【自己顕示録】


1999年7月〜6月


7/25

/悪夢:虐殺の夢/

7月25日に見た夢は、虐殺の夢だった。こういうのを見たのは久しぶりだ。暑さのせいか、疲れのせいか、欲求不満か、前日のハイジャック事件のせいか。

夢のはじまりは、ゲームを操作するところだったと思う。たしか、ソニックみたいなカワイイキャラクターを操る横スクロールゲームで、とてもスピーディーに画面が動いていた。主人公は気持ちよくジャンプしていた。ふと気づくと、画面構図が進行方向を正面から見たカンジの3Dになっていた。クラッシュバンデグー風だ。視点がめまぐるしく変化しまくる。景色は洞窟から都市へと移行していった。ふと気が付くと、飛行機がこちらを銃撃している。まわりで人が死んでいく。それをよけながらビルに入る。受付に金髪で無表情な女性がいる。手に持っているマシンガンを乱射し、その女性を跡形も無く縁壊した。急激にDOOM風の情景になっている。このへんで自分も打たれてゲームが中断したらしく、意識が再びゲーム機の前に座る自分に戻ってきた。

このころから「変な夢だな」と感じている意識があった。しかし、行為の虐殺性には気づいていなかった。と思う間に、もう一度ゲームをはじめからやりなおしたようで、先程と違わぬゲーム展開が脳裏で繰り広げられる。ソニック風、クラッシュバンデグー風、DOOM風。今度は受付の女性を粉みじんにした時点で「なんて残虐なことをしているんだ」と強く認識した。その段階で、目が覚めた。

昔ならば、このような残虐な夢を見た直後は、嫌悪と不安感で吐き気すら覚えたものだが、今回は何も感じなかった。目が覚めた瞬間に嫌悪感は消滅し、かるい頭痛だけが残った。

悩んでもしかたないので、水を飲んで気分転換した。朝7時だったので、ラジオを付けて、起きる体制を整えようとした。

なお、僕はゲームはやらない。上記のゲームは、友人がやっているのを数度眺めたことがある程度。だから、情景とゲームは正しく結びついていないかもしれない。


7/24

7/20-10:00(13585:33685)、7/21-17:15(13650:33800)。

/雑記:うなぎ/

土用丑の日。しかも土曜日だった^-^ 僕はウナギを好きなので、この時期にはウナギを食べない。だって、1年でもっともウナギが不味いのが夏だもの。ウナギの旬は10月。10月は美味いよー。

/オーソドキシー/

私の友人で、「自分はオーソドキシーを目指している」を口癖としている人がいる。5月ごろだろうか、僕が「赤と黒」とか「罪と罰」といった定番書を読んだことがないと告白すると、氏は次のように諭した。

(大意)

「オーソドックスってのは、すごいことなんだよ。たとえば、すみさんの好きな有頂天とかナゴム系みたいに、ちょっと奇をてらったことをやって、ちょっとヒネた人の興味を引くのは、以外にたやすい。でも、オーソドックスなことをやって世間全般の支持を得るのは、驚くほど難しい。オーソドックスを馬鹿にするのはカンタンだけど、それに打ち勝つものを打ち立てるのは至難の技だ。だから、ずっと語り継がれてきた世界名作などは、きちんと目を通したほうがよいよ。」

こういうことをいえるからこそ、氏はホンモノになりうる器だと思う。それに対して、私はしょせんはエセなのだと思う。私は氏を尊敬することにした。

(つい先日、ビリージョエルの「オネスティ」がラジオから流れてきた。このとき、「オーソドキシー」の強みを感じ、氏の言葉を思い出した。忘れないうちに書きとめておく。)

/ ギルドマ:いまひとつ/

遅れ馳せながら、ますむらひろしの4月ごろの新作「ギルドマ」を購入。懐かしのギルドマ・ジャングルにてストーリーは進む。なんと副主人公級の配役でギルバルスが登場する。うーむ、卑怯。

念のために軽い説明をば。「ますむらひろし」は漫画家。代表作は「アタゴオル物語」。猫のヒデヨシを中心に、アタゴオルという世界で繰り広げられるファンタシーだ。−−初期は大変に「ファンタシーなストーリーを見せる作品」だったのだが、だんだんとヒデヨシの「とんでもないキャラクターを見せる作品」に移行しているような気もする…

ギルバスルは、アタゴオル連載以前の読み切り(スコラ版「アタゴオル物語」2巻の巻末に収録されている)に登場したキャラクターで、レジスタンスのリーダー。−−余談だが、彼のセリフ「俺は、目の前で母親を殺された。切り離された首が転がっていくのを見た。俺は、泣きながらその首を抱いて、何度も繰り返し吐いた。感情が壊れていくのを覚えた。それ以降、俺は泣いたことはない。残っている意思は、ヤツラを皆殺しにすること、それだけだ。」(大意)を個人的に好きだ。ちなみに、アタゴオル物語本体には、第2話で1度だけ登場する。

