今朝の出勤時、目の前のヒトが読んでいた新聞(たぶん日経)で、「メーンの銀行」という表現があった。メーン。メーンバンク。メーンイベント。メーンテーマ。
なぜmainをメーンと表記する流派があるのだろう。発音記号を見れば長音に聞き違える可能性は少ないと思うのだが。
mobileも、1998年ごろから何故かモバイルと記す。昔はモービルしか記法がなかったし、発音としてもモービルのほうが正当。だが、移動通信の意味で特化したので、モバイルという日本語が出来たということでいいのかなあ。−−だが、通信機能搭載自動車という意味で「モバイルする自動車」と記述することがあり、単語の意味としては混乱がすごい。
「竜宮城」から珍客 佐賀の離島・神集島の海岸に(asahi.com)
タツノオトシゴみたいなサイズかと思えば、ずいぶんでかい。
別の話題だが。イルカは海豚と書くわけだが、「見た目は豚に似てないのに なぜ海豚か」とずっと疑問に思っていた。その由来は肉にあるようだ。唐沢俊一日記2001年4月20日がソース。ウソかマコトかしらねども。
脂身部分と赤身部分がクッキリと別れて三枚肉風になっている。
夢の中の自分を通じ、現実の自分が夢に影響を与えようとした…という設定の夢。わたしとしては非常に珍しいタイプだ。
日暮れ時。祖父宅脇の駐車場。車区切りの白い線を指しながら、父と祖父が激しく言い争いをしている。それを、幼少の私はオロオロしながら見ている。父は地質分析結果を取り出しながら、なんやかんやと指摘。(それがなにを目的とした指摘だったのかは、もう覚えていない。)
祖父「そうか、あの業者め、ひとを騙しおって。わかった。この件はおまえに任せる。いや、事実上、これからの店の味はおまえが守るんだ。」幼少の自分を通じて、今の私は思う。「じいさん、あんた生前は食い物屋なんて経営してないじゃないか。」なお、言葉にされていないが、夢のなかの不思議な波動によって、この「店」とはマクドナルドのことだと伝わってきた。
急激に場面転換。実家裏の十字路。祖父が白いバイクに乗って去ってゆく。幼少の自分を通じて、今の私は思う。「今日はじいさんが死んだ、その当日だ。いまここで左に曲がると、じいさんは事故に遭う。」いまならまだ歴史は変えられるだろうか。
幼少の私は叫ぶ。「じいちゃん、ちょっと待って」 祖父は不思議な顔をして、十字路の手前で止まり、振り向く。これで事故は避けられた。幼少の私はホッとする。
だがそのとき、正面の道の奥から、細身長身の怪人が猛スピードで迫ってきて、祖父のバイクを蹴飛ばし、祖父を体術で締め上げる。幼少の自分を通じて、今の私は思う。「歴史の大きな流れまでは変えられないのか」と。
呆然と立ちすくむ私の視界に、家の門から這いずりいずるおばさんが入る。どうも同じ怪人にやられた模様。視界クローズアップ。「た、たすけて。その怪人、イダケ教の手先よ。いうことをきかないと、イダケの呪いが…って…」
おびえる幼少の私。祖父はすでに事切れた。怪人は次に私にねらいを定める。慌てて逆方向に逃げる私。だが怪人は容易に追いつき…
ここで目がさめた。
なお、現実の祖父は腎臓の病気で半年入院し、治療もやむなく死去している。交通事故ではない。
2001年12月21日第1刷 講談社アフタヌーンKC1130 476円+税
16ページの短編10編。すべてに三葉虫を差し込んでいる。見事な不条理感。前作【なつのロケット】が個人的に今ひとつだっただけに、喜びが大きい。
