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*istD+M50/1.4|sig24/2.8macro
初対面。堀の内のちょっと北側。一軒家が多い場所。バイクの脇でジーっと丸まっていた。
徐々に近寄りながら いくつか撮影したあと、手を差し出して「機嫌はどうですか?」
と聞くと、ムスっとした顔のままこちらに寄ってくる。
顔を近寄せてハナあいさつ。「いいからなでれ」
というので、いつもどおり一式マッサージ。近くで見ると、はっきりとムッチリぽっちゃりだ。毛も短く手入れされていて、病気も一切ない。
「どうですか、ご飯はたくさん食べてますか」
「あなたはアメショーさんですか」
「みんなは優しいですか」
などいろいろ聞いてみるが、返事は「いいからなでれ」
。ちょっとサボって撮影したら、「ならワシが自分でなでる」
とあんよをベロベロやっている。心を入れ替えて、両手で本気のマッサージ。
それでブラックジャックの手術が受けられるのか。 安いよなあ 3割負担なら、たった300万だ。
(前にもまったく同じことを書いた。どこで書いたっけ。)
これって、連載当時の値段で考えても、そうとう安いのではなかろうか。 さっきブックオフでぱらぱらと読んできたが、 500万〜5000万くらいしか取ってない。 億という金額は、でてくるのかもしれないが、めったにみない。
ふつうの医師に直せないレベルのケガや病気が、 たった1000万。やすー。 しかも、たいていの客にお金返しちゃうし。 あれで、ブラックジャックは食えていけるのだろうか。 医療設備の維持はできるのだろうか。
余談ですが、いまスピリッツで連載してる オメガトライブ キングダム。 クーデターで日本をのっとっちゃうお話。 いまは、警察代替組織としての自警団を配備して、政治団体とも関係ができて、軍部とも関係ができて、てなかんじ。
で、アメリカの政治関係筋から、先日届いた裏金が。
1000億円。
やすー。
1000億ドルのミスかと読み直したが、「円」
。
かなり面白いマンガなんすけどね。なんかこう、いっきに台無しに。
東証の1日の売買代金が、平均で2兆。 1000億じゃ、日本経済を1日支配することすらできない。 だいたい、日本の国家予算って200兆だ。
(えー、一般会計80兆、特定会計合わせて200兆。らしい。ググったらそう出てきた。)
経済感覚のリアルなところって、難しいのかな。
(追記:2006年9月7日)
今日知ったこと。 政治団体の1年の資金が1000億くらいだとか。 作者はそれに合わせたのかな?
ただ、目指すのは国家転覆だからなあ…
[calender]
元テキストだけで21kb。
NHKクローズアップ現代やらテレ東モーニングベルにまで「Web2.0特集」
が現れてしまった。つい見た。で、初めて知ったのですが。
評論家というかビジネス屋がいうWeb2.0って、こういう定義なんですな。
わたしはてっきり、Web2.0ちうのは「リッチUIとリッチコンテンツによるリッチWebエクスペリエンスのこと」
だと思い込んでいましたよ。まあ、ググって見ると、そういう定義のとひともいるし、両方兼ね備えたところもあるし、てな感じで。Web2.0って言葉に意味や定義がないことは知っていたが、こうなってるとは思わなかった。
そして、夏になると出てくる「戦争体験を語りづがねばならない」
という老人たちの気持ちが分かってしまった。
「そこの評論家、舐めんな、ふざけんな、適当いうな。おまえは昔のWebをしってんのか!」
(あとで調べると、少なくともオライリー氏が言ったWeb2.0は時代区分ではないのだが、評論家くんが「新時代到来」
というので、その線で昔話を進める。)
このあいだ[Web0.9β世代宣言]を書きました。その続き。
そのころ、Web上には個人が発信する情報しかなかった。企業の情報なんてない。商品紹介もない。そもそもNTTにすら公式Webがなくて、ntt.jpはNTT社員が有志で運営してるインターネット情報ポータルで(当時はポータルなんて言葉はなかったが)、その「.jp」
が「co.jpかor.jpではないか」
と議論されたりとか、そういうことがあったわけだが、評論家さん、ご存知かね?
実際にはそのまえから私はInternetを使っている。UNIXメールが大学内部から大学間ネットワークSINETに広がり、SINETが商用ネットワークとつながって、名実ともにinter-netwoking(ネットワーク同士がつながる)になる過程を体験した。−−評論家さん、ご存知かね?
(たとえばだが、「@」
記法が真の標準だと認められて、NIFTYの会員とInternet使用者が相互にメールできるようになったときの感動を、あなたら知っとるんかね?)
当時はグラフィカルな情報などなく、ひとびとはメールで情報を交換し、netnewsに群がる。まとまった情報が欲しければgopherを覗き(ゴーファーなんてもやはスペルもわからん)、ソフトが欲しければarchieを漁った。ftpでpublicにリソースが公開されはじめ、ネットは便利になった。−−ゴーファーもアーキーもみんな知らんよね。いま存在しないし。
Webはもっと前からあった。tim burners-leeがWebを開発したのはたしか1990年。違ったらごめん。timは物理屋が論文を共有するため/公開するための場としてWebを作った。が、数式を表現する記述ルールも表示ルールもないので、ぜんぜん普及してなかった(と聞いている)。そもそも画像を表示できない。
で、[Web0.9β世代宣言]でも書いたが、1993年にNCSAマークアンドリーセンらがMOSAICというソフトをつくり、Webが使っていたHTMLを拡張して画像を表示できるようにして、突如としてインターネットはグラフィカルになったのだ。−−評論家さん、ご存知かね?
