1994年版、DHMレーベル(注意:197x年のSEON版ではない)
sigiswaldがバイオリン、bartholdがトラベルゾ、wielandがヴィオラ=ダ=ガンバ、robert kohnenがチェンバロ。なぜleonhardじゃないのか分からないが、robertのチェンバロもかなりよい演奏になっている。
「音楽の捧げもの」。世界中のすべての人間が聞くべき名盤だ。なんと邦版は定価で1600円と激安。ぜひ買うべし。聞くべし。
(注:他の演奏者のテイクもいくつか聞いたが、クイケン新盤が圧倒的だ。)
往年のbachがフリードリヒ大王のもとに招かれ、その場で王が提示したテーマフレーズで即興フーガを演奏するよう依頼された。Bachは期待に応え演奏するが、本人としては不満足で、後に新たにカノンとソナタのセットを作り、王に楽譜を献上した。−−1747年というから、死の3年前だ。
この楽曲は、すべての曲がどこかに《王のテーマ》をどこかに含む。ある曲ではメロディの1部に、ある曲ではベースラインに。しかも、トリオ=ソナタ(4楽章)を除けば、すべてがリチェルカーレおよびカノン。
このように制限がキツいにもかかわらず、曲想の幅は非常に広い。《王のテーマ》に組み合わせるフレーズが多彩なのと、展開技法が優れているためだ。指定楽器も演奏人数もさまざま。
クイケンらは、楽譜の一部を「誤記」
だとして訂正したうえで、4人4楽器の組み合わせだけで演奏してみせた。録音状態、音のまろやかさ、演奏の切れ、リズム、楽曲そのもの、何をとっても奇跡の世界。畏怖を覚える。
基本的には輪唱だ。1つの楽器が提示したフレーズを、数小節(1.5小節とか)遅れて他の楽器が再現する。その際、移調や平行移動を施す場合もある。
自分自身が繰り出した音が、あとから戻ってくる。それに、いま自分が演奏しているフレーズが絡み行く。ときにはハモって、ときには絡み合いカウンターメロディになるように。−−なお、「カエルの歌」は輪唱だが、メロディはちっとも絡み合わないので、あまり芸術的ではない。
2声でも難しいのに、バッハは4声のカノンをも含めている。
(注:このx声とは、メロディの数だ。同時発音数ではない。また、ベースライン(通奏低音)は数えない。)
「音楽の捧げもの」でのカノンは12小節程度の小曲で、無限にループして演奏できるように工夫されている。
今回Bachが造語した言葉。意味は略す。中身的にはカノンなのだが、一部でフーガのように展開を取り入れている。
Bachはなんと6声のリチェルカーレを作曲している。
(厳密な定義はわからないが)2つ以上のフレーズが、互いを模倣し繰り返しながら、互いに刺激を与えて展開させる音楽。Bachの器楽曲はフーガを含むことが多い。
本来は器楽曲で、ソロあるいは2〜3人用の音楽を指す。合奏ならばシンフォニー(交響曲)だし、ソロ付き合奏ならコンチェルト(協奏曲)だ。
(狭義には、“ソナタ形式”を含む4曲セット。“ソナタ形式”は2つの主題をどうこうする音楽なんだが、忘れた。)
これの分析や感想を書くのは不可能に近いと思う。ただただ感動と畏怖に打たれるばかりだ。
チェンバロ独奏。
イントロは、高音が《王のテーマ》だけを提示する。「ずいぶん地味な音楽だな」
と聞いていると、あっというまに展開が始まる。アルペジオが始まったと思うと、中音部からテーマの再現が追いかけてくる。高音部がこれを装飾するように展開する。聞き入っていると、あらたに投入された低音部がテーマを提示する。気が付くと中音部と高音部は融合して1つになっている−−このころには、どのように音が構成されているのか聞き分けるのが困難になっている。
ほとんどの部分は2声なのだが、中盤でメロディが確かに3つになるパートがある。通奏低音いれると4声。手は2本しかないのに!−−左が低音のフレーズを弾き、右手が高音のアルペジオを弾く。この際、左手のアルペジオの一部を押しっぱなしにして長音にし、また左手のフレーズが休みの部分に高音を弾き、この2つの遊びを合わせて《王のテーマ》を再現している。
(注:バッハとしては3声くらいは普通のものだそうな。フーガじゃなければ、練習曲でも3声がたくさんある。)
