土日の両日、それぞれ別の個所でネコ集会に参画してしまった。どちらも、夕飯時に食材を買って下宿に帰るまでの間。やはりこの時間はネコの集まりがよいし、逃げない。
日曜日の会場にて、ごく久久にデブニャーを見た。いつもどおりニャーと鳴いてこちらに寄ってくるが、その行為が他のネコの癪に障ったらしく、その場でケンカ上等の鳴きあい+にらみ合いが始まってしまった。やはり人間が入るとネコ界のバランスが壊れてしまうのだろうか。
allmanにて、江川達也の新連載。なんと【源氏物語】だ。第1話を読んだ。「めざせ官能の極致」ってとこですね。セックスそのものをすぐ描くようでは、やはりエロくない。じらして、想像させて、隠してこそエロだ。
ときおり、誌面の外や独白四角枠にて、原文を提示したり、元単語を紹介したりしている。【東京大学物語】より文字は少ないが、調べものの量は半端じゃないはず。よくやれるなあ。
ちなみに、それなりの現代語訳がなされているんだが、これは江川本人のものだろうか。誰かが描いた桃色訳とかを採用してるのかな。
−−源氏物語、こんなエロ小説なのに、学校で紹介するんだよね。驚きだ。
Suica =JRのスイスイ通れるICカード。ペンギンが可愛いんだが、Webにもいるかな???
(3月12日調整)
高橋しん著、小学館スピリッツ、全26巻。
主人公ゆーじ は 北海道生まれの のんびりや。いつもマジメで、いつも一生懸命で、他人の笑顔を自分の喜びとする。恋人妙子を北海道に置いたまま、東京に就職。ラテックス、靴のメーカー。陸上部だった自分の夢をのせ、でも自然体で臨む。
周りを助けるうちに、知らない間に自分も助けられる。周りを幸せにするうちに、知らない間に自分も幸せになる。
最初の5巻くらいは絵が落ち着かないけど、それ以降は安心して読める。
私はこれを読んで自己愛に浸った。だって、実際にはこんなに都合のよい展開はないのだから。
皆が売りにいく中、ゆーじ はひとりだけ自分で靴を履いてランニングする。
「自分で履いて試して、その特徴を知った後でないと、どんなお客様に薦めたらいいのか分からない」。
「子供のための使い捨てシューズ」
。売るために造るのか。履く人に喜んでもらうために造るのか。メジャーか。ニッチか。
−−市場調査の聞き取りで、コンセプトに大喜びする親御さんとお子様がいるのにグっとくる。実際にそういうふうな人がいて、しかも大量にいて、ほんとうに商売として成立したら、どんなに幸せなことか。
「ここには百貨がない」
と宣言するシーンが好きだ。理想と現実の狭間に悩む担当部長に対して、ゆーじは テレもせずに理想を突きつける。
「そのお客さんが何を欲しいのかは、お客さん自身が一番知っています。百貨店は、どの望みにも応えられるだけの製品を揃えないといけない。それが百貨の責任ではないでしょうか。
この「がんばらなくていいよ」
にて、全体のテーマをなんとなく悟った。
ゆーじ独断で、少女に社内営業(自分を売る)させるあたりが面白い。現在の就職試験の仕組みに疑問を感じているのは、けして少女らだけではない。人事部も己の限界を感じながら苦戦している。
ヤマは、やはり「なんとなく就職したい」
「どうして友達はみなできたのに、私だけできないの」
という本音に泣くあたりか。
「面接するみなさんも、私のよいところを探してください」
そうだそうだ。わしらは弱虫なんだから、甘えさせてくれよ。
テーマは、就職への期待と現実の違いの乗り越えですね。ありがちテーマ。ありがち手法。
ただ、そのストーリーはともかく、「勝手に課を立ちあげる」
という不条理さや、かのヘンタイ天才エンジニアなどが楽しい。
自分は被災を救えない。復興もできない。でも、忘れて生きていくのは変だし、忘れないのも変だ。これから新しい想い出を造ろう。−−そうやって野球グランドを造るシーンは美しい。
想い出はガンガンと美化したいものだ。
最初の健太さんは、ほんとにただの引きこもりヘンタイだった。−−このころ、実は話が極端につまらなかった。
また、真理さん(だっけ??? 下宿先の未亡人=みっちゃんの母)の苦悩も厳しくなってきた。−−自分が一番かわいい。ヒトを傷つけたくない。だって、そんなことしたら、自分が傷つくじゃないか。弱い弱い。
ここが最大のヤマだろうなあ。
リストラの役割とはなにか。いかにリストラ後の生活を確保するか。傷つかないリストラはないのであれば、できるだけ傷つかないリストラはなにか。個人の代わりに会社が傷ついてやれるリストラはないのか。
ゆーじは、自分が悪人になってリストラを“成功”させようと奔放する。被リストラ要員を巻き込み、別会社を設立し、なにがあれば最大の幸せになるのかを検討する。そうして、resetプロジェクト=「被対象者が、(1)退職金を貰って会社を辞めるか、(2)それとも給料を新卒レベルに戻す代わりに別部署に異動できるか、の2つから選択できる」