(ググって見つけたhttp://www.scollabo.com/banban/tips/browser.htmlによると、1993ではなく1991。Wikipediaでは1993。わたしも1993だと思う。MOSIAC公式Webはとっくに閉鎖なので、どこで確認すればいいんだが。)
当時、ネット上に商用情報などなかった。個人しか情報を出してないし、企業もあくまでボランティアとして「ネット住民の、ネット住民による、ネット住民のための」
情報しか出さなかった。そもそも、「相乗りインフラであるインターネットで商業的な商品情報を出して良いのか」
という根源的な議論すらあった。−−評論家さん、ご存知かね?
1994年、NETSCAPE1.0登場(当時はまだnavigatorではなかったはず)。Yahoo!は、出没したかしてないかギリギリくらいだ。1995年か96年、NETSCAPE navigator2.0と同時に登場したTABLEやFRAMEがユーザーに巻き起こした衝撃を、評論家さん、ご存知かね?
−−あなたたちのいうWeb1.0なんて、ごく最近のものだ。ぜんぜん1.0じゃない。ぜんぜん歴史を踏まえてない。
個人にまでネットが浸透しだしたのは、1997年、Win98以降、ようやくIEバンドル。そのころでも、まだまだ商用サイトは少なかった。いまだグーグルはなく、そもそもユーザーは情報にたどり着けなかった、というか、情報があるかないかすら分からなかった。で、まだまだダイアルアップだったですよ。H"の常時接続が夢の世界に思えて、ひとびとはISDNにあこがれた。
(確認:Googleは1998年9月に開始。。もうちょっと前からβ公開はしてたと思う。βの段階で口コミで爆発的に広まった。)
Web上に情報がまともにそろったのは2000〜2002年くらい。Y!BB ADSL以降。ここで ようやく会社がWebを持つのが当然になった。Webで商品情報や会社案内、雇用情報や新卒案内を載せるのがあたりまえになった。ググれば情報にあたる。
(これまたググって確認したが、Y!BB モデムばらまきは2002年。http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20055150,00.htm ほんの2002年ですよ)
2003年以降、情報の充実は強烈に加速度的に進んだ。いまはamazonやら7&Yに本やCDのカバー画像があるのが当然だが、それが始まったのだって2002年か3年か。当時は新刊だけで、過去本のカバーはなかった。7&Yが2004年ごろ過去分も充実させたので、いまはamazonにも過去まで遡ってある。なんと幸せなことか。
Webが「企業が情報発信して個人が読むもの」
になったの自体が、このほんの数年のことですよ。なにが1.0で、なにが2.0か。バカかおまえら。
inter-networkingの浸透過程でも言われていたことだが、「ネットワークの価値は、接続ノードが増えれば指数的に増える」
。それはWeb0.9β時代も実感したし、ADSL以降の浸透でも実感している。
−−Web2.0評論家は「質が変わった」
というが、実際はWeb0.9βから、ネットは個人が情報発信して個人が群がってるところで、質は変わってないだよ。
変わったのは量。クズも良質も含めて、とにかく量。
常々書いているが、ネットサービスの面白さは、実際には技術や質の良さではなくて、参加者とコンテンツの量だけに比例する。と思う。質が良いところに客が集まるのではなくて、客が集まったところの質が上がっていく。それが現実。mixiはなにも新しくない、youtubeはなにも新しくない、新しくないから流行るのだ。と思う。
(「常々」
の1つ:d:2006-05-15。あと、2006年7月9日に書いたメールを転記。)
評論家はTVで語る。
「Web1.0では、HTMLなどの専門用語を分かるひとしか情報発信できなかった。Web2.0では、blogやSNSでだれでも情報を発信できる。」
いろいろ言いたい側面がありますが。
まずですね。
上記のとおり、NETSCAPE拡張HTMLのTABLEやFRAMEで衝撃を受けたユーザーがそれを流行らして、Web上に標準と独自拡張が分離されないままゴチャゴチャになっていた過去の悲惨な現実をご存知かね? そこを、「標準と拡張は分けて、少なくともプロは“それが標準でない”=読めないひともいる ということを自覚したうえで、覚悟して使え」
という思想を浸透させ、情報記述体系を整理したのがだれだか知っておるかね? −−わたしだよ私。すみけんたろうさんだよ。もちろん、わたし1人の成果じゃないんだけどね。
(えーとですね。わたしが自分で自分の成果を書き連ねるのって、たぶん初めてなんですわ。それくらいイライラしておるわけですが)
話がヨレた。閑話休題。そして、だ。そういうふうに技術的な知識を進めながら、1998年段階ですでに私はこういいましたよ。
「エンドユーザーが直接HTMLを触らないといけないのはおかしい。これからは、HTMLの標準化が議論されるよりも、ツールの充実が重要になる」
「エンドユーザーは、Webフォームに平文を流し込んだら、それが日記なるような、そういう環境にいるべきだ」
するとあれかね、わたしゃWeb2.0提唱者かね?