(余談:不条理といえば、吉田戦車や和田ラヂオが流行って以降、各週刊誌がこぞって不条理マンガを掲載したが、その後発のほとんどは「ただたんに展開が変なもの」に過ぎず、けして「不条理を用いた作品」とはいえなかった。そのためか、ひさびさに良質な不条理マンガを読んだ気がする。)
それぞれの短編について、紹介文(私がまとめたもの)と感想を記す。
長年の夢だったペット。子猫が今日届く。期待に胸を膨らませてミッっちゃんが帰ると、家にいたのは三葉虫だった。はたして私は育てられるのかしら。
最初の2pで、少女の期待を見事に書ききっている。学校からかけて家に戻るシーン。表情に疲れはなく、期待で上気加減。「どんなネコが来るのか」という想像シーン、「名前ももう決めてあるんだ/プチ!!」
という展開、どれをとってもすばらしい。
見開きをめくると、それを台無しにするのが三葉虫だ。愕然とするも事実を受け入れられず、力なく「プチ」「ミャオー」と呼びかける。このシーン(p7の3コマ目)の虚ろな表情がすばらしい。
育てようと頑張ろうにも都合が分からず死んでしまうのだが、その(欲しかったネコでないにもかかわらず)「一所懸命やったんだもん!」
と泣くミッちゃんが可愛い(p16コマ4)。
第1話では、常識はすべて平常のもとにあり、1点「三葉虫が来た」のみで混乱を描く。それを買ってきたはずの母親が「ナニ? コレ」
ということで、物語は日常に戻る。この主軸の据え方も見事な不条理感演出なのだが、あとの連載と比べると様子見であったようだ。
エっちゃんは2歳(くらい)。両親が外出の間のお昼寝で、エっちゃんのもとに現れたのは、1匹の三葉虫だった。
遊ぶつもりで虐殺の限りを尽くすわけだが、この常識ズレの幼児破壊描画は【宇宙家族カールビンソン】のコロナちゃんでお馴染みとも言える。「ネコはタマネギが大好きなのよねー」
だ。こなれた感じ。
田舎。一学期に引っ越してきた音羽さんは、夏休みにまた転校してしまう。彼女に覚えていてもらえるようにするには、何をプレゼントすればいいだろう…
見事な純朴恋愛ものだ。16ページ中の前半14ページを使って、田舎の少年の淡い恋心を見事に描画する。そこから、(1)渡した三葉虫を(キモチわるいと)音羽さんが怒り、田舎をなじる (2)幼馴染の少女カッパ(あだ名)が音羽を殴る (3)落ち込む主人公に対し、少女カッパが微笑む。−−この急展開はすごい。
とくに、三葉虫の元の持ち主であるカッパが「いいって/また獲ればいいんだから/今度はいっしょに獲りに行くべ/な」
と照れながら微笑むのがすごい。この男勝りの少女に惚れないのなら、この主人公は男を辞めたほうがいいだろう。
これだけの恋愛物語にすら三葉虫を滑り込ます。見事な不条理だ。
−−この作品以降、定型のパロディ度が非常に高くなる。
その老人は、いつもは港町で子供相手に、自分の過去の漁の自慢話をしていた。だれもがホラという。その正当性を証明したく、ひさびさに漁に出る。そこで出くわしたのは…
老人と海と三葉虫。汚れや皺、陰影の詳細な描画、ベタ黒を生かした迫力あるカットを生かしつつ、老人と三葉虫(老人はカジキだと思い込んでいる)との格闘を描ききっている。
途中、アノマロカリスに襲われたり、鳥を使った伏線を張ったりと、マジメとギャグの境の描画を多重に取り込むあたり、あさり氏はさすが職人だ。
天才少年料理人・丁次は、店の復興を掛け、料理コンテストに出る。テーマ食材は三葉虫。「エビやカニの仲間だろ」とたかを括る丁次だが、病床の祖父は叱る。「丁次、おまえは三葉虫の目利きはできるのか!」−−そして市場に下見に出かけるが、すでに良質の三葉虫はライバルが抑えたあとだった。どうする丁次!