さて、本作「ギルドマ」だが、期待が大きすぎたためか、あまり満足しなかった。1作で終わらせるにはストーリーが大きいのに、無理に1冊に納めているのがいけないのだと思う。この分量では、どうして輝彦宮がヒデヨシを父として満足したのかが理解できない。ラストシーン自体(輝彦宮が植物女王ピレアを封印するときに、ヒデヨシの笑顔のイメージを武器に使う)は感動的なのだが、あの程度の同行では、輝彦宮がヒデヨシを理解する余裕はなかったのではないか。

また、網玄(漢字不問のこと)の存在意義にも疑問がある。彼はラストで「目撃師」としてその正体を明らかにするのだが、なんか変だ。そもそもピレアを眠りから起こしたのは網玄なのだ。なぜ、なんのために起こしたのか?

さらに考えてみると、直接にピレアを起こしたのはヒデヨシだ。網玄に使われたとはいえ、ヒデヨシだ。そのヒデヨシが輝彦宮の父でもあるってのは、なんか世界が狭い気がする。

あげくに、わざわざギルバルスを登場させたのに、その存在価値が活かされていない。これだったら、ツキミ姫でもよかったのではないだろうか。

というわけで、どことなく不満の残る作品だった。うーむ。キリエラのときの感動をもう一度味わいたかったのにー。


7/18

7/12-16:00(13170:32445)。

/三省堂雑記/

ひさびさの三省堂もうで。やっぱり、紀伊国屋だけじゃダメだなー、と実感。

棚は「待ってました」と言わんばかりに、office2000で真っ盛りだ。「できる」「超図解」はもちろんのこと、ソフバの新しい「ハンドブック」も対応してきた。秀和の「はじめての」シリーズも地味ながら店頭を埋めている。…なんでウチのヤツは、まだ2000対応版が出版されてないのだろう。あらかじめソフトの発売時期は分かっていたのに。他社はそれにタイミングをあわせているのに。

アスキームック「いやでも身につくインターネット」を発見。(1)接続(プロバイダとの契約など)、(2)検索(Web閲覧・検索・ショッピングサイトの使いかた)、(3)送信(電子メール)の3冊で、それぞれ550円。もちろん4C。ページは薄い。内容は図解+手順解説。よくできたコンセプトだと思う。−−ここまで書いて、ハタと気が付いた。僕は新刊だと思い込んでいたが、よく考えると書店に来たのは1ヶ月ぶりだ。これって本当に新刊か? ちゃんと日付をチェックするべきだった。

ビジネスコーナーの棚は、相変わらずキャッシュフローがハバを聞かせている。かれこれ1年くらい、キャッシュフロー1点バリだ。今年に入ってからは、連結計算がそれに加わる。というか、連結計算ってキャッシュフローの具体化の1手法だったかな。「経営ビックバン」「会計ビックバン」なんだそうな。税理体系が具体的に変わって安定するまでは、しばらくこうなんだろう。

複数のフロアで「たれぱんだ」の絵本が幅をきかせていた。たしかにカワイイと思う。(何度か書いているような気もするが)初めてたれぱんだをみたとき(1998年アタマ)には「アングラだからこそかわいいキャラクター」であってメジャーにはなり得ないと思ったのに、結局ここまでメジャーになってしまった。僕は可能性を見抜けなかったわけだ。くやしいぜ。

あと、「分数のできない大学生」(10人に2人は分数を計算できない)という本が話題だ。中身はいたってマジメな現状分析書で、いかに論理思考が身に付いていないか云々の実体を調査結果(アンケートなど)をもとに紹介している。どれくらいが真実かどうかは不明だが、いやーんなハナシだ。「マジメにやらない人生」がフツーでは困るぜ>若者。勉強って面白いのになー。

/はらわたは本当に煮え繰り返るのだ/

7月18日、クレーム電話を受けて、「はらわたが煮え繰り返る」というのを実感した。

クレーム電話であっても、我々は反論したり遮ったりしてはいけない。つまり、向こうの罵詈雑言を全部聞かなければいけない。たいていのものは聞き流すようにしているのだが、先日は聞き流せないものに出っくわしたのだ。「俺をちゃんとお客様として扱え」に始まる一連の勘違いの八つ当たりに怒りが心頭に達したためだと思うが、実際に体が震えた。電話を持つ手が定まらなくなった。胃や腸が強く痙攣するのが分かった。苦しくて、息をするものつらい感じになった。たぶんこれこそが「はらわたが煮え繰り返る」なのだろう。