違うんだな。1998年当時で、すでにそういうものはあったし、ユーザーは使っていた。すくなくとも はてな はとっくにある。はいぱー日記システムもある。トラックバックはないが、ユーザー同士のつながりは日記ソサエティという形で存在した。RSSはないが、アンテナというもので更新情報を共有していた。
当時からすでに、「他人の日記への返答を自分の日記に書く」
という習慣はあった。そのひとたちを日記コミュニティと読んだ。共通のアンテナを持ち、情報のやりとりをしていたわけだ。−−わたしは当時そういうつながりを気持ち悪いと思っていたが、いまとなってはそれが標準だ。
blogという名称は実は固有商品名で、あまり覚えていないが登場は2001年くらい。日本はとっくに欧米より進んでいたのだわ。−−blog系のツールは当時から複数あるが、Googleがblogを買収したので名前が有名になった、はず、たしか。もう記憶があいまい。
つーまーりー。あなたらのいうWeb2.0は、1998年からあったよ。
もっといえば。世の中でどんだけHTML入門書が売れたのか、あんたら調べたことないのか? すげー売れたんだよ。ネコもシャクシもHTMLだったよ。わたしが会社に入った1998年から、2001年くらいまで。一般人も必死になってHTML書いてたよ。みんな情報発信してたよ。「一部の専門家しか情報発信できなかった」
は幻想だ。
じゃあ、いまのほうが簡単になったかというと、だ。2003年くらいから「はじめてのblog」
とかが売れてるんだわ。いまだってシロートさんは、入門書を買って勉強して、ようやく日記を書くんだぜ。
もちろん、本を買う必要のないシロートさんもいる。そんなことをいえば、HTML入門書を買わなくていいシロートさんだって昔からいた。統計はしないが、比率は変わらんだろう。−−「少年犯罪がTVでクローズアップされているが、実際は報道が幅広く拾い集めるようになっただけで、昔から件数や比率は同じだ」
というのに似てる。
ひとびとがやってることは なにもかわってない。質の変化なんて起きてない。個人の時代がいま来たわけじゃない。
量だよ、量。
また、HTMLが書けない人も、掲示板に情報は書き込めた。1998年より前からそうだったが、個人さんがWebを持つとき、メインコンテンツは自己紹介1pのみで、あとは「掲示板とチャット」
。ネコもシャクシも「掲示板とチャット」
。Webは、日本で個人に流行り始めた瞬間からコミュニケーションツールだった。−−Webを《自分の》モノカキの場だと私は思っていたので気持ち悪かったが、それは私が1994年からNETやってる古い恐竜だからであって、彼らのほうが新しく、また普通の姿だった。
まさか2chを知らないとは言わせない。サカキバラ事件のときに突如マスコミに有名になった2chだが、それ以前からユーザーに2chは有名だった。−−掲示板だけのWeb。そこに人が群がる。最初は非常に不思議な存在に思えたが、いま思えば《今っぽい》。そして2chは参加者が加速度的に増えて、ノイズ比が上がり、それとともに混乱も面白さもさらに増えて、あっというまに「僕らの知ってる古きよき2ch」
はなくなった。−−でも、それでいい。
当然だが、2chのしくみが新しいかといえば、別に新しくない。あれ自体が「はまぞう」
(という先駆者)閉鎖にともなって代替措置として急遽作られた急場しのぎだ。どこに差があったのかは、わたしには分からない。結果としては、2chは日本において「量がすべてを凌駕する」
を決定的に証拠つけた好例だと思う。
ひとびとがやってることは なにもかわってない。質の変化なんて起きてない。個人の時代がいま来たわけじゃない。
量だよ、量。
もちろん、評論家が言うとおり、たとえばWikipediaのようなものが個人が寄り合って無償で作られて、知恵が蓄積されていくのはすごい。だが。
評論家は妙なくらいに「専門家でない個人がボランティアで」
って側面を強調する。まず、それ本当か? 専門家がボランティアで書いてるケースだってけっこうあるだろう。
「個人が書き、それを別の個人がチェックし、それを繰り返すことで質が上がっていく」
うん、これはホントだね。CD-DBとかもそういうモデルだね。
んで、それって最近の質の変化なのかね?
評論家さんは、SNSやソーシャルブックマークでの情報共有を「2.0的」
と言う。
では、さらに昔へ遡ってみよう。1995年ごろ。いや、もっと前。Webに情報がなにもなく、検索手段もなかったころ。
個人Webには《リンク集》というものがあるのが当然だった。オーナーがよく使うWeb、ひとに薦めたいWeb、役立つ情報集。そういうものを共有するのが当然だった。ようはブックマーク公開だ。最近「ソーシャルブックマーク」
なんてご大層な名前で共有ブックマークがなされているが、そんなのはWeb黎明期からあった。
なぜ一度なくなったかといえば…
逆に言えば、その前に必要になったのは、Googleがなかったから。そして、リンク集で対応できる程度しかサイトがなかった時代が本当にあるから。
(1994年時点のntt.jpが「日本のインターネット情報」
(うろおぼえ)というポータルだったことをさっき書いた。想像できないかもしれないが、1994年時点は、そのリンク集で日本のサイトのうちまともなものは99%網羅できているくらいしか、そもそもサイトがなかった。新規サイトを立ち上げたら、ntt.jpの管理者さんにメールして、載せてもらってた。インターネットというのは、そもそも寄り合いだったのだ。)
Google以前の検索サイトは、たとえばソニーと検索しても、ソニー公式はなかなか出てこなかった。Yahoo!がどういう順位アルゴリズムを採用していたのかは知らないが、ただの個人がソニーについて書いた日記などが堂々と1位に出てきて、しかも中身はクソみたいなもので、ソニーのサイトにたどり着くのは大変だった。
だからこそ、個人がリンク集を公開していたのだ。いまでも覚えているが、かのTUSTには「優れた個人ページには、優れたリンク集があるものです」
といまだに載っている。個人的にはその表現は古臭くて恥ずかしい情報だと思うが、あれは古い事実を満載するための本だから、それでいい。
そういう現状が、Google登場で変わった。ソニーと検索すれば、ソニー公式サイトが出てくるのだ。PageRankアルゴリズム。それがどんだけ衝撃だったか、評論家さん、ご存知かね? −−結論を言えば、個人がブックマークをして情報整理しておくのがバカバカしくなり、個人リンク集をほとんど意味がないものにした、それくらい衝撃だったのだ。いま、特に必要がない限り、ソニーのトップページを自分のブックマークに入れておく必要があるか?