料理マンガのパロディ。ここでは三葉虫は普通の食材として認知されている。産卵期などから食材としての旬が考えられており、それを知らない丁次はライバルに指摘されて落ち込む。−−途中に不条理な用件が絡もうとも、物事は理性的に判断・展開できる。そうすることによって、不条理は数層倍にも活きる。見事だ
対峙するライバルは、毒島 中(ぶすじま あたる)。(Dr.キリコの外見をしている時点で期するものがあるのだが)「俺の料理を食ったやつは死ぬ!」という。フグなど、真に美味い食材には毒が付き物…などの持論を展開。
「俺が食わせたいんじゃない/客が望むのさ」
という毒島に、丁次は熱く怒る。「おまえは料理人じゃない!」
−−演技者は笑ってはいけない。客を笑わさなければいけない。演技者が真剣になればなるほど、設定の不条理さが映える。基本ですが、それをしっかり守れるのはすばらしい。
しばらくは料理のテクニックに奔走する丁次だが、祖父の指摘により、食べる人間の立場に立ち返る。そして勝利を拝する−−という王道な流れ。
設定に沿って、本道を守り、型を守り、最後までマジメに描ききる。その中にいくつかだけ非常識がある。だからこそ発生する面白みが不条理マンガの面白さの原点だ。−−急増した俄か不条理作家は、本作品や筒井康隆で、この点を学びなおして欲しい。(と偉そうに述べたくなるくらい、この作品は見事だ。)
その魔法少女が操るのは、無数の三葉虫だった。
弱いものを守る行為が、対象者の心の安寧とぜんぜん結びついていない。それをまざまざと描画してしまうのがすごい。たとえば、飛び降り女性の逸話(p106〜108)。魔法少女は衝突クッションとして無数の三葉虫を噛ますのだが、飛び降りたほうの女性は、その潰れた三葉虫の体液まみれになり、発狂したように叫びだす。ほかにも、基本的には外敵は三葉虫に食べられてしまうわけで…
ストーリーテーラー役の少年が目と耳をふさぎながら耐えているのが可愛いねえ。
彼は、元佐藤くん。いまは、怪人三葉虫。下町のアパートで、ゴロゴロと暮らしている。子供たちにダンゴ虫と馬鹿にされるくらいしかイベントがなく、日々体を鍛え、安月給で食材を買い、母親から仕送りを受け…
今はめったに見なくなった、安アパート生活の物語のパロディ。四畳半物語(といっても1人暮らしだが)。
とりたてて日々の目標も明確な仕事もなく、ゴロゴロと
「このままでもいいかも/俺が脚光をあびるなんて不相応…」と思い至ったところに、怪人本部からの使いが。ついに明日早朝出撃。あまりに急な出来事に呆然とした佐藤くんは、ふとアパートの窓を開けて外を覗く。するとそこには見事な夕暮れ。駆け回る子供たち。父を迎える息子。母に呼ばれて夕飯に帰る子供。
−−それぞれのストップモーションを、(夕日だから)輪郭をぼかした絵で、影も線描画で書き込む。描かれていないが、きっと多くの家から調理の煙が立ち昇っているだろうし、街には無数の香りが出ているだろう。万人の郷愁を誘う、見事な描画だ。
この光景を前に、佐藤君は無意識に泣く。「どうして平凡に生きようと思わなかったんだろう」と。
最後の1ページでの子供たちの会話、風に乗る新聞での死去の報、部屋に残されたプラモデルなど、最後まで(新機軸ではないとはいえ)技巧的に高いレベルをキープした一品だ。
(6、9、10は略す。)
高校生のころから、縁日などで小さなガラス細工の人形を買うのが好きだった。最近はノラネコ趣味のほうが嵩じているので落ち着いてきている。
まずは地元の縁日で買ったもの。このクジラは頭部と尾のみに緑の半透明着色。反射ぐあいがすごく気に入っている。カバとアヒルも(写真の出来がよくないが)形状からきれい。イモムシは、あまりのマヌケな表情に感動して、つい購入。オウム(じゃなくてオオクチバシ?)は、半透明と不透明の組み合わせが好き。
豆ネコまねきは、新宿のどこかで購入。色でご利益が違ったはず。金塗りの亀と蟹は、鎌倉は小町通りで。
ペンギンと桶は、荻窪ラムラにて。2つ別の商品なのだが、店頭でこの組み合わせでおいてあった。お客がいじったのだろう。このいいお湯加減に敬意を表して購買。ちいさな象はタイみやげ。
14日晩、会社の先輩と久々に飲む。飲んでいる最中から異常な寒気を感じる。おこり あり。おかしいと思いながらも継続。
駅から帰宅の最中、風が吹くだけで全身が痛いのでおかしいと思う。アルコールの症状かと思いつつ、家で毛布に包まって着床。だんだんとおこりが酷くなる。頭が刺すように痛い。悶絶中(声を出さずにはいられない)。とうぜん睡眠なんて取れない。
2時ごろ測熱すると39度。これはあれか、先週のノドの痛みが今になって風邪として噴出か。氷枕を出して寝る。4時ごろ、いままだ38度。全身に熱がこもっていて、腰も足も腕も痛い。ノドも変だから、インフルエンザなんだろうなあ。
6時ごろ、ようやく眠気がくる。8時には起きて医者にいく準備。9時の開始とともに飛び込む。
診断の結果、インフルエンザではないようだ。肩に注射。10時着床、18時起床。さすがに楽になった。いま熱は36.5度。でも頭がクラクラしますな。これはなんなんだろう。別の病気だったりするのか?