この楽曲は16分を基調としているが、何度か登場するブレイクパートでは4分3連(12分)が登場する。この部分では、長音の低音を従えて、3連が上昇するフレーズになっている。リズムとあわせ、王や神などの登場にふさわしい厳粛さを持っている。
バイオリンが《王のテーマ》の譜割を微妙に変えて提示する。たったの10小節(へんな数だが、王だからしょうがない)。このうえで、フルートが高音で短いフレーズを膨らます。呼応するようにガンバがベースを弾く。
音楽は無限ループするようになっていて、しかもループしたことを気づかないほど滑らかに頭につながる。たった10小節なのに、何度聞かされても飽きがこない。−−クイケンらは3度演奏した。
チェンバロの低音が《王のテーマ》を弾く。その上で、チェンバロの高音が新メロディを絡ませる。その高音を、1小節遅れてバイオリンが弾く(カノン)。
躍動感あふれるメロディ。バイオリンの音色とフレージングが素晴らしい。
《王のテーマ》をガンバが展開。倍の長さに引き伸ばし、間に装飾音や装飾フレーズを追加している。これを基軸に、チェンバロが中音と高音で2つのフレーズを弾く。美麗だ。
(6)同様に、バイオリンが《王のテーマ》を展開。長めの休符を使い、より大胆な展開になっている。しかも、頭に上昇フレーズを追加しており、これによってループ時に移調するようになっている。
それを基調に、チェンバロが2声を弾いてカノンさせている。
不思議なことに、注意して聞いていないと、移調したことを感じない。常にフレーズは動いていて、しかもカノンでフレーズが追いかけてきているにもかかわらず。−−畏怖だ。
イントロで、チェンバロが高音で《王のテーマ》を演奏。移調フレーズをお尻につけて10小節。その後、チェンバロ高音は同じコード展開で新たなフレーズを引く。
バイオリンは、ちょうど10小節(1ループ)遅れでチェンバロの高音を再現する。絡み合う2つのメロディ=セットはBachの得意技だし、醍醐味だ。
(8)同様に、1ループ遅れ(移調なし8小節)でさまざまな楽器がチェンバロのフレーズを模倣していく。ただし、こちらは6声。−−チェンバロが2声、バイオリンが2声かな?
聞き流せば単に心地よい音楽だが、ちゃんとフレーズを暗記して追ってみると、たしかに全楽器が前の学期を追っている。中盤以降は白玉長音部分が多くて躍動している楽器は1つ2つに限定されるが、だからといって畏怖の念は減らない。なのに後半ではまた全楽器がフレーズを吹く。もうなにがどうなっているのやら。
チェンバロ独奏。高音が《王のテーマ》のアレンジを弾き、さらに8小節分 別のフレーズを弾く。低音がそれに絡み合う。
解説によると、なんと楽譜にはカノンパートの指示が書かれておらず、クイズになっているそうな。その回答(カノン音楽として成立する組み合わせ)は1つだけで、低音が反行の動きで2.5小節遅れて入ることだそうな。−−そんなのアリなのか…
そんなに不親切なのに、これがまた素晴らしい音楽になっている。本当に不思議だ。
これもクイズ。今度は7小節(ちょうどループ)で入るそうな。
チェンバロ高音、チェンバロ低音、バイオリン、ガンバと続く。フレーズは7小節*4セットきっちり用意されている。したがって、完全ループ後には、常に全フレーズがそれぞれの楽器・音域で交代しながら提示されるようになる。
もっとも複雑なカノンであるにもかかわらず、この演奏が一番気持ちよく進む。畏怖。
バイオリンとフルートを主役にしたソナタ。ガンバがベースを弾き、チェンバロが全体を支える。ところどころで《王の主題》が引用される。これも「音楽の捧げもの」の一部となっている。
Bachのソナタの中でも、1・2を争って美しく、かつ複雑だと思う。
B minor。ゆったりした6拍子(ラルゴ)。
バイオリンが提示したフレーズを、2小節遅れでフルートが引き受ける。その間にバイオリンもフルートも独自に展開を続け、5小節目にはユニゾンで合体する。−−このように相互に刺激しあって楽曲が進む。
今回初めて構成を聞き取ってみた。各部分が独立した曲になれるほど複雑だが、伝統的な3部形式だ。