を完成させる。(2)を選んでも、人件費は格段に下がるそうだ。
ーーそうやって選べたら。まだしもいいだろうなあ。
この話と並行して、健太さんの社会復帰物語が進む。都合よすぎる復活。そんなバカなことはないんだが、ReSetを通すために役員会議に乗り込む健太さんはカッコよかった。いいなあ、過去の失態を一瞬にして全部クリアにできるなんて。
(名前合っているか自信がない…下宿先の未亡人=みっちゃんのお母さん)
実はもっとも好きなキャラクターだ。愛らしい。自分勝手な悩み方が、私個人に似ている。ヒトのために悩んでいるようで、実際には自己愛を見ている。
夫が過労死で死んだことのショックから完全には立ち直れていないままに、ゆーじに惚れてしまう。妙子さんの存在を知りつつ、いけないと思いながら、だんだんと揺れていく自分を制御できなくなってゆく。
resetプロジェクトで、ゆーじはまったく休めなくなる。この過労の姿を、かつての夫と重ね合わし、真理は気が狂わんばかりに心配する。だが、その心配しているという感情すら、伝えてはいけない気がする。
真理さんと健太さんのデート(みっちゃん付き)。立ち直りかけの真理さんと、人生を直したい健太さん。真理さんは交際を断ることで、健太さんは断られることで、過去の自分と決別した。−−いいなあ決別できて。
その後、真理さんとゆーじ2人だけの特別なデート。自ら進んでゆーじを北海道への飛行機に押し込んだあと、「ほら、泣かなかった。私は振られないって自信があったもの。」
と呟いた後、ひとり音もなく泣く。帰宅後のみっちゃんとの花火のシーンもよかったなあ。おれも慰められたいなあ。
最後のプロジェクト。会社創立50年(だったかな)のイベントのために、「たったひとりのための特別なシューズ」
を企画する。
さまざまな人の想いが交錯し、さまざまな問題が起こるが、これまでゆーじが関係してきた人々の自発的な支えによって、なんとか乗り越えて行く。−−最終テーマは≪支えあい≫ですね。そうやって物事がバタバタとよいほうに流れていったら、どんなにいいだろう。夢見る状態だ。
このプロジェクトを追えた後、ゆーじは自らresetを発動させ、北海道の小売店の店長となる。妙子と一緒に暮らすためだ。−−こうして物語は閉じる。
どのタイミングでの逸話か忘れたが、妙子が風邪で寝込んだときに、ゆーじは北海道に飛んでいった。そのとき、妙子に傍惚れしている少年が駆けつける。恋のライバルだとは知らないゆーじは、心の底から感謝する。
「妙子の周りにいる人が いいひとばかりで 本当によかった。風邪をひいたといって、心配して駆けつけてくれる友人がいるのだから。」
いいな。そういうこと言ってみたいよ。
あずまきよひこ著、メディアワークス社DengekiComics。現在2巻まで。
ポップな4コマ。舞台は高校。数名の軸キャラである可愛い女の子たちの何気ない面白さを綴る。設定の一部は極端な仮定があるが−−10歳のちよちゃんは、天才なので高校に編入。榊さんはネコを好きだが、ネコをなでようとすると噛まれてしまう。−−基本的には、どこにでもありそうなことを ちょっとだけズラして書く。そこが面白い。
いちばん好きなキャラは、よみ(暦)。優等生系なルックスの少女。体重を気にして、身体測定の日に朝食を抜いて、とも(幼なじみ)にバカにされたり。ともが食べるタイヤキを見て我慢できずに、ロー カロリーと銘打った小倉タイヤキを買ってしまったり。のほほん感がいい。
(追記2005年1月18日)4巻での「シュークリーム分が足りない」は名セリフ。
ちよちゃんのスレてなさ加減は、マンガでしかおこりえない理想像。愛犬の忠吉さんとのホノボノ感がプリティー。1巻p016の[はくはく]での「あ、早口言葉がにがてです!」
、それに対する 暦 の怒りながらの「あーっくそう! かわいいなぁ もう」
が究極か。p095の[こども いいんちょう]もグーだ。p097の ゆかり車事件、2巻p038[かえして]も グっとくる。
榊さんも 惚れるキャラだ。背も高くスタイルもよく、ルックスがちょっとキツめ。だから皆にクールなひとだと思い込まれているが、実は極度な恥ずかしがりやで、かつ可愛いものが大好き。本人は動物(とくにネコ)が好き。でも、なぜか必ず噛まれてしまう。1巻p019[うさぎ くらぶ]でのガッカリさ加減がすばらしい。p027のポストペット逸話もグー。いまのところのベストは、2巻p046の「お父さん」
事件かな。
全体でのベストは、1巻p048の[どーしよー]だ。
オビ曰く大阪から引っ越してきたばかりの春日は、ある日英語の教科書を忘れてしまった。忘れた言い訳として“大阪のときのを間違えてもってきた”というのを思いついた。
春日「あのー先生ー 大阪の教科書と間違えてもってきて…」
先生「あら、大阪ではどんな本使ってたの? ちょっと見せて」
春日「も もってきてません」
うっかり笑った人だけ面白い あんまりたいしたことない超話題作!!