腹が減っているので、すこし無理して、[キッチンなべ]へ。方南町の、夜しかやっていない定食屋。はじめて入った。飾ってある芸能人色紙のなかに有頂天があって驚いた。
帰宅。j-waveをつけるとgroove line。「聞き取りにくい歌詞特集」で、岡村靖幸が2曲もかかった。kenji&the tripsなど、ふだんj-waveではあがらない名前が。ちょっとうれしい。−−だが、いちばんかかるのは桑田/サザンっす。当然ながら。
22時就寝。00時に便意で起きる。21時には水気のない硬いものだったが、こんどのは超軟便。ふしぎだ。
いまは熱はないが、セキひどくて寝付きにくい。昨日はまったくセキなかったのに。風邪の進行って不思議だ。
13時に八明園(中華)で食事中、頭痛復活。注射が切れたのか。頭が内部から割られるようにいたい。熱を測るが37.5度しかない。じっさい熱の痛みとは違うイメージ。いたいよう。
頭痛がひどいのだが、コンランドリーに洗濯物を放り込んでしまった。実際、洗わないと肌着も何もないのだ。ぬれた洗濯物を手に取ると、指先から脳裏にピーンと痛みが走る。風が吹いても衝撃的。これは38度以上の熱の症状。
15時着床。18時睡眠。薬と睡眠でよくなるかと思いきや、まったく改善せず。無理を押してコンビニでやわらかいパンを購入。ついでにマスクも。
測熱。38.5度。死ぬる。迷惑を承知のうえでerkさんに電話。明日看病に来てもらうはこびに。
そのまま着床。濡れタオルと保冷材で頭を守るようにしたら、(痛いものの)悶絶はない。氷枕のみと比べて差が出るものだなあ。この状態で痛みに刺されつつ着床。痛いので眠気はない。午前5時にようやく睡眠。
ちなみに水便軟便進行中。
erkさんに遠路はるばる無理して来ていただいた。看病+買出しなど。自分の負担が減ると、回復は圧倒的に早くなる。精神的にも心強い。というか、38度あるのに自分でコンビニに行くのは辛い所業なんだなあ。
16時ごろ、ほぼ復帰。いまは熱が37度。ここまで熱が安定して下がればずいぶん楽だなあ。
−−erkさんはトンボがえりで既に戻っていった。大変だろうに。感謝尽きず。
だが、1人になって、急激に寂しさに襲われる。これまた恥をしのんで会社の先輩S氏に電話。「就職で状況した人間は、こちらに学生時代のような友人がいないわけで、辛いよねー」などと雑談をいただく。1時間ほど。これまた感謝。
それはそれとして、ひとつきに2度も病気で有給休暇をとっていると、さすがに不安。下版後だったのが唯一の救いか。
熱は36.5度〜37度と落ち着いたが、筋肉の痛みと、鼻・セキが酷い。たまにめまいや頭痛も。3日間寝っぱなしだったのだから、回復させるのにも時間がかかるか。1日様子見。案の定、昼間で自然に眠れる。健康ではこうはいかない。
13時に起きたのだが、身支度が思うようにいかず、ようやく14時に昼飯へ。いつもの中華屋(八明園)。食べるはしから疲労を感じる。先日のような39度盛り返しはないが、頭全体(とくに目)が熱く、涙ぐむ。全身も熱い。食事は戦争だね…
14:10ごろ、店長の昔の後輩らしき若者がお店にやってきた。飛び込みで「料理を見せてほしい」とのこと。奥の会話なのでしっかりは聞こえないが、ラー油の仕込を見て、雑味がなく済んだピンクなのを驚嘆していた。また、「いま店舗が水色だが、中華の縁起は赤・黄色なので直したい」「名称も、縁起で言うとよくないらしい」などという話もあった。大変だな。
−−ちなみに、夜半になっても水便軟便継続中。
永遠のペットが可能に? 米大学が初のクローンネコ(産経新聞Web)
将来はクローンペット産業が誕生し、死んでしまった愛するペットをクローン技術でよみがえらせる時代が来るかもしれない。
いまだにマスメディアはこんな論調でクローン技術を語るのかね。情けない。
生まれるのは、遺伝子が同一な別の固体だ。固体を決めるのは遺伝子だけじゃない。生育環境からの刺激(気温やら食べ物やら他個体との関係やら)が違えば別のものになる。