Aパート(3つフレーズで24小節くらい?)−Aパート再現−Bパート(16小節くらい?)−Bパート展開(8くらい)−Aパート再現−Bパート再現(16小節くらい?)−Bパート展開(8くらい)−Aパート再現。
B minor。ハイテンポの8拍子(アレグロ)。
この曲は非常に難しい! 冒頭でバイオリンが10小節(ループは8)までフレーズを提示したところで、フルートがカノンで入ってくる。バイオリンはそのまま展開を続け、原則としてカノンは続く。しかし、途中でなんどかカノンから切り離されたユニゾンによるブレイクが入る。−−ユニットが64小節程度と巨大だが、それでも構成様式はキープ。偉大だ。
作曲として最高峰の技巧が使われているが、Bachだけに不自然さはない。演奏の聞きやすさはピカいちだ。
D major。ミドルテンポの8拍子(アンダンテ)。
これまで聞いた全Bachの中で、いちばんやさしく秀逸なメロディさと思う。
バイオリンとフルートがハーモニーを取りながら、高音パートと低音パートの2声(それぞれに1人2役)のフレーズを提示する。テーマの中盤ではチェンバロも参加して3声になる。後半では、それぞれが1小節ずつ24部音符の速いフレーズでソロを提示する。これを含むテーマ全体が非常に美麗。
(余談:ブランデンブルク協奏曲4番の1楽章が、少し似ているかも。)
テーマを演奏するうちに、(いつだかよくわからないが)転調する。Dで始まるが、1フレーズ終わった際にはAになっている。短い展開にてCmに移り、テーマの再現に入る。気が付くとG。D majorに落ち着いたところで、短く再現してエンディング。
(余談:実は、いままで転調には気づかないで聞いていた。ただ「美しい音楽だ」とだけ思っていたのだが…やはりBachは深すぎるなあ。)
余談だが、この楽曲だけ、私はどこにも《王のテーマ》を発見できない。
2000年、hansslerレーベル
ヘルムート=リリングによる全集からのサンプラー。個々の楽曲の録音日は不明。
コラールもあり、器楽曲もあり、独奏もあり。作品バランスよし。しかも演奏の質も高い。驚異的。2000年に3つのサンプラーを買ったが、今での聞けるのはこれ1つだけだ。−−これで1000円とは…(HMVだと830円)サンプラー万歳だ。
世俗カンタータから。元の指定は分からないが、D Majourで代人数合唱。アップテンポで心地よい。珍しくティンパニ入ってる。−−なんかミサ曲みたいだ。
コラールは1本または2本のメロを持ち、さらに器楽パートが1本のメロと低音を持ち、常に3つのメロディが掛け合うようになっている。
Rovert Hillによるチェンバロ独奏。少々テンポ速めで、和音演奏における微細なズラシによる和音のふくらみが気持ちよい。曲は珍しくポリフォニー部分が多く、左手(低音)は明確にリズムあるいは支えの演奏で、上下でのフレーズ交換などはない。
すごく気に入っているのだが、収録したCDを見たことが無い。調べた限りでは、どうもマイナーな曲らしい。
3重協奏曲の第1楽章だと思う。Bachの3重は存在自体がマイナーで、[音楽の捧げもの]の一部としてクレジットされているものを除けば、2曲くらいしか真作がないそうな。トリオ=ソナタはたくさんあるのに。
(注:協奏曲は、多数の楽器構成による合奏で、その中で主役(ソロ楽器)をフィーチャーするもの。一方、ソナタは器楽独奏。「バイオリンとチェンバロのためのソナタ」なら2人で演奏する。)
その3重協奏曲のリリング版。
チェンバロが美麗にアルベジオを刻む中で、弦とフルートの合奏でメロを、あとはベース系が低音を。テーマが終わると、チェンバロ独奏パートと合奏パートを繰り返す。バロック期というよりはクラシック期的な協奏曲だ。−−部分的にバイオリンとフルートもソロを取る。
A-minorの曲で、愁眉な憂いのあるメロディ。チェンバロの細かいアルペジオがもたらす響きとよくあう。名曲だと思う。
(余談:この曲のコープマンによるテイクを聞いたが、ひどいものだった。というか、いまだにコープマンの演奏で感動できたためしがない。)
イギリス組曲の何番かのプレリュード。G-minor。Robert LevinによるKlavier(ピアノ)独奏。かなりハイテンポの快演奏。