富沢ひとし著、講談社アフタヌーンKC、現在2巻まで。−−ハヤカワ[このSFが読みたい! 2001年版]SFコミック部門にて知り、読む。
絵もタイトルもカワイイが、内容はかなりグロい。
突然、≪分解して消え、しばらくすると戻ってくる≫という奇病が発見され、しかも流行した。子供しか かからない。その間、子供は異世界に行っており、記憶は鮮明に残っている。異なる発達をした生物群・地形・建造物の中で、ある子供は恐怖を、ある子供は好奇を感じながら戻ってくる。医者が検証しているが、事例を集めて研究すること以外は手が出ない。
主人公の少女は、ある日 見知らぬお姉さんに リボンを貰う。これをきっかけに、異世界から戻ってこれなくなる。初の行方不明者。医者は、日記報告から判断して近しい世界にジャンプしていると思われる少年に、少女の救出を依頼する。しかし、2人とも戻らぬひととなってしまう。
その数日間、2人はそれぞれ 異形の生物に教われながらも、土着の弱い生物と同様にして逃げ延びていた。カマリキのようなアリのような生物が、別の動物を食べる。
そんななか、少年はボーリングのピンのようなものに食べられてしまう。そのピンが怪しい糞を排出すると、再構成された少年が現れる。ピン(作品中では“しっぽ”と表現)と一体化した少年は、体の形状を変化させる能力を得る。−−少年は少女を助け、別のピンにその少女を食べさせる。ふたりで“しっぽつき”となったところで、現実世界に戻れるようになる。
その後、かのお姉さんが再度あらわれ、“しっぽつき”少年少女を集め、ミルク隊を結成。かれらは己の意思で世界をジャンプでき、迷い込んだ普通の子供たちを助ける。
順調に見えたミルク隊だが、あるときアリ型生物に捉えられてしまう。ミルク隊は“しっぽ”を傷付けられると、一時的に能力を失う。分散したミルク隊が相互を助け合うが、思うように進まない。
そうこうするうちに、アリ型生物のほうが現実世界へ。子供を強制的に別世界にジャンプさせたり、大人を食べ殺したり。すべての生命が絶えると、その宇宙(次元)は崩壊を始める。−−ミルク隊は、自分達のもとの次元が潰えたことを悟る。
お姉さんの指導により、各次元に散らばった子供たちを一個所に集める。これ以上1つでも次元を崩壊させないため、ミルク隊の増強を図るのだ。
そんなある時、少年は脱皮し、謎の胎児になった。お姉さんは
「第2形態だ」と語る。夜な夜な胎児は、ミルク隊の子供を食べる。食べて成長する。ハカセ「被害が大きすぎる。方法を間違えていないか。」
お姉さん「全ては、最終形態になれば分かる、はず。」主人公の少女が食べられたところで、2巻は終わる。
[このSFが〜]も評しているが、ものごとが≪食べる・食べられる≫で書かれてしまうのがグロい。やはり、もっともリアルな生態系は、その関係にしかないのだろう。
見て分かるとおり、物語の焦点は、進むにつれてガンガン変化する(先に進む?)。−−“しっぽつき”になった時点で、ジャンプ病の開明は焦点から消える。−−ジャンプする子供、しっぽつき、子供救出、世界の破滅、子供の進化と宇宙の創造。この先どう進むのか、楽しみだ。
と、まあ、自分としては楽しんだけど、万人に進められる作品じゃないかも。ともかく、表面的なシチュエーションがグロすぎる。
芦奈野ひとし著、講談社アフタヌーンKC、現在7巻まで。とりあえず2巻まで読んだ。−−同じく[このSFが〜]SFコミック部門にて知り、読む。
こちらは ほのぼの系popマンガ。かなり琴線に触れた。−−けど、SFでは ないですね。人間物語です。こちらは、問題なく万人にオススメできる作品だ。
舞台は未来の日本、鎌倉と横浜に近いあたり。なんらかの理由で海水面が上がり、交通や文化が分断されている。しかし人間は生きているし、生活は続いている。
主人公アルファは、女性型アンドロイド。喫茶店を切り盛りする。喫茶店のマスターが「必要があって旅行にでるので、その間店を任す」と出ていったため、アルファはその帰りを待っている。
アルファには感情があり、ときに笑い、ときに泣き、人を思いやることもできる。ごくたまにマスターから届く手紙を心待ちにし、アルファは今日もコーヒーを入れる。
このマンガの登場人物は、アルファをはじめ、みな 強くてやさしい。詳しくは描画されないが、戦争あるいは天変地異で、世界は酷いことになっているはずだ。そのなかで、自分がたくましく生き、そして人を思いやる。
−−2巻までしか読んでいないが、すでに3度ほど涙した。人前(マンガ喫茶)で涙したのも久しぶりな気がする。
2巻のはじめに、アルファのもとに宅急便が届く。持ってきた宅配員も、アルファと同じ型のアンドロイドだった。
差出人は、マスター。それを聞いて、アルファはドキドキする。最愛のマスターから、ひさしぶりの便りなのだ。−−中身はカメラ。
「店を任せはしたが、普段は自由にしていていい。表を歩いて、見聞を広めるとよいだろう。そのうち、想い出にしたい風景もできるかもしれない。そんなとき、このカメラが役に立つだろう。」宅配員さんにカメラの説明を受ける。1つのフィルム=キューブで300枚撮れるらしい。
見送ったあと、隣人のガソリンスタンドのお爺さんに声をかけられる。「ずいぶんそっくりだけど、だれだい?」−−アルファは、笑顔で答える。「妹ですのよ」
残しておきたい風景ばかり 300枚では足りないわ
いざカメラを構えてみると、どれも好きな景色や好きなひとなのに、シャッターを押せない。考えて考えて、1個所1タイミングを決めた。一番好きな湖で、夕暮れの赤の瞬間を待つ。
でも、ここでもシャッターは押せなかった。アルファは、その湖をじっと見ていた。−−写真ではなくて、目で、心で、この風景を忘れないようにしたい。
(あとで気がついたのだが、こういう際の《セリフなしで、情景描画を詳しく》という手法が、私の好みらしい。)
何を好きなのか、1つ意識できた。アルファの照れかたが可愛いんだ。絵がスッキリと奇麗だから、ポーズのとりかたや服装など全部好みだが、中でもとくに≪照れるという行為そのもの≫がイチオシだ。たとえば…
また、3巻以降、それまでファンタジーの小物として配置してあったものの背景が、ほんの少しずつ語られはじめた。
ファンタジーが体系となり、やがて理論が示され、実に幸せなSFとして展開していくのかもしれない。楽しみだ。−−もちろん、最大の楽しみはキャラクターだが。
(4月15日)
いまさらながら、なにに一番関心しているか、気がついた。1巻からずっと同じように思っていたのだが…
多くのシーンで、このマンガには音の描画が無い。セリフがないことも多い。その一方で、景色を大きく見せるコマ割を用意する。−−人物の感情は言葉では語られず、その情景に託される。植物や動物、あるいは星や夕暮れなど、さまざまな小道具とともに風景が描かれる。
別にこの手法は目新しくは無いのだが、こんなにイヤミなく心に入ってくるのは嬉しいかぎりだ。−−ストーリーはあっても会話は少ないから、より絵が目に入るのだろう。
5巻では、《アルファが、ヨコハマでふと思い立って、ココネのところに遊びに行こうと決めた》シーンが好きだ。目の見ている方向が現実ではなくて未来になっている。たしかに、人がワクワクしたときにはこういう顔になる、と思う。−−そして、その感情や「行こう」という決意を、セリフなしで書くのはすごいと思う。
《アヤネが湖にて、カマスの大群が飛び交うのを眺める》シーン。空に飛び交う無数の鳥(魚)。−−これも好きだ。わたしは昔から空を飛ぶシーンに弱い。
これは6巻かな?