クローン技術は「固体のコピー」技術ではない。記憶や性格は継承されない。同じ成長を遂げるわけじゃない。仮にバッハの遺伝子から人間クローンを生成したとしても、バッハが生まれてくるわけじゃない。その彼が音楽才能に秀でるわけではない。
同一遺伝子が同一固体だと誤解するなら、一卵性双生児も同一固体っつーことになってしまうぞ。
ちうわけで、論点はそこじゃない>マスメディア。
2001年12月22日〜2002年2月11日、@たばこと塩の博物館。100円(安い!)。
東京女子館短期大学の金子教授のコレクションによる。本人説明イベントあり。また、戸谷木工所による実演あり。製作体験あり。
偶然、金子教授の説明に遭遇する。歴史説明や物品説明を聞く。展示のタンスのからくり部分などを動かして見物できたのは、非常にラッキー。
歴史的にはエジプトが最古で、世界各国にある。日本では一般に箱根のみやげ物で有名だと思いますが、本来は静岡のものです。
水戸(うろおぼえ)の殿様が江戸に献上するような過程で発達し、実用家具の装飾として非常に手が込んでいます。外貨獲得のために、江戸時代(オランダ貿易)から明治まで活躍しましたが、昭和初期の大火事と戦災で職人も機材もほとんど壊滅してしまいました。
静岡が実用なのに対し、箱根は昔からみやげ物です。目指す方向が違うので、質がやはり違う。静岡が丁寧に漆仕上げなのに、箱根はロウ仕上げだったり。よい職人も、やはり静岡のほうにたくさんいました。
(などなど)
大物はタンス。多いのは小物入れ、お盆。遊び心のものとしては、タバコ入れ細工(ふたを開けると犬が一本くわえて出てくるようなアレ)、ライター、ギターホールまで。旅のお供に携帯枕セット(からくりをあけると、行灯やら手鏡も出てくる)なんてものも。
お盆は、全体が黒漆仕上げで、取っ手など一部が象嵌だったり寄木だったり。象嵌は、木のものも螺鈿(真珠貝の細工)のものもある。どちらも、黒のなかに薄い色が良く映える。
大きなタンスだと、前面のこまかい紋様だけでなく、裏面も(大きな)寄木になっている。手のひらサイズの大きなブロックを組み合わせた寄木。木目の方向や色の違いで、多角形モザイクの出来上がり。−−それにしても、漆で仕上げた木材は綺麗だ。
寄木細工は表面の装飾であり、できているタンスなどの表面に貼るもの。
タネは、たった1つの板。両面に「黒染めの薄い板」を張り合わせる以外は、すべて木材そのものの色。厚みは5mmくらい。
これを、一定の幅(1cm前後)で、切り口を30度・60度45度の角度で切り落とす。基本的には同じ角度のものをあわせて、三角形や六角形の寄木ブロックを作る。この際の合わせかたで模様ができる。
作った寄木ブロックをさらに集めて、板状にする。このとき、厚みは4cmくらいにする。設計図にあわせて寄木を組み立て模様を作る。
板に整えたら、表面を専用かんなで削る。すると、削りくずが細工用紙になる。あとは、この用紙を、装飾したいものに貼れば完成。
3F、塩。各種岩塩あり。大きさと色の多彩さに圧倒。また、結晶を顕微鏡で見るコーナーや、製塩工場の模型などもある。−−が、それほど見たいものでもない。
2F、タバコ。ここはちょっとした見ごたえの博物館。江戸時代からのタバコの宣伝看板やパッケージあり。タバコの葉の本物(私の腿くらいにデカい!)、およびその精製道具など。−−別の一角では、歌舞伎でのキセルの使われかたの説明が写真と実物で説明されていた。11代市川団十郎による助六、非常に色っぽい。また、当時の浮世絵などもあり。
1.5F、異国のパイプなどの小物展示。素材は陶器・ガラス細工。意匠は実にさまざまで、たとえば蛙をかたどった水パイプ(きもちわりー)やら、杖なみに大きなパイプなど。
入場料100円にしては、ずいぶん楽しめた。
新宿伊勢丹のC^3(C cube)の2月のpushケーキのうちの1つ、ドルチェ=プリンに感動。