基本的には2声の器楽曲で、ときおりベースを数えて3声になる。低音と高音でメロディを交換しながら、めまぐるしく曲が展開する。初めは2小節置きに、中ほどでは半小節置きに交換になる。一方はリズム割のあるメロディ(いわいる“メロディ”)で、一方はアルベジオになっている。ときには“メロディ”がブロックコードによるリズムブレイク提示になることもある。
あえて言えば、演奏がチェンバロだったらもっとよかったのに。
(余談)
音楽をやる人間なら誰にでもわかることだが、低音と高音では音楽進行に関する役割が異なる。上下でフレーズを交換すれば、その瞬間に別の進行にワープしてしまうことになる。
(この説明で分かりずらいなら、ドラムでハイハットとバスドラムを交換した音を想像してみよう。)
このメロディ交換はバロックでは普通の技法のようだが、私はこの曲ではじめて意識して聞いた。効果のほどはバツグン。これを制御する演奏者もすごいが、これだけ複雑に交換を繰り返しても破綻しない曲を書くBachにも畏怖を覚えた。
ドイツ語なんでカンタータのタイトル書き写せず。これはテノールのアリア。B-minorでミドルテンポだが、躍動感のある低音バートのために悲壮感はなし。
演奏は弦楽のみ。小節の前半で低音がフレーズを提示し、それを後半に高音が引き取る形で、かなりリズミカルな演奏。そのあいだを縫うようにテノールが歌う。ごくたまにオーボエがカウンターパートを演奏する。力強い作品だ。
全体はB-minorだが、中央にG-majorの部分があり、ここがまた綺麗。
オルガン曲。太くて荘厳な響き。実はオルガン曲好きじゃないのだが、はじめて好きな録音にあたった。
(余談)
なお、(10)に音楽の捧げものの3重協奏曲2楽章が入っている。この演奏には感心しなかったが、後にクイケンらの録音を聞き、同じ曲であるにもかわらず大変感動した。
やはり、「音楽は曲じゃなくて演奏そのものだ」
ということに強く注意を払わなければいけない。また、私が幼少のころからその事実を強調しつづけて教えてくれた父に感謝せねばなるまい。
1977年作品、EMI。
美形シンガー。飛びぬけて個性的な声。矢野晶子に似ている。−−というか、TV番組「恋のから騒ぎ」の主題歌は矢野晶子なんだとずっと思い込んでました。それはkateの[wuthering heights](邦題:嵐が丘)でしたね。ごめんなさい。
というわけで、[嵐が丘]を聞くために購入。スローな16beatのバラード。kateの声とピアノの響きを味わう。満足。
他の曲は…なんか満足せず。ロックな(7) james and the cold gunは明確に失敗だと思うが、他のにはとくに文句をつける筋合いはないはず。
何なら満足するのか、何に不満を感じているのか、自分でもよくわからん。あえていえば、曲も演奏も頑張ってないのが気に入らないのかも。ふつうすぎるポップスだから。[嵐が丘]は、メロもコード展開も小節数もイジってあるのに。あとは、似たような雰囲気の曲が続きすぎるのが気に入らないのかな。
休日出勤だったのだが20:00で切り上げ、新宿タワーへ。この3連休(10月6日〜8日)はポイントが倍つくキャンペーンをやっている。調子に乗って、Wes2枚+Dolphy1枚+Gergiev1枚をガツンとCD購入。
これだけ買った状態で、ポイントカードが1000溜まって3000円券となった。そこでs.kuijken + leonhardの2枚組みを購入。3200円。しかし。
「3000円お引きして、差額50円いただきます」
まただ…新宿タワーのレジ、ぜったい壊れてる。前は、1690円+1380円を買って、「合計2940円です」
といわれたことがある。儲かってるからいいんだけどさ。
7Fに降りると、偶然にもsuper butter dogが掛かっていた。
彼らの出世曲は[super funky ウーロン茶]で、パーティー冗談ファンキー曲だった。j-waveのジョン=カビラが気に入っていて、よく朝っぱらから聞かされた。演奏は上手いと思ったが、バンド名およびウーロン茶のイメージが強すぎて、どうも買う気にはならなかった。
しかし、この新シングルは、正直言って予想外の名曲だった。実はこんなに曲幅が広いものなのか!