(というか、昔は自分でブックマークする必要あったんですけど、そのことご存知ですか? 企業公式サイトでも自ドメインを持っておらず、どっかのプロバイダの下にあったりした。sony.co.jpなんて分かりやすい名前じゃなかったからこそ、ブックマークせねばならぬかった。まあソニーは初期からドメイン持ってたけど。)
(そういう意味では、URLも進化したね。ただのサーバーディレクトリ情報だったものが、XPATH的な、なんてんだろ、状態を持つクエリーワードとして進化した。サイト内の特定の情報を指すとき、ページ内部#idじゃなくて、データベースクエリーとしてURLを書けるものね。いい時代だ。)
(んでまあ、知らない人は「Yahoo!で検索してもソニーでてくるよ」
というかも知れない。Google登場以降、各社は内部でGoogleのエンジンを使っているのですよ。)
NHKがいう。
アナウンサー「なるほど、個人が情報を発信する時代。たしかに、検索サイトの検索結果が変わってきたとは思っていました。XXXと検索すると(例では映画だった)、映画の配給会社だけでなく、その感想を書いた個人ページが出てくるようになってきました。」(大意)
評論家「それがWeb2.0です。検索で上位になるということは、たくさんリンクされているということで、みなから信頼された情報だということです。そのようにして、草の根の情報が大事にされるようになっています」(大意)
ちーがーうーーーー! GoogleのPageRankアルゴリズムがblog未対応なんだよ。
Googleの結果が乱れ始めたのは、blog華々しき2003年。blogは、そもそも自サイト内部で自分にリンクを張りまくるので、なんでもないページがRankが上がってしまう。トラックバックを打てば相互リンクになるので、また上がる。そして同じころからSEO対策(検索エンジン最適化)ちうものが流行り始めた。ようは、Googleのアルゴリズムを逆手にとって、自分のサイトを上位に表示させよう、ちうもの。
(このあいだの話だが、Googleで「ディレカ」
と検索してごらんよ。あなたがたが言う意味でWeb2.0なら、ディレカへの反論ページが上位に来ないとヘンだろ?)
ソーリャルブックマークやら個人間の情報共有がまた進んでいるのは、少なくとも2つ理由があるだろう。
ようは、またGoogle以前に状況が戻ったからじゃねえの?
Web2.0は「質の変化」
「個人の時代の到来」
じゃない。個人がやってることは、昔からずーーーーーっと変化してない。変化したのは量。
そもそも。昔は、自分が欲しい情報がWebにあるのかないのかすら分からなかった。1995年時点、Web上に情報なんてほとんどなかった。1997年ごろは、情報はあるが、探せなかった。Googleで(βが1998)、ようやく「あるなら探せる」
ようになった。
2001年ごろ、Webにほんとに情報が集約された。商品情報、商品への口コミ、あるいは流行のネタ、その元ネタなど、なんでも探せる。Wikipediaが本当に充実してきたのも、はてなキーワードが充実したのも大きい。−−Googleで「かわいいよ 元ネタ」
と検索してごらんなさい。
ようは、ようやくにしてWebがまともに機能するようになっただけですよ。Webってのはハイパーリンクで情報と情報を結んで芋ズル式にするのが本来の役割。−−最近ハイパーリンクなんて単語も聞かないけどさ。−−原理主義的なことをいえば、Webちうのは個々のサイトを切り分けて考えるのは便宜上のことであって、原理としてはWeb全体で1つの究極の情報ソースなわけですよ。もともとそういうもの。物理論文をすべて集めようちうのが出発点だし。
Web2.0評論家は、そのWikipediaなどの「個人が情報を集約する」
ことを2.0と呼ぶ。−−んでもさ、やってることは0.9βから変わんないじゃん。質の変化というのはごまかしだよ。ほんと、違ったのは量だって。
まあ、「量が増えたから質が上がった、だから質の変化だ」
と開き直られちゃったら、それまでなんだけどね。
もしWebの性質が変わる瞬間があったとすれば、それはGoogleでしょう。HTML記述者がハイパーリンクを張らなくても、検索システム側がハイパーリンクを張る。明示的なリンク不要。−−それは変革だったと思う。
明示的なリンクから、自動的なリンクへ。−−そうでないと、膨大すぎる情報には対応できないから。
もしWebのバージョンアップナンバーをつけるならば、このことにこそつけるべきだと思う。
(そういう意味では、はてな は存在が早すぎたのだろう。blog的なシステムとしても、自動リンクとしても、ナレッジベースとしても。)
繰り返すが、個人が情報発信する時代が「来た」
のではなく、そもそも大昔からそうだった。
たとえば、ひとびとは1998年時点で2chに群がり、TVニュースの情報操作を「またやってるよ」
などとこき下ろし、新製品のいいところ悪いところを情報公開しあい、有志がFAQにまとめたサイトを作ったりlogを残したりしてた。−−Web2.0評論家がいうものと、なにが違う?
Googleが出てきて、またWeb上に本当に情報があるようになって、Webは変わった。よろしい、それをWeb1.0と呼ぶことにしよう。ただ、評論家よ、それがほんの2000〜2003年だということも自覚してくれ。
1994年が0.9βで、95〜2000までをWeb0.9だったと呼んでも良い。
それでも、評論家がいうWeb2.0は、質の変化でも個人の変化でもない。むかーしからそうだ。あえていえば、評論家が言っているWeb2.0は、時代的発展を示してはいない。2003年以降の情報膨大時代を、評論家が勝手に「企業中心の軸」
と「個人中心の軸」
をより分けて、それぞれに1.0と2.0という名前をつけただけ。
評論家さんさあ、「2004年ごろ初めてWeb見て、ぶったまげた」
んじゃねえの? 歴史を知らないから、「これは新しい!」
とか思って、そんでWeb2.0って単語を聞きかじって「そうだよね! 2.0だよね! 新しいよね!」
って大喜びなのでは?