この見事な対比を演出していながら、廉価150円。小さいからね。とてもお得。
(お店の評価、東京グルメサイトだとすごく低い。私は好きだが。たいていC3@伊勢丹かメゾンミクニ@小田急ハルク。)
そのすぐ近くのバレンタイン特集のコーナーに、St.バレンタインのチョコレート像が飾ってあった。その脇には驚くべき説明が。
(うろ覚え)
19xx年、日本のバレンタインデーはこの地で生まれました。「年に1度、女性から男性に告白してよい」というメッセージが強烈で、まだ男尊女卑のきらいがあった世相にはつよい衝撃を持って迎え入れられたようです。最初の年は3つのチョコが売れただけでしたが、いまは全国的なイベントとして根付いています。
よく「バレンタイン=チョコなんて、どっかの菓子業者が始めたイベントだ」と嘯くことがあると思うが、それはどうも伊勢丹百貨店のことのようだ。
St.バレンタイン像の下には、「非常に敬虔な宣教師で、戦争下での不況に貢献した。盲人の目を開くという奇跡を残したため、聖人として列せられた。」
てなことしか書いてない。どこにも愛の話がない! ということは、よくきく愛の奇跡の逸話も、あとからついた尾ひれ羽ひれか? (チョコは日本だけなのは知っていたが、欧米では「男から女にバラを送る」とか聞いたことあるんだが、これもガセか?)
なお、ローマ暦だと、1年の365日が毎日なんらかの聖人の日で、たしかに2月14日はSt.バレンタインの日。これは間違いない。
(余談)
聖人(St.〜)と認められるためには、(1)生前に教会に多大の貢献をした、(2)死後にあきらかな奇跡(神の認証)が発生した、の2つの条件が揃わないといけない。たとえばSt.フランシスコ=ザビエルの場合、(1)中国と日本への宣教、(2)死体が腐らなかった、の2つの奇跡によって聖人に列せられた。遺体はミイラとなって保管されている。
−−ソースは芸術新潮ザビエル特集(1999年2月号)。Netで調べると、カトリック聖人、ドミニコなど出てくる。「奇跡」の条件もあった。
とりあえず、ざっと書く。
@科学未来館、500円。
本来はロボット=ミーム展を見に行く。w/ erkさん。
ASIMO、説明補佐員として、1月に科学未来館に入社。現在研修中。というわけで、先輩インストラクターによって日々実地研修を受けている。−−という設定で、ASIMOのデモが日に2回行われる。会場は人だかりで、子供だけ前に優先的に座れる。
先輩お姉さん「みんなー、今日は私たちの仲間を紹介するね。もう名前は知ってるかな?」
みんな「あしもー!」
ASIMOがwalk inしてくると、お姉さんがASIMOに聞かせる形で、観客にロボットの分類や歴史をレクチャーする。ASIMOの声はテープ音声で流れ、AISMOはリアルタイムにいくつかのポーズを取る。
見ていると、ASIMOの取れるポーズは5パターンくらいしかない。(1)両手をあげて歓声にこたえる(バイバイにも見える)。(2)ガッツポーズをとる。(3)片手ずつ大きく回す。(4)左右を向く。(5)うなづく。これを組み合わせているだけなので、子供を喜ばせるのは難しいと思う。実際、登場後には、子供の興奮はたいしたものではなかった。
ポーズが取れないのも当然で、ASIMOは歩行のみにこだわったロボットだ。そのすごさは歩行そのものにあるし、感動もそこから生まれるものだと私は思う。もっと単純に「歩き回わるデモ」のほうが客は喜ぶのではないかな。坂や階段を歩いて見せたりするとモアベターだろう。−−そういえば、後ろの客はASIMOの頭しか見えない。これでは足元の凄さがわからない。やはり高いところを歩いてもらわないと。
(注:erk情報を追加。正しく言うと、「少ない関節でいかに歩行するか」の研究成果がASIMO。)
ASIMO退場後、同じ場所で有名ロボットのデモ動画がループ上映されていた。