お医者の先生がアルファに船の操縦を頼む。アルファは船とシンクロしすぎてしまい、意識が戻らなくなる。先生が強制的に引き戻すのだが、その後意識が戻ったアルファは、しばし茫然としたあと、制御できずに泣き出してしまう。
−−深い追憶に引きずり込まれたとき、たしかに人は泣く。つよく心を揺さぶられ、悲しいとか悲しくないとかは関係なく泣く。過去は現在ではなくなってしまったからだろうか。
7巻。
散歩途中で崖に落ちてしまい、アルファはカメラをなくす。2巻にてオーナーに渡されて、いままでの時間をかけて大事な人々を撮ってきたカメラだ。懸命に探しても、どうしても見つからない。
−−このときのアルファの表情は、深い悲しみと、あきらめと、自己嫌悪と、捨てられない希望と…いろいろな思いが複雑に混ざっている。やっぱ表情描くのも巧いと思う。
(3月12日調整)
天野嘉孝の描くネコのカバーイラストが可愛いので、昔から知っていた。
描画は、このポップなイラストがよく似合うポップな語り口のSF。
神林にしては軽目のメカ描画に感じた。個人的には、メカとしての機構や仕組み・仕様を詳細に書いてくれると嬉しいのだが、今回はキャラクターとしての魅力(メカだってキャラクターだ!)や設定の妙じたいを味わった、という感じ。もちろん、満足はしている。
裏の顔は史上最大の海賊で、表の顔は財界の大物。肩に白猫クラーラを乗せている。クラーラは、ヨウメイから抜き取られた良心そのものであり、良心のないヨウメイだけが真の帝王になれる。
この巻の主人公。
海賊を退治するために、無限の権限を与えられた刑事課。目的のためには手段を選ばず、平気で一般市民を巻き添えにしたり、ビルを乗っ取ったりする。そのため、一般には海賊よりも嫌われている。海賊課の苦情室には、損害賠償の請求が絶えない。
射撃の達人。ヨウメイに傷を負わせたことのある3人のうちの1人。この巻では、神の与えた娘メイシアに対して親バカな面を発揮する。
ネコではなくて、ネコに似た異星人。食欲の塊。相手の精神に同調したり支配したりする能力を持っており、彼の≪インターセプター≫は海賊課でもっとも攻撃力がある。
海賊課の攻撃艇。高度な知能回路を組み込んでおり、敵コンピュータ システムの分析と乗っ取り・破壊に最大の威力を発する。
ヨウメイの操る巨大空母。世界最大規模の判断回路と攻撃回路を持つ。ラジェンドラでも破壊しきれない複雑な回路。攻撃力は容易に惑星を破壊する。
ヨウメイのみに従い、万が一ヨウメイを殺すものが現れた場合は その者が所属する星を壊滅させるようプログラムされている。
この世界は、無数のコンピュータによる複合ネットワークを整備している。それぞれが権限を持って相互接続し、一体として強力な仕事をする。
高級な機械になると、感情回路を搭載している。判断するだけでなく、予測や意見も出す。
権限の強い個人は、体に統合型インターフェースを仕込んでいる。名称は≪インターセプター≫で、これによって近くのコンピュータやセンサをインターセプトしてしまう。これを介してあらゆるモノを操作したり、迫り来る危険を警告させたり、自動攻撃させたり。
インターセプターへの操作は、キーワードによる音声操作になる。(このへんが神林の気持ちよいところだが)自然言語ではなくて、あくまでも専門語を軽快に飛ばす。
「報復しろ。オープン-FCS、レディ-SDインテンシフィ ファイア」
ポップで読みやすい口調のまま、仕掛けにはSFが使われている。個人的には、サイエンスよりもファンタジー色を感じる。
CAWに関する仕掛けは、神林のお家芸とはいえ、何度読んでも面白い。
この本自体が、カルマ(火星のバーのマスター)がCAW(著述支援プログラム)によって記述したという設定になっている。
物語の途中で、主人公格の全員が、パラレルワールドに飛ばされる。その際、本文にCAWが登場し、物語を止め、別次元に飛んだことを宣言し、人物にシリアルナンバーを振り、一方をドッペルゲンガーと明言する。
パラレルワールドに引きずり込んだ張本人は、善神と悪神。ドッペルゲンガーと化したヨウメイやラテルには、その世界の妖精が見えてしまう。
途中で善神と悪神が直接に対決するシーンがあるのだが、なんとCAWが現れて途中で打ち切ってしまう。世界の支配権を主張しあう神に対して、CAWは宣言する。
わたしはCAWシステム。すべては私が支配する。
物語を支配するのは、登場人物でもなく、筆者(カルマ)でもなく、あくまでもCAW。CAWが情報を管理し、変更し、別の情報を加えて再統合したあと、出力している。CAWが物語を乗っ取っている。だからこそ本編は≪海賊編≫なのだろう。−−あげくに、ラストでCAW3.3が2.3を乗っ取るし。
(注:もちろん、≪海賊編≫には「ヨウメイが主人公だ」という意味も込められていると思うが。)
私の主観における私は、うそつきで いいかげんで その場しのぎです。んー、いまはACBBA だそうな。前は…2000年5月はABBBA。悪くなってるねえ。つーか、今日さっき某社で「相手を殺してでもの権利主張」
をしてきたところだ。うん。はい。
ERKさん来てたんで、美術館etc。
縄文+弥生の土器大集合@国立博物館。例の広い会場なんで、観覧に たっぷり3時間かかった(含むみやげ購入)。