/マンガ雑記/

(補足2001年1月14日)ヒカルの碁は、いまでも面白い。シャーマンキングは、2000年にはつまらなくなった。jumpのマンガは、トーナメントが始まったら「自殺」の可能性が高い。


7/10

6/29-23:00(12895:31470)

/雑記:まずいウナギ屋の特徴 /

*唐突な憤怒 *

7月10日、新宿紀伊国屋サザンにて日経Linux2号を読んだ。日本語KDEと日本語KOfficeの話題が載っている。早い…と感心していたら、隣で同じ本を立ち読みしていた少年が、「なんだよこれ、ふざけてる、何も載ってないに等しいじゃん」と強く憤慨していた。

彼はLinuxマニアで開発者側なのかな? そうじゃないとしたら、どういう憤慨だったんだろう。

*まずいウナギ屋の特徴 *

荻窪西友のB1には、食料品売り場がある。スーパーとはいえ、お兄ちゃんやおばちゃんが「やすいよやすいよ」と呼び込みをやっているので、けっこう活気がある。

このフロアに、1店のうなぎ屋がある。いつもよい匂いをさせているのだが、普段荻窪で食事を取ることはないので、この店には入る機会がなかった。本日はなんとなくうなぎを食べたかったので、お昼にこの店に入ってみた。

結論。ごくありきたりの二流うなぎ屋だ。スーパーの中だし、1100円しか払ってないし、こんなものかなー。

ちなみに、会社の近く(荒木町)には2つのうなぎ屋がある。うな浜とうな米だ。うな浜はいつもこれ見よがしに匂いを店の外にプンプンさせている。1400円と安いのだが、味はありきたりだ。一方、うな米は外からはうなぎ屋だとはまったく気づかないような作りになっている。1800円と少々高めだが、味は絶品だ。

思い返してみると、三福の店先では、うなぎの香りはかすかにしかしない。ひょっとすると、うなぎの匂いをプンプンさせているようなうなぎ屋は、マズイのかな?…と暴論を吐いてみた。

*ダンゴ屋消滅*

西友1Fのダンゴ屋が消滅した。米の子ダンゴで美味しかったのに。だんご三兄弟が流行っていた頃は、並ばないと買えなかったのに。くっそー。

*紙心でペンギンを*

ルミネ5F(4Fか?)の紙心(前に「うさぎチリメン」を買ったところ:香十のとなり)で、「桶に入ったペンギン」を見つけた。畳の上に赤ちゃんをいれる湯船のような桶があり、その中にペンギンが漬かっている。ペンギンは片手を伸ばしており、それが「湯船に手をかけている」かのように見える。カワイイ。

別々に値段がついているし、同じ物が別のところに単品として転がっているので、この作品は本来は別々のものであるらしい。店員か客かは知らないが、このようにアレンジしていった輩がおるのだ。なんとハイセンスな… 敬意を表して、ペンギン350円と桶400円を購入。


7/3

/はじめての大阪/

友人のTiSiは、今は大坂に単身赴任中。角は7月2日に打ち合わせで出張したので、ついでに大阪に足を運んでTiSiに会う。生まれて初めての大阪下車である。

*待ち合わせの失敗 *

まず、待ち合わせで困難があった。TiSiは「御堂筋のマクドナルドのところで待っている」といったのだが、これが困難の元。私は御堂筋が地下鉄の路線の名前だとは知らなかったし、新幹線が止まるまでJRに新大阪と大阪という別の駅があるとは知らなかった。新幹線のホームを降りて、売店で地図を覗いたら、上記のことを知ったのだ。大阪に付くまでは「御堂筋出口」みたいなものがあるのかなーと思っていた(名古屋駅の太閤口みたいなカンジで)。TiSiは「新大阪(新幹線が止まるほう)の駅を降りて地下鉄御堂筋線のホームに移動する途中のマクドナルド」にいたのだが、にわかには理解できなかった。

*心斎橋 *

TiSiにつれられて心斎橋駅へ。そこで怪しいバイキングに入る。なんと、寿司とケーキとイタリアンがいっしょくたになったバイキングなのだ。回転寿司状態で、寿司とケーキが廻っている。その隣で、スパゲッティなぞを売っているコーナーがある。うーむ、ごったに。とりあえず、1500円で腹一杯たべた。

ちなみに、この週はようやく「梅雨らしい雨」が降った週だった。しかし、この日の大阪はドシャブリで、はっきりいって「雨は雨だが、梅雨らしくない雨」だった。心斎橋のアーケード通りを歩いていたのだが、なんとアーケードなのに雨漏りしている。それだけ激しい雨だった。−−余談だが、とおりの抹茶+グリーンティー屋さんは慌てて販売機を店内に入れていたが、確実に味は薄まったと思う。