かのデビュー時のもので、改めて感動に涙が出そうになった。(1)キョロキョロして観客席を見つけ、手を振る、(2)主賓(?)が差し出した手を受けて握手する、という2つの感動的な映像が含まれている。
これはプロデューサーの技術の勝利だな。−−知性があるように見えるが、実際はリモコン操作なのだから。
上半身(とくに肩)の多関節駆動による感情表現にこだわったもの。外枠なしのケーブル剥き出しだから一見すると気持ち悪いが、動きを見ると滑らかさに驚く。
「嬉しいときの歩行」では上向き加減で小躍りするように歩く。「悲しいときの歩行」では下向に肩を落として、まさに「しょんぼり」と歩く。「怒ったときの歩行」では肩の開きが大きく、まえに障害物があれば手で荒々しく押しのけて歩くかのよう。見事だ。
非常に小さなロボットで、自己バランスに特化したもの。乗せている台を荒めに動かしても、かなり早く追随する。片足バランスまで動的に行っていた。もっとも脅威だと思ったのは、シーソーをこいで見せたことか。
かわいい外観で有名なPINOだが、実際に動くと異常にブルブル震えていて、生理的に気持ち悪い。宇多田ヒカルのプロモビデオ登場時のものも流れたが、あれはPINO本来の稼動によるものじゃないことがよーーーく分かった。
ASIMOとともにROBODEX2000でデビューしたとき(パラパラを踊った)は、私は「おもちゃっぽい」と感じて好きではなかった。が、今回比較して凄さが分かった。
実は、ほとんどすべてのロボットが、デモとしてサッカーボールを蹴った(ロボカップ対策なんだろう)。ところが、どのロボットもゆっくり歩いてボールに近寄り、立ち止まり、ゆっくり足を上げ、ゆっくり足を下ろすだけ。足にボールが当たるので転がるが、蹴っているとはいいがたい。
ところが、SDRだけが蹴っていた。「力をタメて、突発的に動く」(人間によくある動作)が(ある程度とはいえ)実現できるのはSDRだけだった。タメーハリ動作は反動が大きいから、制御が難しいのだろう。
(ロボットは全部で6台だったのだが、1つどうしても思い出せない。)
別ブースでは、P2とP3の動画があった。荷物を探し、掴み、持ったまま階段を登る。この一連の仕事を見ると、ASIMOは霞むなあ。
−−だが、erkさんいわく、こと《歩行》に関してはAISMOのほうが上とのこと。具体的には、現状ではASIMO以外のロボットは、方向転換を「止まった状態」でしか行えないのだそうな。《前進しながら左右に振れる》のはASIMOだけ。
ASIMOがデモをしたのが3Fなので、そのまま3Fをいろいろ見る。
実際に超伝導で動く《おもちゃのリニアモーターカー》が館内を走っている。制御パネルをいじれて、「低速」「高速」の2段階に変更できる。お子様が遊んでいた。また、レールの上に紙や鉛筆を置いても、それくらいならば乗り越えて進んでゆく。かわいい。
ちょうど私が行ったときのデモのお姉ちゃんが面白かった。
この磁石、すごく強いんですよ。触ってみてください。(と、鉄棒と磁石の間に観客=すみ が手を入れる。磁石を受け取ると、石鹸くらいのサイズなのに、5kgくらいのパワーを感じる。)いまはクッションでくるんであるからいいけど、生で出すと大変。私が勢い良く手を離したら、スピードで力がついて、指の肉が切れちゃいます。これでもたった0.5テスラです。ピップ=エレキバンが1800ガウス、つまり0.1テスラ。あれって強いんですよー。
このパワーになると、時計も狂うし、フロッピーやICカードはイチコロです。
(すみ「磁石テロできますね)
そうそう、テロ可能。これもって電車に乗ったら、みんなパニックですよ。でも、
「私、知らなかったんですー」なんてトボけちゃう。これは危険だ。こんなに危険なのに、某ショップで8000円で売ってるんですよ^-^
床に投影された画像の中を、映像の魚が泳ぐ。壁に跳ね返りながら高速に動いている。
