンジンじゃなくてブレーキ作用であるように、java scriptもscriptだ。scriptってのは、コンピュータ業界の場合、大雑把に言ってマクロ言語のこと。ms-dosでいうバッチファイル記述言語。

Netscape社はMozilla用のスクリプトlive scriptを開発していたんだが、そのころsunがjavaを大々的に発表した。Netscapeは「こりゃいいや、うちのWWWブラウザでもやったるぜ」とばかりにいち早くjava仮想マシンを実装した。そのとき、「ついでだから、このスクリプトの名前にもjavaってつけちゃえ」と、ハレンチにも名前を変えてしまったのだ(版権はどうなっているんだろう? )。javaの大ブームに便乗したわけだ。だから、一般の人が「java scriptってjavaの一種? 」と疑問に思っても仕方が無い。

javaはプロジェクトの名前で、OSを越えて動作するjava仮想マシンと、それへのコンパイラと、同時に開発したjava言語をひっくるめた総称だ。一般にはjava言語のことを指して使われるけど、本当に重要なのはjava仮想マシン。言語はjava言語じゃなくても、java仮想マシン用のコンパイラさえ準備できれば、Cでもなんでもいい。

java仮想マシンは、いまのコンピュータの平均的な機能を持っている。コマンドコンソールもGUIも持っている。window systemはOSのものを用いる。java1.1とJFC拡張によって、かなりのプログラムが動く。つまり、javaを使ったプログラムには、内容の制限はない(セキュリティ上の制限があるけど)。ゲームでもアニメーションでも、計算でも音楽でもなんでもコイだ。

java scriptは、Mozilla用のスクリプト(マクロ言語)。Mozillaの表示をいじるもの。Mozillaの表示を使って何かをするもの。javaとはまったく違うもの。


09/11

メモ:9/9の17:00(4770)、9/11の20:00(4860)

/東山でどかーん/

名古屋の地下鉄東山公園駅と接続しているビルで爆発事故があった。名古屋大学はそこから歩いて15分である。

2時30分頃、大学内でもものがゆれるくらいの大きな衝撃音が伝わってきた。近くの工事器材が倒れたのか? とおもったが、そのような気配はない。5分以内に、次々と消防・救急車がやってくる。ヘリコプターまできた。事故か? と思うも、黒煙などは見えない。見えるほど近く似合ってはたまらないのだが…

先輩がラジオを付けてチェックしていると、15時のNKHのニュースで、上記の報道がされていた。いまのところ、テロなどでは無いみたい。東山動物園で爆弾テロなんていったら、洒落にならないな。そうじゃなくてよかった。

夕方、食堂でニュースをチェックした。あのビルのナフコが改修工事をやっていて、そこでのガス漏れらしい、とのこと。しらなかったけど、あのビルは13階建てで、4階以上は共同住宅であるらしい。37人が負傷、うち2人が重症。名古屋の各地の病院で分散収容中。


09/06

/ヴィンチとは/

レオナルド=ダ=ヴィンチのヴィンチは地名であるらしい。「ヴィンチ村のレオナルド」さんだ。ってことは、ダヴィンチって呼ぶのは間違いか。

ヨーロッパ系のひとのフルネームってのは、自分の名前+地名とか親の名前なのね。グインサーガに出てくる「アトキア(地名)のトール」も、「トール=ド=アトキア」とか「トール=アトキニアン」って感じになるのかな。

日本だって、昔は名字じゃなくて屋号・地名だった。いまのお家的な名字になったのは、明治から。いまでの旧来の名前スタイルで頑張っているのは天皇家だけ? あそこは、引っ越すと名字(? )が変わるもんね。


/更新日記:とらばーゆ、アダルト=チルドレン/

メモ:9/1(4470)、9/2(4530)、9/3(4360)

「とらばーゆ」の宣伝がかわいい。「かわりたいのに、かわりたくない」ってやつね。最近新しいversionになっちゃったけど、一個昔の方の「とらばー」と「ゆ」で頭の向きを変えるのがすんごくよかった。今のもかわいいけど、前の方がよいなあ。

あと、3Mの宣伝の犬のイラストがかわいい。キャラクタ製品があったら、買ってしまいそう。−−ところで、犬でいいんだろうか?

ずっと思っているんだけど、「アダルト=チルドレン」って英語は変だ。和製英語?? これじゃあ「おとなっぽい子供=ませガキ」。英語で「大人のくせに大人になれない」は「チャイルディッシュ=アダルト」では? 


(補足2002年5月25日)

英語のadult childrenは「アルコール依存症の親に育てられた結果、人格形成に障害が出てしまった子供」のこと。A.C.。日本では、単語の響きだけで別の意味に変身していたようだ。

とはいえ、元の英語も一般語ではなく精神病用語で、しかもとくにオーソライズされた単語ではなかったらしい。







ご意見ご要望及び苦情はE-MAILにて

e-mail to : jy3k-sm#!#!asahi-net.or.jp

inserted by FC2 system