食後は雨も緩和されていたので、道頓堀に移動。TiSiが「大坂は看板が濃く主張しているからね」といっていたが、いきなり実感してしまった。3階だてのビルの背面一杯に、グリコの「1粒300メートル」君の看板がある。思わず「これは法律的に問題あるんじゃないか」とつぶやいてしまった。次に「かに道楽」(かに本家?)をみたが、これは名古屋にあるのと同じだから、いまさら驚かなかった。道頓堀の通りには、「ふぐ」「食い倒れ人形(クランク機構で実際に太鼓を鳴らしていた)」「竜の絡んだラーメン屋」など、立体看板が腐るほどあった。こりゃあ大変なところに来たものだ。

足を休めるために喫茶店に入った。「パーマネント=ティー」というあやしい名前のを頼んでみた。が、出てきたのはアイスティーにクリームフロートが乗ったもので、特に変わった味ではなかった。TiSiはグレープフルーツジュースを飲んだのだが、これはシンプルにうまかった。

(補足2001年1月14日)友人曰く、「パーマネント=ティーとは、紅茶にフルーツエキスを入れたもの」。

*アメリカ村 *

TiSiおすすめのタコ焼屋があるというので、アメリカ村に移動。名古屋大学の近くにも「ミニアメリカ村」とか「ねえちゃんふろむこーべ」とかがあったので、アメリカ村が原宿系のところだとは知っている。あまり気が進まなかったが、うまいタコヤキがあるならば致し方ない。

アメリカ村の「街燈」は、抽象化された人間が丸いボールを抱えているような立体作品になっている。なんとなく「時計仕掛けのオレンジ」のドラッグメイカーみたいな雰囲気がある。そういえば、キューブリックの遺作(アイズ・ワイド・シャット)がR指定で公開されているんだよなー、なぞと思いながら、若者の間を歩いた。

たどり着いたお店は「甲賀屋」。マヨネーズをまぜたソースと粉かつお節で食べるタコヤキで、なかなか美味しかった。−−甲賀屋の目の前には公園があり、若造がパフォーマンスを繰り広げていた。うーむ、なんか自分を場違いに感じるぞ。

*ナンバ *

アメリカ村を後にして、ナンバに移動。ナンバって漢字で難波なんだね。なんて縁起の悪いところなんだろう…と思っていると、急激に雨が強くなった。傘をさしていても、歩くのがイヤーンな感じだ。途中で「新歌舞伎座」の軒下で雨宿りした。鳥羽一郎と山下豊(だっけ? うろ覚え)の兄弟ショーをやっているようだ。うーむ。

しばらくして雨が弱まってきたので、移動を再開。すると、ほんのちょっと経っただけでまた雨が強くなる。例によって、神様は私をご覧になっているに違いない(;_;)。今度は難波駅前の映画館で雨宿りするが、雨の弱まる気配はない。本当は「なんばグランドかげつ」の前を眺めてこようと思っていたのだが、あきらめて帰ることにした。

帰る前に、TiSiおすすめの「りくろうオジサンのチーズケーキ」を購入。普段ならば並ばないと買えないシロモノらしいが、本日は雨のためか、2人しか並んでいなかったので、すぐに買えた。

…と、このあたりで急に腕にシビレを覚えるようになった。なんだろう。腰の影響だろうか? リュックをかけているほうの肩から下がしびれる。仕方が無いので、荷物は両手で抱えるように持ち替えた。

さて、地下鉄に移動すると、そこで唐突におんなのこに声をかけられた。英語で。どうも駅が分からないらしい。TiSiは大雑把ながら英語を喋れるので対応。しかし、この彼女達はコリアンらしくて、ちょっと英語がアヤシイ。彼女達のいう駅名も、地下鉄の駅一覧には載っていない。困っていると、まわりのオバチャンとオジチャンが助けてくれた。その駅はJRの駅らしく、この一覧には載っていないのだ。一生懸命「この駅で乗り換えてくれ」と説明するのだが、なかなか分かってもらえない。困っていると、オバチャンが駅員さんから「地下鉄もJRも乗っている駅一覧地図」を持ってきてくれた。これを渡して、ようやく納得してくれたようだ。が、彼女たち、日本円が足りなくて、地下鉄には乗れてもJRがアヤシイ模様。でも、そこまでは面倒見切れないなー。