わたしは1998年時点で原理主義者を廃業宣言した。もうそんな時代じゃないと思ったから。
いま、まったく違う意味で、原理主義的情報伝達がもういっぺん必要かねえ。だって、自分がすごくバカにされた気がするもんなあ。
これはあれですね。本当のオタクのひとが、村上隆にすごく腹を立てるのに似てますな。http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links06081.html
友人に村上隆「リトルボーイ」展の英文カタログを見せてもらった。 表4にドラえもんがでかでかと印刷してある。内容もマンガやアニメの図像が満載で、まともに使用料を払ったら、とんでもない金額になるだろう。芸術はいいなあ。
カタログの冒頭は大阪万博で、次はDAICON IVオープニングアニメ。友人曰く、
「村上隆が欧米に伝える現代日本とは、ぼくらの半生なんですよ」そりゃ、おたくの人が村上隆を毛嫌いするわけだ。やだもんな、自分の半生が芸術だなんて言われたら。
今回モノを書くに当たって、ほかにWeb2.0に腹を立てているひとを探したりはしてない。でも、わたしと同世代のひとや、わたしが昔尊敬してた先達は、相当腹を立ててても不思議はない。たぶん、とっくになんか書いてるだろう。−−あるいは、彼らは大人だから、そんなのどうでもよくて、黙ってるかな?
というわけで、次の人以外はWeb2.0の評論禁止。
わたしなんでI/Oに載ってたマシン語ダンプを、意味も分からず入力して、ゲームやったよ。そんな少年、珍しくないんだぜ。
パソコン少年を舐めんなよ。
そういえば、「Web2.0」
って単語自体はオライリー氏が言いだしっぺなんですよね。アメリカは日本よりネットが遅れているからなあ−−というのもすごい話だけど。インターネットはアメリカが発祥なのに。
(遅れている事実は、[Web0.9β世代宣言]のときに書いたように、2001年で「個人にT1が必要だ」
みたいな文書がアメリカから出ちゃうことからも見られる。−−ほかにも、たまに増井さんがmixiなどでピックアップしてるんだが、日本ではとっくに実現されていることを(たとえば公衆無線ブロードバンドとか)アメリカは将来の夢として挙げている。)
で、まあ、そのオライリー氏が本来名づけたWeb2.0は、いま日本の評論家氏がいっているものと、どれくらい違うんでしょう。
長くて読む気がしませんが。 C|NETの記事
やっぱ、似てて非なるものですね。2.0もロングテールも。時代区分じゃなくて、ビジネスモデルの差異で分けてる。−−まあ、それもどうかと思うが。なんでmp3.comが1.0でnapsterが2.0よ? なんでコンテンツ管理システム(CMS)が1.0でwikiが2.0? すると、youtubeはどっち?
余談だが、TVの評論家くんはCMSを2.0に上げてた気がする。そもそも、冒頭に出てくるDoubleClick。これは広告会社の名前ですが、評論家たち、わかってるかな? アイコンをダルブクリックするんじゃないんだよー。
同記事の警告。
この点を明らかにすることは急務となっている。 Web 2.0というミームはすっかり広まってしまい、この言葉の真の意味を理解 せずに、単なるマーケティング用語として乱用する企業が増えているからだ。
しかも、こうした流行語好きの新興企業の多くがWeb 2.0とは到底呼べないの に対し、われわれがWeb 2.0の例として名前を挙げたNapsterやBitTorrentは、 厳密にはウェブアプリケーションですらない!
ま、そういうことよね。オライリーが言い出したことだからって、その言葉が優秀だとは限らない。というか、すまん、オライリーってそろそろ過去の栄光のような気がする。もっとも、“すみけんたろう”は完全に《終わった栄光》だけどさ。
ちなみにオライリー氏はgoogle登場をWeb2.0としてますな。−−たぶん、個人主体を種目に2.0といったんではかなろう。すまん、ほんとに記事読むのが面倒なので。ごめんよごめんよ。
ま、その。
こうやって個人がかんたんにマスコミらの実態を 晒せる 時代のことを《正しいWeb2.0》と呼んだほうがいい気がしてみたり。
もちろん、ニュース実況板なんてものも2chに昔からあるのですが。だから新しくないんだけど。
いまは私のようなメカ音痴ですらビデオキャプチャができる。そういう時代こそ、一種の2.0?
ま、それをいったら、ネット登場はPC2.0か。いや、UNIX/DOSの登場がコンピュータ2.0? いや、アルテラからみたら、Z80こそ2.0?