ここに、実体のクッションが3つある。観客はクッションの位置を自由に変更できる。なんと、画像の魚は、このクッションにも跳ね返る。位置を変えても、変えた位置で跳ね返る。なぜだ。
添えつきのペンでモニターに絵を書くと、PCがその絵を追加加工する。引いた線に花を咲かせる。書いた線の相似系模様で葉っぱを生やす。線が回転して飛んでゆく。などなど。
2日晩より、唐突に喉が腫れている。息がしにくい。タンがつかえるのだが、タンを出すのが辛い。無理にタンを出すと、血混じりタンになる。(注:血痰ではない。ただたんに、喉の表面が傷ついて血が混ざるだけ。)
3日は9時に目覚ましをかけたのだが、喉があまりに痛いので、水分補給してそのまま睡眠。11:30にようやく目がさめた。10時間睡眠だ。それでも寝すぎの感じがしない。病気で体が睡眠を欲しているのだろう。発熱の感じはないが、全身筋肉(とくに腰)が痛いので、内部が熱を持っているのは確か。
出光美術館に行きたかったのだが、そういう場合じゃなさそうだ。外は雨(雪になる予報)。家でおとなしくする。食事も昨晩の残りの味噌汁だけで済ます。
14:30に着床、19:00に目を覚ます。その間まったく起きなかったのだから、体が睡眠を求めている証拠。食事を悩んだが、やはり味噌汁の最後の1杯+ご飯で済ます。食欲がなくならないのが自分の偉いところだ。
まだダルさや喉の腫れは取れないのだが、どうしても節分豆を食べたくなり、外出。近所のスーパーにあると見込んでいたのだが、見当たらない。もっと大々的にスペースが取ってあるもんだと思い込んでいた。さらにコンビニを2件周り、ようやく見つける。「北海道原産大豆を善光寺で祈祷したもの」
だそうな。
豆をボリボリ…思いのほかにアゴが疲れる。いたたた。でも美味い。満足。さあ寝よう。
22:00着床。08:00起床。この間また目がさめないのだから、立派な病気だ。腫れはだいぶよくなったが、全身筋肉痛が残る。あいかわらず発熱はない模様。不思議だ。
今週末は下版で休めないので、念のために今日休んで医者に行く。のどの腫れはひどいが、発熱がないからインフルエンザではないとのこと。消炎剤のみもらう。
また18:00まで寝ていたのだが、体が「もう睡眠はいらないよー」という感じになってきた。安静にすごし、23:00には寝て、明日は会社だ。
昼に高円寺へ。不動産屋で更新手続きを済ます。
[うおこう]にて昼御膳。この店は2度目だが、2度とも充実。これで1300円は安い。
(余談:調子に乗ってご飯をお代わりしたらテンコ盛りで出され、あとで胃をいためる羽目に。しかも+150円。)
そのあと商店街をブラブラ。飲み口捻りの湯呑みがないものか物色。簡単に見つかったのだが、値段が7000円以上ばかり。やはり手びねりは高いなあ(機械で作れるノーマル湯呑みは400円〜700円)。4件ほど廻ったが、結局は持ち胴捻り850円を購入。いかにも機械捻り(というより機械握りつぶし)で下品なのだが、とりあえず。
[きもの工芸 大黒屋]店頭にて「小ふろしき」を物色。ベージュ・紅の発色がよく、引かれる。あいかわらず繰り返し紋様大好きだし。今回はトンボにした。−−ハンカチとして使う予定。
お金を払う際に、店内で反物を見た。黒地のうえに2箇所、滝しぶきが描かれている。深い黒が情景をグッと引き締めている。欲しい。仕立て込みで30万だそうな。はたして安いのか高いのか妥当なのか。
(余談)
高円寺の茶器屋にて。保育園クラスの小さな子供が鬼のお面を被って、乳母車に乗った赤ちゃんを驚かせようとしていた。紙でできた鬼のお面。節分の豆の付属品。−−そうか、明日は節分だ。
この子供は、店主の孫であるらしい。けっこう高価な(1万以上)のお皿や湯飲みがある棚の脇で、手をブンブン振り回して遊んでいる。「あれー、鬼なのに、怖がらないよー。笑ってる。これじゃあダメだー。」 ちょっと奥に父親らしきもいる。祖父とともに笑顔。−−俺は見ていてヒヤヒヤものだったが。