*みやげもの *

ナンバから新大阪に戻ってきて、お土産を検討。最初に目に入ったのは「ポケモンサブレ・関西限定」。会社の美人編集長はポケモンマニアなので喜ぶかなーとおもったけど、なんかばかばかしいので止めた。生八つ橋は鮮度が持たないかもしれないのでパス。…と店内をぐるぐる廻っていると、東京駅で愛知県打ち合わせ先への土産として買った「東京3時」とまったく同じ物が「神戸3時」として売られていたのを発見。うーむ、みやげものってそういうモノだよなー。TiSi曰く「この店の生チョコが凄くうまい」らしいのだが、すでにチーズケーキを買っているので、今回は洋菓子系は見逃した。

しばらく考えた結果、結局会社へのお土産は定番「愛知県で坂角」にして、大阪からは実家に冷凍タコヤキをもっていくのみにした。

食い物以外の土産者として、キーホルダーのタコヤキがあった。…いらないよ、こんなモン。タコヤキキーホルダーは要らないけど、吉本の芸人キーホルダー(しかも喋る)は買ってもよいなあ。坂田師匠は「あーりがーとさーん。あんたアホねー、オホホー。」と喋る。きよし師匠は「たいしたことはできませんが、ちいさなことからコツコツと。」だ。いいなあ、これ。でも買わなかった。

帰りの新幹線のなかで、TiSiと2人で「りくろうオジサンのチーズケーキ」を食べた。みてくれはベイクドチーズケーキなのだが、触感も味も別のものだ。かなり執拗に泡立てているようで、とてもクリーミー。口に入れて下で転がすと、それだけで融けてしまう。チーズはほんのり香る程度。私はこういう軽い触感のケーキはほとんど食べたことがなかったので、楽しめた。しかし、濃いチーズケーキを食べたいならばハズレだろう。

家に戻って、母親と冷凍タコヤキを戻して食べる。今回は「ねぎタコヤキ」を選んだ。それなりに美味しかった。が、所詮は冷凍だなー。スーパーで売っている冷凍タコヤキとの大きな違いはなかった。

余談だが、この日の「アド街ック天国」(TV番組)で名古屋・大須の特集をしていた。TVカメラを通しちゃうと、なんか別の街みたいに見える。不思議だ。


7/2

/三福に異変/

7月2日、打ち合わせて江南(犬山のとなり)に出張。だが、お昼は金山は三福でうなぎを食べた。本当は今回はてんぷらを食べるつもりだったのだが、お昼のメニューからてんぷらが消されていたのだ。旦那に理由を尋ねてみると、

「ボストン美術館ができてから、客が増えちゃって、メニューが多いと対応できなくなっちゃったんですよ。」

とのこと。後で気がついたのだが、すでにこの通りで昔のままの作りの(古い家の)お店は三福1店だけになっていた。うーむ、ジャマだぜボストン美術館。

ちなみに、今度の「るるぶ」と「トーカイウォーカー」に三福が載ってしまうらしい。ずっと「隠れた名店」として愛用してきたのに、これでオジャンか?

7/1

/アキレスとカメと無限/

*ことの起こり*

先日、道端でこんな会話を聞いた。

「アキレスとカメのパラドクスって、パラドクスでも何でもないよね。時間のことを計算に入れてないんだから、たどり着けないのはあたりまえじゃん。解決されたパラドックスだよ。」

自分のつたない記憶によれば、これはもっともありがちな誤解のハズ。大学教養での論理学・哲学無限論の両方を担当した戸田山先生に習ったのですが、うまく思い出せません−−戸田山先生、ごめん。

思い出せる範囲の知識の覚え書きを作ろう。

(こういう知識を書いたWebもあるだろうから、余裕があったら調べたい。)

*パラドクスの定義*

まず、「パラドクスとは何ぞや」を理解しましょう。

この「論理矛盾が無いのに回答が間違っている」のがパラドクスです。言い換えると、「結論を見ればこの考えかたは誤っているはずなのに、論理的には誤りが無い」からパラドックスなのです。事象は純粋に論理学的な問題であって、それ以外ではありません。

「パラドクスを解決した」というためには、「考えかた」に「論理矛盾」を見出さなければいけません。いわいる「トートロジーの木」(だったかな?)に矛盾を見出さないといけなません。つまり、論理学の土俵で矛盾を解決しないといけません。

だから、「もとの考えかたに時間の考慮が足りない」などの指摘をしても、パラドクスの解決にはなりません(ということだったと思う)。なぜなら、その指摘は「考えかたが間違っている」という指摘に過ぎないからです。パラドクスであるかぎり考えかたが間違っているのは当然なので、意味の無い指摘です。