(注:ようはわたしは「2.0」
って表現をバカにしているわけですわ。本来正しく使っているひとたちには申し訳ないが、評論家くんたちがめちゃくちゃにしてるんだもの。)
必要ならやるよ、啓蒙運動。8年ぶりに。無職だし。−−めんどくさくない範囲でね。だらだらと。
1人でやるもんだとも思ってないし。それこそ、共感するみなさんがそれぞれでやる。これが旧来からのWebスタイル。−−で、評論家さんがいうWeb2.0スタイルでもあるわけですな。
ああ、あれですよ。
わたしがブーブーいってるのは
「Web2.0」
にじゃなくて、
「Web2.0評論家」
ですんで。そのへんお間違いなく。
2005年9月6日うお座=実際に書いた日
この日は、何事も、あまりオーバーに騒ぎ立てると、単なる自意識過剰ととらえられかねませんので、あくまでも冷静に対処するよう心がけてください。一方で、仕事に役立つ情報が得られそうです。それをどのように活かすかはあなた次第なので、チャンスを逃さず、与えられた情報を有効に活用していってください。また、周囲の協力も得やすい時期なので、迷ったり困ったりすることがあれば、すぐに相談すると良いでしょう
はい、ごめんなさい、興奮しすぎました。
実際、某所で増井さんの日記を見たら。
「なかったこと」として封印抹殺されたものについて雑談している
「わたし、それに参加して儲けましたよ」とか
「それじゃなくてキャプテンだけど、ウチにキャプテン端末が8台眠っているから、誰か欲しい?」などと。
増井さんはずいぶん昔から2.0をおちょくるようなことを書いてますが、ことさら怒ったりはしてません。本物のひとは、余裕が違う。わたしは子供だ。ベーマガ程度だからね。
[calender]
昨日書いた[Web2.0評論家、舐めんなよ]を補強するために。実際には2006年7月9日に書いたメールより。部分転載。
(わたしは出版社にいました。情報発信屋です。)
publishingをインターネット情報サービスにシフトすることについて、 無責任にあれこれ考えています。 実際には2001年にベンチャー立ち上げを検討したときから考え続けているテーマで、 現状では補強される材料のほうが多いと感じています。
情報DB==サービスの下地、プラットフォームの基礎の基礎
ごくごく単純に、量こそが正義。
youtobeをご存知だと思います。
あれは技術的には何も面白くないサービスで、
スタート時 私は あまりのつまらなさに
「すぐ廃れるなー」
と思っておりました。
現状 どうなったかというと、 大盛況です。 音楽プロモーションビデオ、日本のアニメ、CM、 まだDVDになっていないドラマの過去ログなど、 ありとあらゆるものが蓄積されており、 ユーザが情報を交換しあって (mixiなどで情報が飛びます) 飛躍的に拡大しています。
ユーザのほとんどは、youtubeというサイト名すら意識していません。
ごく単純に、
「あっちゃん、先週あの番組見逃したって言ってたよねー。ネットのここで見られるらしいよー」
という感じです。IT無知の女子大生レベルでこれが通用しています。
たとえば、ピタゴラスイッチの装置や体操なども、 ほぼすべてそろっているようです。
揃ってしまえば、量が量を呼び、いつのまにか品質は勝手に上がります。
(このことは、ユーザが勝手に登録できる=蓄積コストがゼロという、後述の視点とカブります。)
現時点で成功しているネットサービスは、 基本的には量(データor人)だと考えています。
わたしは基本的にはデータが先だと考えていましたが、 mixiの成功を見ると、どうもヒトが先でもかまわないようです。 ヒトが群がれば、あとはかってに内容が作られる。
先日お話したように、mixi(SNS)は、 ヒトを集め、さらにそのサイトから出て行かせない魔力があります。
(「友達に紹介された」
という日本人的な拘束力があり、なおかつ 実際にデータ量もたくさんですから。)
こうなれば、その上でビジネス展開はいくらでも可能です。
mixiは、それ自身がプラットフォームとなって、上位サービスを組めます。 実際、mixiニュースは提携先が増え、ニュース内にこっそり広告が入ったり しています。 また、mixi公認コミュニティとして、メーカーの新製品に関するコミュニティが、 メーカー主導でありながらユーザーコミュニティのようにして、 また実際ユーザーを大事にしながら、運営されるようになっています。
まずは量。その対策が一番大事だと思います。
新しい技術は、新しいうちはアングラユーザーを呼びますが、
すぐ「当然」
になってしまって、先が続きません。
POBoxの増井博士(私が尊敬するひと)は、
「富豪の理論」
と説明しています。無断ですが、概要をここに書きます。
わたしの解釈なので、厳密には間違っているかもしれません。
プログラム上の技術や工夫とは、 たいていがリソースが足りないことを補う目的だったりします。 すなわち、貧乏な発想です。
- ナローバンドのひとでも大丈夫にしよう
- RAMが足りなくても大丈夫にしよう
これらを回避するための工夫は、プログラム上のバグの温床になるばかりか、 貧乏が解消されたとき、意味がなくなります。
たとえばMSは、常に富豪ないいかたをします。
いまのところ、それでビジネスが回っています。
技術の進歩のほうが早いのです。
増井氏「富豪の理論」
のとおり、ヘタな工夫より素直な技術が勝つ。
たとえば。2003年ごろ、音楽や映画を共有するには WinMXなどP2Pを使いました。 これは、次のような技術的な理由と、あとアングラ性でした。
いまとなっては、youtobeで検索すれば一発です。 通信帯域もHDD容量もサーバ力も、時代が解決しました。 技術の工夫はいらない。ただ、量がそこにあればいい。
WinMXの実験が無意味だったとは言いませんし、 いまでもユーザーはいますし、音楽共有ならMXのほうが強いままです。 しかし、youtobeの単純さ のほうが、結果として強力になる。
メジャーになる場合は、富豪の理論を頭に入れ、 目先の技術革新のことは忘れるとよいかと思います。
(もちろん、次世代標準になる本物の技術革新もなかにはあると思います。しかし、そういう「天才しかできないこと」
を探すより、凡才にもできることのほうが 現在は大事かと思います。)
継続していかねばならぬからこそ、 リソースDBの更新コストは下げねばなりません。
グーグルは、クロールロボットで自動です。 ロボットは改良されつつも、自動は自動。
はてな やWikipediaは、ユーザー更新型です。 CD-DBもユーザー更新型。 ユーザー更新型は、ユーザーに参加意識をもたらすので、 一種の囲い込みにもなり、ネットならではのビジネスモデルだと思います。
Amazonは既存の流通と手を組むことで、 ユーザーではなく自分たちでデータを提供しています。 これは商品の差だと思います。 ただ、ユーザーコメントを取り入れるなど、ユーザー参加は意識しています。