棚をチェックすると、驚いたことにすでに4枚もアルバムが出ていて、次の12月には5枚目が出る。ウーロン茶は4thに入っている。−−この曲がデビュー曲かとすら思っていたのに。えらい認識違いだ。
アルバムまで待とうと考えたが、どうもこのシングルは「ミニベスト」
であるらしい。店内で続いて2曲目が掛かる。−−なお、3曲目はウーロン茶だ。
とりあえず4thアルバムのbest選曲+新曲として、singleを購入。チャートに貢献。−−5thは買おう。そのあと過去に戻ろう。
CDには、オマケとしてライブ音源が含まれている。
(余談)
3000円券も入れたら、またしても1万以上使ってしまった…どうすんだ。机の上には《感想を書いていない》(書きたいのに)CDが14枚になり、かつZappaのブート音源も眠っているというのに…
2001年7月および99年9月作品。どちらもsingle。
ちょうど東京に引っ越してきたころ(1998年)、トライセラトップスがデビューしたころなのか、よくラジオでかかっていた。特徴のある高い声、覚えやすいメロ、そして圧倒的にヘタクソな演奏。ヘタというか、ラジオで聞く限り、どの曲もギターが白玉および4分のカッティングしかなかったし、リズムなども一本調子。かなり嫌いだったのを覚えている。
ところが、実は声と曲は好きだった。高校生のころ、自分でポップスを作っていたころ、こういうものを作りたかったような気がする。そういう追憶のある味だった。
99年に聞いたシングル[if]を境に、演奏の幅も広がり、曲も声もよりよく響くようになった。恥ずかしいので人に言わないが、かなり感心した。
シングル2枚。
企画ものシングル。ゲストボーカルにLisa(m-flo)、ホーン部隊にスカパラを呼んでいる。
楽曲のファンク=ソウル味がバツグン。
偉いと思うのは、スカパラにスカをやらせなかった点だと思う。
ミドルテンポのフラット16beatによるバラード。こちらもLisa参加。
降下一本のテーマをAメロでもBメロでも使う。メロ自体は単純だが、コードの割付(とくにBメロ)が複雑さで、非常に美しい。Bメロでのコーラスワークは、Princeばりに美麗だ。
ちょいスロー目の16beat。ギターはカッティング中心で、ベースが綺麗に歌う。
Aメロではメジャートニックを綺麗に下がりながら展開し、Bメロではサブトニックm7から綺麗にトニックに戻す。メロディの膨らみかたも綺麗。職人の和音展開だ。正直なところ、トライセラがこういう技を駆使するようになるとは思わなかったので、非常に感心した。
2000年11月作品。中古屋で300円で購入。
ドリカムといえば洋楽パクリの王様だ。昔はそれを大嫌いだったのだが、[snow dance]以降は「次はどういう手で来るのか」と楽しめるようになった。
この曲に関しては、元ネタが分からない。雰囲気は当時のR&Bの流行ものなんだが…けっこう好きな楽曲なので、つい購入。
リフは、ストリングスでメロを弾き、その周りを歪ませないエレキギターによるアルペジオで囲む。2小節ループで、コードは半小節ごとに変わる。マイナーチューンで、メロを綺麗に演出。−−これをベースにして、展開するたびに音を付け足してゆく。
Aメロの歌では、伸ばす部分で1/4音をねちっこく使う。これが非常に気に入っている。
いま気が付いた。ループに対するメロディの展開や音の増やしかたの具合が、Princeっぽくて好みなんだな。
ふだん歌詞など気にしないのだが、今回は聞き違いで非常にドキっとした。
いったん好きになれば めっちゃスウィートすぎるナイフ
のわりに臆病で案外ナイフ
気持ちよくなるには最初 痛いんだナイフ
歌詞カードによると、それぞれ「ヴァイヴ」
「ナイーブ」
「内部」
だった。しかし、私の中では自虐オナニーの歌として刻まれている。ドリカムも大胆になったものだ…
タイトルの24/7は、「24時間1週間」
という意図だそうな。ならば「24*7」
じゃないかな?