*無限とは何ぞや*

かの「アキレスとカメ」は、「ゼノンの4つのパラドクス」の1つです(のはず:ゼノンは人名だが、うろおぼえ)。残りのものも含め、すべて「このように繰り返していくと、なぜか終わりにたどり着けない」というものばかり(といっても、4つのうち1つは、記録に残っていない)。

戸田山先生の授業いわく、このパラドックスは「全て無限というモノの把握に関わる哲学的考察に基づくもの」なんだそうな。

…えーと、本当はこの辺で「安易にΣとlimitを持ち出してパラドクスを解こうとするのは間違い」といったネタを出さなきゃいけないはずなんだけど、きちんと思い出せないや。くやしいなあ。とりあえず、今は数学で無限に名前を付けて記号化しているけど、記号になった無限を扱えるのと無限を理解したり把握したりするのは別の事象だよ、というのが授業のポイントのひとつのはずです。


06/28

/超雑記:サンタbyコカ/


06/14

6/6-11:30(12165:29410)、6/14-11:30(12445:30140)。

/雑記:根津美の茶器、ダリ展/


6/13

/手塚治虫「ぼくのマンガ人生」感想/

手塚治虫(1997)「ぼくのマンガ人生」(岩波新書509)を購入。生前の公演のテープなどを起こしたもの。本人が話したことも面白いのだが、まわりの人が漏らしている手塚像のほうにより興味がある。たとえば、妹さんが語る像(次に記す)が面白い。

(大意)

幼年の頃、治(長男)も次男も妹も、3人ともマンガを好きで、競って書いていた。もちろん治がずば抜けてうまかったが、実は次男もかなりうまかった。治はそれをみて嫉妬を感じたのか、次男にはマンガを書かせないように仕向けた。一度は、次男が書いたモノを治がビリビリに破いてしててしまったことがある。それ以降、次男はマンガを書かなくなった。

この話題には、2つの面から感じるものがある。1つは、手塚とて嫉妬深く思慮浅い人間であったという点。もう1つは、次男は長男に理不尽を感じただろうにもかかわらず、黙り込んでしまった点である。−−僕は長男で、弟との2人兄弟。思えば、僕は小学生時代に弟を理不尽にいじめていた。僕は今でも弟に悪いと思っているが、まともに謝ったことは1度も無い。いじめたことを後悔しているが、すでにタイミングを逸していると思って過ごしている。−−手塚は、自分の人格が出来上がった後に、弟に対してどのように対処したのだろう。知りたい。

その他としては、p135あたりにある「子供への接しかた、教育論」が面白い。一部を引用する。

「ぼくはテレビの一番大きな欠点は、とくに民放で、場面がどんどん変わることだと思います。つまり、たいへん深刻でほんとうに深く考えなければならない、あるいはクライマックスでひじょうに感激しなければならない場面になって、こちらがグッと心を入れたとたんに、コマーシャルばポッっと出る。そこで感情が消されてしまうのです。 (一部略)つまり、そこでわれわれはいったん覚めてしまって、その覚めかげんで、ある世界を客観的にのぞいているという錯覚に陥ってしまうのです。子供は生まれながらにしてテレビ世代ですから、つねにそれを体験しているのです。」

僕はTVを嫌いだ。その理由は、無責任な進行の番組(だと僕が感じるもの)が横行しているからだ。個人的には、電波少年なぞが一番嫌い。あれを見ていると、ものごとを現実として体で感じる能力を視聴者から奪い取っている気がしてならない。−−たんに僕にはそう感じるというだけなので、言っても詮無いことだが。

そういう自分なので、手塚がTVの欠点として上記のようなコトを記していてくれて嬉しかった。


(余談)

ちなみに、手塚は僕のアイドルの一人だ。父親が手塚のマンガをたくさん持っていたので、小学生のころから手塚を読みふけるという幸せに遭遇できた。淀川長治が映画を崇拝しているならば、僕はある意味で手塚のマンガを崇拝している。僕が好きな作品は、火の鳥(特に復活編)、きりひと賛歌。「空気の底」とか「人間たち集まれ」とか、ちょっとマイナーなのも好きだった。いつか機会があれば、まとめて感想を記したいものだ。



06/07

5/31-3:30(12010:28960)、6/3-11:15(12100:29190)、6/4-16:30(12120:29290)、6/6-11:30(12165:29410)。

/新中野に名古屋の味を発見(えびおろし)/

お店の名前を忘れたが、丸の内線新中野駅の手打ち蕎麦屋が美味しい。というか、なぜか名古屋の味なのだ。えびおろしもあれば、味噌に込みもある。

「冷やし天ぷらそば・うどん」がほぼ「えびおろし」。具がちょっと違うし、スープが薄い。具はともかく、スープがもっと濃いほうが好みだ。だが、このままでもかなりうまい。

合鴨焼きもとても美味しい。鴨南蛮で食べるより脂のうまみが充足しているので、合鴨焼きに1票。「かもせいろ」で食べるのも賢そう。

位置的には、荻窪側の出口をでてすぐ。マクドナルドの隣だ。

ちなみに、このお店が休みのときに別の蕎麦屋に入っていると、そこでも「えびおろし」系を発見(「ちらし天ぷらそば」という名称)。新中野は名古屋圏なのか?