Yahoo!はいまはどうなってるのでしょう。 ぐるなびとか。調べたことがないので、探りを入れると面白いかもしれません。
グーグルは、Mapや飲食店情報は、ほかから買っています。 これは、基礎情報を念入りに収集したうえでのビジネス拡大です。 基本データの量が集まれば、あたらしいビジネス展開ができる。 そういう1例だと思います。
iTuneが採用しているのは、CD-DB。 これは2人くらいのベンチャー会社です。 データはエンドユーザーが入力することにしました。 最初はWinAmpと手を組んだはずです。
(もちろん、最小限のデータはベンダ側が用意したと思います。)
ユーザーは面白がり、積極的に更新に参加しました。
データがそろえば、それがビジネスリソースになります。 iTuneなどは、CD-DBに、 たとえば1ダウンロードごとに1セントとか、 廉価なライセンスを払う契約だと思います。 それで、CD-DB側はバックエンドの整備だけ続ければ、 ビジネスが勝手に拡大していきます。
iTunesは、CD-DBに加えて、ジャケット画像を出すなど、
手を加えてビジネスにしています。
下地の「量」
があれば、展開が容易になります。
アメリカの音楽著作権団体も音楽DBをやっていて、 WindowsMediaはこちらと契約しています。 しかし、入力エラーおよび未対応CDが意外にも多く、 使うとイライラします。 エンドユーザーの監視がフィードバックされないだけで、 データの品質の差が出ていると思います。
ここでも、量のビジネスと、あと更新コストの低減が見られます。
以上です。結論はないのですが。雑感として。
(実は私は これで野嵜さんと「正かなづかひ」
を知りました。)
いま思ったのだが、これは実にWeb2.0的なのではなかろうか。いろんな意味で。自分自身を他己から知ること。そして、実はこれで自己紹介もできちゃうこと。うーん。違うか。まあいいや。
(「とは」
検索とかもね。このテのが[Google活用術]てな本(大量に売ってます)として販売される時代がくるとは、正直思わなかった。)
根本的に…いまどき「ネットサーフィン」
って言わないね… そして、ググっても、エゴサーフィンってあんまり出てこない。言葉自体はGoogle登場してしばらくしたころから存在して、知人には通じる言葉なんだけども。
ああああ。わたしはマジョリティーじゃないから、2.0なんて語れないよママン!
というキャッチコピーを考えた放送作家は偉いと思う。 長年使いまくりだもんなあ。
今日(7月9日)は風邪なので家でぐったり。 昼に鑑定団再放送を見ながら居眠り。
気がついたら、日高義樹のワシントンリポートをやってた(7月9日)。 大学生のころ好きだった。まだ同じ姿勢でやってるんだ。嬉しい。 今日はパウエルさん。アメリカの元国防長官。 日高さん+あちらの評論家と3人で、 静かに静かに、個別テーマについて語り合う。 BGMも一切なし。グローバルな視点からの政策展望と、それへの質問や批判、応答など。 日本の政治番組がヤジばっかなのに比べ、なんと大人なことか。
今日面白かったのは、アメリカが北朝鮮に空爆する可能性はゼロだ、という点。
政策面からも、政治的な駆け引きからも、空爆によって得るものはゼロだそうな。
端的には、「空爆の地政学的問題のお尻を中国やロシアに取られるほうが危ない」
と。
もっとも、テポドン発射以前の収録だけどね。
[calender]
|[Web0.9β世代宣言]
(前回、「10baseだった」
という話と、1994年当時のイーサカードの値段は書きました。)
LANが初めて100baseに進歩したのがいつかは忘れましたが、「おおお、1MB以上のデータをLAN内共有しても、ラグを感じない! ファイルサーバーへのバックアップ、10MB以上でもストレスを感じない!」
と感動したことは覚えています。
(いまそれを体感するには、USB2.0の機器をUSB1.0として動作させてみてください。)
ギガビットイーサなど想像もしませんでした。いまのバックエンドって太いよねえ。
Win3.1時代は、TCP/IPスタックがOS付属品ではありませんでした。イーサカードを買うと、ドライバといっしょにメーカー製のものが付いてくる。カメレオン社のソフトを入れて使ったりもした。
Win95時代にTCP/IPスタックが標準装備になったとき、「それでは世の中のTCP/IPメーカーが潰れてしまう!」
と非難ごうごうでした。実際カメレオンは潰れた…と思いますが、面倒なので調べません。
(個人的には、このへんのインフラはOS標準でいいんじゃないかと思います。−−Webブラウザやメールソフトになると判断が難しいですが、「とりあえず非力なものが標準でついてて、ユーザーは好みで乗り換えられる」
がベストなのかなーとは思います。まあ、なんつーか、とっくに終わった話題ですねこれは。)
1993〜4年当時、うちの大学は、個人のPCにいたるまでグローバルIPでした。
私の知る限り、これは珍しい事例ではなく、普通です。
1996年くらいかな、世界にInternetが普及し始めて、「グローバルIPが枯渇する!」
ってことで、本気でIPv6が検討されました。ググって記事の年号を確認すると、IPv6が機能しはじめたのは2001年のようです。
ただし。それを待つ前に。
ちうわけで、1998年には既に以下の形が当然に。
DHCPがなかったら、こんなにネットユーザーが増えることはなかったでしょう。偉い>DHCP。
(でも、普及過程を調べられません。しくみ自体はグローバルIPだろうが有用だから、昔からあると思うんですが。)
で、まあ、IPv6はグローバルIPのためだけにあるわけではありませんが、いまんところIPv4から移行する兆しは見えません。
いま、家庭光(FTTH)にすると、グローバルIPを余裕で1つもらえますね。私の中では「原油とグローバルIP」
=「なくならないもの」
の代表です。カザフスタン油田にあと何百年分の原油があるやら。もちろん、代替技術や省エネを苦労しているからなのは理解しています。
これは誰の発言だったかなあ。たぶん1998年以降、就職したあとに、ネットのどこかで聞いた。
元々は、「XXのための製品として作られたものが、まったく別のジャンルで活用する」
という話。ただ、一切事例を思い出せないので、説得力がない。えーと。
自分なりに最近の事例を考えてみる。
私が知ったのはmixiに「ミュージカルバトン」
が浸透してきたとき。ググると、blogトラックバック連鎖のほうが先だったっぽい。
元々はチェーンメールのたぐいであるが、もともと日本では「100の質問」
などが流行っていた素地があるためか、違う形で増殖した。
「回された」のではなく、勝手に
「拾ってきて」書くひとがいっぱい
「バトン置き場」まである
「自分がアンカー」を宣言するひとが圧倒的に多い
(日本以外ではどうなっているんだろう?)