前半は、縄文土器の発展およびバリエーションをテーマにしている。入り口に国宝≪火焔式≫を配したほかは、時期別・種類別に無数の土器が並ぶ。パネルによって、(1)各時代の代表形態、(2)どういう≪より紐≫だと どういう模様になるのか、(3)刻むモチーフの説明、などが提示されている。中期(火焔式土器を含む)をピークにして、装飾はいったん単純化されるが、洗練具合や作成難易度が上がっているのが見て取れるのが面白い。
大変大量の土器があるが、紋様も形状も(時期差・地方差だけでなく)それぞれに個性的で、見ていて飽きない。
前半の最終ブロックには、土偶と人形の特集があった。動物の土偶がプリティーだ。
(余談:人型のうち、顔がハート型のものや円形で突き出たものをみると、やはり岡本太郎を思い出す。彼は、縄文土器の美を称える著書を数冊出しており、自分の作品にも積極的に取り入れた。)
後半のはじめは、弥生式土器。これまた地方別・年代別に並ぶ。しかし、弥生式土器はたぶんにマニファクチュアされた感じで、地方差はあるものの、固体差があまりない。一部に縄文同様の装飾がある弥生式土器があったが、それ以外はあまり面白くない。−−ちなみに、愛知のものは 下半分にのみ赤漆を塗っていた。
(余談:東京の弥生町で発見されたから、弥生式土器だそうな。)
後半中ほど以降は、≪縄文の昇華≫と題打った特集で、1ケース1作品として名作が展示されている。前半の5つ分のスペースで1つしか展示しない。−−逆に言えば、前半のヤツは詰め込み過ぎだと思う。
このブースのものの装飾はレベルが1つ違う感じ。たとえば(1つしか覚えていないが)
実に見ごたえのある展示だった。
(余談)
国立博物館の催しはいつも人気がある。昼食後14:00などに上野に行くと、入場券を買うまでに15分程度並ぶ。
今日は、その混雑を避けるために今日は10:30にブランチを食べて11:45には到着したのだが、実にガラガラだった。土器は引きが弱いのか? こんなに楽しいのに。
今回の展示と密接に関連したみやげはなく、ふだんの博物館のものが中心だったのだが…傑作があった。
多くのお子様がこれに魅せられ、親によって夢を断念されられていた。
「隆には まだ早いよ、ムリだよ」
だが俺は買った。プレゼントとして買った。大人買いか?
それとは別に、前々から欲しかった逸品≪埴輪犬のストラップ≫を購入。開いた口から覗いている舌と犬歯がプリティー。いまにも息遣いが聞こえそう。750円。
表慶館にて、表慶館そのものを展示物とした企画展が併催されていた。いわれ、設計図、初期のパンプレットやみやげもの、関東大震災時の破損の様子や復興の写真が見られる。この2年博物館に通っているが、私は階段を上って2FやB1Fに行ったのは始めてだ。
展示そのものはどうってことないが、2Fの天井画を眺めるのは良い気分。
駅に戻ろうと思ったのだが、上野動物園のあたりで牡丹祭り
の看板が目に付いた。場所は東照宮。あと20分で終わるところだったので牡丹は見なかったが、代わりに東照宮を見てきた。参詣は無料だが、200円払えば奥に入れるので、きっちり入ってきた。
回廊を歩いて外装を見て廻る。金箔が剥げていたり、塗が落ちていたりするが、それでも もとは奇麗だったのだと思われる作りのお宮だ。細工は日光東照宮 とは比べるべくもないが、そもそも比べるのは失礼だ。
などと考えて歩いていると、なんと内部に入れることが分かった。
まず、外廊下を歩いて建物の外を半周する。哀しいことにハト糞だらけだったが、柱の狛犬や鳥の彫り物を近くで見られるのはよいものだ。門には、左甚五郎作の竜が刻まれている。かなり汚れてはいるが… それに、丹塗りの柱のほうには落書き(しかも刻んだもの)がいっぱい…
宮内に入ると、カセットテープで室内の説明が流れている。正面の屏風の狛犬画は狩野派のだれそれのもので、壁に書けてある歌聖の額は 文はだれそれで… 日光の記憶と照らし合せて、様式が原則同じなのを思い出す。だが、保存状態はまったく違って、屏風は煤けているし、歌聖画の金箔は剥がれ放題。立派なのは門くらいか…
宮奥にも入れる。武者2対が守る出入り口を通って、奥の低い段に入る。こちらは文人2対と狛犬が守っている。テープによると壁に絵画が描かれているようだが、まったく見えなかった。徳川家の(?)火焔太鼓が神体の位置に据えられている。賽銭を払い、拝む。−−多重の鈴を備えた振子があるので使うと、サラサラと涼やかな音色を奏でる。いいもんだ。
テープが高らかに自慢する。
このお宮自体と 装飾のいくつかは 国宝に指定されております(大意)
セルフサービスで中に入って参詣できるのに、国宝。荒れ放題なのに。ホントに国宝か? もうちょっと 気を遣って保存してやってほしいなあ。
YOUさん宅にお邪魔する。
レーザービーマーを使って 大福と遊ぶ。大福が光を追いかけるのだが、光はキャッチしてもすり抜けるので、大福 大混乱。スイッチを消したり入れたりすると、かなり不思議そうに頭をひねっている。可愛い。−−NORIさん曰く、すでに何度もこれで遊んでいるが、全く飽きない。こんなに長い間飽きないオモチャは始めてだ、とのこと。
ERKさんが持ってきたヨサブの写真を見せ、ひとくさり盛り上がる。みやげの発掘セットも喜んでもらえたようだ。
その後、YOUさんNORIさんお気に入りのお店に行ってディナー。先週私が誕生日だったので、特別だ。