6/5

/AIBOデモ見学/

AIBOとは、ソニーが5月に発表した自律動作ロボットだ。犬を模してある(メタリックロボット犬だけど)。インターネットのみで販売、初期ロットは日本向け3000台、それ以外のために2000台を用意した。25万円にもかかわらず、6月1日の予約開始から20分で売り切れたらしい。

そのAIBOのデモを、大阪と銀座のソニービルで毎日やっている。といっても、期間は5月から6月16日まで。−−デモを見た友人の口振りをきいてうらやましくなった僕は、慌ててデモを見に行った。

*ソニービルに突撃*

銀座ソニービルに入ると、入り口近くの分かりやすいところでAIBOのデモをやっている。1時間に1度、00分から10分間。それ以外の間は、AIBOはショーケースの中でちょろちょろと動いているだけ。

そのコーナーには無数のディスプレイがあり、AIBO休憩中はTV用のCMを流している。僕はTVを持っていないので、CMは初めて見た。とてもよくできたCMだと感動した。

*CMの模様*

洋モノ向けのTV用コマーシャルフィルムが素晴らしい。AIBOの姿と文字だけで展開される作品で、とてもオシャレ。概要を書きとめておこう。−−QuickTime MovieとしてWebで公開されていると思ったら、公開されているのは日本版だけだった。

(無音:静止しているAIBOがさまざまな角度から映し出される)
「僕…僕は、新しいテクノロジー。僕は、AIBO。」
「僕はあなたを見ています。あなたは僕を見ていてくれますか?」

(BGM開始)
ペットはいらない?
「僕はトモダチになりたいんだ。」

トモダチ?−−可愛いもの、よい子。
「HAPPYをインストール」

動き出せ
(5・4・3・2・1・0のカウントダウンのあと、BGM変更:動き出すAIBO)

「僕は走れる。」
オモチャ−−おっかけっこ
(枠線だけでかかれた赤ちゃんがハイハイしている−−それをAIBOが追いかける)

「僕がAIBOだよ。遊んでくれる?」
(今度は、枠線だけの大人の足をAIBOが追いかけている−−大人が振り向く)
こんにちは
「こ、こんにちは…」(AIBOは、驚いてあとずさる)

「僕はいろんなことを考える。判断する。ピンクだったら青じゃない。ピンクが好きだ。好き。」
(無数のピンクのボールと戯れるAIBO−−ボールを見て嬉しそうに振るえ、ボールを前足で蹴飛ばし、そのボールを追いかけていく)

「おめでとう、誕生日おめでとう(って僕に言ってくれるかな?)」

HAPPYを再インストール−−2重の幸せ。

夢も見ます。アイスクリームが好きです。そろそろディナーの時間かな。
「眠いや。」(と、その場で眠そうなしぐさをするAIBO)

ループ:0000? 1111? zzzz。
(5・4・3・2・1・0のカウントダウンの後、BGMが元のものに戻る)

「僕をしつけてください。僕は学習します。僕は成長します。僕は何をしたらよいですか?」
「僕はどんな風になるかな−−僕が成長したときに。」

想像してください。
(SONYのWebのURLが掲示される)
FETCH−−AIBO:インターネットのみで販売開始。

僕は、「do u wanna pet? -- i wanna be your firiend.」「Friend? prety good -- good boy.」のあたりで泣きました。「plaything -- play chase」にもグッと来た。「Plase Teach ME」で再度泣いた。

余談:僕は本当に泣くのです。はた迷惑なので恥ずかしいのですが、感動すると本当に泣きます。どうしてこんなにカンタンに泣いてしまうのかは分かりませんが。)

−−日本向けのCMは、たいしたことないです。唯一、AIBOが鏡に映った自分とじゃれあおうとする姿が可愛い。

*ショーケースの中のAIBO*

CMで見るAIBOの動きは素晴らしい。映画に出てくるロボット並みだ。もちろん「CM用に」動かしているのは当たり前なのだが、AIBOの売りは「自律動作」なので、普通の動作でもある程度はインタラクティブな動きをしてくれると期待できる。

…のだが、ショーケースの中に座らされたAIBOは、不定期に一定の運動を繰り返すだけだ。手を振る、伸びをする、きょろきょろする…など。乱数で適当に動作させても、これくらいのことはできる。だから、僕はちょっと不満を感じた。