もともとは隔離板だった。
(いま初めて気が付いたが、最近は「とは」
「どうよ」
つけなくても、単語でググれば定義紹介がすぐ出てくるね。)
ところが。VIP板自体が独自の場として成長し、自分自身から進んでVIP板の住民になるひとが大量発生。かつての「2ch語」
を越えるほどの膨大な「VIP語」
を生み出し、そのことがさらに呼びかけになり、すでに隔離板としてはぜんぜん機能してない。
わたしはだいぶ前から2chはデジカメ板しか読んでないので、VIPのリアルなところは知らない。なので推測だが、VIP住民は、そこが本来隔離板であったことを知らないと思われる。そうであってほしい。「それがVIPクオリティ」
なのだし。
余談だが、わたしはうかつにも「それなんてエロゲ?」
は名言だと思っている。
だが、年寄りなので「テラワロス」
「ktkr」
には付いていけない。しょこたんブログは読んだことがない。
[calender]
10:57、東京また揺れたよー。NHKを見る。マグニチュード4.4。で、なんとなくヤフーを見た。11:00。…バナー広告部分が地震速報だった。
えらいなあyahoo!。こういうときに、元祖情報屋の底力を感じる。たいしたもんだ。
(いちおう確認。楽天、ライブドア、Excite。とくになにもなし。gooもない。Yahoo!も、11:15には消した。とくに被害がないことが明らかになったから。)
元祖Yahoo!設立者の名前を思い出せない。どっかの大学の学生2人組みだったよな。最初は自分で会社にしたはず。いつの段階でソフバに買われたのだろう? −−jp始まったときは提携だったのだろうか? いまはUS Yahoo!もソフバ参加。いまも会社にはいるのかな?
(ググって調べる:ITMediaYahoo!ジェリー・ヤン氏「web2.0はMyMedia」
??。便利だね いんたーねっと。)
実はE*TRADEもソフバグループです。厳密にはSBIホールディングスで、つい今月か先月かにソフバは保有SBI株を売却して独立させたけど。でも、ソフトバンクインベストメントでSBIだし。
あああ。ヤフオク落札だけならプレミアムいらないのか。てか、Y!BBユーザーなら出品にもいらないのか。ずっとプレミアム入ってた…2年か3年か。315*12*3=1万ちょい。うう。たった1万ちょいだが。いや、これはキャンペーンだからか? いつからキャンペーンやってんの?
実はtepco to asahi-netにしたとき、いちおう費用計算したですよ。差額600円の計算だった。ところが。
うかつだ>自分
ま、いいや。いまプレミアム解約したから。…んで、ジオシティーはどうする?
(自作mp3置き場になってる=自サイトからmp3に直リンク使用=少なくとも広告は関係ない)
[calender]
ハリーポッターの「謎のプリンス」
の原題がhalf-blood princeだと知る。ちとショック。そもそも新刊予告のときは「混血のプリンス」
だったそうで。なにゆえの変更? 言葉狩りが出たとしたら、逆差別もはなはだしい。
(状況:所要で新書の棚状況をチェック。そこで[タイトル学]系の本を読む。beatles邦題「僕が泣く」
岡村[あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう]などを、文法学と心理的印象で、いろんな角度で述べる。読みやすくて面白い。いい本だ。タイトル忘れたけど。)
で、その本で上記を知る。
どうでもいいが、なぜ「王子」
じゃなくて「プリンス」
なのだろう。そっちのほうが気になる。「謎」
で「混血」
では、やっぱり名前を「読めない記号」
で表記するようなおかただとしか思えない。
「賢者の石」
表記は、映画でブームになったころ、どこかで知った。wikipediaにも書いてある。
固有名詞はこゆうめいしだろー? まあ、日本語訳「賢者の石」
のように、定着したUSA訳なのかもしれないが。でもwikipediaによると、そうでもなさそう。アメリカはヒイロックファンタジーの国のくせに、元祖ファンタジーの知識は浸透してないのだろうか。
(余談。新書では、[なぜ暗証番号は4ケタなのか?]が秀逸だった。2005年の本なので、いまさらながら。)
さらに余談。邦題関係では、エイリアン2の原題が「エイリアンズ」
(複数形)だと初めて知りました。これもなんかもったいない邦題だわ。まあ、しょうがないけど。
ホラーの続編といえば「return of」
「son of」
なんすけどね。バートンは「return of mars attack!」
とか作らないかしら。
(初出:2006年06月09日)
麻生さんって 「ローゼン閣下」
なんだね。フロッピーたんから出世。
マンガ大好き、中国韓国大嫌い。
[大富豪のビルゲイツを呼んで、国会の安いカレーライスをおごる]に感銘を受ける。
この間ビル・ゲイツが来日して私と飯を食べたい と言ってきました。この人とは3回くらい飯をご一緒したけれども、面白くない人だし、あまり飯はうまくもないし、こっちは会いたくない。どうしても会いたいというので、会いたいならこっちへ来い、飯は御馳走されるほど貧乏していないからいらない、自民党本部にくればうまいカレーライスを御馳走してやると、嘘八百を言って連れてきました。
ローゼン閣下を支持します。
[calender]
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