もともとNORIさんのWebにて、この店を知った。NORIさんが≪真のコンソメ≫と呼ぶものに興味が合った。私はスープを選んだ。今日は「オニオン グラタン スープ」と「キノコのコンソメ」を選べた。いつもならオニオンのところをキノコにした。
飲んでみると、濃いのにクセがなく、さっと飲めるののにキレがある。これはたしかに旨い。
YOUさんはオニオン グラタン スープにしたので、それも1口もらった。こちらは(当然だが)甘い。お腹一杯になりそうだ。タマネギ好きとして至福の状態。
ERKさんは、サーモンのマリネ。NORIさんは、白レバー。全部旨い。これは大変だ。
本当は鮮魚がよかったが、今日はホウボウのブイヤベースだというので、コンソメスープと被りが大きいので、地鶏のメニューにする。
香菜による地鶏ソテー。香菜と濃厚なソースが包み込む。ちょっと辛いくらいにキツイ味だが、地鶏そのものが淡白な味なのでバランスが取れる。付け合わせの煮野菜が甘くて美味しい。
ERKさんは、鴨のロースト。オレンジのソースでさっぱりと。当然1切れ貰った。甘くて感動。
YOUさんは、子羊のローストの胡椒ソース。ソースをパンに付けて1切れいただいた。やはり味の凝縮した濃厚なソースだが、赤肉系の甘さが出ているので、鳥とは別の味わい。おいしい。
NORIさんは、ホウボウのブイヤベース。最初にスープを飲んだ瞬間から、すっかり黙り込んでしまった。ほんとはちょっとネグりたかったんだが、あまりに魅了されきって食べていたので、言い出せなかった。しかたあるまい。また今度行って自分で頼もう。
YOUさんはイチゴが大好きなようだが、今日はないそうで、お店の人が謝っていた。NORIさん好物の栗はよいのがあったようで、NORIさんとYOUさんはモンブランを食べた。1切れもらったが、こんなにさっぱりしたモンブランは始めてかもしれない。それでいて 異様にお腹いっぱいになりそうな質量感。
私はチョコレートケーキ の キャラメルアイス添え。この1月ごろから(MIKUNIでショコラ=ムース=オ=ブラウニーを見つけてから)各種のチョコレートケーキを食べている。ここのは 濃い目に練ったチョコがスポンジの上に練りつけてあるタイプ。美味しいが、ちょっとパサパサ感を感じる。ERKさん曰く、「つなぎのミルクとかを入れないで、純粋にカカオだけで作ると、こんなふうになる」
んだそうな。なるほど。となると私の舌がなるいのか。
ERKさんは…なに食ったんだっけ?
これにワインをボトル1本あけて、1人6500円。安い。旨い。ありがとうございます。
(余談:でも、お店の名前を覚えてない…)
3月2日昼ごろ、同僚OGHRさんが言った。
microsoft.com/billgatesってのが あんだよ。知ってた?
知らなかった。衝撃の公式サイト。彼はなぜ電球の周りで寝ているのか????
16時からS社に行った。やはりメーカーに行くと元気になる。編集部内にいるだけでは、気が淀む。積極的に外に出よう。それはともかくとして、なぜかBillGatesのサイン入りのVを発見。写真を撮らせていただいた。が、さすがに公開はできまい。
これ、プレゼントでお送りしたら、なぜかサインして返送されたんですよ。どうして勘違いされちゃったものか…
昼飯を食べて戻ってきたところで、END副編集長が つぶやく。
やっぱ、ピカチュウ=ドット=コムとか、あんだろうねえ。
調べた。 ピカチュウ=ドット=コム。あった。NINTENDO USの公式サイトだ。Flashでピカチュウが喋る、というか鳴く。
[games]の[make stew with pikachu]が面白すぎます。かわいすぎます。 「これ、入れる?」と聞くので、YesかNoで答える。 Yesだと、喜んで鍋に放り込む。 この投げ入れがかわいい!
−−んだが、いちおう指示されたレシピにある食材だけを入れてください。
カーニハンの[プログラミング作法]get。原題は [the practice of programming]。ちなみに・・・邦題が混乱している気がする。
なお、オリジナルのpractice of programmingは、イヌのイラスト がかわいかった。 翻訳本は、なんつーかサビシイ。
駒込ピペット 。情報fromサイコドクターあばれ旅 。そうかあ、駒込病院かぁ。
玄ってなに色?
玄人のくろ、ってなわけで黒だよ(KBR談)
音楽家の大Bachは、ヨハン=セバスチャン=バッハ。音楽家Bach一族の24代目。
Bachとは、ドイツ語で小川の意味。移住民でBachを名乗る人は多い。
初代Bachであるヴィートゥス=バッハ(ドイツ読みはファイト=バッハ)はパン焼き職人だが、趣味として楽器を弾いた。彼がハンガリーからドイツに移民した。その孫のヨハン=バッハが、はじめの職業音楽家。以降、代々音楽家を排出する。
同僚の生臭ボウスKBR氏調べによると…
ヨハンってのは、ラテン語で「尊敬される、偉い」っていう意味だそうな。となると−−
J.S.Bach=小川敬くんだ。
まさか《瑞希の愛した医者》と《祥の憧れの男性》が同一人物だとは思わなかった。というか、《祥の憧れの男性》なんというエピソードが10巻ぶりに出てくるということ自体が驚きだ。伏線考えていたのか???