本当のデモでは、もっと動いてくれるのだろうか。

*デモの感想*

15:00、100人程度のギャラリーの中、デモは始まった。お姉さんの「本日は、お忙しい中ソニーショールームにおいででくださり…」というアナウンスに続いて、AIBOをカンタンにデモンストレーションした。2m四方くらいの平らな台の上にAIBOを置き、(1)ほったらかしにしておいて歩くのを眺めた。(2)わざと寝転ばせて、起き上がるさまを見せた。(3)ピンクのボールに喜び、ボールを前足で蹴って転がし、またそれを追いかけるさまを見せた。(4)コントローラで操作して芸をさせるさまを見せた。これでオシマイ。

余談:僕は最前列にいたのだが、運悪く司会のお姉さんの目の前だったため、AIBO本体は見づらかった。)

たったこれだけでオシマイである。はっきりいって拍子抜けだ。

これだけのデモでは、動作が本当に「自律的」なのか判断どうかできない。たとえば、歩くロボットとしての動作自律面としては、坂を歩けるのか、障害物に対処できるのか、そういう点が不明だ。


余談

すでに曖昧な記憶だが、昔(学部2年生の頃だと思う)、名大工学部が、自律的に2足歩行するロボットを発表したはずだ。このときは、障害物を乗り越えて二足歩行できるというので話題になった。

2足歩行を可能にしたミソは、not「さまざまな条件に対してあらかじめ対処できるようにする」、but「“膝の関節の平衡を取る”という命題にだけ集中させる」であった。この「平衡」というコトバは単純なようで大変複雑な(カオス性のある)コトバであり、実際にこの対処もカオス的な対処だったハズだ。このカオスは、「混沌」ではなくて、数学的なカオスのこと。非線型な複雑解がどうこうというヤツだ。

こういう記憶があるためか、「AIBOの中身がどういう仕組みになっているのかを知りたい」と強く感じる。


感情の自律面も判別できない。本当にAIBO判断の結果の動作なのか、それとも単なる「ランダム」なのか。ピンクのボール以外にも興味を示すのかどうか、それすらも分からない。青かったらどうなるか、四角かったらどうなるか、人間の手だったらどうなるか。静止しているボールではなくて転がっているボールに反応できるのか。−−歩く動作速度を見る限り、走るのはムリそうだ。「突発動作」は難しいのだろう。キャッチボールはまだまだ先の話だろう。

なお、とても残念だと思ったのは、「非自律行動モード」におけるコントローラでの操作だ。専用コントローラのボタンを押して、その指令を「音」(ドミソが「おすわり」、ドミラが「おて」といったカンジ)に翻訳する。コントローラの再生ボタンを押して「音」をAIBOに聞かせると、AIBOが対応する動作をする。

−−のちに音声認識機能を組み込むための布石なんだとは思うが、これではあまりにそっけなさ過ぎる。どちらかといえば、赤外線通信で(無音で)操作するほうが違和感ないと思う。なんか残念だった。

つうわけで、CMほどは感動できませんでした。でも、今後に期待。


(特筆)

動作の中でもっとも可愛かったのは、首をかしげる動作だ。首をかしげると、耳がぷらぷらする。これがカワイイ。

AIBOの耳は、ちょうど(「さんまのまんま」の)まんまちゃんのように垂れ下がった耳で、形状が固定されておらず慣性のおもむくままにゆれるようになっている。だから、首をかしげると、耳がぷらぷらする。斜めを向いてから首をかしげると、耳がかたにぶつかる。すると、反動によって、正面よりも余分にぷらぷらする。このぷらぷらがたまらない。

(うーむ、なんか僕って変態っぽい?)


*デモへの要望*

観客は皆、「誰かがAIBOと遊んでみる」というデモを期待していたと思う。たとえば、会場にした子供を一人参加させて、AIBOと遊ばせてみて欲しい。それによって、「皆が期待していること」がどこまで実現されているのか分かるはずだ。逆に、「まだ実現できていないこと」も分かるし、「AIBOに期待してよいこと・いけないこと」も分かるはずだ。−−もっと情報が欲しい。AIBO自体が優れているモノなのは間違いないと思う。だから、どういう方面にどういう意味で優れているのかを、もっとちゃんと理解したい。

(というような要望を送るためのe-mailアドレス/Webフォームは用意されているだろうか? 見当たらない。AIBO Fun Clubに入ればよいのかな?)

*余談:ソニービルをぷらぷら*

ビルの中は、ソニーのショールームを中心として、いろいろな店舗が入っている。ざっと眺めてきた。

以上、雑感まで。






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