これを期に、古い単行本をざっと眺めてみた…が、15巻くらいまでは本当に絵がヘタクソだ。読む気がしねえ。物語のほうも、面白くなったのは14巻くらいから、ようは現在のような長大物語を書くようになってからだ。
瑞希「祥はもう戻らないんだもの、私から祥を奪った相手を殺してやりたいわ。」
高村「そうか… そうだな。もうそれくらいしか やることが残ってねえな…」
マンガっぽいストーリーではあるが、あの物語の中では 真意を持って真実だ。それを納得させるだけのドラマチックな絵を描く。上手になったもんだなあ。−−ヒメ編終わったら、もう描くことなど残っていないのではないかと心配したのだが、よけいなお世話だったようだ。
12日(月曜日だが振替休日)に休日出勤し、むりやり作業を終わらせた。13日16:00、VB本下版。
実は12日も感じたのだが、胸が痛い。寒気を覚える。ずっと忙しくて体調が崩れがちで、2月1日と6日に午前休暇を取った。あまりにマズイので、2月8日に有給休暇を取り、かつ土日はキッチリ休んだ。だから、もう大丈夫だと信じていた。
13日の下版後、チマチマとした作業をこなしていたのだが、どうもおかしい。ノドが痛い。背中全体が痛い。口の中が変な味がする。−−これは風邪の症状だ。昼からは薬でごまかしていたが、夕方にそれが切れたようで、突然頭がボーっとし出した。発熱。−−下版したことだし、19:00に切り上げて帰る。
14日はPalmSource(パーム社発表会)。なんとか出たい。会社のデジカメをgetして、家に戻る。
熱を測ると37.5度。たいしたことはない。このまま寝る。
起きると、体調の悪化を感じる。頭痛と関節通が酷い。喉が酷く腫れている。熱は38度。無理しても得しないラインに入った。電話にて休みを宣告。寝ていても悪化したことを鑑み、10:15に近所の医者へ。
11:00になって ようやく診察。かんたんな審問のあと、「じゃあ、インフルエンザかどうかをチェックしましょう」
となった。綿棒で喉の粘膜をねぶり、それを試薬付きペーパーに付ける。「20分後に結果が出ます」
とのこと。採血もしないとは、おそれいった。
この後の待ち時間の間に、症状はますます悪化する。座っているだけでツライのを感じる。吐きそうだ。看護婦さんにベッドを申し出ようかどうしようか悩みつつ耐えていたら、11:45に再度呼ばれた。
「インフルエンザです。それも強力なヤツ。この青い部分(と、試薬状に繁殖した菌ドームを指す)がとんでもない速度で広がりました。」
私は、これまでの人生でインフルエンザだと診断されたのは始めてだ(知らないで掛かったことはあるかもしれない)。いまの体調不全と目眩も納得できる。
「インフルエンザ専用の吸引式の新薬があるから、それを処方します。すぐ熱もひくと思います。」
近所の指定薬局で、解熱剤とともにその新薬をもらう。吸引式というから喘息の薬みたいなのかと思ったら、小型の笛のようなもの。微粒を吸引するそうな。−−私があまりにも辛そうだったらしく、気遣いの言葉をいただいた。
「家に戻ったら、すぐにこの解熱剤を飲みなさい。ご飯食べられないなら、お湯をたくさん飲んで。」
家に戻ると、H"君に留守電が入っていた。VB300本でトラブルあり。会社に電話して状況を聞きつつ、インフルエンザの旨を報告。そのまま睡眠に入った。
17:30に目が覚めたが、症状が変わっていない。熱は37.5度。高くはないが、下がっていないのが困る。例によって汗はかいていない(悪い状態だ)。多少悪寒が混ざってきた。胸が痛い。
ちょっと無理してコンビニに行き、ポカリスエットとパンを購入。パンをかじり、
牛乳をのみ、薬を飲んむ。布団の中でj-wave(groove lineと、m-floのacross the view)を聴き。寝た。−−m-floの「FAXは、3797-6666、rock! rock! rock!」
と「www.j-wave.co.jp、ジェイピィ!」
の合唱が面白かった。
以降は3時間おきに目が覚めた。ノドが乾いてヒリヒリする。ポカリをのみ、氷嚢を取り替え、CDを掛け直して、寝る。−−ずっと小音でBachを聴いていた。が、10分以内に意識は消えている。
午前3時ごろ、ようやく汗をかき始めた。7:00の段階で大分よいとは感じたが、まだ喉の腫れは酷い(紫色だった)。大事を取って休む。9:30に会社に電話し、そのまま睡眠。
12:30に起き、なんとか普通色を食べれると感じ、喫茶店にて軽食を。しかし、食事を取ると心拍が高まり、頭がボーっとしてきた。よくなかったらしい。セットの紅茶をいただいて、また睡眠。
18:00ごろ、ようやく発汗が来た。苦しいが、これが最終波のはずだ。実際、19:00まで発汗は続いたが、だんだんと楽になってきた。これで明日は出社だな。
午前2時に不自然な発汗で目が覚めた。汗だくだ。全身寒い。胸が締め付けられる。どうもおかしい。朝7時、熱は35.5度と平熱だが、クラクラ感と胸の痛みが取れない。恐いので休暇にする。
13:00まで寝ていたら、だいぶよくなった。喉も、軽く腫れている程度に。おそめの昼食を摂り、体調の平衡を確かめ、悩んだ末に15:00ごろ出社。本のトラブルへの対処と、迷惑かけた人への挨拶と、メールチェックだけして帰る。
(余談:私の席の周囲の社員は、みな体調不全のよう。私以外にも1人休暇を取っており、別の1人が咳にむせびながら涙目でディスプレイを見つめている。)
−−自分では平気だと思っていたが、出社して動くと、すぐに頭がクラクラする。胸も痛い。体力が回復してないようだ。
(余談:インフルエンザなんで、人に移してはいけないと、さすがにマスクをした。給食当番以外でマスクをしたのは、生まれて始めてだ。)
帰宅し、横になる。が、とくに動かなければ体調はよいようだ。冷蔵庫の残り物で料理を作る。−−キャベツを主体としたミネストローネ(トマトのゴッタ煮)。ジャガイモとタマネギと豚肉と小柱とベーコン。市販のコンソメでまとめる。
groove lineからの流れで、平井賢のacross the viewを聴く。大阪人で面白いじゃないか>賢。もっと澄ましたヤツだと思い込んでいた。好感度アップ。
全快だ! 正常だ! と思うんだが、気を抜くと寒気と胸の痛みが戻ってくる。喉の腫れはひいたが、違和感だけは消えない。まだ本調子とは言えないのだろうか。いちおう吸引薬を含んで薬は全部飲む。
午後、新宿HMVに行きたくて着替える。が、着替えただけで頭が痛くなった。悩みつつ、とりあえず近所の喫茶店で紅茶を飲む。外の寒気に触れると大分落ち着く。思い切ってHMVへ。
だが、やはり間違いだったようだ。腹は下すは、喉は痛いは、頭はボーっとするは、胸は痛いは。しまいには頭がガンガンして発汗しだした。一見正常なんだが、まだ静養が必要なのか…
HMVでは、クラシックの定番再販ものの数枚が990円に統一されていた。たぶん定価でも1480円くらいだが、けして捨てCDではないので見逃せない。Bachのよさげなのも数枚混ざっている…が、判断力がないのと 立ち続けるのが辛いので、早々に引き上げた。
夕食に、ミネストローネの残りと、サバみりんと、トマトスライス+バジルペーストを食べる。サバがマジで美味しい。小学生のころからサバみりんには目がない。
−−こうしてキーを叩いていても、喉がヒリヒリするのを感じる。もう寝よう。
(18日の日曜日は、ほぼ全快だった。普段よりもつかれやすい程度。)
「執筆」を題材とした一連の短篇による集合長編。基本的には、ワーカムというマシンが共有軸になる。ワーカムは執筆支援のための機械で、次の特徴を持っている。
物語の主人公の多くは、「このワーカムによって逆に思ったことが書けなくなった」と設定されている。ワーカムは矛盾や揺らぎを許さず、つねに「それは この意味ではないのか」
と訂正を求める。この機械を前に、一種の哲学にも似た「執筆とはなんなのか」という想いが交錯する。
(注:テーマはあくまでも「書く」であり、ワーカムの登場しない物語も存在する。)
(2001年11月3日追記)
実は、始めに読んだときは、それほど好きでなかった。もっと科学の出てくるSFを期待していたためだろう。しかし、読み返すと質の高さがよく分かる。状況のWonderさ加減でいえば十分SFだし、神林のテーマである「意思とは何か」「自己とは何か」の展開具合は素晴らしい。
あえていえば、すべての作品にワーカムを絡めて欲しかった。そのほうが一貫した作品としての楽しみが増えると思う。
主人公が「私を生んだのは姉だった」という文章から始まる小説を書こうとしてワーカムに拒否される。
−−これを題材にして、読者はワーカムの特性および「ワーカムのある暮らし」を知ることができる。
この作品が伝えているのは、「言葉の常識が変われば人間も変わる」だ。荒唐無稽のようでいて、実は怖い。本書のほかの短編は、この1つの変革によって微妙に壊されてゆく。
未来から振ってきた香りの小説。
−−その設定だけでSF萌えだ。
古いタイプの(印刷しないと本だと感じないタイプの)作家が、ワーカムによる電脳小説交換に途惑いながら、手書きで私小説を書く物語。同胞であった編集者の死を嘆きながら、自分でワーカムに実際に触ってみたときの感触を書き記す。
執筆論として読んでいて面白いうえに、神林お得意の「現実多重」が組み込まれているので、スリルまで味わえる。
この話での多重は、視点の移動だ。手書きだと思っていたものがワーカム文章であり、死んだと思っていた編集者が原稿に意見する。そして、最後まで何が真実なのか語られない。
−−文学の世界では常套手段なのかもしれないが、理系文ばかり読んできた私には想像もつかない芸当で、主人公同様に頭を混乱させられた。まさに言葉使い師だと思う。
冒頭、父親がぼやく。「最近、息子と話が通じない。」
1ページ目では思春期の少年と扱いにくさを嘆いてみせるにも関わらず、ページをめくって現れる文章は次のモノなのだ。
理解しようにも、息子の話していることが私にはよくわからないことが多い。
「かるだんちが、よんしてら、こるべだった」
この筒井康隆レベルのイタズラを読んで、私は目頭が熱くなった。−−そりゃあ、父と息子も分かり合えんわな。
ワーカム電脳小説をさらに発展させたシステム=サイメディック。そのサイメディックの作家である兄と、普通のエンジニアである弟。数年ぶりに逢った兄は言動が不審で、なにかに怯えていた。最後には、兄の精神は壊されてしまう。その原因は、1つの言葉が脳髄を直撃したことにあった。
兄が壊れていく様の描画もすごいし、それを眺める弟の心理もいい。
オーラスでは、弟が兄を治療するために心を決める。それをあらわす文がイカしている。次の1文だ。
ぼくは、兄が、好きだ。
言葉は力だ。
スランプの作家のもとに、田舎の父からワーカム通話が届く。父は小説の書きかたを指導してほしいという。気分転換に応える主人公。
この作品も多重現実だ。主人公が感じる現実と、ワーカムに残された通信、そして警察が伝える「父の主張」。《自分が書いているもの》と《現実》とが二重三重に交錯して、何が現実なのか分からないまま進む。−−まさに神林小説の快楽だ。「混乱していようが、本人にとっては常に現実は現実なんだ」と感じ入る。
この短篇だけ、まったく世界観が異なる。いったんコンピュータなどが滅びた世界。人は音声や文字による意思伝達を止めており、《言葉ポット》という道具のうえに意思のツリーを栽培して相互に意思を伝達する。
本書は全体としてはあまり好きではないが、この短篇だけは特別だ。これだけのためにお金を出してもよいくらい。
私は、この少女が文字や本を再発明するのかと思った。しかし、彼女が獲得したのは、not文字、not言語、not録音であり、but言語そのものだった。−−みごとなファンタシーとして締めたものだ。
(追記2003年5月5日:読んでいけば変わるものだ。いまや私は本書全体をどこから読んでも大好きだ。ジワジワくる名作というか、わたしの中で次の点に気がついたところで評価が一変した。すなわち、《文章の組み立てもにも体系があり、そこに法則があるかぎり、仮定法則を現実からチョイとズラしたところに設置したこの物語はSFそのものであり、Sence Of Wonderそのものだ》。)
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